第9話 姉妹

 記憶の中の彼女とは、まるで別人だ。

 それなのに、リンネは確信していた。

 

 目の前の少女はルテン。

 生き別れることになった妹だと。

 

 自分と同じ黄昏色の、ショートカットと瞳。

 愛らしい顔。

 そして、懐かしさを感じる声音。

 

 そのどれもが、彼女がルテンである証拠だった。


「……元気、だった?」


 何を聞けばいいか迷って、捻り出した問い。

 ルテンは笑顔のまま答える。


「とっても元気だし、調子がいいよ。だって――」


 不穏な空気を感じ取ったが、身体を動かさなかった。

 だってそんなはずはないのだから。

 だから――。


「リンネ!」


 チガヤの一声で、リンネは刀を抜いた。

 間一髪、間に合った――ルテンの斬撃に首を刎ねられる前に。


「ようやく、あんたを殺せるんだから」

「ルテン……どうして……!」


 鍔迫り合いになりながら、再会の喜びで見逃していた箇所を認識する。

 まず衣服だ。リンネと同じ。

 

 シノビユニットに支給される戦闘服だ。

 脚部には、リンネと同様に脚力強化用外骨格が装備されている。

 

 さらには、今ぶつけ合っている刀は、流動ブレード。

 標的の堅牢さに合わせて切断力を調整できる、特別性の刀だ。


「どうして……? 全部わかってるくせに!」

「そんな……だって――」


 遠い記憶が顔を出す。

 両親を事故で失った姉妹に提示された条件は、どちらか片方が組織に所属することだった。

 そうすれば、片方の生活は保障される。

 何不自由なく生きられる。

 

 だから、リンネはその提案に従った。

 妹の、ルテンの幸せを願って。

 

 なのに彼女は、自分と同じ服を着て、同じ武器を振るっている。


「あんたが結果を出さないから!」


 ルテンは強化されたキックでリンネを蹴り飛ばした。


「ぐッ!」


 体勢を整え、ジャンプ斬りを横っ飛びで避ける。


「あんたが役に立たないから、私も徴用されたの!」

「そんな――」


 ルテンが拳銃を撃つ。

 リンネは刀で防いだ。

 主と呼ばれていた女性指揮官の言葉を思い出す。

 

 ――流石だ、リンネ。お前はまさしくこの国の懐刀。

 他の誰もお前に並び立つ者はいまい。恐ろしくなるほどだ。


「でも……うそ……」


 思考がまとまらない。正常な判断ができない。

 リンネは約束を守っていたはずだ。確かに裏切った形とはなった。

 チガヤを救うことを選んだからだ。

 

 でも、それまでは?

 リンネは組織に忠実に任務をこなしてきた。

 

 なのに、なぜ?

 なぜ、ルテンもシノビになっている?


「危ないよ、リンネ!」

「チガヤ……!」


 リンネは我に返った。

 斬りかかってきたルテンを斬り返す。

 ハルカズから渡されていた、スモークグレネードを地面へと叩きつけた。

 チガヤの手を引いて、走って行く。


「待てリンネ……リンネぇ!!」


 自然公園の方へと逃走した。



 ※※※



「ごめんね、走らせて。大丈夫?」


 チガヤは家屋の陰に隠れていた。

 少し疲れたが、平気だ。

 

 リンネは息一つ切らすことなくチガヤの身を案じている。

 彼女もまた、問題ないように見える。

 

 でも、チガヤは気付いていた。


「リンネこそ、大丈夫……」

「うん……大丈夫だよ……」


 リンネは嘘を吐いている。

 花畑で観察する必要もない。


「ハルカズ、呼ぶ?」

「このままだとすぐに居場所がバレちゃう。だから、私が囮になっている間に、彼に迎えに来てもらって」

「一人で戦うの?」

「あの子は私が……助けなきゃ」

「どうして?」

「お姉ちゃん、だから」


 リンネは気丈に言う。だが、その手は震えている。


「リンネ……」

「じゃあ、行ってくるね」


 リンネが跳躍した。

 遠ざかる彼女を見て、チガヤが呟く。


「ダメだよ、リンネ……あなたは私の大事な……お花なんだよ……?」


 チガヤはその場で座り込んだ。

 瞳が虚空を見つめる。

 その先にある、花畑を。



 ※※※



 許せない。

 許せない許せない許せない。

 憎かった。

 姉が。

 あの子に優しく微笑むリンネが。


「リンネェ!」


 ルテンは叫びながら、グラス型デバイスで索敵を行う。

 リンネが木々の間を跳び抜けてきた。


「私はここ」

「死ねえ!」


 憎悪と共に銃弾を穿つ。

 ナノマシンバーサークによって強化された反応速度により、リンネは弾丸を的確に切り裂いた。

 防御行動を誘発している間に、ルテンは切迫。

 連続斬りを浴びせる。

 

 リンネは防いだ。

 防ぐだけだ。

 反撃してこない。


「どうした、斬れよ! 今までそうしてきたように!」

「く……ッ」


 リンネの表情が苦痛に染まる。

 いい気味だ、と思う。苦しんでいる。

 その姿を見るのがとても心地いい。

 

 リンネは苦しまなければならないのだ。

 自分を不幸にしたのだから。


「全部あんたのせいなんだから……!」

「私は……! くっ!」


 全身を流れる多幸感で、気が狂いそうなほどだ。

 幸せだ。とっても。

 世界で一番幸福だ。

 

 元凶を討てる。自分の仇を討てる

 その姿は傍から見ると異常だが、ルテンが自覚することはない。



 ※※※



「効果は覿面、か」


 戦闘映像を眺めながら、蛭川は呟く。

 シノビユニット発案者にして総指揮官である女性は満足していた。

 リンネは非常に優秀だ。

 与えられた任務は確実にこなすし、時には求めた以上の成果をもたらすこともある。

 

 それがゆえに、一つの懸念が生じた。

 旧来の保険だけでは、生き延びてしまうのではないか、という。

 そして、その予測は見事的中した。

 

 リンネは協力者の手を借りて生存した。

 運はある。だが、その一言だけで済ませていいものではない。

 運の良し悪しに関わらず、着実に結果を出すのがシノビユニットだ。

 

 そのために用意した第二の矢。

 肉親であるルテンに、リンネは対抗できていない。


「よろしいのですか?」

「何がだ?」


 指揮車内で作業を続ける技術士官に問い返す。


「このままのペースで快楽物質を分泌させると、廃人になる恐れがあります。ルテンもリンネほどではないにしろ、優秀な戦闘員ですが……」

「案ずることはない。代わりはいくらでもいる。いなければ作れる」


 治安悪化が著しい日本においては、孤児など吐いて捨てるほどいる。

 日本は今、致命的な人材不足に頭を悩まされている。

 民間組織だけではなく、公的機関もだ。

 

 人が足らなければ社会は回らなくなる。回らなければ不満もたまる。

 結果として、治安は急速に悪化していく。

 

 特に国防隊員の不足が顕著だ。国を守る盾であり剣でもある彼らがいなくなれば、敵国と戦うことなどできない。

 

 そんな悪循環を断つべく、蛭川が考案したのがシノビユニットだ。

 子どもをナノマシンと強化外骨格で補強し、国防隊員数人――或いはそれ以上――の兵士を作り上げる。

 コンセプトはかつて存在していた幽霊部隊と同じだが、その戦闘能力に大きな差がある。

 

 欠点は、倫理的問題があること。

 豊かな社会であれば即座に否定されただろう。

 

 しかし、今は貧しい。

 貧すれば鈍する、という言葉がある。

 綺麗事を述べて結果を出せない奴らよりも、汚くても結果を出している人間の方が価値があるのだ。

 

 おまけに、国防隊の特殊作戦部隊はリンネに敗北した。

 おかげで、シノビユニットの価値はさらに上がる。


「ありがとう、リンネ。早く死んで、今まで育てた恩を返してくれ」


 蛭川は笑顔を浮かべた。

 自分が正義であると確信している笑みを。



 ※※※



「あんたは私を捨てた! 家族である私を!」

「違う! 捨ててなんか……! あなたを守るために!」


 リンネはルテンの剣圧に押されていた。

 額から汗が滲む。

 冷たいものが背中を伝う。

 胸が締め付けられる。


「嘘だ! あの人と共謀して、私を騙したんだ!」

「騙してなんかいない!」


 リンネはルテンが幸せになれると信じて、シノビになることを選んだのだ。

 騙されていたのは二人ともだ。

 ハルカズと過ごしたおかげで気付けた。

 シノビユニットは子どもを道具としてしか見ない、最低最悪の組織。

 

 きっとあの約束も、最初から反故にするつもりだった。

 初めから、リンネとルテンの両方をシノビにする計略だったのだ。


「じゃあなんで戻ってきてくれなかったの! いつか戻ってくるって! ずっと待ってたのに……!!」


 剣戟の最中、ルテンが涙をこぼす。

 憎しみながら泣いて、恨みながら笑っている。

 泣きながら斬り、笑いながら防ぐ。

 ゾッとする。ルテンがどういう感情で動いているのかわからない。


「私は……忘れていて――」

「酷い! 私は片時も忘れなかったのに! あんたを殺せるこの時をなぁ!!」


 ルテンが大声で笑い出した。

 言動が支離滅裂で、記憶も変だ。

 背筋が凍る。

 あまりの異常さに血の気が引く。

 そして、その狂気に呑まれているのが実の妹であるという事実に、心臓を握り潰されそうになる。


「ルテン――ぐうッ!」


 左腕を浅く斬られた。

 防御が遅れた。

 

 いや、完璧なタイミングだった。剣筋も見えていた。

 急に斬撃速度が上がったのだ。

 全ての動作が速まっている。


「ハハ、ハハハハハハハッ!!」

「ルテン!」


 ルテンの身体能力が強化された。ナノマシンによって大量の神経伝達物質が放出されている。

 その先に何が待つのかを、リンネは身をもって体験していた。


「ダメ、ルテン……!」


 呼びかけてもルテンは止まらない。

 斬撃が身体のあちこちを切り裂いていく。

 右肩、右太もも、左頬、左腹部。


(どうすればいい……! どうすればいいの……!!)


 考えて、一つの答えが浮かび上がる。

 とても慣れ親しんだものだ。ずっとその思考でリンネは生きてきた。

 殺せばいい。

 その解決案を、リンネは頭から排除する。


「ハルカズだったら……!」


 彼だったらきっと、何かいいアイデアを思いつくはず。

 そんな彼の姿を、リンネは間近で見てきた。

 今この場にいなくても、似た考え方ならできるはず。

 

 流動ブレードを受け流す。

 彼ならどうする。自分を救ってくれたハルカズなら――。


「そうか……!」


 リンネは後方に跳躍した。

 デジタルグラスから都合のいい場所を探す。


「見つけた!」


 丁度いい建造物へと移動する。

 覚悟を決めた瞳で。


「待ってよ、お姉ちゃん!」


 ルテンの狂気をその背に感じながら。



 ※※※



「何考えてやがる!」


 路地裏で戦闘中のハルカズが怒鳴る。

 襲撃者の動きが奇妙だった。

 ハルカズが攻めると逃げて隠れる。

 不意を突こうとしている感覚がしない。

 どう考えても足止めが目的だ。

 

 かといって、無力化しないで離れるのはリスクがある。

 追撃される恐れがあるのは、そうだが、もう一つは。


「うわあああ!」


 男性の悲鳴。敵のではない。


「ちッ!」


 ハルカズは悲鳴の位置へ急行する。

 人通りの激しい表へあろうことか敵が移動し、市民へ攻撃を加えようとしていた。

 無関係ではある。

 敵が市民を加害しても、ハルカズの責任ではない。

 

 それでも、見過ごせなかった。

 それでは過去の自分と同じだ。


「うおおお!」


 男性に馬乗りし、拳銃を突きつけた兵士へタックルを行う。

 吹き飛ばした敵の頭を蹴り飛ばした。

 また別の個所から悲鳴が轟く。


「嵌められてる……! くそッ!!」


 敵の思惑通りに分断されている。

 自覚しながらも、避けられない。



 ※※※



 自分の行動範囲が狭まることを承知の上で、狭い建物の中へとリンネは侵入した。

 戦闘騒ぎのおかげで無関係な他人はいないようだ。

 

 その事実に心の底からホッとする。

 安堵できる。もうリンネは自由だから。

 だから、不自由なあの子を、助けなければならない。


「どこ……お姉ちゃん……」


 ルテンが追い付いてきた。

 物陰に隠れて隙を伺う。


「かくれんぼなんて……らしくないよ!」


 隠れていた棚が叩き斬られた。

 背後へ跳躍し、壁を蹴ってルテンへ突撃する。

 刺突が首の左側面を抉った。

 構わずにそのまま抱き着く。二人揃って床に叩きつけられた。


「気持ち悪い! 離れて!」

「離れないッ!」


 腰のポーチからそれを取り出す。

 中和剤――緊急接種用の注射器を。

 常用する薬が効果を発揮しない事態を考慮して、闇医者がくれたものだ。

 

 抵抗するルテンの蹴りが左足に響く。

 乱雑に振り回される刀が背中に切れ込みを入れる。


「ルテン――正気に戻って!」


 リンネはデジタルグラスに表示された、ルテンの首の静脈へと注射器を突き立てる。

 薬液の注入が開始された。

 しかしまだルテンは暴れている。

 逆手持ちしたブレードの刃がリンネの背部――心臓位置――の肌を裂き、


「――誰ッ!?」


 ルテンが不自然に手を止めた。

 薬液が全て注入される。

 静脈注射は数ある注射の中でもっとも素早く効果が現れる方法だ。

 

 それでもかなりの賭けだ。

 上手くいくことを信じて、その身体を抱きしめる。

 

 しばらくして、カラン、という音が響いた。

 ルテンが流動ブレードを手放している。


「……お姉ちゃん……?」

「戻った……?」


 リンネはルテンから離れて、身を起こす。


「お姉ちゃん!」


 起き上がったルテンが抱き着いてきた。

 一気に記憶が蘇る。

 

 幼き日の記憶。

 両親とお出かけして。

 いっしょに公園で遊んで。

 仲良くお風呂に入って。

 同じベッドで寝て――。


「ごめん、ルテン……迎えに行けなくて……」

「こっちこそごめんね。我が儘言って……」

「いいんだよ。私は、お姉ちゃんなんだから」

「ありがとう」


 抱擁を交わす。

 その感触を確かめる。

 

 そこにいる。すぐそこに。

 妹が生きている。

 その事実が嬉しくて、涙が溢れる。


「帰ろうか」

「どこに……? 家はもう……」

「家じゃないけど、居場所はあるよ」


 不安定だし、狭いけれど。

 不便なとこも、たくさんあるけれど。

 

 リンネは立ち上がり、ルテンへ手を差し伸べた。

 ルテンがその手を取ろうとする。

 そこへ、窓ガラスを割ってドローンが飛んでくる。


〈警告。自爆兵器の可能性大〉

「ルテン!!」


 デジタルグラスに表示される情報を目にするより先に、身体を動かした。

 前へ。ルテンの元へ。

 しかし身体は飛び退いていた。

 反射行動ではない。

 

 今もリンネは足を前に全力で動かしている……はずなのに。

 愕然に響くリンネの脳裏に声がこだましていた 


《――逃げて》


 違う。逃げちゃダメだ。

 ルテンを助けなきゃダメだ。

 

 なのに身体は機械のように精確に。

 ドアから部屋を飛び出て距離を取った。

 直後に爆発が起きて、衝撃で身体が吹き飛ばされる。


「うわあああああ!!」



 ※※※



 急いで花を埋めかえたチガヤは安堵の息を吐く。

 強引な手段を取りたくはなかった。

 それでも、この二輪の花は枯らせないと決めている。

 

 橙色の花からは大量の水滴がこぼれ出していた。

 その姿を見て、胸が辛くなる。

 

 チガヤは背後へと振り返った。

 力なくしおれた、一輪の花。

 リンネと同じ色を持つ花に、チガヤは話しかける。


「ごめんね……」


 この花はもうじき枯れてしまう。

 花が枯れる瞬間を見るのは、とても悲しいことだ。

 

 チガヤは目を離した。

 もう二度と、見ることはないだろう。



 ※※※



「リンネ、チガヤ!」


 爆発が起きた建物へ急行すると、リンネとチガヤの背中が見えた。

 ぱっと見た様子では、チガヤに異常はない。

 だが、リンネは怪我をしている。


「リンネ――」


 正面へと移動し、


「ハル……カズ……」


 涙をこぼす彼女を見て、言葉を失う。

 リンネは駆け寄ってきた。ハルカズの背中に腕を回す。

 理解が及ばない。でも、彼女を受け入れた。


「ルテンが……ルテンが――!!」

「すまない。俺のせいだ……」

「ハルカズは悪くない……悪くないの! 私が、私が全部――」


 リンネの慟哭を受け入れるハルカズの耳に、サイレンが聞こえてきた。

 酷な話だが、今のままではいられない。


「……移動しよう。このままじゃ騒ぎに巻き込まれる」


 人も集まってきている。

 何があったのかは判然としない。

 しかし胸糞が悪い出来事が起きたことだけはわかる。


「行こう、リンネ、チガヤ……」


 ハルカズは、弱っているリンネを支えながら退却する。

 その手を怒りに震わせながら。



 ※※※



 第三の矢も外れた。

 その事実に憤然とした蛭川だが、すぐに思考を切り替える。


「仕方ない。近域のシノビを呼び寄せろ。いや……傭兵でもいい。なんでもいいから、攻撃部隊を向かわせるのだ」


 リンネの精神が極限状態にあるのは間違いない。

 妹を見捨てて生き延びることを選択したのは予想外だが、そう簡単に割り切れるほど薄情な女ではない。


「急げ。現時点で、まともに大量破壊兵器を守っているの一人だけだ。有利な状況なのは変わりない――」


 蛭川の命令が途切れる。

 身体が宙を舞ったからだ。作戦指揮車が回転している。

 何かが追突した。そう理解した瞬間には、横転した指揮車の壁に叩きつけられていた。


「ぐ……っ」


 身体のあちこちをぶつけたが、致命傷は避けている。部下たちも息はあるようだが、気絶していた。


「何事だ……!」


 後部ドアから外に出る。一般車両に偽装されていた作戦指揮車の側面に、トラックが激突していた。

 

 偶発的な事故?

 そんな偶然は有り得ない。

 

 そう結論付けた瞬間に、右足から血が迸った。

 悲鳴を上げながら背後へと振り返る。

 拳銃を持った男が立っていた。

 標的の一人が。


「お前だな。リンネを泣かせたのは」

「貴様――どうしてここが!」


 ハルカズがタブレットを投げてきた。

 ルテンに支給されていたものだ。


「最初の交戦地点に落ちてたよ。回収しないのは迂闊だったな」


 蛭川は舌打ちする。脳内物質操作の影響だろう。

 通常ならシノビユニットは証拠を残さないように立ち回る。

 

 しかしルテンは極度の興奮状態になっていた。

 だからこそ起きた、初歩的なミスだ。


「子どもを都合よく利用しようとするから、こんなバカみたいなことが起こる」

「何を言うか! 私はこの国のために……!」

「俺はお前と話し合いに来たんじゃない」


 銃弾が今度は右腕を貫通した。


「俺はチガヤに約束した。彼女の手前、花を枯らすことはしない。今回はな。もしまたこちらの邪魔をしたら殺す」


 言葉は理性的だが、瞳は冷静だとは呼べなかった。

 今も殺さない理由を必死で手繰り寄せている。

 刺激しない方が得だと判断した蛭川は、哀れでひ弱な女を演じた。


「わ、わかった。もう追わない! リンネにも、お前たちにも手を出さない! だから、殺さないでくれ……!」


 懇願する蛭川。ハルカズの経歴は調べてある。

 幽霊部隊は嘘を見抜く。しかしそれは、ある程度の段階までだ。

 蛭川ほどに嘘に嘘を積み重ねたプロフェッショナルを、看破できるレベルではない。


「二度と姿を現すな」


 警句を投げて。

 ハルカズが走り去る。

 リンネとチガヤのことが不安なのだろう。危険を承知で抜け出してきたはずだ。

 

 その状況もうまく働いた。

 やはり私は、必要な人材なのだ。この国を守るために。

 自らの強運を蛭川は喜ぶ。


「甘いな若造……」

「確かにな」


 独り言に反応があった。通信端末へ伸びた手が止まる。


「こんな奴が約束を守るはずないだろうに。律儀というかなんと言うか……」


 男がやってきていた。黒いキャップ帽に黒いジャケット、黒いズボンを履いた黒ずくめの男だ。


「誰だお前は?」


 一切情報のない、工作員のような風貌な男。彼は肩を竦めた。


「お前に名乗る必要性を感じない。強いて言うなら、あのガキ共に興味がある男、だな」

「お前も大量破壊兵器を狙っているのか?」

「ある意味では。俺のことはどうでもいい。重要なのはお前だ」


 男が何を考えているのかはわからないが、何をしようとしているのかは思い当たる。


「私は日本の守護を担う人間だ。多くの利益を生んでいる」

「へぇ? それで?」


 男が食いついた。蛭川は心の中でほくそ笑み話を続ける。


「国の未来を見据えて動いている。子どもたちに負担を強いるのは好ましい事態ではないが、身寄りのない子どもの保護的観点も――」

「嘘吐くなよ」

「な、何のことだ」


 男が呆れた。


「あの姉妹。お前がわざと孤児にしたんだろ? 事故に見せかけて両親殺してさ。酷いよなぁ。いくら適性診断で兵士適性が出たからって言ってもさ、何の罪もない一般市民を殺すか普通? 大人になってからアプローチするのが筋ってもんだろ」

「貴様……!?」


 なぜ機密情報にアクセスできている?

 驚愕する蛭川の前で、男はデバイスを取り出した。

 画面に映る情報を読み上げていく。 


「リンネたちが挙げた成果をもって、お国にシノビユニットを売り込む手筈だったわけだ。人材不足は世界中の課題だからな。その解決策を示せれば一気に地位も上がるさ。お金もがっぽがっぽで大儲け。人がいなくなるとこんなのばっか湧くんだなぁ。どうしてこう、人を使い潰すやり方しか考えられないのかねぇ」

「これも全て大義のためだ」

「出たよ、大義。お前みたいなクズの言い訳にされる大義ちゃんの気持ち考えたことあるか?」


 訳のわからないことを言ってくる。思考が読めない。


「大義ちゃんそのものはとても立派なのにさぁ、ゴミカスに使われるせいで、風評被害が甚だしいのなんのって。やっぱりお前みたいなのはさ、そういうこと言っちゃダメだよ。――大義なんて言葉を使う資格はない」


 飄々とした態度から一転、冷酷な声音となる。

 拳銃が抜かれた。

 蛭川は焦燥し言葉を紡ぐ。


「待て、金ならある!」

「お金ねえ。確かに治療費請求したいぐらいだけどな。あの医者高すぎるんだよ」

「治療費……?」

「こっちの話。金なら政府がくれるしな」

「何……?」


 何の話をしている?

 戸惑う蛭川へ男が拳銃を向けた。


「わからないか? 汚い手段ってのは結果が出るから許されてるんだ。結果が出ない汚物をなんでわざわざ残しておくんだよ」

「ま、待て私がいればこの国のために」

「おっと失礼、電話がかかってきた」


 政府からの要請かもしれない、という蛭川の淡い期待は、


「晩飯? まだだけど?」


 という男の軽めの会話で打ち砕かれる。


「焼肉? いいねえ。ああ、今都内にいるから行けるぜ」

「お、おい……」

「すぐ行くよ。今ごみを捨てるから。え? 何の音だって? ゴミ捨てた音だよ。それにしてはうるさかった? だろう? 最近のゴミはおしゃべりなんだ。じゃあ、俺が行くまで待っててくれよ」


 通話を終えて、男は立ち去った。

 生ゴミには一瞥もくれずに。

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