第7話 決着 7/8
さて、いよいよ寒くなってきた。
さっきから無性に眠いが、これは寝たら死ぬという奴だろうか。
雪山でもシベリアでもあるまいし、こんなところで凍死かよ。
そう言えば素っ裸なら摂氏十八度で凍死できるって聞いた憶えがあるな。
まあ、体脂肪率にもよるだろう。現在の気温は、若干いい加減な携帯の示す限りは八度。
今の服装、下はチノパン。
上はTシャツの上に割と薄いパーカーのみ。
帽子を被ってみたが耳が若干癒されただけだ。くそ、そもそも片手が鎖につながれて柱に殆ど固定されているというのが痛い。
おかげで完全な保温を追求するための体育座りが出来ず、拘束されてる右手側の腹周りがかなりスースーする。
某女子高生にはむしろそっち側をカバーして欲しいのだが、あっちの行動範囲を考えるとそれは無理な話だ。
手錠がいい感じに冷たいし何で僕は足まで鎖で繋がれているんだ?
あの七三眼鏡の考えることは分からない。
ああいうモヤシの最上級には、ただのパンピーである僕も抵抗されたら恐ろしかったのだろうか。
だったら捨て置いて欲しかったもんだ。
律儀に連れてくるなんて、どっちみち生かしておく気は無かったと見える。
まあ、先に死んじまっちゃ目も当てられないが。
ああ、因みにあの時の鎖抜けの種明かしをすると、鎖を巻くのが下手くそだったせいで、動いてる内にずれてきて、一端が外れたせいで後はずるずると。
間の抜けた話だが、今は笑い事ではない。
さっきから震えるのを懸命に堪えている。
まだ寒いと自覚している内はいいが、そのうち震えなくなったら死ぬな。ああ、眠い。
「まだ生きているか」
某女子高生の声が聞こえて、途切れ描けていた意識が戻る。
「かろうじて」
「私の方も大分冷えてきたな。さすがにスカートはキツイ」
「これは珍しい。某女子高生が泣き言言ってる。冥土のみやげには丁度いいか」
「戯れ言を言っている場合ではない。貴様が死んでも世の中にはなんの不利益にもならないかも知れんが、私を失うことは世界に対する背徳だ」
羨ましいほどの自信だ。真面目に言ってるんだから大したモンだ。
「では某女子高生、改めて契約だ。ここで起こったことは」
「ああ、墓穴まで持っていく」
某女子高生はそう言うと僕の身体を引き寄せて、背中側から抱き締めた。
「普通、逆ではないかと」
「お前の方が薄着なのだ。こうしなくては効率が悪いだろう」
「ごもっとも。まあ、某女子高生がいいなら僕は何も言うまい」
「何より背後から抱きつかせておく程、貴様を信用していない」
背後からでも胸の感触くらいは味わえるわけで。
某女子高生も寒いのか遠慮無く密着してるし。
ああ、場違いに幸せだ。
客観的に状況を見ることを止めれば、このまま死んでも幸せかも知れない。
「やれやれ、まさかこんな劣悪と抱き合って寝る日が来るとは」
「昼間の告白は何だったんだよ」
「期待していたわけでもあるまい。貴様如きに私の貞操をやって堪るか」
「嘘でも一応付き合うって言ったんだから、もう少ししおらしく対応して欲しいものだね」
「なにを妄想している。例え本気で付き合うにしても私とそんな付き合いになると考えることが出来るなら大した想像力のなさだ。或いは恐るべき楽観だな」
「さすがは理性の権化。言うことが狂気じみてるね」
「今貴様に保温効果を維持するだけの機能が備わっていなければ迷い無く殺しているところだ」
「ああ、そりゃよかった。今なら何を言っても殺されないって事か」
「……殺して衣服を奪うのもいい案かもしれんな」
「すみません。調子こきました」
戯れ言の応酬。
それも余裕が出てきたからだ。
人一人当たりの発熱量は百ワットの電球一個分くらい、だったか。まあ、ようするに百ワットなんだろうが。
気温がプラスの間はそんなもので大丈夫かも知れない。
この工場跡地が、気休め程度とは言え、風をある程度遮る役割を果たしてもいるし。
「くだらない質問をしてもいいか」
「好きにしろ」
「処女?」
服の上から腹をつねられた。
「痛て、痛てええって。千切る気か!」
「本当に下らない質問だな」
「ネタにマジになるなよ」
「貴様のネタは笑えん。早々に死ね」
「図星か?」
「それがどうした」
「いや、別にどうも。たださっきからドキドキしてるようだから、初々しいなと思って」
「なっ!」
突き飛ばされる。背中に温もりが消えて涼しい風が。
「だ、誰がドキドキなど」
「いや、だから別に茶化してるわけでもないし、事実を言っただけなんだけど」
「貴様という奴は―――――、ふう」
ため息を吐くとまだ抱きついてくる。
「慣れていないだけだ。誰かと抱き合うなど」
「理性の権化といえども、真人間と言うことか」
「お前、絶対茶化してるだろう」
「そうですが何か」
「後で殺す」
照れ隠しに殺人予告をするなんて、可愛くないやつだ。
本当だったらどうしようとこちらの動悸も激しくなる。
でも面白いから、もう少し揶揄うか。
「某女子高生。お前に告白された時、正直ものすごく嬉しかったんだが」
「ん? なぜだ?」
「いやいや、僕とお前の関係なんて殆ど虚実定かならぬ文面上でのメールのやりとりばかりだったわけだが、特定異性との接点では一番関係性が深かったのも事実なんだよ。まあ、有り体に言えばあんたが好きだった」
「な、なんだ突然」
某女子高生の鼓動が激しくなる。分かり易くていいな。これ。
「顔を合わせようが合わせまいが互いの皮肉や侮蔑ばっかりだったけどさ、考えてみればそれだけアンタのことをよく見ていた、気にしてたってことなんだろうと思う。だから付き合って欲しいと言われた時、まあ、なんだ。本当嬉しかった」
「……ふん、当然だ。私に告白されて喜ばない奴など」
首だけ振り返る。月明かりに、某女子高生の顔がぼんやり浮かんでいた。
「……」
「……」
見つめ合って、鼓動が早まる。
お互いの吐息ははっきりと聞こえている。
身体は完全に密着しているし。そのまま顔が近づいていって、唇が――――
◇◇◇◆◆◆
自分でもどうにかしているなと言う認識はあったし、私ともあろうものが状況に流されるなど本来あるまじき事ではあるが、あまりにも珍しく謙虚な元クラスメイトの意外な一面を目の当たりにしたことで、不覚にも心が揺れてしまった。
ああ、一生の不覚だ。
言い訳のしようもない完全敗北だ。
気の迷いでしかないとは言え、私は今紛れもなくこの冴えない上に使えない非人相手にキスをしているのだ。
なんだこの無様は。誰でもいいから構わず殴り倒したい気分だ。
こいつはこの状況でもその精神に微塵の揺らぎも存在しまい。
私という絶対者を、一時とは言え陥落せしめて尚、微塵の喜びも達成感も感じてはいまい。
そんな奴を相手に劣情を催したなどと、恥以外の何物でも無い。
「……クソ」
これが挫折か、これが敗北か。
私が生涯味わうことなく知らずに終えられるはずだった辛酸か。
覚えていろこの劣悪な元クラスメイトめ。
この復讐は必ずする。
この屈辱すらを糧にして、私はさらなる高みに至る。
「泣くほど嫌ならやるなよ」
呆れたように呟いた元クラスメイト。
人の泣き顔を眺める遠慮の無さが腹立たしくて、手錠に繋がれた左手の親指を右手で押さえ、力任せに引っ張った。
自分の身体を痛めつけることで逃避しようなどと酷い無様だ。
しかもその逃避したいと感じた由縁は恥の累乗。
誰がキスしたことが嫌で涙を流したというのか。
嫌だったのはそれを僅かでも喜んでいる自分の内面だ。
あくまで自己の葛藤。貴様の如き俗物と通常触れることが無い場所を接した程度でこの私がなぜ泣かねばならん。
だがそれを口にすればそれは敗北宣言に他ならず、最後の矜持がそれを許さなかった。
ごきん
軽やかに骨の外れる音が響き、要の間接が外れた左手は、するりと手錠からすり抜けた。
両手がフリーになった私は、外れた間接を戻した後で、元クラスメイトを蹴り飛ばした。
「……調子に乗るなよ劣悪なる元クラスメイト」
「何をどう調子に乗ればいいのか謎なんだが……。それより手、大丈夫か?」
「大したことではない」
「そりゃよかった。で、手錠をはずしても柱に巻き付いてる鎖は解けそうにも無いわけだが?」
「フフフ、今の私ならば問題はない」
問題はあるがそれよりもこのどうしようもない状態を打開する方が先だ。
八つ当たりのようでみっともないが、この憤りを全て現況たるこの柱と鎖に向けることにする。
「ふっ!」
柱に絡まった鎖に向けて蹴りを一閃。
「くそ、この、死ね!」
一撃入れるたびに鉄筋の柱から建物全体に振動が広がり、錆びたトタンが屋根から振ってくる。
「ちょ、待て某女子高生。このままじゃ倒壊した建物に下敷きになる」
元クラスメイトに羽交い締めにされ、それでも構わず渾身の蹴りをたたき込む。
「はぁあああああっ! 」
最後の一撃。
建物は大きく揺らぎ、柱はひん曲がり、鎖は見事に砕けた。
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