第26話

応接室を出たところで佐藤が、

「あなたは先に食堂へ行ってていいわよ」

と言って玄関の方へ歩いていった。


大神は食堂のドアを開けて私を待っていた。

「どうぞ、テーブルに座って下さい」


食堂へ入る直前で私の足は止まった。

目の前に広がる光景は

まさにタクシーの中でミたあの『ビジョン』と

同じだった。

違うのはそこに集う人間がいないという

その一点だけだった。


ここが私の死に場所になる。

一瞬、浮かんだその考えが

私の足を踏みとどまらせたのだ。



部屋の中央には大きな長方形のテーブルが

置かれていた。

奥の短辺に椅子が一つ。

長辺には四脚ずつ椅子があった。

テーブルには二人分の食事が用意されていた。

二人分の食事しかないことに対して

不思議に思ったが、

とりあえず私はテーブルに腰掛けた。

一番大きな皿にはビーフシチューが入っていた。

大きくカットされた具材は

玉ねぎと人参、ブロッコリーそして牛肉。

二つ目の皿には

二センチくらいの厚さでカットされた

バゲットが。

最後の皿は一番小さくて

醤油皿ほどの大きさしかなかった。

鮮やかな黄緑色の液体が入ってたが、

これはおそらくオリーブオイルだろう。

バゲットをオリーブオイルで食べるということは

私でも知っている。


しばらくすると

ドアが開いて佐藤が現れた。

彼女の手にはワインが握られていた。


それを見て私の心臓がどくんと跳ねた。


食堂。

そして赤ワイン。


時と人が違うとはいえ、

私は自身の死を連想させる二つのモノの登場に

驚きを隠せなかった。


「あら、グラスがないのね」

そんな私の心境を知らない佐藤が

テーブルを見渡してから呟いた。

私は慌てて立ち上がろうとしたが

佐藤が手で制して、

私の背後にあるもう一つのドアの方へ向かった。


ドアをノックする音がした。

続いて大神の

「どうかなさいましたか」

という声が聞こえた。

「ワイングラスを二つもらえますか」

佐藤の声の後、

若干の間が空いてから、

「わかりました。すぐにお持ちしましょう」

という大神の声と共にドアの閉まる音がした。


佐藤は私の向かいに座った。


ふたたび背後でドアの開く音がして

ワイングラスを持った大神が現れた。


「私がお注ぎしましょう」

大神はテーブルに置かれたワインに目をやると

一瞬動きを止めたが、

何事もなかったかのようにワインを手にとった。

「ペトリュスですか」

そう言って大神は佐藤をチラりと見た。

「佐藤さん、

 これはもしかして旦那様のお部屋から

 お持ちになったのでは」

「大烏さんには

 後で私から話しておきますわ」

佐藤はそう言って笑顔を作った。

それは自分の笑顔が

相手に与える影響を知り尽くしたうえでの

打算に基づく微笑みのように見えた。

それでもその微笑は

見る者すべてを虜にするような

魔力を秘めていることに間違いはなかった。


しかしそんな佐藤の笑顔を見ても

大神は表情を変えることはなかった。

これまでと変わらず

冷静で温和な優しさに溢れた表情だった。

こうしてみると

大神も一筋縄ではいかない人物に思えた。

大神はコホンと一つ咳払いをしてから、

「桧垣さんに見つかったら何を言われるか。

 飲み終わった空き瓶は

 後で私が処理しておきましょう」

「お願いします」

佐藤は椅子に腰掛けたまま軽く頭を下げた。


大神は慣れた手つきでワインを開けると、

これまた無駄のない動作で

二つのグラスにワインを注いだ。

「では食事を楽しんで下さい」

ワインを注ぎ終えると

大神はそう言って厨房へと戻っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る