第24話

一階に戻ると応接室の前で

玄関の方からきた佐藤と鉢合わせた。

「あら、二階の掃除は終わったの?」

その問いに私は「はい」と返事をした。

「それならソファーに座って待ってて」

そう言って佐藤は建物の奥へと歩いていった。



応接室には誰もいなかった。


私はソファーに座った。


改めて部屋を見回した。

テーブルと一組のソファー、

そして大きな柱時計があるだけの

殺風景な部屋だった。

当然窓はなく、

昼間なのに照明が室内を照らしていた。



ふいにドアが開いた。


「何をしているのですか」

桧垣は私を見るなり声を荒げた。

私は慌ててソファーから立ち上がった。

「す、すみません」

それから急いで頭を下げた。


丁度そのタイミングで、佐藤が現れた。

佐藤の手のトレイには

ポットと二つのカップが載っていた。

佐藤は桧垣に軽く頭を下げた。

「二階の掃除は終わったようなので、

 後の指示は私から伝えておきます」


桧垣の眼鏡の奥の目が私をじっと見た。

「・・わかりました。

 ではこの後のことは

 佐藤さん、あなたにお任せしますからね」

そして小さな溜息を吐いて部屋から出ていった。


佐藤は何事もなかったかのように

カップへポットの中の飲み物を注いでいた。

香ばしいフルーツのような香りが

静かに鼻腔をくすぐった。

「さあ、どうぞ。

 お口に合うかしら?」


私は戸惑いつつカップに口をつけた。


それは薄い緑茶のような味がした。

これなら小さい頃に母がよく作ってくれた

チャイの方が美味しいなと思った。

鍋でアッサムの茶葉を

シナモンとカルダモンそしてクローブと共に

牛乳で煮だして砂糖で甘く味を付ける。

気分次第では隠し味に

ブラックペッパーを少々。

チャイが飲みたい。

私はふとそう思った。


「美味しくないかしら?」


私の考えを見透かしたかのような

佐藤の視線に

私は慌てて首を振った。

「い、いえ。

 す、すごく上品な味ですね」

上品という言葉は便利だ。

高貴、優雅、端麗、美味、

あらゆる心地よい響きを含んでいる。


「これはダージリンの

 ファーストフラッシュだから

 香りを楽しみながら飲むといいわ」

そう言って佐藤は微笑んだ。

その笑顔は見る者すべてを虜にしてしまうほど

魅力的だった。


「あ、あの・・それよりも

 仕事は何をすれば?」

私はその笑顔に吸い込まれそうになるのを

恐れて話題を変えた。


「あら、

 三ノ宮さんって随分真面目なのね」

そして佐藤はカップに口をつけた。

私は佐藤が口を開くのを待った。


「・・そうね、強いて言うなら。

 こうして私達が

 コミュニケーションをとることも

 大切な仕事なのよ」

佐藤はそんな意味不明な理論を振りかざした。

「仕事で大切なことは

 一緒に仕事をする人との信頼関係。

 と言っても今回のような短期間の仕事で

 信頼関係なんてすぐに築くことはできない。

 だからせめて

 お互いに楽しく仕事ができるように

 心地よい人間関係を築くことが先決。

 それに私達は二日間、

 同じ部屋で寝泊まりするのよ?

 息苦しいのはお互いに損」

佐藤の聞こえの良い言葉は詭弁にすぎない。

それでも不思議と説得力があった。

それは佐藤の

浮世離れした美しさのせいもあるのかもしれない。


詐欺師。

いや、信仰の対象。


私は軽く頭を振った。


とにかく。

佐藤は人を使うことに長けているように思えた。

少なくとも今のアルバイト先の店長よりは

格段に能力が高いだろう。

先ほどの桧垣とのやり取りでも、

桧垣は佐藤に私を任せると言っていた。

それはつまり倍以上歳の離れた桧垣も

佐藤のことを信頼しているのだ。

私は自分よりほんの少し年上の佐藤に

軽い尊敬の感情を抱いた。


「それに。

 今回の仕事はこの別荘の主の

 見栄も含まれているのよ。

 この程度の規模のパーティーなら

 大神さんと桧垣さん、

 それに私だけでも十分。

 そこに若くて可愛い女の子を自ら追加したのは

 見栄以外の何物でもない。

 あなたの存在自体に価値があるの。

 無理に仕事をしようと思わなくてもいいのよ。

 実際、二階の部屋だって

 掃除の必要がないくらい綺麗だったでしょ?

 案外、小さな男かもしれないわよ。

 私達のボスは。

 ふふっ」

ボスの陰口をたたく佐藤は

小悪魔のような意地悪な笑みを浮かべた。


「そう言えば。

 この別荘の主は

 一体どんな人でしょうか?」

私は雇い主でもある男の素性が気になった。

佐藤は難問に直面した刑事のように

口に手を当てて眉間に皺を寄せた。

「そうね、強いて言うなら。

 かなり変わった人、かな。

 歳はたしか私と同じだから二十六ね」

「えっ!」

私は驚きのあまりつい声が出てしまった。


「ついでに言うなら、恋人はいないみたいよ」

そして佐藤は

私に意味ありげな視線を投げてきた。

「仕事は何をしているのか

 詳しくは知らないけど、

 どうやら遺産を相続して、

 悠々自適な生活を送ってるみたいよ」

そこで佐藤はふたたびカップに口をつけた。


「・・でも。

 本人を目の前にしたら驚くわよ。

 ま、私から言えるのはここまで」

佐藤のその言葉で

私は『ビジョン』にミた

あの往年のコメディアンが

私の雇い主であり、ここの主なのだと直感した。


「まだその人の名前を伺ってないのですが」

「大烏さんよ。

 大烏亜門(おおがらす あもん)」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る