第11話 不安
「パッケージ33の報告によれば、間もなく到着するようです」
「それは歓待せねばならないな」
部下の報告を受けて、所長は笑みを浮かべた。
「大事な客人だ。丁重にもてなさなければ」
「準備は滞りなく」
「そうでなくては困るよ。新世界の幕開けはもう間もなく、だ」
所長が両手を広げた。恍惚とした表情で。
神の祝福をその身で受け止めるかのように。
※※※
「政府が本気を出してきたな。ったく」
ハルカズは進みが遅いジープの中で悪態をつく。
渋滞に巻き込まれていた。原因は通勤ラッシュや事故ではない。
検問だ。
警察官が、通行車の身元の確認を行っている。
迂回することも考えたが、情報では目的地へのルート全てに検問が実施されている。
ならばこのまま突き進んだ方がいい。多少手荒な真似をすることになろうとも。
「強行突破?」
リンネは刀を手に取った。少しは元気を取り戻したようだ。
「まぁどうしようもなければな」
担当の警官には申し訳ないが、少しの間眠ってもらうことになる。
ただ、これは最終手段だ。
実際にはうまく誤魔化したり、囮を使ってその間に抜けるという手もある。
本当なら徒歩で行くのが楽なのだろうが、目的地が確定していない状況で車を手放したくない。
例え公算が大きくとも。
「こっちで本当に合ってるの?」
「上谷さんにもらったデータが参考になった。目ぼしい政府施設が一つだけあるんだ」
超能力開発機構第三研究所。
東京の郊外に存在している、非公表の超能力研究施設だ。
きっとそこにチガヤの友達はいる。
「違ったら?」
「別の場所に行くだけだろ?」
「……そうだね。チガヤは何か感じる?」
リンネの問いかけに、チガヤは答えない。
「チガヤ?」
チガヤは呆けていた。リンネが身体を揺すってようやく反応する。
「……何?」
「行き先が合ってるか、わかる?」
「うん。この先だよ」
「さてどうやり過ごすかな……」
どのやり方が一番楽なのかを模索する。
「いいかな?」
珍しくチガヤが話しかけてきた。こういう時はハルカズたちに任せきりなのに。
「私なら、お願いできると思う」
ハルカズは逡巡し、
「わかった。このまま行ってみよう」
前の車が動いた。
ゆっくりと、ジープが検問へと近づいていく。
※※※
具体的な内容が不明だとしても、命令されれば従うしかない。
警官はタブレットに表示される画像と車内の人物を比較して、不一致であることを確認する。
「ご協力、ありがとうございました」
不満げな市民を送り出す。こっちも同じだよ、と言いたかった。
ろくな情報も寄越さず突然検問を敷けと言われ、さらにはこの三人組がどんな罪で手配されているのかもわからない。
そもそも犯罪者なのか。
逮捕すればいいのか補導すればいいのか。
さっぱり見当もつかないまま確認作業を続けるのは、なかなかに苦行だ。
「お次の方、どうぞ」
次に確認するのは緑色の車だった。オフロードも問題なく走破できそうな車には、不釣り合いな若い男女が乗っていた。
免許を取ってそんなに時間が経っていないだろうに。
随分な自信だな、と他人事ながら思う。
「免許証の確認に、ご協力お願いします」
「何かあったんですか?」
受け取った免許証をデバイスでスキャニングする。
「指名手配犯の目撃情報がありましてね」
口裏を合わせるよう言われた言葉を諳んじる。
本題は免許証の確認ではない。
スキャンをしながら車内を観察する。
運転手である青年。後部座席に座る可愛らしい少女。
それよりも年下の、花のような印象を持つ少女……。
「ふむ」
警官はタブレットと三人を見比べ、画像と一致
「大丈夫です。ご協力ありがとうございました」
免許証を返し、ジープを見送った。
※※※
東京都、と一口に言っても都心部から外れると自然が広がっている。
田園風景を越えて、山に入る。
秘密裏の研究を行う場所として、自然は格好の隠れ蓑だ。
おまけに都心部からそんなに離れていないので、必要物資も簡単に調達できる。
「近づいて来てる……」
緑鮮やかな山の中を走らせていると、チガヤが食いつくように窓から外を見ていた。
その様子をハルカズはバックミラーで観察する。
「良かったね」
「うん!」
リンネに元気よく返事をするチガヤ。
前方に休憩所が見えた。ハルカズはウインカーを光らせて駐車場内に入る。
「どうしたの?」
「休憩しとこうと思ってな」
最後の休憩になるかもしれないと、思いながら。
※※※
その判断は少し不満だった。
後もう少しのところなのに、なんで休憩するのだろう?
チガヤは疑問に思いながらも、二人に追従していく。
「綺麗なところだな」
ハルカズが風景を見ながら言う。
チガヤもハルカズの視線の先を見る。
たくさんの木が連なってできた山。少し離れたところには川が見える。
綺麗なのかもしれない。
しかしチガヤの胸はいっぱいだ。
後少しで友達に会えるのに。
「……休憩しなきゃ、ダメ?」
「疲れた状態で友達に会うのはもったいないぜ」
そういうものだろうか。
チガヤはハルカズに倣って、休憩スペースのベンチに座った。
「なぁリンネ。売店で何か食べ物買ってきてくれよ」
「いいけど、一人で?」
「好きな物買ってきていいぞ」
「ホント? やった!」
リンネが小走りで売店に向かう。きっとたくさん買ってくるだろう。
いつもはリンネが買い過ぎるから、ハルカズが見張っている。
だが、今日は付き添わない。
なんでだろう。
疑問を覚えるチガヤは、ハルカズと目が合った。
じっと見てくる。
その視線が少し怖くて、目を逸らした。
「チガヤ」
「どうしたの、ハルカズ……」
「友達が誰なのか、教えてくれないか」
「どうしてそんなことを聞くの?」
「……誰かわからないと、探すのが大変だろ?」
「私がわかるから、平気だよ」
今こうしている時も、チガヤは友達のことを感じている。
その感覚が近づくごとに増している。
鼓動が早鐘になるが如く。
「だったら、友達と会ってどうするのか教えてくれ」
「……何が、知りたいの……?」
チガヤは初めて、ハルカズが嫌だと思った。
どうして嫌なことを聞いてくるのだろう。
今までそんなことなかったのに。
「友達と会いたい理由は、何かしたいからだろ? 話したいとか、遊びたいとか。そういう話を、俺とリンネはまだ聞いてない」
「ただ……会いたいだけだよ」
「会ってお話しするのか?」
「そう、そうだよ――」
「でも、能力で会話ができるんじゃないのか?」
「――っ」
チガヤが目を見開く。
「なのに、わざわざ会う必要は……」
「あ、遊びたいの! ハルカズたちと美味しい物を食べたりしたように……」
「そうだな。今は動けるからな」
「でしょ……?」
「でも、俺たちに依頼した時は動けなかった。花畑の中に閉じ込められてた」
「ハルカズっ!」
何が言いたいの?
なんで急に質問をしてくるの?
チガヤは混乱する。
ハルカズはベンチから立ち上がると、チガヤの前に回った。
中腰になって、目線を合わせてくる。
リンネが以前していたのと同じ動作なのに、全く別の印象を受ける。
尋問、みたいだ。
「なんでチガヤは友達に会いたいんだ? 自分から誘ったのか?」
「別にいいでしょ……!」
「良くない!」
ハルカズがチガヤの両肩に手を置く。真剣な眼差しを注いでくる。
「大事なことなんだ。君のためにも!」
「勝手なこと言わないで! そんなこと、お願いしてない!」
「そうだ! 俺が勝手に考えてる! 君のことを思って!」
「いいから黙って連れてってよ! 友達でしょ!」
「友達だから、真面目に向き合おうとしてるんだ!」
ハルカズが何を考えているのかわからない。
友達は、お願いを聞いてくれるものだって。
そう、あの子は言っていたのに。
「君の友達はどこか、変だ。向かう前に一度調べて――」
「黙って!!」
「っ、く……」
叫んでから、自分がしたことに気付く。
ハルカズが黙った。言葉を捻り出そうとしているが、話せない。
命令したからだ。チガヤが。
その事実にショックを受ける。
「どうしたの?」
両手に買い物袋を持ったリンネが戻って来ていた。
たまらなくなって、チガヤは走り出す。
「チガヤ!」
「ハルカズといっしょにいて!」
リンネとハルカズは追って来ない。
チガヤがそうお願いしたから、来るわけない。
「ハルカズ……どうして……」
道端の石に座りながら、チガヤが目元を拭う。
濡れている。
悲しい気持ちになったことは、ある。
でも、今回のはいつもと違う。
罪悪感。
友達に命令をするのは、どうしようもない時だ。
お願いだって、本当はしたくない。
なのに、そのどちらもやってしまった。
その事実が、とても辛くて、悲しい。
「ハルカズは、友達に会って欲しくないの……?」
そうとしか思えない。
ここまで連れてきてくれたのに、土壇場になって引き留めようとしている。
どうして?
自分の頭で考えるが、わからない。
チガヤのためだと言っていた。
どこが――?
《どうしたの?》
「……!」
その声を聞いて。
チガヤの表情が明るくなる。顔を上げた。
その瞳が虚ろになる。
「すぐそばまで来たよ! やっと会える……!」
《長い時間が掛かったけど、ようやくだね》
花畑の中で、友達の声に話しかける。
彼女の声を聞くと、嫌なことも全部吹き飛ぶ。
《何かあったの?》
「友達とね……ちょっと、言い合いしちゃって」
《その人は、なんて言ってたの?》
「え……そ、それは……」
言おうか悩む。
彼女は気を悪くするだろうし。
ハルカズだって、たぶん、悪気があったわけでは――。
《教えて》
「……あなたに会うのを、調べてからの方がいいんじゃないかって。どんな人か、わからないから」
《へえ……そうなんだ》
「で、でもハルカズはとても優しい人で。リンネだって……」
《大丈夫だよ。きっと二人ならわかってくれるよ》
「そうかな……?」
《そうだよ。だから、心配しないで。会いに来て》
「うん……」
《見せて。――あなたの花畑を》
チガヤは花畑を見回す。
綺麗だ。とても。美しい。
さっき見た風景とは比べ物にならないくらいに。
この愛する場所をようやく、友達と共有することができる。
「うん! 楽しみにしてて!」
《すっごく楽しみにしてるよ。チガヤが思っている以上に、ね》
チガヤは立ち上がる。
こうしてはいられない。
二人に謝って、早速会いに行かなければ。
※※※
「心配だったんだよ……」
「だからって、言い方があるんじゃないの?」
リンネは怒っていた。腹が減っていることも理由の一つだが、チガヤへ酷い発言をしたハルカズに対しての比重が大きい。
何より、そんな大切なことを自分に相談もなく考えていた事実に腹が立つ。
――チガヤの友達が危険かもしれない、なんて。
「チガヤの友達そのものが悪いかはわからない。二人揃って利用されている可能性もある。とにかく、安全かどうか確かめたかったんだ。研究所内の情報端末はオフラインのようでな。いろいろ調べたが、内部情報がわからないんだ」
「だったら結局行くしかないでしょ! なのにうじうじと――」
「傷付いて欲しくないんだよ……」
「もしかして、私のこと気にしてる?」
「え? い、いや……」
リンネはハルカズの瞳を直視する。
「別に……そんなことは……」
「嘘つき」
「そうだよ、悲しい思いをさせたくないんだ。あの時みたいな――いてえ!」
デコピンを食らったハルカズが、抗議の眼差しを送る。
それを跳ね除ける勢いでこちらも睨み返す。
「気遣いありがとう! でも、余計なお世話!」
「悪かったな、だけど――」
「救われた者は自立せねばならない――だっけ?」
「お前どうして?」
「君の独り言を聞いたの。この言葉は何?」
ハルカズが言いづらそうに顔を背ける。
その両頬を掴んで正面へと戻した。
「何すんだよ!」
「自分は言いたくないのに、人には言わせようとしたの?」
「わかった、説明する! 俺を助けてくれた恩人がそう言ってたんだよ」
ふてくされたハルカズをリンネは問いただす。
「どういう意味。教えて」
「そのままの意味だよ」
「あのね、私は常識ないの。わかる?」
「得意げに言うんじゃないよ。助かったのなら、自分の足で歩けってことだ。いつまでも他人に甘えずにな」
「ちょっと酷くない?」
「かもな」
ハルカズはそっぽを向いてしまった。
この言葉には他に意味があるのかもしれないが、今は教えてくれそうにない。
「とにかく、チガヤに謝らないと。そして、まずは様子見することを伝えよう?」
「……いいのか?」
「ハルカズの不安も、私はわかるから。それに、追い付いた敵に襲われるかもしれないでしょ」
「そうだな、すまない。焦ってた」
「本当だよ。いつものハルカズなら、うまく説得できたでしょ」
「ああ、そうだ。チガヤを探してこよう」
否定しないんだ、と思いながらもリンネは微笑む。
二人との生活はとても充実している。
それも、万事うまくことが進めば終わるだろう。
そう思うと、少し寂しい。
(別れたく、ないな……)
ハルカズが立ち上がる。リンネもついて行こうとして、
「あれ? チガヤ?」
チガヤが走ってくるのが見えた。
※※※
「ごめんね、ハルカズ。怒ったりして」
「いや――俺も悪かった。いいのか?」
ジープを進めながら、ハルカズは念を押す。
「うん、いいよ。様子見、するんでしょ?」
「なら良かった」
「安全かどうか確かめさせてね。大丈夫だったら、すぐに会えるし、ダメだったとしても方法を考えるから。ハルカズが」
「お前も少しは考えてくれよ」
リンネに軽口を叩いていると、白い建物が見えてきた。
如何にもな施設だ。
外からは人の気配が伺えない。
「あそこ!」
チガヤが指をさす。当たりのようだ。
「いよいよか」
チガヤというターゲットビーコンが目標を示した。
殺し屋稼業の時は、ビーコンの反応がもっとも強くなった時、ハルカズの神経は研ぎ澄まされた。
今回もまた全神経を集中させて、ことに当たるべきだ。
停車。リンネと目配せする。
降車し、周囲を警戒した。
「チガヤは車の中で待っててくれ」
「うん……」
と言うチガヤの反応は鈍い。
そのことを訝しみながらも、拳銃を意識する。
ライフルを担ぎたかったが、敵意がないことを示す必要がある。
「私が先行する」
リンネが研究施設の入り口に近づく。
ハルカズはタクティカルアイを起動させた。
何も書かれていない門をリンネが通る。
「今のところ目立った異常は――」
リンネが報告しようとした瞬間。
閃光が煌めいた。何かが彼女に向けて落着したのだ。
「何――ぐッ!」
ハルカズは山の中から出てきた何かに飛びつかれる。
白いアーマーを着込んだ兵士だ。
マチェーテで切り裂こうとする相手を蹴りでどかす。
「何者だ!」
体勢を直し、銃撃しながら後退。
だが、白いフルフェイスヘルメットの兵士は避ける。
いや、避けたのか、これは?
まるでそこに弾丸が来るのがわかっていたかのように。
もっとも安全なルートを、滑らかに走り抜ける。
「なんだと……ぐうッ!」
ハルカズの顔面に、兵士の左拳が刺さった。
※※※
「今のは……く……」
デジタルグラスが明滅している。あまりの衝撃に身体が言うことを聞かない。
攻撃が何だったのか、リンネは思い当たる。
が、信じられない。
「雷……ッ」
イカヅチに、打たれた。
反射的に流動ブレードを盾にしたが、完全には防ぎ切れなかった。
即死していないのは、威力が低かったおかげだ。
「あら、気絶しなかったんですのね」
フルフェイスの兵士が近づいてくる。
痛みに耐えながら、ブレードの切っ先を敵に向けた。
「あんたは、誰!」
「幸運ですわ。いえ……不運ですわ。気絶しておけば、苦しまずに済んだのに」
雷が迸ってくる。
リンネは跳躍で躱した。
しかし、その動きに今までのような俊敏さはない。
※※※
「所長、歓迎パーティーが始まりました」
「それは素晴らしい。楽しんでくれているだろうか」
「もちろんでございます」
所長のテーブルの前にノートパソコンが置かれる。
画面には、戦闘映像が表示されていた。
いや、これを戦闘と表現するのは語弊がある。
蹂躙。
或いは、サンドバッグトレーニングか。
ただひたすら相手を殴るだけの行為を、戦闘とは呼ばない。
「パッケージ33はどうしますか?」
「機能を一時的に開放してやれ。遅かれ速かれ、彼女たちは一つになる運命なのだから」
そして開かれる。
新しい扉が。
所長は両手を広げる。
翼を広げた鳥のように。
新世界へと、羽ばたくのだ。
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