第16話

目的地である別荘は

山の中にあり、

おまけに周囲の別荘地からは

若干離れた位置に建てられていた。

そのためバスで目的地を目指した場合、

最も近いバス停で降りたとしても、

そこから三十分以上歩くことになる。


どうせ交通費は全額支給されるのだから

私はそれに甘えることにして

タクシーに乗り込んだ。


運転手に住所を告げると、

彼はバックミラー越しに

私を値踏みするような視線を向けてきた。

私はそんな視線を無視して目を閉じた。

車が発進して心地よい揺れの中で

私は徐々に瞼が重くなっていくのを感じた。

ここに来て

昨夜の寝不足のつけが回ってきたようだった。


 いつの間にか濃い霧が一面を覆っていた。

 私は自分がどこにいるのかわからなかった。

 前も後ろも右も左も上も下も

 全てが霧に包まれていた。

 霧が私の全身を包み込んでいた。

 このままでは霧に取り込まれてしまう。

 私はその霧の中から抜け出そうと足掻いた。

 霧が口の中に侵入してきた。

 苦しくなった。

 息ができない。

 どれほど時間が経ったのだろう。

 徐々に霧が晴れて視界が鮮明になってきた。


気が付くと私は賑やかな部屋にいた。

そこには年齢も性別も様々な人間がいた。


中央にある大きな長方形のテーブルに

腰掛けている人間が七人。

奥の短辺には

スーツ姿に英国紳士が身に着けているような

ボーラーハットを被った一人の風変わりな男が

鎮座していた。

そしてテーブルの長辺に三人ずつ。

彼らは皆、ラフな服装だった。


私は部屋の片隅で一人、佇んでいた。

そしてもう一人、

私と同じように

部屋の隅で立っている人物がいた。


黒い細身のパンツと真っ白なシャツ。

両肩にかかるサスペンダーと

首元の蝶ネクタイ。

黒く艶のある髪は

女性としては短く刈られていたが、

男性であれば長い部類に入るだろう。

そして

色白できめの細かい肌。

男それとも女?


その時、

ボーラーハットの男が手を挙げるのが

視界の端に見えた。

男は椅子から立ち上がったが、

その身長は低かった。

ハットで誤魔化してはいるが

おそらく私よりも低いと思われた。

高級そうなスーツに身を包んではいるが、

低身長とお世辞にも男前とは言えない容貌が

ある意味滑稽に映った。

杖を持たせて鼻の下に髭を付ければ、

往年のコメディアンを思い起こさせた。

男が口を開いた。

「××××××××××××××」


誰だかわからぬ男が歓喜の声をあげた。

往年のコメディアンは話を続けた。

「××××。

 乾杯をしたいと思います」


拍手が起きた。

いつの間にか

見ず知らずの男が私の前に立っていた。


私は男を見上げた。

身長は百七十五センチくらい。

真っ黒な直毛は今にも目に突き刺さりそうだが、

それを丸い眼鏡が防いでいた。

そして眼鏡の中の細い二重の目は

開いているのか判断が難しかった。

こけた頬から顎にかけて生えている無精髭は

まったく似合っていなかった。

全体的に不健康そうな印象を受けた。


彼は私に「どうぞ」と言って

手に持っていたグラスを差し出した。

赤い液体が入ったグラスを私は受け取ったが、

液体の正体よりも彼の細い腕の方が気になった。

それは転んで手をついたら折れるのではないか

と思うほどに細かった。

直後、

男の背後に

グラスを持った往年のコメディアンが立っていた。

男は往年のコメディアンからグラスを受け取ると、

そのまま私の隣に並んだ。


「乾杯」

往年のコメディアンがグラスを掲げると、

テーブルに座っている人々が

一斉にグラスをかざした。

「乾杯」


私はそれに一呼吸遅れて

小さく「乾杯」と声に出してから、

グラスに口を付けた。


液体が舌の上を転がりながら

喉を通って胃に落ちていく。

酸味の中に微かな苦みを感じた。

直後、焼けるような熱さが喉を襲ってきた。

そして胃の辺りがキリキリと痛み、

吐きそうなほど気分が悪くなってきた。

視界がぐらつき、

立っていることができない。

私は床に手をついた。

頭の中がグルグルと回って、

それと共に目も回った。

胃の奥から何かがこみ上げてくるのを感じて、

私は我慢ができずに嘔吐した。

一度で収まらず何度も吐いた。

胃の内容物が食道を通って逆流するときに、

喉に激しい痛みを感じた。

目の前に広がる血の海に私は死を直感した。

私は声にならない叫び声をあげた。

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