第31話

重苦しい空気が応接室全体を包み込んでいた。


カップを置いた佐藤がふたたび口を開いた。

「思春期の女子高生には

 あまりにも衝撃的な事件よね。

 私は今でも

 笠原信明の名前を忘れたことはないし、

 その顔も憶えている」


その夏、親友に起きた悲劇は、

それから十年近く経った今でも

佐藤の心に癒えない深い傷として

刻まれているのだ。


「それから私は高校を卒業して

 看護師の道を目指したの」

そして

佐藤は精神病院で看護師として働き始めた。

配属先は慢性期病棟。

長期入院患者を対象とした病棟である。

そこで佐藤はある女性患者と親しくなった。

「名前はSさん。

 仮にそう呼ぶことにしましょう」

佐藤はそう続けた。


当時佐藤は二十歳。

一方、Sは二十三歳。

Sは二十一歳の時に入院して

入院生活は二年目だった。

年齢が近かったことも

Sが佐藤に心を開いた原因の一つだろう。


知り合って一年が経過したある曇りの日、

Sは二十歳の時に暴行されたことを告白した。

それが原因でSは精神を病んでしまった。

普段は落ち着いているが、

雨の日には心が不安定になる。


続いてSの口から出てきた名前が

佐藤の悍ましい記憶を呼び覚ました。

「笠原信明。私はこの名前を一生忘れない」

Sは感情を込めずにそう言った。

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