第4話 現状         4/8




 大分記憶が戻ってきた。

 どうやらスタンガンでも喰らったらしい。なんだか体が動かない。


 メールが来たのは一昨日で、芳泉町にきた。それはいい。


 なぜ呼び出されたのか、判然としなかったが、話しがあると突然言われて、人気の少ない路地に引っ張っていかれ、その後記憶が飛んでいる。


 恐らくそこで誰かに襲われたんだろう。


 なるほど。


 この国の治安は最近乱れっぱなしだとは思っていたが、いきなり拉致されるほどだとは思わなかった。


 それも子供ならともかく、高校生を。


 鎖と手錠は簡単には取れそうにもない。


 ああ、やだ。これから一体どうなることか。


 生きて帰れることを祈りたいところだ。


 行方不明扱いされて、家のパソコンの中身を赤の他人に見られるような事があったら、死んでも死にきれない。


 頼むから殺すならアレを処分させてからにして欲しい。

 あと、タンスの二重底の下にあるエロ本とか。


 ああ、そう言えば不定期で付けてた日記とか。うわー、最悪。


「起きているか劣悪なる元クラスメイト」


 背中側から声が聞こえる。


 もう少し脅えた声とかが聞こえればかわいげもあるんだろうが、いたって平静だった。

 普通の女子高生だったら、もう少し違うリアクションが期待できるのに。


 こんな時まで、全くつまらない奴だ。


「起きてるよ、某女子高生」


 もっとも体は動きそうになかったから、起きていても寝ていてもなんの意味もなさそうだった。

 こんな時に口だけ動いても、気休めにもなりゃしない。


「どうもあまり面白くない事態に陥ってしまったようね。非常に遺憾だよ。これでは計画が台無しだ」


「何だよ計画って。ロクでもないこと考えてたのか? それで僕まで巻き込んだとか?」


 某女子高生の憤る気配。


「そういう言われ方は心外だね。少なくともこういった事態に陥る事は完全に想定外だし。そもそも計画とは何の関係性もない。単純に運の問題だよ」


「運が悪かったと。まあ、そりゃなんだって運のせいにすれば、運が悪いって事にしかならないんだけど。必然を偶然と語ることは出来ても、偶然を必然と断ずることはただの思いこみだからな。そういう意味じゃ偶然という言葉は素晴らしいね。偶然と言えばなんだって偶然だ」


「嫌みな奴だな。そんなに私のせいにしたいの?」


「責任転嫁は大好きなんでね。で、計画って何だよ。柄にもなく僕を呼び出すなんて。むしろこの事態があんたの責任でないと言った方が、僕にとってはオドロキだよ」


「君は私に対する認識を改めるべきだね。まあいい。簡潔に言うと、付き合って欲しかった」


「は? 何に? 芳泉町指定ってことは買い物か?」


「そう言う事じゃくて。お付き合いをして欲しい、と言うこと」


「ああ、今日もいい天気だなあ。太陽が眩しいよ。春だっての少し暑いくらいだし」


「現実逃避するな」


 そんなこと言ったって。世界が滅んでもこの女だけはそんなことを口にはしないと思っていた。あり得ないの二乗だよ、ほんと。


「一体なにがどうなればそういう風な話しになるんだよ。僕のこと嫌いなんじゃなかったのか?」


「来週お見合いすることになってね。告白するなら今しかないって。まあ、そう言うこと。理解していただけだかな?」


「ああ、そう言えばこないだなんか言ってたな。政略結婚ってやつ? 金持ちも大変だねえ」


「まあね。で、こんな状況だけど、一応返事を聞いておこうかしら?」


 返事? 全く何言ってるんだか。


「某女子高生。本気で言ってる?」


「冗談なんか言うと思う? この私が」


「はっきり言えよ」

「本気よ」


 さて、どうしたものか。


 何も自ら進んで障害の大きそうなものに手を出すのも考え物だ。

 程度を見極めないと人間すぐに破綻する。


 これが地雷でない可能性なんて何処にもない。


「答えてくれないの? とんだ卑怯者ね。それとも単に臆病者なのかしら?」


「下らない挑発だね。まあそうだな。別段あんたのことは好きでもないし、かといって嫌いってわけでもない。付き合うだけならそれも良いかも知れないな。どのみち短い付き合いになるんだろ?」


「そうね。君に駆け落ちでもしてくれる甲斐性があるなら別問題だけど」


「残念ながらそこまではちょっと。ようするに結婚する前に普通の恋愛ごっこもしてみたい、ってそんな所だろ。僕でよければお付き合いしますよ」


 僕は挑発的にそう言った。


 まあ、こんな所だろう。


 某女子高生が本気で誰かを好きになるとはとてもじゃないが思えない。

 自分以外はただの書き割り程度にしか見ていない節がある。


「そんな、言い方……」

 絶句したような気配が伝わってくる。


 意外と芸が細かい。


 涙の一つも流しているのかも知れないが、生憎と背中合わせで座っているので顔は見えない。


「……悪かったよ。言い過ぎだった」


 こちらも演技に付き合う。

 恋愛ごっこだというなら別にこれくらいいいだろう。


 暇つぶしくらいにはなる。


「それよりも、この状況の説明をしてくれないかしら?」

 突然素の口調でそう言ってくる。


「そんなモンこっちが聞きたい。お前の差し金じゃないのか?」


「生憎と。イレギュラーな展開だよ。もしかして私がこんな手の込んだことまでして告白するとでも思ったの? 思い上がりも甚だしいわね」


 嫌な女だ。

 別にこっちは何も言ってないだろうに。


 自己を悪戯に肥大化させた人間というのはどうしてこうも鼻持ちならないのだろう。

 体が動くなら鳩尾に正拳をたたき込むところだ。


「鎖外せない? さっきから首から下が動かないのよね。そっちはどう?」

「後ろに同じ。スタンガンか何か使われたのかと思ってたけど、もしかしたら変な薬でも打たれたのかな。軽くピンチだね」


「そうね。で、誰がこんな事を?」


「だからこっちが聞きたいって。某女子高生こそ心当たりは? 僕は生まれてこの方、人様に恨まれるような真似は一度たりともしたことがないというのが、ささやかな自慢なんだよ」


「それは無理だろう。人は知らず知らずのうちに恨みを買っていくものだ。君に心当たりがないだけで、君を恨んでいる人間はごまんといるだろう」


「そりゃ、いるだろうけど。問題は実行に移す奴の心当たりが無いって点だよ。誰だか分かんないじゃないか。そっちはどうなんだよ。恨まれるのが仕事みたいな生き方してんじゃん」


「心外だね。私ほど世の中に貢献している人間は少ないよ。万人に賛美されてしかるべきだ。まあ、なかんずく天才とは疎まれるものだからね。殺したいほど私のことを憎んでいる人間がいても不思議とは思わんよ」


「ようするに心当たりなど微塵もないというか、ありすぎてどれがどれやらと言ったところか」

 呆れてため息をついた僕の背後で、某女子高生は意外なことを言った。


「いや、星の目星は付いている」

「いや、ついてるんかい!」


 全身でツッコミを入れたかったが、生憎と体は動かず、鎖が巻き付いている柱に頭がごつんと当たった。


「いて、ってー。ったく、先に言えよ。それで一体何処のバカだそいつは」

「うーん。これはどういうべきなのか私にも分からないのだが」


 某女子高生は珍しく歯切れが悪い。

 

 じゃり


 誰かが地面を踏む音。背後から聞こえた

「さっきから私の目の前にいるんだよ。七三眼鏡が」


 じゃり、じゃり、じゃり


 砂をはむような音が連続して聞こえる。


 首は向けられなかったが、影が後ろから覆い被さるのが分かる。


 確かに誰かがいて、後ろに、つまりは某女子高生の前に立っている。


「イライラするなぁ、きーみーたーちーはー。ははっ、驚き桃の木だよ。まさか君達がそう言う間柄だったなんて、気付かなかったね」


 聞き覚えのある声。


 七三眼鏡。


 某女子高生がそう呼ぶのは、多分元クラスメイトの秀才くんのことだろう。


 悪いが名前は覚えていない。

 出席番号が一番だから、阿部とか相沢とか、そんなア行の人間だろう。


 まあ、いるんだかいないんだか分からないような奴は、七三眼鏡で充分だ。


「七三眼鏡、これは一体どういう事だ?」


「酷いじゃないかぁーっ! 君は、僕というヒトがありながら、そんなわけのわからん男を好きになるなんてぇっ! ずっと、ずっとずっと上手くやってきたじゃないかぁぁあっ!」


「汚っ! 唾飛ばすな、七三眼鏡!」


 ワケノワカラン呼ばわりされた僕は、まあ、大体の事情が飲み込めて、どうしたものかと考えていた。


「ごめんよぅ。そ、そんなつもりじゃなかったんだ。君を、傷つけたくなんか、なか、なかたんだよ」


「いいからこの鎖解きなさい。後ろのはどうでもいいから、私にこんな事して、本気で敵に回したいのか?」


 おおー。強気な発言だ。


 つーか、僕は?

 見捨てるんですか?

 さっき告白した相手を?


 そんな軽いモンなのかよ。まあ、どっちにしてもアレは演技か。


「だめだ」

 七三眼鏡はかすれるような声で呟いた。


「君は、汚れてしまった。だから、せめて僕が君を元のように、僕に振り向いてくれるように、一生懸命お仕置きしなくちゃ」


 ……こんな奴を学校で野放しにしていたのかと思うと寒気がする。


 早々に事故に見せかけて殺しておくべきだった。


 体育の時間に無理な重量挙げをして押しつぶされたように見せかけたり、ベランダから間違って下に転落したように見せかけたり、いっそのこと某過激派組織の仕業にして、教室ごと爆破したり。


 まあ、貴い犠牲はジハードにはつきものだと言うし。


「おい、七三眼鏡。それは何だ?」


 某女子高生の引きつった声が聞こえる。


 何かの振動音というかモーター音。

 本来用途で使われることが少ないというマッサージ器だろうか。


 携帯電話という線は期待薄だ。


 特等席にいるというのに、なぜか逆向きなのが残念だ。


 世間一般ではこれをして生殺しというのか。

 ご相伴にあずかれず誠に残念。


「や、やめろ! 大声で叫ぶぞ! 今なら見逃してやるから、さっさと解け」


「だ、だだだだめ。だめだめ。ていうか、無駄だよ。君達、此処がどこだか分かんないだろうけど、辺りに人気無いし。車で此処まで運んだから。す、好きなだけ、泣き喚いて、いいんだよ」


「だーっ! 何撮ってんだ! 撮影料取るぞ」


 デジカメのフラッシュが何度か。

 察するに動画用のカメラも回っていることだろう。


 あとでダビングして貰おう。生きて見逃してくれればだが。


「あ、や、やめ、て」


 声が急に小さくなった。

 ヤバイ、マジでヤバイ。


 ある意味これは拷問だ。


 某女子高生のハメ撮りなんて見逃してたまるか。


「お、い。元クラスメイト。た、たすけ……て。んっ!」

「やれやれだ」


 誰にも聞こえないように小さく呟いて、少しは行動に移ることにする。


 もっとも僕は正義のヒーローでは無いので、体を動かなくされている薬品を気合いだけで体外に放出するスキルは習得していないし、動けるようなったからと言って、鎖を引きちぎるほどの膂力もない。


 人畜に適度に有害な一般的な高校生です。


 まあ、それでも秘奥義の一つや二つくらい習得している。


 普段は大して役にも立たないが。


「げふっ、がはぁっ! ぐっ、ごえぇえぇっ! ぐぐぇっ!」


 頭を激しく揺さぶりながら、口から卵でも産む気かと言わんばかりに苦鳴を漏らす。


 何事かと七三眼鏡が電マ片手にこちら側に回り込み、僕の顔を見て小さく悲鳴を上げる。


 この場に鏡がないが、自分がどんな顔をしているかくらい分かる。


 白目をむいて口から胃酸を吐き出して、真っ青な顔をしているだろう。


 特技その一、エクソシスト急募。


「おああぁああぁあぁぁあぁっ! お前が、お前が、お前があぁぁっ! 殺すぅっぞぉおぉっ! はらわたぁブチ撒いてぇっ、てえぇっ、塩漬けにしてやらぁぅぁあああぅっ!」


「ひいいっ!」


 意味不明の言語を喋る僕に、七三眼鏡は素直に脅えている。


 初対面の人間が僕を見たら、無視するか保健所を呼ぶか、親切に病院を教えてくれるかのいずれかだろう。


 こういうキャラは小学生の時に捨てたのだが、三つ子の魂何とやらで、別に三歳のころやっていたわけではないけど、身に染みてしまっている。


「許してくださいっ! もう悪いことしませぇんっ!」


 七三眼鏡は電マを放り出すと、逃げていってしまった。


 て、ちょっと待て。


 ほどいてからいけ。薬切れそうにないし。


「大丈夫か?」


 若干引き気味に某女子高生は声をかけてきた。

 助けてやったと言うのに、その言いぐさは。


 まあ、無理もないか。


「演技過剰だったか? 自分で吐いた胃酸が臭い。口の中酸っぱいし。つーか、お礼はどうした。大丈夫だったか、処女膜とか?」


「おかげさまで。乳もまれたくらいで済んだよ。ありがとう」


「何でさっさと助けなかったとでも言いたそうだな」


「そこまで愚民共に期待しても仕方あるまい。まあ、少々落胆したのは事実だが」


「贅沢者め。どのみちこのままじゃ身動きがとれないな。薬の効果も暫くすれば切れるだろうから、それまでのんびりするか。今度あいつが来たら、その時はもうどうにもならんだろうけどな」


「それくらい分かっている。まあ、その公算は低いだろうがな」


「ほう。その心は?」

 某女子高生は鼻で笑う。


「ああ言う犯罪者は根は臆病なものだ。今頃自分のやったことに青くなっているだろうさ」


「ああ、それはそうかもしれんが、それだけにトドメを刺しにくる可能性も捨てがたいと思うんだが」

 不安はぬぐえないが、当面は安堵の方が上か。


「その時は諦めろ」


 自分が諦めると言わない辺りがさすが某女子高生と言ったところか。

 腐ったトタンに開いた穴から、妙に青い空を見上げてそんなことを思った。



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