第3話 経緯③(女の事情②) 3/8




 時間を少し進めよう。


 一昨日の午後四時頃。


 日も大分傾いて、そろそろ道が混み始める時間帯だ。

 夕方のこの時間、人々は塾に家路に或いは遊びに、何かに折り合いを付けて移動を始める。


 世の中全体がそういう風に回っているから。

 そのことに何の疑問も抱かずに、右に倣えで従っている。


 全く度し難い愚民ぶりだ。


 私は違う。誰にも何にも干渉されない。


 だから今図書館から家路についているのは、別段他の人間と同一と言うことではない。

 そこの所を念のため主張しておこう。


 さて、図書館で何をしていたかと言えば、単純に本を読んでいただけ。

 今日は自宅に鼻持ちならない姉が帰省してきているために、家に帰るのが何とも億劫だった。


 明らかに私より劣勢な生物である姉は、何かにつけて私をうらやんだ言動を取る。


 困ったものだ。能力で劣るのだからせめて品性くらいは保って欲しいものだが。


 やはり持たざるものは性根の段階から腐っているようだ。


 悲しいかなこれが現実という奴である。


「某女子高生。何やってんだこんな場所で」


 今日は何かと縁のある日だ。こんな会いたくも無い奴と、偶然にして二度も出くわすとは。


 占いなどと言う大衆的な気休めを私は一切信じていないが、それに則すなら今日の運気は最悪と言ったところか。


 担任に言われた成績のことが一瞬頭をよぎったが、努めて平静に、且つ優雅に嘲笑を浮かべる。


「図書館で調べものをね。君の方こそこんな時間帯にこんな場所に何の用だい? この辺には何もないよ。少なくとも君の興味を惹きそうなものなど何一つね」


「まあ、興味は惹かれないな、確かに。まあ、だが生きていく以上必要最低限住む場所くらいは必要だろ? 僕の家はこの先にあるんでね」


「ほう。成る程ね。私はてっきり段ボールの家にでも住んでいるんだとばかり思っていたが。君にも家があったのだね」


「まあ、家って言うかアパートだけどな」


「どちらも似たようなものではないか。まあ、家路につくものの足を無暗やたらに止めるものでもないし、私の方は君に対して一切の関心がないので、失礼させて貰うよ。それではご機嫌よう」


 私はそう言って立ち去ろうとした。すれ違って数歩歩いたところで、背後から元クラスメイトの声がかかった。


「某女子高生。お前、結婚すんの?」


 振り返った私はどんな顔をしていたんだろう。元クラスメイトが脅えて一歩下がる。


「誰に聞いた」

 声は自分でも驚くほどに冷たい。


「え、担任に。違うのか?」

「おしゃべり教師め。医者ではなくとも秘匿義務くらいあるだろうに」


 これだから教師も学校も信用ならない。あんな奴等を雇って、教育の場などとよく言ったものだ。


「で、本当なのか?」


「ふん。可能性の問題だ。統計的に言えば後数年内に結婚することだって不思議では無いだろう。特に君ら凡俗と違って私は何かとしがらみの多い身なのでね」


「ふーん。大変だな」


「同情される謂われはない。しかし、この事についてあまり吹聴して貰いたくないな。余計な噂に神経をすり減らすのは私の望むところではないのでね」


「まあ、いけどさ。じゃあな」


 ふん、あの劣悪な人間に何処まで話が通じるか疑問が残るところだが、そもそもあんな担任に話しをしてしまった私の失態だ。


 殊更他人ばかりを責めるものでもないな。


 まったく、私としたことがとんだミスを犯してしまったものだ。




 家に着くと早々にリビングに呼び出された。


 父親と母親が揃っていて、余計なことに姉の姿まである。

 心持ち硬い表情だ。


 さて、何か言いたいことでもありそうだが、果たしていったい何があったのか。

 大抵こういう場合は厄介ごとの相談だ。


 前にこんな感じの話しがあった時は、確か今の高校に入れと進められた時だ。


 私の成績ならあとランクが二、三上の有名私立にも入れたのだが、今の学校の理事長が祖父の知り合いで、その理事長が一流大学への進学者を出したいからと言う事で、私が入らされる羽目になった。


 志望校とは違う学校を受験してくれと、申し訳なさそうに話しを持ちかけてきた時が、丁度こんな感じだったと記憶している。


 さて、今度はどんな話しだろう。


「すまないが、今度お見合いをしてくれないか?」


 開口一番ちゃぶ台をひっくり返したくなるような事を口走った。

 父親の目を見返すと、さっと視線を逸らす。


「どういった経緯で、そんな話しが? 姉さんが、っていうなら話しは分からなくもないけど、なぜ私が?」


「私じゃ駄目なのよ」


 姉は脅えたようにそういう。いや、実際脅えていた。

 五つも年上のくせに私に頭が上がらない。情けない姉だ。


「おばあちゃんが勝手に縁談取って来ちゃってね。おばあちゃんが若い頃なら、十七、八は立派な適齢期だから。まあ、形だけでもいいんだが、何分先方には話しを通しているらしくて」


「それで、貴方の写真を送っちゃってたものだから、お姉ちゃんじゃまずいでしょう? 別に本気で結婚してくれとは言わないから、取り敢えず経験だと思って」


 テーブルの上にある資料を引ったくるようにして手元に引き寄せると、相手の男性の情報を見る。


 平凡な顔。特に毒はなさそうだ。


 年齢二十三。旧財閥の御曹司。


 資産はうちと二桁違う。

 現在系列の子会社の運営を任されているが、ゆくゆくはグループ全体の柱として、日本経済を支える人物になる。


 何事も無ければだが。

 物件としては破格だ。


 うちもそれなりにブルジョワな家庭だが、これだけの縁組みは今後二度と無いだろう。


 結婚を必要な仕事だと割り切れば悪い話しではないような気がする。

 しかし、恋愛の一つもしないうちに結婚というのも味気ない。


 両親もその辺りのことを気にしているのだろう。

 まあ、こんな大物との縁組みじゃ。こちらから断ることは実質不可能だろうし。


 まったくおばあさまも余計なことをしてくれるものだ。


「分かったわ。それで、お見合いはいつ?」

「来週の日曜」

 それはまた。随分と急な話だ。来週か。


「ごめんね、突然で」

 母親はそう言って謝ったが、あまりに悪びれないその態度に、少々腹がたった。




 まあ、そんな感じで、突然にもお見合いすることになってしまった私。

 品行方正、才色兼備。


 人間一個体としておよそ詰め込めるだけのものを詰め込んだ完全生物としての私が、たかが金持ちなだけのぼんぼんに振られる要素は、無視していいくらいに小さかった。


 まあ、人の趣味は様々なので、相手があくまで一般的で、変な趣味をもった変態でなければの話しだが。


 客観的に見た場合の期待値から求めるに、来週にはすんなり式の予定まで済んでしまいそうだったので、恋愛のまねごとをするなら後一週間と言うことになる。


 いくら私が究極の頭脳を持っているとはいっても、知識で経験を埋めることは出来ない。


 後学のためにもそういった真似事を多少なりとも経験しておくべきだと考えるのは、実に私らしい思考法だった。


 そう言うわけで、誰かと擬似的に恋愛関係を体験するために、私は何名かの男をリストアップした。


 有象無象いろいろだが、私の生活圏内で関わりのある男というのが殆どいないことに今更ながらに気付いた。


 まず、父親。

 これは考えるまでもなく却下。


 他には高校でのクラスメイト。


 その上で、私は自分から積極的に低脳どもに関わるほど、暇人ではないので、知り合いと呼べる男は三人だけ。


 一人目は、あの劣悪なる元クラスメイト。


 人格、知能、精神性、どれをとっても最悪の一歩手前といったところ。


 二人目は、出席番号が一番という理由でクラス委員をやっている、秀才くん。


 私は何の苦労もなく全国一位をキープ出来ているのに、彼は勝手に私のことをライバル視して、校内模試では何時も次席だ。


 だからまあ、別に知り合いとはいっても、それほど仲のいいものでもない。

 一方的に突っかかってくるだけの存在だ。


 三人目は席が隣の、野球部。

 ポジションがピッチャーで、打順は四番という分かり易いエース。


 運動神経は校内一と言ってもよいが、いかんせん頭が悪い。


 エースだけあって女の子にも結構もてるらしいのだが、それで頭に乗って勘違いしていて、女は誰でも自分に好意を持っていると信じ込んでいる。


 だから私がうざったくて無視しているのを、好意の裏返しと判断しているようだ。


 いつか痛い目に遭わせてよろうかとも考えているが、どのみち放って置いても勝手に自滅するだろうから、今の所関与していない。


 さて、困ったな。


 ロクな男がいないじゃないか。


 そもそも私はこれまで恋愛感情など持ったことがないのだ。

 自分一人で完結している人間が、他者に何か特別な感情を抱くと言うこと自体、本来あり得ないことだ。


 男と見れば猫なで声を出す奴も存在しているが、私には直接関係のないところで存在し続けて欲しいものだ。


 男がどれだろうが、どのみち疑似体験で、本気で付き合うわけでもないので、適当に選ぶとするか。


 ん、まて。秀才くんじゃ恋愛の何たるかを知らなそうだ。

 というか間違いなく童貞だろう。そんな奴とデート何かしても、振りだけですら成り立たない。


 じゃあ、秀才くんは却下。


 残り二人。消去法でいくか。


 野球部のエースは正直頭に乗りやすく、その上思いこみも激しいので、後に思いきり引きずりそうだ。


 となると自動的にあいつか。


 ……気が進まないな。

 まあ、いいか。あいつは劣悪ではあるが、それはあくまで知識レベルのことで、愚民共の中では比較的平均的に話しの分かる存在でもある。


 私の状況を理解した上で、それなりの対応を期待できるのは、やはり彼だけだろうか。


 あまり大きな期待はしていないが。取り敢えず、メールを送信。


 返事はどうせすぐには返ってこないだろう。


 私は携帯電話を投げ出すと、ベッドに寝そべった。

 さて、どんなことになるか。


 柄にも無く少しわくわくしている自分がいた。



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