第12話 根を下ろす
家に着いて、まず
「銀次、ごめんね、こんなにいっぱい持たせて」
「ああ?こんなもん、大した重さじゃないさ、気にするな。それより箪笥がいるな。すまん、考えてなかった」
「え、箪笥……」
「ん?クロのとこにはなかったか?箪笥」
「あったよ。でもまた銀次に手間かけちゃうなって思って……ごめんね、けど、わたしのこと考えてくれてありがとう」
銀次は、にっと歯を剥き出して笑った。そして、わたしの頭にその手を置く。
「だんだん口から礼が出るようになってきたな。いいこった。クロ、疲れてるとこ悪いが、もうちょい歩けるか?ゴロ爺のとこに行こう。あの爺さん顔広いからな、でかい入り用なものに関しちゃ、ゴロ爺に頼んだ方があちこち買い回るより楽だ」
「ゴロ爺さん大変じゃないかな?」
「大丈夫だろ。あの爺さんクロのことかわいがってるし。それに、職人ってつく生業の人間には特に顔が効くからな。大して苦労もなく、やってくれるだろ。気になるなら今度、ゴロ爺の話し相手にでもなってやるといいさ」
「……そう?」
「ああ。一杯、茶でも飲んでから行くか?それともすぐ出るか?」
「銀次さえよければ、すぐ行こう。今、座っちゃったら根っこ生えて動けなくなりそう」
「それには俺も同意だ。さっさと行って、ついでに飯も食わせてもらおうぜ」
それこそ迷惑では?そう思ったけど、銀次は鼻歌混じりにわたしの部屋を出ようとしている。それを見て、慌ててわたしも持っていた荷物を置いて、銀次の後を追った。
「クロ、なんか欲しいもんあったら遠慮なくゴロ爺に言えよ?」
「うん、実はお願いしていいなら、お願いしたいものあるんだ」
「へぇ」
銀次がなんだか嬉しそうにわたしを見下ろしたけど、その表情の真意はわからなかった。
「ゴロ爺、来たぜ」
「こんばんは」
「なぁにが来たぜだ、馬鹿野郎。おめぇは挨拶もできねぇのか。クロちゃんを見習えってんだ」
「あはは……すみませんゴロ爺さん、突然お邪魔しちゃって」
「いいんだよぉ、クロちゃんは。いつでも来なぁ」
「俺と随分扱いが違うじゃねえか……」
銀次に厳しい声を飛ばし、途端にわたしに甘い対応をした様子に、銀次がゴロ爺さんを見て、呆れたような顔をする。
「で、銀の字。今日は何の用だ?」
カン!ゴロ爺さんが煙管の灰を勢いよく落とす音が響く。居間に上がらせてもらったわたしと銀次。銀次は慣れた様子で好き勝手にお茶を二人分淹れてくれていた。それを見てもゴロ爺さんは何も言わなかったので、こうして勝手にお茶を淹れるのはいつものことなのかもしれない。
「クロの部屋に必要なものを買い揃えたくてな、」
「なんだなんだ、そういうことは早く言わねぇか。よぉ、クロちゃん何が欲しい?爺ちゃんが職人仲間に頼んで螺鈿細工の小物入れでも用意してやろうか?」
「ら、螺鈿!?」
「ゴロ爺やめろ、そして人の話を聞け」
いきなりの台詞に、ゴロ爺さんにお願いしたら、とんでもなく高価なものを用意しそうだと不安になって銀次の表情を窺う。そんなわたしの不安に気がついたらしい銀次がノールックでわたしの頭を撫でた。わたしの心情を気配で察したとでもいうのだろうか。これが気配を読む職業病?
「箪笥とか、文机とかそういうもんだよ。空いてる部屋はあったんだが、本当に空いてるだけだったんで、布団以外になんもねぇんだ。着るもんとかは今日買ってきたんだが、それを収めるもんがねぇんだよ」
「箪笥か。それに文机、と。クロちゃんは欲しいもんはねぇのかい?」
「あの、実は欲しいものがあって……」
「なんだい、言ってみなぁ」
「姿見、が欲しくて」
今朝、出かける準備をしながら部屋を見渡して欲しいと感じたものを伝えてみる。
「着替える時に欲しいな、と。あと、月乃さんが着付けを教えてくれるって言ってたので、その時にもあったら便利だと思って!お金は、わたしにもできるお仕事を教えていただければ少しずつでもお返ししますので!」
お願いします、と頭を下げた。すると、頭を柔らかく撫でる手があった。銀次の手ではない。そっと顔を上げれば、ゴロ爺さんが顔をくしゃっと縮めて笑っていた。わたしには祖父母がいない。名前以外にかろうじて残っている記憶の中にその影がないから、きっといなかったんだろう。でも、祖父母がいたらきっとこんな風に慈愛に満ちた目でわたしのことを見てくれるのだろうか、とそんなことを頭の端で考えていた。
「金のことは気にするなぁ。爺ちゃんが、クロちゃんがここに来てくれた祝いに、クロちゃんがこれからここで頑張る糧になるように、必要なもん用意してやっからなぁ。大丈夫だ、安心しな」
ゴロ爺さんの優しい声になんだかとっても泣きたくなった。ここに来た祝いに、その言葉は、わたしがここに来たことが正解だと言われているようで、とても胸が熱くなった。元の世界に捨てられたのでは、なんてことが頭を過ぎるのを一生懸命見ない振りしていた自分に今更ながらに気づく。わたし、つらかったんだ、怖かったんだ。それを直視するのが嫌で必死になって蓋をして、昨日今日と過ごしてたんだ。新しい世界に慣れるのに忙しい振りをして。とうとう、ぼろりと大粒の涙が溢れた。堪えておくにはわたしの心の奥はあまりにも脆かった。
「わたし、わたし、前の世界に捨てられたんだって、だから必死に名前ももらって、自分がここにいていいんだって理由とかいろいろ作ろうとして」
「おう」
「本当は怖くて、寂しくて」
「そうだろうなぁ」
「でも、銀次も、ゴロ爺さんも、月乃さんも優しいから、得体の知れないわたしのこと受け入れてくれたから」
「うんうん」
「だから頑張ろうって、頑張れるって思ってたけど、思ってたのに……」
「クロちゃんよ、無理して気張らんでもいいんだ。できることからやりゃあいい。怖がっていい、寂しがっていい。銀の字も、俺も、月乃のお嬢も、クロちゃんのそれを受け止められねぇ程、器が小さいわけじゃあねぇさ」
硬い、職人の手のひらがわたしの頭の上をゆっくり往復する。涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げてみれば、笑みを浮かべたゴロ爺さんの目尻に深く刻まれた皺がもっと深くなった。
「おうおう、かわいい顔がもったいねぇじゃあねぇか。落ち着いてゆっくり息しな。爺ちゃんと銀の字がここにいっからなぁ。安心してゆっくり泣いて、落ち着いたら、この後飯食ってけなぁ。」
「……ゴロ爺さん」
「ん?どうしたどうした」
「わたし、祖父母っていなくって」
「そうかぁ」
「……ゴロ爺さんのことお爺ちゃんって呼んでもいい、ですか?」
「はっはっは!そりゃあいい!嬉しいもんだなぁ、クロちゃんがそう呼びたいって言うんならそう呼んでくんなぁ。そんで、敬語はなしだ。なんせ俺ぁクロちゃんの爺ちゃんだからなぁ」
「お爺ちゃんんんん、ありがとぉ……」
「はっはっはっはっは!どうだ銀の字!俺に孫ができたぞ!」
「ああ、そうだな。クロも、よかったな」
「……うん」
世界を超えて初めてできた、お爺ちゃんという存在に、わたしはしばらくぐだぐだに泣いた。今までの不安も何もかも、涙に溶かし込んで体の外に垂れ流した。幼い子供のように、ぺたりと座り込んで空を仰いで泣いていたら、爺ちゃん夕飯の準備してくっからな、とわたしの頭を撫でくり回してからお爺ちゃんは台所に消えた。お爺ちゃんの背中を見送って、うええ、と声を上げて泣いていたら銀次がわたしの前にお茶の入った湯呑みをことりと置いた。
「そんな泣き方してたら喉おかしくなるぞ。ぬるくしといたからすぐ飲める。少し茶でも飲んで落ち着け」
「ぎんじ……おじいちゃんできた……」
「おう、よかったな、思い切り甘えてやれよ」
「ぎんじぃ……」
「おいおいなんで泣くんだよ、大丈夫だから。もう怖いこともなぁんもねぇよ……気づいてやれなくて悪かったな」
「わたしも、ぎんじにいえなくてごめんねぇ……」
「クロが謝る必要はねぇよ。ほら、もう鼻かめ。」
「うん……」
銀次に渡されたちり紙で素直に鼻をかむ。未だ止まらない涙を銀次が拭ってくれる。その力加減が優しくて、なんだかさらに涙が出た。このままでは目が溶けるまで泣き続けそうだったので、わたしは両腕でぐいぐいと涙を拭いた。銀次の、目を擦るな、という声も聞こえない振りをして涙を止める。
「……お爺ちゃん、手伝ってくる!」
「おう、無理すんなよ」
「うん!」
台所に走っていって、お爺ちゃんの横に並んで料理を手伝う。わたしは決して料理がうまいわけじゃないから、銀次と暮らすためにも練習しなきゃ、と言ったら、お爺ちゃんがクロちゃんなら大丈夫だ、と言ってくれた。お味噌汁の味つけを任せてもらって、少し緊張しながら味噌を溶かした。お爺ちゃんと一緒に味見をして、味噌溶かしただけなのに大袈裟に褒められて照れたりしながら、楽しく夕飯の準備をした。それから、お爺ちゃんと銀次とわたしの三人で夕飯を食べて、その最中、いろんな話を聞かせてもらった。わたしの部屋に置く家具について、今日銀次に買ってもらったものについて、お金を返したいと言えば、それはおいおい、と銀次とお爺ちゃんに言われてしまった。まあそうか、だってまだわたしは、ここのお金の価値だってわかってないのだ。働くにしたってわたしは常識や文化に疎い。しばらくは、たくさんのことを吸収して馴染むのが先なんだろう。気だけが急いてそわそわするが、ここは二人の言うことを聞いた方がいいのは、流石にわかる。姿勢を正し、ふたりに頭を下げた。
「わからないことだらけで、迷惑かけると思いますが、時間がある時でいいのでこれから、いろいろ教えてください。よろしくお願いします!」
下げた頭に左右から何か重さが。顔を上げなくてもわかる。銀次とお爺ちゃんの手だった。
「焦るなクロ、大丈夫だ、ゆっくりやりゃあいい」
「クロちゃん、銀の字も鬼狩りだ。今後家を空けるかもしれねぇ。そん時ぁ、爺ちゃんのとこ手伝いに来てくれや。な?」
「うん、二人ともありがとう」
今日は一日かけて改めて、この地に、この世界に根を下ろそうと思えた。
新しい名前、新しいわたし。
わたしはここで生きていく。元の世界が全く恋しくない、と言ったら嘘になる。でも、ここに受け入れてくれた人たちがいることも確かだ。だから、ここで生きていく腹を決めなければいけないのだ。応えなければいけないのだ。わたしの身と心を一生懸命生かそうと動いてくれる人がいるのだから。
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