第4話 暴食の娘

 毒のない木の実をシャリシャリと食べるイグネイシャス一行。


「とりあえず、この木の実がそこら中になっていて良かった。ありがたいことにこの木の実はかなり腹に溜まる」


 イグネイシャスは腹が満たされて頭が回るようになってきた。


「グレイシャ。質問がある。さっきの娘。後、何体出せる?」


「なに? セクハラ?」


 女性にとって出産はデリケートな行為である。蠅の時には感じなかった羞恥もイグネイシャスの記憶とDNAを取り込むことでそういう知識を取り入れてしまったのだ。


「すまない。そういう意図はなかった」


「うーむ。出産にはエネルギーを使うから、わたくしの体力の問題もある。だが、わたくしは体力と栄養さえあれば理論上は無限に娘を産むことができる」


「なるほど。中々、なんというか業が深いというか」


 人間の女性が持てる卵子の数は決まっている。だが、蠅はそんな人間の繁殖力の比ではない。グレイシャの母親や祖母、その更に祖先も色々なDNAを取り込んできて、その繁殖力を強化してきたのである。


「ただ、やはりというか、わたくしたちはメスであるから、卵子を形成するのに時間がかかる。だから1日に30体の我が子を出すのが限界だと思ってくれ」


「なるほど。そういうところで問題はあるか」


「無駄に精子を作りまくるオスと一緒にしないでもらいたい」


「なぜ、オスをさげすんだ」


 イグネイシャスとグレイシャが会話をしている間、グレイシャの娘が木の実を美味そうに食べていた。その娘を見てイグネイシャスはある疑問を抱いた。


「質問がある。グレイシャの子供はいつから自分のコピーを産めるようになる」


「こんな小さな子にまでセクハラするのか。見下げたロリコン王だな。貴様は」


「なんか、私に対する当たりが強くないか?」


 イグネイシャスとしては、今後の活動として確認しておきたい事項なのではあるが、グレイシャたちにとってはセンシティブな問題ということ。


「わたくしの娘第1号は今は蛆の状態。だから、人間で言うところの“メスガキ”の形容をしている」


「言葉を慎め。王族がレディに対してそんな言葉を使うでない。私はそんな言葉を教えた覚えはない」


「成虫になれば“メスガキ”から単なる“メス”になる。そうすればコピーを作ることも可能になるというわけだ」


 グレイシャが説明をする。木の実を頬張っていた1号が首を横に振った。


「私にはありませんよ。お母さま」


「え? ないとは何がないのだ?」


「卵細胞」


「え?」


 グレイシャは鳩が豆鉄砲を食らった顔をする。自分の今までの知識からすると考えられないことが起きているのだ。


「なんかですね。人間というか、このおじさんの細胞を取り込んだことで、わたくしは出産の機能がなくなってしまったのです」


「なるほど。じゃあ、イグネイシャスは不能だったというわけか。全く。この種無しブドウが!」


「おい。そっちもセクハラしてるではないか! それと私は断じて不能ではない!」


 実際のところ、人間の繁殖の効率性は蠅と比べるとかなり劣ってしまう。その細胞を取り込んだことで、グレイシャの娘が出産能力を失ってしまうのは十分ありえることであった。


「まあ、人間という種がいかに愚かとわかったところで……」


「グレイシャ。機嫌が悪いのか? なんでそこまで口が悪くなっている」


「は? 別に? 何でもないんですけど?」


 明らかに不機嫌になって攻撃的になっているグレイシャ。


「おじさん。おじさん。今のお母さまにあんまり突っかからない方が良いですよ」


「ん? どうしてだ?」


「お母さまは今はガルガル期というものに入っているのです」


「ガルガル期。確か、子を出産したら周囲に威嚇するようになる現象の俗称か。蠅にもあるのか?」


「は? 誰のせいでこんな不機嫌になってると思ってるんですかねえ! ええ? 人間様は気楽なものですねえ。それとも出産経験のない男性様にはわからないのですかね?」


 人間イグネイシャスの細胞を取り込むことで、グレイシャは子を成すと周囲に威嚇をするようになってしまった。


 まさにヒステリーを起こしているグレイシャ。こうなってしまっては対処法は1つしかない。


「触らぬ神に祟りなしか……仕方ない。えーと……キミはなんて呼べばいいかな?」


「わたくしに名前はありません。強いて言えば1号です」


「わかった。1号。キミのお母さんがあんなんになってしまったから、私たちだけでなんとかしようか」


「はーい」


 イグネイシャスはグレイシャに構わずに作業を続行しようとした。しかし、グレイシャはイグネイシャスを睨む。


「え? なんですか? わたくしをのけ者にするつもりですか? あーやだやだ。人間はすぐこれだ。気に入らない存在を排除して。そんなんだから戦争や内乱が起こるのだ!」


 まさにその内乱で国外追放される身になったイグネイシャスにとっては耳が痛い話である。


「はあ……わかった。グレイシャよ。私だって色々と言われると傷つくのだから、少し言葉を選んでくれると助かる」


「うむ。わかった。了解した」


「急にものわかりが良くなったな」


「お母さま、ガルガル期が終わったみたい」


「急に終わるのか……」


「ん? どうしたのだ? イグネイシャスよ。早く作業をしようではないか。日が暮れてしまうぞ」


「まさかの記憶がないパターン。怖すぎる」


 イグネイシャスは生命の神秘に触れた。これが母親になるということ……なのかどうかはわからない。


「時にイグネイシャスよ。提案があるのだが、よろしいか?」


「かまわない。申せ」


「わたくしは、さっき栄養補給をした。つまり2号を出す準備はできているというわけだ」


「却下する」


「まだ何も言ってない!」


 ガルガル期の女性の面倒さに触れたイグネイシャス。自分が愛した伴侶ならいざ知らず、いきなり自分の化膿した傷を食べて育った謎生物の威嚇を受け入れるほど人間はできていなかった。


「グレイシャよ。考えてみてくれ。この島に、後どれだけ食料が残っているかは不明だ」


「たしかに」


「出産はエネルギーを使うのだろう? グレイシャが栄養不足になったら私は困る」


「それもそうか。わたくしの心配をしてくれて感謝をする」


 なぜか頬を赤らめるグレイシャ。イグネイシャスはそれを無視してイカダの材料になりそうな木を探している。


「お! お母さま! おじさん! 見て。あそこに果実がなる木がいっぱいある」


 1号が指さした方向に毒がない木の実が大量になっていた木があった。


「お母さま。これで食料の心配はいらないですね」


「そうか。それでは、2号の出産の準備をしようか」


 イグネイシャスは世の中の不条理さを感じた。無人島で食料が大量に見つかる。それがこんなに好ましくない状況とは思いもしなかった。


「それでは、イグネイシャスよ。わたくしはこれから出産する。すまないが、あっちを向いてくれないだろうか」


「なんで急に恥じらいを持った。さっきは平然と出産したではないか」


「おじさん。あんまりお母さまを責めないでください。お母さまも恥じらうを持つお年頃なのです」


 それまで恥の概念があったかどうかは定かではないのに、急に恥じらいを持つお年頃になった経産婦。


 別にイグネイシャスもグレイシャの出産シーンを見たくもないので、大人しく明後日の方向を見ることにした。


 ただ、見ないようにしていても音は聞こえるもので、生々しいぐちゅぐちゅとした音が聞こえてイグネイシャスは若干、不快な気持ちになった。


「おはようございます。お母さま、お姉さま、そしておじさん。わたくしは2号です」


 これまた、グレイシャをそのまんま小さくしたような外見の少女が出てきた。1号と全く同じ容姿に見えるが、どこか違う。2号の額には黒いハート型の紋様が浮かび上がっていた。


「わたくしは……能力持ちの個体です。お母さまの能力。“暴食”を受け継ぎました。今後ともよろしくお願いいたします」

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