第10話 お着替えとかわいらしきもの

 ツキノさんと並び、町を歩く。背後には銀次がゆっくりついてきていて、本気で荷物持ちに徹するつもりでいてくれているようだった。ありがたい。きょろきょろと落ち着きないわたしを、銀次とツキノさんはまるで過保護な親が幼子を見守るが如く、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。主に店の説明と、売り物の説明。そしてフードで視界の悪いわたしが人にぶつかったり、転んだりしないようにという配慮まで。フードは別に被らなくてもいいと銀次に言われているが、被っていないと襟ぐりから制服が少し見えてしまうので被っている。銀次の外套はわたしには些か大きいのだ。

 

「クロさんは服で何か好みなどはありますか?色などでも構いませんよ」

「えっ、えーっと」

「クロ、お前さんの事情についてはツキノには話してある。勝手をしてすまん。だが話さなけりゃ、今日の約束も取り付けにくくてだな……」

「あっ、そうだよね、銀次が話すべき、話した方がいいと思った人にわたしの事情を伝えてもらう分には大丈夫だよ。というか、むしろ、わたしには誰に話すべきで誰に黙っておくべきなのか、判断つかないからその方がありがたいです。ありがとう」

「クロさん、不安もあるでしょうけれど、同じ女性として何か相談に乗れることもあるかもしれません。何かあれば遠慮なく声をかけてくださいね」

「ツキノさんもありがとうございます」

 

 往来の端で少しだけ声を潜めて話をする。わたしは改めてふたりの気遣いに頭を下げた。すると、頭にぽんと乗る大きな手のひら。もう、確認しなくてもわかる。これはきっと銀次の気にするな、の合図だ。わたしが銀次を見上げてへらりと笑えば、応えるようにぽんぽんと撫でられた。たった二日で慣れたものである。

 

「あらあら」

「なんだよ」

「いいえ、あの銀狼が随分と穏やかだなんて思ってませんよ、ええ」

「ギンロウ?」

「銀の狼と書いて銀狼。鬼狩りとしての銀次の渾名ですよ」

 

 聞き慣れない単語に反応したわたしにツキノさんが微笑みながら答える。銀次はなぜかばつが悪そうな表情を浮かべてそっぽを向いた。

 

「……銀次ってもしかして有名人ですか?」

「ええ、銀次はこの辺りの里でも有数の腕前を誇る鬼狩りですからね、知らぬ者は遠方から来たこの辺りの事情そのものがわからない者でしょうね」

「銀次ってすごい人だったんだ……」

「聞いていなかったのですか?」

「銀次のことはまだあんまり聞けていなくて……」

 

 ぶんぶんと首を振れば、ツキノさんが呆れたように銀次を見遣る。銀次は首ごとそっぽを向いて、ツキノさんの視線から逃れた。

 

「自分が有名人だ、なんて自惚れ言うほど、俺の頭はおめでたくねぇよ」

「まあ、あなたの性格なら、銀狼のことはクロさんには自ら言わないでしょうね」

 

 わたし、銀次とすっかり仲良くさせてもらってると思ってたけど、まだ何も知らないなぁ、と思った。まあ、そもそも出会って二日目なのだけれども。これからも銀次にお世話になっていくとしたら、わたしが未だ知らない鬼狩りとしての彼のことも知っていくんだろうな。なんにしろ、彼を知っていく過程で恩返しができればいいと思う。そういえば、知らないといえば、知りたいことがあったんだった、とツキノさんに向き直った。

 

「ツキノさん、わたしツキノさんにお聞きしたいことがあるんですけどいいですか?」

「ええ、もちろん。私に答えられることであれば」

「ツキノさんのお名前は、書く時、かなですか?漢字ですか?綺麗な音のお名前だと思っていて、気になって」

 

 わたしの問いに目を丸くしたツキノさんは、口元に手を当てて嫋やかに微笑んだ。わたしがぽけーっとそれを見ていると、ツキノさんは嬉しそうに、ありがとうございます、と言葉を紡いだ。

 

「名前が綺麗だなんて、普段言われ慣れていませんが、嬉しいものですね」


 そうしてツキノさんは徐に懐に手を入れた。するり、引っ張り出されたものは、紐のついた小さく薄い金属板のようなものだった。

 

「ドッグタグ……?」

「どっぐ?」

「あ、ごめんなさい。わたしがいた所にあったものに似てて」

「そうなのですね。これは名札。鬼狩りが持つ、所属する里の印と己の名を刻んだ名札です」


 ツキノさんが、わたしに名札をそっと握らせる。手を開いて覗き込めば、そこには丸に雷を模した絵柄が入った紋様と、月乃という二文字が刻まれていた。

 

「これが名札……ツキノさんのお名前はこう書くんですね。綺麗」

「ありがとうございます。木の札を使っている里もあると聞きますが、このカムナリの里は金属の加工を得意としているので、鬼狩りに配られる名札も金属製のものなのですよ」

「へぇ……ちょっと違うけど、本当にドッグタグみたい」

「クロのとこにも似たようなのがあったんだったな?」

 

 銀次が小首を傾げて聞いてくるのでわたしはそれに肯定した。そして、わたしが出来得る限りのドッグタグの説明をした。軍人、兵隊などが自分の名前と所属や必要な情報を刻んだ金属の板を首から下げるのだということ。それの本来の役割については、鬼狩りの名札と同じものであるような気がしたので、なんとなく口にするのが嫌で言わなかったのだが、ふたりは特に何も言わなかった。もしかしたら察してくれたのかもしれない。

 

「帰ったら銀次の名札も見せてね」

「月乃のものと大して変わらんぞ。まあ作り手が違うから多少違いはあるが」

「え、じゃあ見たい!武器と一緒に見せてね」

「わかったよ、ほら、とりあえず買い物だ。それが終わらなけりゃ、武器も名札も今日はなしだぞ」

「はーい」

 

 元気に返事をすれば、銀次が満足そうに笑う。そして当たり前のようにわたしの頭を撫でた。わたしも当たり前のようにそれを享受する。それを見ていた月乃さんがまるで面白いおもちゃを見つけた、いたずらっ子のような目をしていたことに、わたしも銀次もまるで気づいていなかった。

 

 町中をゆっくり見て回りながら、場所は変わって服屋に着いた。ここの里の人は、商人や一般の里人のほとんどが着物のような格好をしているが、鬼狩りに関しては洋服と着物の合いの子のような不思議なデザインをしている。わたしが連れてこられた服屋は鬼狩り御用達のお店らしいのだが、鬼狩りは動きやすさ重視のため、着物とはまた違った形になるのだそう。着物の着付けはほとんどしたことがない、と正直に言えば、それなら鬼狩りの格好でいいだろう、ということになった。サルエルパンツのような、動きやすい型と生地のボトムスがあったので色違いで何着か揃え、上もシンプルにインナーと袖がたっぷりとした作務衣とでも言うのだろうか、とにかく着やすさ、動きやすさ重視のものを月乃さんに見繕ってもらった。そして、着物の着付けについて今度教えてくれる、というありがたい約束付きで手頃な着物も。着物には明るくないので、いろんな着物から反物まで、当てられるだけ当てられて、すっかり月乃さんと店主の着せ替え人形と化していたわたし。初めは窺うようにわたしに都度好みを確認していた月乃さんと店主が、徐々にテンションが高まりどんどんわたしの意見を聞かなくなってから、わたしは無になることに徹した。銀次がなんだか物言いたげな顔をしていたが、ここで何か言っていいことはない、そうわかっているので、わたしは横目で銀次を制し、体が半分ずついろんな色に染まるのを鏡越しに眺めていた。

 

 それから、女性の生活に欠かせない日用品なども月乃さん監修のもと揃えさせていただき、使い方も口頭で教わった。わたしが元いた所と多少差異はあれど、大幅には変わらない仕組みのものとわかったので安心して買い込んだ。同じ女性の意見がなければこうもスムーズに買い物できなかったと思うので、月乃さんを紹介してくれた銀次にも、快く引き受けてくれた月乃さんにも大感謝である。銀次に持たせるにはちょっと恥ずかしいものだけ自分で持って、服など嵩張る上に重いものは素直に銀次を頼らせてもらった。これで、必要最低限、生活していくのに困らないだけのものは用意してもらった。何から何までお世話になりっぱなしなので、ふたりにはいずれ恩返しはするつもりだ。まずは日常で役に立てるところから。そう胸に決めて、腕の中の荷物を持ち直した。

 ちなみにわたしは、服屋で買った作務衣のような服に着替えさせてもらったので、重たい外套と視界の悪いフードからはすでに解放されている。わたしの制服姿を見た服屋の店主は新しい鬼狩りの装備だと思ったらしく、非常にハイになって観察してこようとしたが、銀次のひと睨みで大人しくなっていた。そしてとても圧のある笑顔を浮かべた月乃さんの「彼女はここから非常に遠く離れた里の出身でして」という説明で事なきを得た。銀次に睨まれ、月乃さんに凄まれた店主の不憫さたるや。まあ、周りが見えなくなるほどテンションあがっちゃうのもよくないよね、という教訓にしていただきたい。

 

 そろそろ一度に持てる荷物の量としてもここらが引き上げ時か、と思っていたところでわたしの足が止まってしまった。かわいいものに溢れた小間物屋があったのである。かわいいはずるい。そしてかわいいは正義。さっと見渡して足を動かそうと決めていたのに、わたしはいつの間にか左右を銀次と月乃さんに挟まれていた。

 

「なんか欲しいものでもあるか?」

「あらまあ!この簪なんてクロさんの緑の黒髪によく似合うのでは?」

 

 しまった、そう思った。このふたりがわたしなんぞの動きを見逃すはずがない。しっかりと地面に縫い止められたわたしの足に気づかないはずがないのだ。

 

「いや、ちょっとかわいいなって思っただけで、欲しいとまでは……」

「でしたら、贈らせてください。お近づきの印に」

「ええっ、悪いですよ、そんな!今日だっていっぱいお付き合いいただいたのに!」

「ご迷惑、でしたか……?」

「うぐっ」

 

 どうしよう、銀次、助け舟ください、そう見上げた先の銀次はわたしのことなんかまるで見ていなかった。商品棚に並ぶ小物を真剣に吟味している。厳つい男がかわいいを選んでいる……、それはなんてかわいいアンバランス!月乃さんからの圧がなければ、わたしだってほんわかして銀次を見ているところだったのに、そんないとまは与えてもらえそうにない。わたしに残された道はひとつだけ。

 

「あの、その……あんまり高価なものでなければ……」

「ええ、ええ!普段使いにもよく、今日買った着物にも合うものにしましょうね!」

「一本挿しの簪だったら、自分でも留められます……」

「あら、でしたら、こちらよりこちらの方が……ああでもこの飾りも捨てがたい……」

 

 わたしは引き攣った笑みを浮かべるしかない。今日知ったことは美人の放つ圧は凄いということだ。微笑みですら圧になる。恐るべし美人。月乃さんがああでもない、こうでもない、と簪を選ぶのを眺めるのに必死だったわたしは、銀次がわたしの背後でお勘定を済ませているなんてこと、露ほども知らなかった。

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