第34話

佐藤がこの話をSから聞いた二か月後、

彼女は自殺した。

その日は激しい雨が降っていた。



応接室はしんと静まり返っていた。

佐藤のミルクティーを啜る音が

やけに大きく聞こえた。

佐藤はゆっくりとカップを置いた。

「どう?これが私の知ってる笠原信明」


私は言葉が出なかった。


「恐らく、

 明日ここへ来る笠原信明は

 間違いなく今私が話した男よ」

佐藤はそう断言した。

たしかに年齢と名前が一致していれば

同一人物である可能性は高い。

しかし。である。


「あら。その顔は疑ってるのね」

「い、いえ。決してそんなわけでは・・」

私は慌てて首を振った。

「でも。

 もし佐藤さんが相手の顔を覚えているのなら、

 向こうも佐藤さんに気付くのでは?」

そうなると佐藤を近付けるのは危険ではないか。

「それは大丈夫。

 今と違って当時の私は髪を伸ばしていたの。

 それに同じ九年でも

 男と女の変化は月と鼈。

 そうでしょ?」


たしかに佐藤の言うことにも一理あるが、

佐藤ほど人の目を引く美人を

人は忘れるだろうか。

私は十年後に偶然佐藤に再会したとしても

多分気付くと思う。

女は化粧で化けるというが

それが皆に当てはまるとも限らない。

そして私は目の前の佐藤を観察した。

化粧っ気のない佐藤の肌は

白く透き通っていて

吸い込まれそうになるほどきめ細かく美しかった。

笠原は本当に佐藤に気付かないのだろうか。


いつの間にか私達のカップは空になっていた。

私はポットを手に取り、

二つのカップにミルクティーを注いだ。

ミルクの柔らかく甘い香りに

たった今聞いた生々しい事件の

不快なまでの悪臭が掻き消されていく気がした。

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