第30話

佐藤の話は今から十年近く遡る。


当時、高校生だった佐藤は

稲置市にある「私立傾城学園」に通っていた。

「私立傾城学園」と聞いて私は驚いた。

「私立傾城学園」は女子高で、

いわゆるお嬢様学校として有名だった。

通っている生徒は

皆が裕福な家庭で育っていた。

佐藤の落ち着いた雰囲気と

凛とした立ち居振る舞いは

家庭環境がもたらしたモノだったのかと

私は納得した。


高校一年生。

希望に胸を膨らませて

佐藤は「私立傾城学園」の門をくぐった。

しかし新しいクラスで佐藤を待っていたのは、

中学校からエスカレーター式に上がってきた

生粋のお嬢様達による

高校デビュー組みへの嫌がらせだった。

デビュー組は強制的に

そのヒエラルキーで最下層に位置付けられた。

クラスの三分の二以上を占める

エスカレーター組みに対抗することは

デビュー組みにはその団結力からも困難だった。


そんな時、

佐藤はエスカレーター組みの

二ノ宮という少女と仲良くなる。

そして不思議なことにそれ以降

佐藤へ対するいじめは終わった。

二ノ宮は桐壺亭グループに近しい者だったのだ。


私はどきりとした。

桐壺亭に近しい者。

私と佐藤の年齢差が三歳。

考えられることはその二ノ宮が

父の兄の娘かもしれないということだが、

それはここでは問題ではない。


事件はその夏に起きた。

夏休み。

佐藤は二ノ宮に誘われて彼女の別荘に招かれた。

朝臣市にある別荘だった。


高校になって初めての夏休み、

それも普段来ることのない朝臣市にある別荘。

佐藤は浮かれていた。

別荘に呼ばれたのは佐藤だけだった。

成績の良かった佐藤が

二ノ宮に勉強を教えるということが

大人達への表向きの口実だった。


初日は何事もなく二人は自由な時間を満喫した。

二日目。

朝から二人は別荘の近くにある浜辺に出かけた。

そこで出会ったのが笠原信明だった。

笠原は大学生と言っていたが、

今考えるとそれは嘘だろうと佐藤は言った。

私がその根拠を訊ねると

「あの男にそんな脳みそはないはずだから」

と佐藤は答えた。


笠原は背も高くてビーチでも目立っていた。

そして笠原の話は面白かった。

時折見せる笑顔が子供ぽくて、

そのギャップが笠原をより魅力的に見せた。

初めて接する大人の男に、

二人は夢中になった。

笠原にとって男慣れしていない女子高生を

口説くのは朝飯前だっただろうと佐藤は語った。


その日、二人は別荘に笠原を招待した。

晩御飯は笠原が作った。

笠原は料理も上手かった。

そして笠原は二人に酒を勧めた。

夏休みの別荘という日常からかけ離れた空間で

二人を監視する者もいない。

思春期に人は自らブレーキをかけることを

まだ知らない。

それにたとえブレーキを踏んだところで

車はすぐに止まらない。

いつの間にか佐藤は意識を失っていた。


目を覚ますと

佐藤はリビングの床で一人倒れていた。

佐藤は喉の渇きを覚えて、

キッチンへ行き冷蔵庫の

ミネラルウォーターをコップに注いで飲んだ。

喉が潤うと、

徐々に頭がはっきりとしてきた。

そして二ノ宮と笠原の姿がないことに気付いた。


その時、大きな物音に続いて悲鳴が聞こえた。

一瞬、佐藤は何が起きたのかわからなかった。

重たい頭を抱えて

佐藤はゆっくりと階段の方へと足を向けた。

音は二階の方から聞こえていた。

見上げると階段の上は真っ暗だった。

佐藤は電気を点けずに恐る恐る階段を上がった。

暗闇の中階段を上がっている間にも、

物音に混じって微かな悲鳴が響いていた。

ここに来てようやく佐藤には声の主がわかった。


二階の廊下は真っ暗だった。

佐藤は物音を立てずに

そうっと物音と悲鳴のする部屋の前に立った。

身体が震えて

ドアに手を掛けることができなかった。

その時、ドアの向こうから

「大人しくしろ!」

という男の怒号と共に女の悲鳴が聞こえてきた。

部屋の中で何が行われているのかすぐにわかった。


「そこから先の記憶は曖昧なの」

と佐藤は言った。

佐藤は一階のトイレに入って中から鍵をかけた。

そして便座に座って耳を塞いだ。

どのくらいそうしていただろう。

佐藤は恐る恐るドアを開け廊下へ出た。

廊下は静かだった。

誰もいない。

リビングの時計は六時になろうとしていた。

カーテンは引かれていなかったので、

外からの光が部屋に差し込んでいた。

その明るさが佐藤に勇気をもたらした。

佐藤はキッチンから包丁を手に取って

恐る恐る階段へ足を向けた。

二階からは物音一つ聞こえてこない。

包丁を後ろ手に隠して、

二階へ上がった。


部屋の前で佐藤は軽くドアをノックした。

中から返事はなかった。

ゆっくりとドアを開けた。

部屋の奥にあるベッドに

二ノ宮は横たわっていた。

ベッドは乱れていた。

笠原の姿はなかった。


二人のバカンスは二日で終わった。


事件はこれで終わったわけではなかった。


夏休みが明けて二学期が始まり

しばらくしてから学校に噂が広まった。


「二ノ宮は男達の姓の玩具にされている」


そしてそれを裏付けるかのように

二ノ宮のあられもない姿が映った写真が

学校中で出回った。

恥ずかしそうに裸体を隠しながら映っている

二ノ宮。

両手両足を縛られて、

すべてをカメラの前で晒している姿。

中には複数の男達から

白く瑞々しい肌を弄ばれている写真もあった。

おそらく二ノ宮は夏休みの間、

あの笠原信明という男に脅されていたのだろう。

別荘での事件の時、

笠原は二ノ宮を繋ぎ留めておくために

写真を撮った。

一枚の写真をネタにして、

二度、三度と二ノ宮を凌辱した。

そしてその度にネタも増えた。


九月が終わる前に二ノ宮は学校を辞めた。


結局この事件は

世間に知られることはなかった。

警察が動いた形跡がないのだ。

それは二ノ宮の家が

世間体を気にしたからなのかもしれない。

しかし。

当時の笠原は十九歳。

たとえ警察が動いたところでどうなったか。

娘を守るために

二ノ宮の家が出した結論は

彼女をアメリカに留学させることだった。



佐藤はそこまで淡々と語ると

紅茶の入ったカップを手に取った。

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