第13話 帰途にて

「意外に、頑固なんだね」


 少女は、空虚な表情で俯く友達に話しかける。

 友達は、二輪の花を守り通そうとした。

 結末は同じなのに。


「いいよ。最後までとっといてあげる。手始めに、どうしても摘みたい花があるんだよね」


 語り掛ける少女の顔が、怨嗟で歪んだ。


「私を、こんな風にした大人たちに――復讐しないとね」


 道路をチガヤは進んでいく。

 夢遊病者のように。

 中身のない、操り人形のように。



 ※※※



 ハルカズはジープを走らせていた。

 助手席にはリンネが乗っている。

 沈黙が場を支配していた。

 居たたまれなくなったのか、リンネが口火を切る。


「いいんだよね……?」

「チガヤが言ってただろ……」


 言い返すが、自信がない。

 暗い夜道を、進んでいく。

 遠くからは、街の明かりが見えていた。


「でもさ、チガヤの能力のこと、説明してたよね?」


 チガヤの命令は絶対だ。

 彼女に帰れと言われたら、もう抗えない。

 チガヤからは強力な電波が出ており、受信した人間は彼女の命令を拒否できなくなる。

 厳密には脳を強制的に操作される。

 ニューロンへのハッキングのようなものだ。

 パソコンがハッキングされた時、セキュリティソフトや手動操作で対応ができる。

 しかし人の脳に、セキュリティソフトはインストールされていない。

 専門家が、問題を解決してくれるわけでもない。

 人間の思考や行動が脳によって行われている以上、抵抗は不可能だ。

 だからこそ、チガヤは大量破壊兵器として狙われていた。

 その気になれば、全ての人間を支配できるし、滅ぼせるから。

 チガヤの能力によって、二人はこうして離れている。

 帰っているのだ。


「わかってても、どうしようもないんだ」


 奇妙な感覚だった。

 本来だったら感じるはずの、心理的抵抗感が全くない。

 感情を理性が完全にコントロールして、ストレスすら抱かせない。

 お願いの時は、まだ思考の余地があった。

 それらしき理由を、述べることもできた。

 しかし今は不可能だ。

 これが、チガヤの本来の力。

 彼女はずっと、力をセーブしてきたのだ。


「そうだよね……」


 あれだけチガヤに入れ込んでいたリンネも、素直に納得している。

 その姿を見てもすごいな、というありきたりな感想しか出てこない。


「薄情かな」

「どうなんだろうね」


 ここは嫌悪感を抱くところなんだろうな、と思う。

 たぶん自分は今、自分を嫌いになっているんだろうと。

 だが、嫌な感覚はない。

 むしろ、一種の心地の良さすら感じる。

 チガヤの命令を聞くことに、喜びを抱いている。


「早く帰って、休もうぜ。何か美味しい物でも食べようか」

「そうだね、お仕事は終わったし……」

「あれが、終わりでいいのか……?」


 ハルカズの疑問に、


「終わりじゃないのかもね」


 リンネは同意する。

 だからと言って、何かが変わるわけでもない。


「こんな風になるんだな、チガヤの本気は」

「すごいよね。絶対におかしいのに、何も思わない」


 物語などで登場人物が洗脳された時、行動や性格、思考の違和感で、正気を取り戻すシーンを見たことがある。

 しかしチガヤの命令に、その対処法は通用しないようだ。

 疑問や疑念を感じたり、矛盾を自覚したところでどうしようもない。

 だからどうした? と言わんばかりだ。

 廃屋でやったみたいに、命令を完全に遂行した辺りで、ようやく正気に戻れるのかもしれない。

 でも、その時は手遅れだろうな、と他人事のように思う。


「万事休すってやつだな」

「チガヤがもし、酷い目に遭ってたら……泣くと思う。私」

「俺もだ。奇遇だな」


 何気ない会話のような気軽さで続けながら、ハンドルを切って左の道へ曲がる。


「ルテンも死んで、チガヤも死んじゃったりしたら、もう私、立ち直れないよ」

「とんでもない一大事だってのに、帰るべきじゃないのに、どうして普通に進めるんだろうな……」


 車を運転する動作に、一切の躊躇いがない。

 何なら、もっとスピードも出せる気がする。

 そしてきっと、その方が気持ち良くなれる。

 もういっそ、道路交通法も気にせず暴走してしまおうか。


「さっさと帰ろうぜ。どこだ?」

「……どこって、何?」


 リンネが訊き返してくる。

 一体、彼女は何を言ってるんだ。


「だから帰る場所だよ。案内してくれないとわからないぞ」

「……私に、帰る場所なんてないけど?」


 当然のように言うリンネ。


「そんなわけないだろ」

「だって私はシノビユニットを抜けたし、昔住んでた家ももうない。唯一の家族は死んじゃったし……」

「それじゃ、堂々巡りになっちまうだろ。困るぞ?」

「ハルカズの家でいいんじゃないの」

「俺の家……? 家って言ってもなぁ」


 国内のあちこちに、仕事用の拠点は拵えてある。

 だが、ハルカズは基本的に流浪の民だ。

 特定の拠点にこだわったりしない。

 稼業の性質上、その方が都合がいいのだ。

 独り身だから、何も困らない。


「俺にも家なんてないぞ。どこでも眠れるし、食べれるからな」

「じゃあずっと、このまま彷徨うんだ」


 大変だね、と言うリンネ。

 自分たちのことなのに、主体性はない。


「それはちょっと変じゃないか。こうやって命令が実行されている以上、帰るべき場所はあるはずだ」


 もし実現不可能な命令だったら、いくらコマンドを入力したところで不可能なはず――だと思いたい。

 もしそうじゃなかった本当に、死ぬまで彷徨い続ける羽目となる。


「だったらどこなの? 帰る場所って」

「……場所、じゃないのかもしれないな」


 前提条件が、間違っているかもしれない。

 普通の人が帰る場所を聞かれたら、十中八九、自宅や故郷と答えるだろう。

 しかしハルカズも、リンネも、一般人とはとても呼べない。

 人口減少による治安悪化により、陰鬱な空気が漂うこの国でも、まだハルカズのような人間は特殊ケースだ。

 これが一般的になった時が、この国の終末の時だ。

 よって、一般基準ではなく特殊基準で。

 ハルカズとリンネが帰るべきだと思う何かを、考える必要がある。

 リンネが訊く。


「場所じゃないなら、何に帰ればいいの?」

「大事な人……とか?」

「君とか?」

「え?」


 その返事が予想外過ぎて、ハンドル操作を誤りそうになる。


「消去法で考えるとそうなるよ」

「消去法ねえ……」

「君も誰かいるんじゃないの? 昔助けてくれたであろう恩人とか」


 ハルカズは、自分を幽霊部隊から助け出した男のことを思い出す。

 ひげ面のオヤジを。


「あのおっさんが俺の帰る場所だなんて、冗談でも思いたくないね」

「そうなの?」

「感謝はしてるけどさ。それに、前に言っただろ? 救われた者は自立せねばならないって。自立を促した男のとこに行ったって、追い返されるのがオチさ。俺の実力じゃ探しても見つからないだろうしな」


 あのオヤジが本気で姿を消したら、世界中の誰であろうと見つけることは不可能だ。

 幽霊部隊を、赤子の手をひねる感覚であっさりと無力化してみせた男だし。


「他にはいないの?」

「……お前とか。消去法でな」

「ふうん」


 リンネは興味なさそうに、ペットボトルのお茶を飲んだ。

 なんとも言えない気持ちになりながらも、ハルカズは気付いた。


「ただ……一人だけ、思い当たる相手がいる」

「そっか。偶然かもだけど、私も一人だけなら心当たりあるよ」


 奇遇だな、と思う。

 ……本当に、奇遇だ。


「同じ人だと思うか?」

「たぶんだけど」

「じゃあ、向かっていいかな」

「いいと思うよ」


 即答するリンネ。

 対してハルカズは半信半疑だ。


「矛盾しているように感じるんだが」

「いいんじゃない?」


 ハルカズの危惧に、リンネは他人事のように言い放つ。


「だって、どうしようもないんでしょ? おかしくても、変でもさ」


 その通りだ。ハルカズは納得した。


「ああ――そうだな」


 ハルカズはサイドミラーとバックミラーを確認。

 対向車と後続車がいないことを確認し、ジープをUターンさせた。

 帰るべき人の元へ向かうために。



 ※※※




 超能力開発機構第三研究所。

 一度は逃げた場所へ、チガヤは戻って来ていた。

 ふらり、ふらりと。

 おぼつかない足取りで、生気のない瞳で。


《あなたは学ばなきゃ》

「学ぶ……」


 足が進み、身体が揺れる。


《せっかくの力を、全く活かせてない。それはもったいないよ。だから、教えてあげる》

「教える……」


 アスファルトを靴が鳴らす。

 月明りの中で、人影が揺らめく。


《花壇はね、手入れをしなきゃいけないの。公園にあるような花畑もね、人工的な手が加えられているんだよ。何の管理もなく、無造作に生えているわけじゃないの》

「管理……」

《そう、管理。あなたはコントロールできる。花畑を――世界を。チガヤは好きに選べる。どの花を植えて、育てて、間引くかを。それなのに――》


 チガヤは立ち止まった。


「美しいのは……自然なままの……」


 身体が震え出す。

 抗っているかのように。


《チガヤはガーデニングについて、知らなきゃね。――早速始めようか》


 チガヤの身体から力が抜ける。

 脱力した身体で、研究所の敷地へ入った。



 ※※※



「間宮所長! 奴が戻ってきました!」


 血相を変える部下に対し、所長は動じることなく返事をする。


「ほう、戻って来たのかね? では、歓待をせねば――」

「所長は事態をわかっておいでですか!? 33がこちらの兵士を自害させたのは明白です! 独断で動いているんですよ!」

「ふむ」


 所長はデスクのパソコンを操作した。

 管理画面を開き、パッケージ33の状態を確認する。

 機能が全開放状態となっていた。それを見て笑みを浮かべる。


「そう思うなら、止めれば良かろう」

「止めましたよ何度も! ですが、誰かがすぐにシステムをオープンにするんですよ! 所長ならわかるでしょう!? もう我々は――」


 結論を言いかけた部下がおもむろにペンを取り出し、自身の首へ突き刺した。

 その姿がとても愉快だったので、所長は楽しげに微笑む。


「おお――素晴らしい」


 両手を広げて、全身で浴びる。

 目には見えない神々の祝福を。

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