第二章

第13話 鬼斬る刃


「――ちゃん」

 

 真っ黒で上も下もない空間に声が響く。幼い声。少年のようでも少女のようでもある声。

 

「――ちゃん、思い出した?」

「誰を呼んでるの?わたしのこと?」

「――ちゃん、まだ思い出してくれないんだね」

「わたしは何を思い出せてないの?あなたは誰なの?」

「思い出してくれたら、きっと力になれるのに」

「力に?なんの?」

「ああ、今はここまでみたい。またね、――ちゃん」

 

「まって、」

 

 伸ばした手はくうを掴み、開いた目に映ったのは黒ではなく天井の木の目だった。

 雨戸と障子を閉じているせいで薄暗い部屋に頭が少々混乱する。あれは夢か、視界の端を一瞬夢の中のあの漆黒が掠めた気がした。

 決して爽やかな目覚めとは言えない朝。昨日はお爺ちゃんの元で夕食をいただいて銀次とゆっくり歩いて帰ってきた。荷物の整理は収納先がなかったので、買ったまま包まれたものもあれば、皺になりやすいものだけ広げて置いてある。昨日銀次とお爺ちゃんと話しているうちに、箪笥と姿見、文机に化粧台が用意してもらえることになった。なるべく早く、なるべく上物を、というお爺ちゃんを上物でなくていいから、と止めるのに少々骨が折れた。けれど、お爺ちゃんの中ではすっかり上物を用意することで決まりらしい。ありがたいやら申し訳ないやら。昨日のことを少しずつ思い出していく中で、夢と現実の狭間から、完全に現実に意識を移していく。

 

「いま、なんじだろ」

 

 喉の奥から掠れた声が出た。両腕で目を覆う。そこにできた薄い闇は、夢の中の黒と比べればとても明るい。瞼を下ろしてもまだ明るく感じる。先程までいた黒いだけの空間を思い出していれば、既視感。そういえば、黒い夢は前にも見たことがあることを思い出す。あの不思議な声も。名前の部分が聞き取れない問いかけも。

 

「おきなきゃ」

 

 起きて動け。またあの黒に飲み込まれる前に。また自分が何かわからなくなる前に。

 

 窓を開けて部屋に光を入れる。薄い雲が太陽にかかっているせいで、薄闇に慣れた目が陽光に焼かれることはなかった。布団を片付け、着替えをする。顔を洗いに行けば、銀次はまだ起きてきていない様子だった。そんなに早い時間帯に目が覚めてしまったのだろうか。顔を洗う。洗面台の正面にある鏡に映るわたしの顔は、少しばかり青白い気がして、このままではいけないと思った。銀次に心配をかけてしまう。頬を何度か叩く。叩いたことで無理やりではあるが血色が出てきた。早いところ化粧品が欲しいかもしれない。多少の顔色なら誤魔化せるのが化粧のいいところだ。チーク万歳。買うお金もないけれど。もし化粧品が買えるようになったら、月乃さんに一緒に選んでもらおう。そこまで考えたところで、背後から微かな足音。振り返れば髪を下ろした銀次が大口開けて欠伸をしていた。

 

「おはよーさん、随分早いな……どうした、固まって」

「銀次が髪下ろしてるの、初めて見た……びっくりした。おはよ」

「今起きたからな。俺だって寝てる間くらい髪下ろすさ」

「うん。雰囲気変わってかっこいいね」

「……」

 

 銀次が目線を逸らして、首の後ろを掻く。この仕草、どうやら照れた時の癖、のように思える。わたしの観察結果が正解かどうか、しばらく観察してみようと思った。

 

「銀次、今日は予定とかあるの?」

「いや、今日は特にねぇよ。どうする、商店通りでも見てみるか?甘味処気になってたろ」

「銀次は甘いもの好き?」

「俺か?あれば食う、程度だな。好きって程でもねぇなぁ」

「じゃあいい」

 

 間髪入れずに返事をする。わたしだけ楽しんでも意味はないのだ。せっかくなら、銀次も楽しめるところがいい。

 

「でも昨日見たがってたじゃねぇか。俺のことは気にしなくていいんだぞ?」

「……いいの」

「クーロ」

「いいの!」

「ったく……、とりあえず朝飯食うか。顔洗って来っから、後で手伝ってくれるか?」

「はい!」

 

 いい返事だ、そう言いながらわたしの頭をひと撫でした銀次。わたしの隣を通り過ぎて洗面所に向かう大きな背中を見送って、部屋の空気を入れ替えに居間へと足を向けた。

 

 朝食を摂って、昨日はわたしが泣き喚いたりしたおかげで夜も更けてしまったためお預けとなってしまった、銀次の商売道具の武器を見せてもらう、という約束を果たしてもらいつつ、お茶を飲んでまったりした食後の時間を過ごしていた。銀次が取り出したのは、大ぶりの双剣だった。つかの部分だけでも太く頑丈そうで、片方だけでもわたしに持てるか怪しい。


「おお……大きいね、これって双剣っていうんだよね」

「おっ、知ってたか。そうだ、双剣だ。でも双刀っていう方が馴染みがあるかもな」

「双刀……ちょっと触っていい?」

「気をつけろよ。あと刃には触れるな、怪我するぞ」


 つかの表面は何か革製の紐が巻かれて、滑り止めのようになっている。指先でなぞれば引っかかりすぎず、かといってつるつるとしているわけでもない。握ってみると手のひらに吸い付くような不思議な感触。初めて触るのになんだかしっくりと馴染んだ。

 

「これ、なんの革?」

「俺も詳しいことはわからんが、ある鬼の皮をなめしたものらしいぞ」

「へえ……なんか不思議な感触だね」

「手にしっくり馴染むだろ。丁寧に処理をしたものを巻いて、俺も長いこと使い込んでるからな」

「鬼狩りの武器は鬼の素材が使われるのが当たり前なの?」

「むしろ、鬼の素材でなきゃ鬼には太刀打ちできねぇのさ。普通の生き物の革や、暮らしの中で使う刃物に使う鋼や鉄じゃあ傷もつかん。鬼を狩って、金や素材を報酬として受け取るんだ。そういう素材を使って武器を鍛えたり、新しい武器を作る。ゴロ爺みたいな鍛冶屋に頼んでな」


 銀次がわたしが触れている刀の対となるもう一方を握り掲げる。厚みがあり、大きな刃がぎらりと光を反射した。銀次の手首の角度によって反射の表情を変える刃を眺める。直に触れたくなる魅力があったが、先程の銀次の言葉を思い出し、ぐっと堪えた。

 

「刃に使われる鋼は鬼斬鋼きざんこうってんだ。異界の瘴気にしばらく晒された鋼だけが鬼を倒す刃物に使えるんだよ。鬼斬鋼の中でも瘴気に長く晒されたもの程、鬼に対する切れ味が増す。だがそういう鬼斬鋼を採るためには、瘴気が濃い所に行かなきゃならん。だから滅多に出回らないんだ」

「そっか、瘴気って人には毒なんだっけ」

「あと、瘴気のある所、鬼が出る場合が多い。鬼斬鋼を採りに行くのに露払いとして、ついていく仕事もあるぞ」

「鬼を倒すのも大変だけど、鬼を倒す武器を作るのも大変なんだね……」

「まぁな。作り手の技術もいるし、素材も新人の鬼狩りじゃ自分の武器を育てるための分も集めるのは相当な苦労だから、それなりに戦える連中が新人に素材を分けてやる場合も多い。もしくは新人がどんな武器が欲しいってのを鍛冶屋に伝えて、鍛冶屋が必要な素材の回収の仕事を依頼する。それを金で請け負った鬼狩りが、目当ての鬼を狩って素材は納品するとかな」

「新人さんも育てなきゃ、鬼狩り減っちゃうもんね。うまくできてるんだ」


 銀次に説明を受けていた最中、玄関の方が騒がしくなった。

 

「なんだ……?ちょっと見てくる。クロはここにいな」

「わかった」

 

 銀次が玄関へ行くため立ち上がる。玄関から三和土たたきを超えて居間まで一直線なので、わたしは念の為玄関から見て死角になる位置に座り直した。玄関の引き戸が敷居の上を滑る音がして、騒がしさが増す。

 

「銀次さん!ああ、よかった!」

「なんだよ、朝っぱらから……何があった」

「里の東にある洞穴の辺りに餓鬼がきが湧いてやがるんです!やつら雑魚だが、今回は数が多くて……」

「そんで俺も招集ってワケか」

「はい、あの洞穴は里に近い上に、いくら餓鬼だとしても、あの数じゃ、取りこぼして里に近づかれちまうかもしれねぇ。そうすりゃあ厄介だ。銀次さん来てください!」

「……先に行っててくれ。準備くらいさせろ」

「はい、よろしくお願いします!」

 

 知らない男の人と銀次がやり取りする声が聞こえて、話の内容をなんとなく理解した。鬼狩りの仕事というやつだろう。ガキとは、前の世界でも聞いたことのある餓鬼でいいのだろうか。ここじゃあ、本当に目に見えて、危険な存在として実在するんだ、と改めて、前の世界とは異なる所に来てしまったのだと実感した。

 

「クロ、話聞いてたか?」

「鬼狩りの仕事だよね」

「ああ。話が早くて助かる。ゴロ爺のとこまでひとりで行けるか?」

「うん。道もちゃんと覚えたよ。ひとりで行ける」

「じゃあ、俺が迎えに行くまでゴロ爺のとこに行っててくれ。理由は……説明できるか?」

「ガキがたくさん出たんだよね?」

「さすがだな。それ伝えて、あとはゴロ爺の話し相手になってくれりゃあいい」

「わかった」

「じゃあ、今から行け。鍵も閉めちまうからな」

「銀次」

 

 これから仕事だからか、顔つきがすっかり変わって眼光が鋭くなった銀次を呼び止める。向けられた視線もいつもと違ってよく切れる刃物のようで、背筋が勝手に伸びた。

 

「気をつけてね」

 

 怪我がないように、危ない目に遭わないように、そう思って言葉を発すると、銀次がきょとんという顔をした。それが、だんだんむず痒そうな表情に変わり、次いでふにゃりとした笑顔になった。それはいつもの銀次に比べてなんだか幼い表情で、わたしはどきりとしてしまう。

 

「この程度の仕事の前にそんなこと言われんのは初めてだな」

「じゃあ、じゃあ!何度でも言う!どんな仕事でも言うよ!気をつけて行って来てね!」

「……ん、あんがとな。ほれ、クロも気をつけて行って来い。迎えに行くまでよろしくな」

「はい」

 

 持ち運ぶ荷物も、貴重品も特にないので、玄関先で銀次とは別れた。腰に双刀を提げて里の外と中を繋ぐ関所に向かう銀次の背中を少しだけ見送る。背中がいくらか遠のいたところでわたしはくるりと振り返って、お爺ちゃんの家兼作業場へと向かった。

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