第9話 雷の門と絶世の美女

「よし、これでいいかな」

 

 銀次の外套は生地がしっかりしていて、体格の大きい銀次が着ているものだけあって、長さもあり、わたしにはほんの少し重い。制服がしっかり隠れているかの確認をして、フードを被る。自分の目で確認できない範囲については手探りで布地を引っ張って顔と体を隠した。


「……姿見とかあったら便利かも。安いのとか中古品とか、ないかな……」

 

 この世界のお金の価値を覚えて、自分でどうにか稼げるようになったら買おうかな、なんて考えながら身嗜みを整えて部屋を出た。

 

「銀次、準備できたよ」

「おう、それなら行くか……そんなきっちり頭まで覆って暑くないか?」

「大丈夫。そういえばここの季節って今どの辺りなの?」

「そうさなぁ、春も終わりってところか。しかし、いつまでもその暑苦しい外套着てたんじゃ、下手したらそのうち暑気あたりでぶっ倒れるな。今日は夏向けの服もしっかり選んでもらえよ」

「……めいわ、」

「く、じゃねぇから遠慮すんな。遠慮しぃも度が過ぎると嫌味だぞ、クロ」

「ごめんなさい」

「こういう時は、ありがとうも追加、だな。ほら」

「あり、がとう」


 ぎこちなく口を開けば、銀次はがしがしとわたしの頭を荒っぽく撫でた。ぐらぐらと揺れる視界に目をぎゅっと瞑って耐える。最後にぽんっと頭に手を置かれた感覚がして、ようやっと目を開く。視界にはいたずらっぽく笑う銀次の顔があった。それに少し強張っていた体から力を抜いて、もう一度、ありがとう、と声に出してみる。思ったより小さくて幼気な響きになってしまったが、銀次はわたしのそんな言葉を拾い上げて、おう、と目尻にきゅうと皺を寄せて嬉しそうに笑った。

 

 あの後、銀次が撫でくり回したおかげでずれたフードを直してもらって、わたしたちは家を出た。フードで少々視界が悪い中、銀次の広い背中を追いかける。銀次も歩きにくいだろうに、わたしに歩調を合わせてくれているらしく、とてもゆっくり歩いてくれた。たまに店を指差して、あそこはなにを売っている、ここはなにがうまいんだ、と説明してくれた。甘味処が立ち並ぶ通りでは、綺麗な練り切りや、飴細工のうさぎなんかを見て思わず足を止めてしまったわたしに、銀次がからからと笑って、また今度来ようなと言ってくれた。

 しばらくそうして初めて見るカムナリの里の様相に、わたしが目を輝かせていると、フード越しに銀次がわたしの頭に手を置いた。

 

「大喜びのところすまんが、ここだ」

「……雷門?」

「カミナリモン?」

 

 銀次が首を傾げている。大柄な男性なのになんだか、ちょっとかわいらしいのはなぜだろう。なんでもない、と首を振ってもう一度目の前の建造物を見上げた。重厚な門の間に雷、の一文字が書かれた赤い大きな提灯がぶら下がっている。これは元いた世界で見た、雷門では。ところどころ違うんだけど。

 

「あ、仁王像もいない」

「仁王像なら聞いたことあるな。だがここにはないぜ?クロ、さっきからどうしたんだ?」

「えっと、元の世界に赤い大きな提灯に雷門って書かれたのが目印の観光名所があって……。それにそっくりだったから」

「なるほどな。ここはカムナリの里。カムナリってのは雷って意味なんだ。だから里の中心であるここにも雷の字があるって訳だ。それにしても、世界が違っても似たような景色があるなんて、面白いこともあるもんだな」

 

 しげしげと提灯を見上げた銀次が顎をさすりながら感慨深い、というような声を発した。別に雷門がある土地が地元ではなかったので郷愁に駆られることはなかったが、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ心の端っこが揺さぶられたような気がして、知らず外套を握りしめていた拳に力が籠る。

 

「あー、クロ」

「……なぁに?」

「ここはしんどいか?場所変えるか?」

「え?」

「お前さんのいたとこにも似たような場所があったんだろ?……しんどいんじゃないか?」

「……ふふ」

「クロ?」

「んーん、なんでもない。大丈夫だよ、ちょっとびっくりしただけ。だから大丈夫だよ。ここにツキノさんがいるの?待ち合わせ?」

「……クロ、無茶はするんじゃねぇぞ」


 難しそうな顔をして、頭を撫でてくる銀次の手の重さでフードが顔の上半分を覆った隙にわたしは目元を緩ませた。小さなことでも逐一拾い上げて、心を砕いてくれるのがくすぐったい。昨日、偶然拾われたと言っても過言ではないわたしのためにこんなに心配してくれる人がいる。それが堪らなくくすぐったい。そして温かい。ぽかぽかだ。

 

「銀次、ありがとう」

「クロ?」

「本当にわたしは平気だよ。銀次が心配してくれるから。それにね、雷門、別にわたしの地元にあるってわけじゃなかったの。有名な観光名所で、一、二回行ったことがあるだけで。だから平気。ツキノさん待たせてるんでしょ?早く行こう」

「……そうか。それなら行くか。クロがいるから大丈夫だとは思うんだが、実のところ、あいつを怒らせると厄介なんだ。時間に遅れると手合わせだなんだってしごかれてな……」

 

 説教も長いんだ……、そう項垂れる銀次は初めて見る表情をしていて。ツキノさんが本当にプロレスの選手みたいな感じなんじゃないかと思い始めた。

 

 銀次の後について門を潜る。町中では見なかった、大きな武器を持った人達が目についた。

 

「気になるか?」

 

 きょろきょろと辺りを見回していたわたしを見下ろして、銀次が口の端を上げる。素直に頷けば、銀次は話し始めた。

 

「武器持ちは大抵鬼狩りだ。鬼を狩るのには特殊な武器が必要でな、鬼狩りの武器を専門にしてる鍛冶屋が作った武器を持ってる。ここは関所と鬼狩りの詰所を兼ねててな、町中に比べて鬼狩りが多くいるんだ」

「銀次の武器は?」

「俺のは家だ。今日は荷物持ちだって言ったろ?」

「そっか。今日帰ったら見せてもらったり、できる?」

「いいぜ。ちなみに俺のはゴロ爺のとこのだ。ああ見えてあの爺さん、結構名の知れた鍛冶屋なんだぜ。気難しいのでも知られてるんだがな……」

 

 そう言って銀次は少し遠い目をした。銀次に連れられて初めてゴロ爺宅にお邪魔した時、あれだけバカスカ頭叩かれていたことを見れば、確かにゴロ爺が普段から気難しいことは伺える。あの光景を思い出してわたしも思わず遠い目をしてしまった。

 

「あら?そこにいるのは銀次ではありませんか?」

「おお、ツキノか。今日は時間もらって悪いな」

「構いませんよ……そちらが話していた?」

「ああ、クロだ。クロ、こいつがツキノ。今日世話になる俺の知り合いだ」

「ツキノと申します。クロさん、よろしくお願いしますね」


 鈴のような声が銀次の名を呼ぶのが聞こえて振り返れば、そこには絶世の美女と言っても差し支えないほどの女性がいた。陶器のような肌に影を落とす睫毛は長く、赤く色づいた唇は蠱惑的な香りを漂わせる。四肢はバランスよくすらりと伸び、きゅっとくびれた腰を見れば折れてしまうのではないかと心配になる程だ。そして何よりそのたわわな胸部は、同じ女として、いっそのこと悔しさすら吹き飛ぶほど美しい曲線を描いている。わたしは、初めて生で見たと言っても過言ではない、『美人』に呆けて口を開けたまま見惚れていた。誰だ、ツキノさんがプロレスラーだなんて言ったやつは。わたしだ。全くイメージと違って混乱する。

 

「……クロ?どうした?」

「クロさん?わたしの顔に何かついていますか?」

「……へっ?」

「クロ、具合でも悪くなったか?無理しなくていいんだぞ」

「あ、あああ、ちが、違う、あっえと、じゃない、違うんです!」

「おいおい落ち着け、クロ!とりあえず深呼吸しろ、な?」

「う、うん」

 

 我に返ったわたしは、呆けていた分パニックに陥った。銀次に背中をさすられて深呼吸を繰り返す。ツキノさんを見れば困惑した表情を浮かべている。そんな表情すら美しい……違う、今はそんな話はしていない。落ち着けわたし。フードを深く被り直して、一度硬く目を閉じる。そしてもう一度深く息を吸って、吐いた。フードで狭くなった視界で目を開き、自分が落ち着いたことを確認。意を決してツキノさんを見上げた。

 

「……すみません、ツキノさん。ツキノさんみたいに綺麗な人初めて見たから、見惚れちゃって……。銀次もごめんね、もう大丈夫だよ」

「本当か?」

「うん、平気。……えっと、ツキノさん、失礼しました。初めまして、わたし、クロです。今銀次にお世話になってます。今日はよろしくお願いします」

 

 ツキノさんはきょとん、とした後に花が綻ぶような笑顔を浮かべた。

 

「ふふ、初めまして、クロさん。今日だけと言わず、できることなら今後もよろしくお願いしますね」

「えっ」

「あら、申し訳ありません、私ったら……兄弟も姉妹もいないので、クロさんがなんだか可愛い妹のように思えてしまって……少し気が急いてしまったようです。お気を悪くされたなら、謝ります」

「そんな!気を悪くなんてしてません!ただ会って間もないのに、そんな風に言っていただけるとは思わなくて……」

「今日はクロさんの生活に必要なものと服を一通り揃えるように、とのことなので、せっかくですからいろいろとお話しながらお買い物しましょう!……銀次、そんなに怖い顔をして見てこなくてもクロさんをあなたから取ることはしませんから安心なさい」

「……そんな顔をしたつもりはないんだがな」


 ふふふ、とツキノさんが楽しそうに笑う。銀次がどんな顔をしているのか見てみたくて、上を向こうとすれば、おそらく銀次に頭を押さえつけられる。小さくだが、ぐえっと蛙が潰れたような声が出た。銀次もツキノさんも気づいてないようでよかった。銀次も少々厳つい顔をしてはいるものの、俗に言うイケメンなので、イケメンと美女に挟まれた、わたしのようなちんちくりんが蛙の声なんて出してたとバレたら恥ずかしすぎる。

 

「銀次、銀次、ちょっとだけ首が痛いかもしれない……」

「っ、悪い……」

「んーん。……銀次、大丈夫?」

「ああ……」

「そっか」

「女性には優しくせねばなりませんよ」

「うるせぇよ……ほら、早く買い物行くぞ。日が暮れる」

 

 銀次のその言葉に、そうですね、と歩き出したツキノさんと、それを追うように体の向きを変えた銀次に、わたしは少し声を張って呼び掛けた。

 

「あの!」

「ん、どうした?」

「クロさん?」

「お二人とも、今日はわたしのためにお時間いただいてありがとうございます!よろしくお願いします!」

「……銀次、クロさんをうちの子にしても?」

「寝言は寝て言え。クロ、あんまり気負うな。欲しいものがあったらちゃんと言えよ?」

「うん!ありがとう!」

 

 わたし達三人は、再び雷の大提灯の下を潜り、町へと繰り出した。

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