第2話 経緯②(女の事情①) 2/8




 私がここにいる理由を説明しようと思うと、多分生まれる前から語らなくてはならない。


 まあ、盛大に端折って一昨日のことから始めようか。

 そろそろ新学期が始めるというので私は担任でもある女教師に挨拶がてら、学校へと向かうことにした。


 私は人混みが苦手だがそれも時と場合による。

 同じ年代の人間が多く集う学校のような所は、むしろ家にいることよりも好ましい。


 とは言え春休み中の学校は人気もなく、ひっそりと静まりかえる校内を落ち着かない気持ちで歩いていた。


 二年次に使用した教室は、既に新しいクラス用に机が若干入れ替えられ、しかしながら私の机は、荘厳なまでのオーラを放ちそこにあった。

 やはり私のように選ばれた人間はその所有物にさえ、威厳を与えてしまうようだ。


 誰もいない教室に座ってしばし、昔日の思い出に酔いしれた後、教室を出ようと思い席を立った。

 そこにあの忌々しくも鼻持ちならない元クラスメイトがやってきた。


 恥ずかしながら私も下々の中でも更に下層に位置するであろう人間とも多少縁がある。

 高校を卒業すれば間違いなく切れる関係ではあるが、我が人生における殆ど唯一の汚点だ。


 そいつは相変わらず幸薄そうな顔でこちらを見ると、「こんなところで何をやってるんだ、このボケが」とのたまった。


 口の利き方を知らない奴ではあるが、私としても程度の低い人間に、過剰な期待は寄せていないので、そのことについては不問に処している。


 私は「そのセリフはこちらのものだ。君のような劣悪極まる人間が、未だ新学期も始まらないというのに、何の用があって学校に来るという、暴挙を犯しているのだね。ちなみに私は担任に挨拶をしに来ただけだよ。まさか君もそうだとか宇宙の中心が私ではないというくらいに、甚だしく間違った理由で登校してきたのかな」と言って鼻で笑う。


 元クラスメイトは肩を竦めると、「僕の場合は担任に用があるということに関しては共通だが、遅刻が多いから早々に呼び出されて釘を刺されただけだ」と答える。


 なるほどなるほど、君のことだからそんなところだろう、などと妙に得心した私は、事の重大性に直ぐに気がついた。


「しかし君が如何に呼び出されからといって、休みの日に学校に来るなんて珍しいこともあったものだね。新学期になって心を入れ替えでもしたのかな」


 そう、このあとだ。この後のセリフこそ今最も問題になっている発言だ。


「そうかもな。まあ、偶然こっちに用があったから寄っただけ。つーかお前が電車降りるの見えたからさ。バカなりに補修でもやってるのかと思ってよ」


 聞いたかね?

 よりによってこの人類史上最高の頭脳を持つ私に向かってバカなりに、ときた。


 これはもう死刑台行きになったところで、誰も不思議に思わないレベルではないか。


 確かに能ある鷹は爪を隠すの格言通り、高校のテストなどというおよそ人生にとって何の肥やしにもならない、そんなものに本気を出して取り組んだことはないが、かといってこの元クラスメイトの推定三倍はいい成績だ。


 驚く無かれ彼の成績表は見たこともないようなカラフルさで、主に赤色が多い。

 全教科補修を受けなくては進級もままならない人間が、何を血迷えばこの私にそんなセリフを吐けるというのだ。


 だがそこまで頭の血の巡りが悪い人間に対して、何を言っても徒労以外の何ものでもない。

 溜飲は下がらないが不問に処しておいてやろうか。


 全く私という人間はキリストやブッタを凌ぐ慈愛の心に満ちているようだ。今更ながらに再確認してしまう。


「ところで劣悪極まる元クラスメイトよ。肝心の担任への挨拶はもう済ませたのかね。そうでないなら私が先にその用件を済ませたいところなのだが。何せ君があの担任と話しを始めたら、銀河がまた一から構成出来かねない文字通り天文学的時間が費やされるだろうからね。私の方はほんの五分ほどで済むだろうから、先に行かせてらおうと思うのだが」


「ああ、勝手にすれば。かったるいからやっぱ帰るわ。はは、んじゃまた」


 何しに来たんだあの輩は。


 相変わらずに意味不明なヤツだ。

 私は気を取り直すと職員室の方に向かう。


 春休み中とはいえ教師達は大体出勤しているはずだ。

 休みだと言ってもやることなど腐るほどあるはずだから。


 とはいえ全員が雁首そろえているわけではないようだった。担任である女教師は直ぐに見つかった。


 新学期になって職員室の内装というか、教員達の机の移動が行われたようで、三月に見た時とは若干位置が変わっていた。


 まあ、そんなことはどうでもいい。

 何時も趣味の悪い赤いスーツを纏った、女教師は見れば一発で分かる。


 明らかに就職先を間違ったと断言できるほど、完全に調和の取れたプロポーション。


 校内での人気はかなり高く、特に男子に受けている。

 肝心の授業の方はかなりアバウトだ。教師も顔でやるようになったか。世も末だ。


「おっ、現れたな某女子高生。何か用か」


「いえいえ、また貴方が担任のようですからご挨拶に伺っただけです。これから一年どうぞよしなに」


「相変わらず折り目正しく堅苦しいな。こちらからもよろしく。ま、こんな所で話しも何だし、進路指導室に行くか」


 赤色の担任に連れられて、職員室向かいの進路指導室へ向かう。お茶を出されてソファーに座る。


「ところであいつ見なかったか。遅刻大魔王。呼び出しておいたんだが」


「その辺まで来ていたのは見ましたが、今頃ナンパでもしてるんじゃありませんか」


「相変わらずだな」

「相変わらずですね」


「ところで某女子高生的にはあいつとはどうなの? 付きあってんの?」


「あり得ません。目玉焼きにケチャップをかけるくらい邪悪な想像です。憶測でもそんなことを口にしないで下さい。不愉快ですから」


「それは悪かったな。まあ、端から見ている分にはそれなりに仲が良さそうに見えたんでな」


「コンタクト変えた方がよろしいかも知れませんわね」


 私の親切から出たセリフに赤い担任は少し顔をしかめたが、特にそのことに関しては何も言わず、話題を変える。


「ところでお前はどうするんだ? 来年三年だが」


「進路の相談に来たわけでは無いのですけど。まあ、いずれお話しすることですから、今のうちに話しておくのも手間が省けてよろしいかも知れませんわね。私は当然進学希望ですけど、家の方で縁談が持ち上がっていまして、事と次第によっては永久就職と言うこともありそうです。志望としては某一流大学に」


 担任は自分から話しを振って置いて興味なさそうにあくびをしている。


「まあ、お前なら何処だって受かるだろうよ。とかいって生徒を油断させるわけにもいかないのが担任の辛いところだな。まあ、今まで通りやれば問題ないだろうけどさ」


「そうでしょうね。自分で言うのも何ですが、地球上に私以上の知能を持つ生命体などただの一つとして存在しませんから」


「確かにそーだよなー」


 本当にやるせないくらいにやる気のない人だ。まあ、私にしてみれば担任がどんな人間であったところで些末な問題でしかないのだけど。


「けど、去年の後期にやった全国統一模試の結果な、お前より上の奴いたぞ」

「え?」


 その言葉は俄かに信じがたいものだった。

 小学校から数えて十一年間、ただの一度も誰かの後塵を拝したことはない。


 完全で完璧なこの私に盾突く愚か者が世界に存在したとでも言うのだろうか。


「それは、聞き捨てなりませんわね。何処のどなたですか?」


「遅刻大魔王だよ。まあ、担任としてはうちの学校の生徒が全国一位二位を独占してくれて嬉しい限りだけど」


 おお、何と恐るべき事か。


 これは果たして現実だろうか。


 あの、劣悪を極めたような元クラスメイトが、あの全教科の合計が私の三教科分程度しかない脳無しが、事もあろうに私の事を凌駕しただと?


「何かの間違いじゃないんですか?」


 私は即座にそう言った。信じがたい、というか物理的にそんなことは不可能だ。


「間違いかもなー。けどまあ、結果は結果だし。マークシートだったから、偶然に偶然が重なればあり得なくもないんじゃない。まあ、一種の奇跡ってやつ?」


「そうですよね。それ以外にあり得るわけが」


 しかし、奇跡だとしても、それは許容しかねる現実だ。


 日本全国の愚民共に私があの劣悪なる元クラスメイトに劣ると言うことが、否応なく認識される様は寒気のするものだった。


 くそ、人生最大の汚点だ。

 

「まあ、幸運はあったろうけど、そんなに不思議がらなくてもいいぞ。あいつ本当はそんなにバカじゃないから。やれば出来る奴なんだよ。実力テストだけは割と成績いいし」


 見当違いな意見だった。


 ふん、まあいい。

 小さな染みのごとき汚点など、すぐさま忘却させてやろうではないか。


 それ以上の戦慄を持ってして。


 取り敢えず挨拶ももういいし、その計画を立てなくてはなるまい。

 これ以上この職務怠慢お色気教師に付き合っている場合ではない。


「それではそろそろお暇させて頂きます。貴方も色々とお仕事があるでしょうから」


「そうか。まあ、車に気を付けて帰れよ」


「失礼します」


 進路指導室から出た私は、色々と計画を思案しながら、玄関へと向かった。


 廊下の窓からふと外を見ると、あの元クラスメイトが校門前で生徒指導の体育教師に捕まって、説教されていた。


 いい気味だ。


 そのままついでに担任にも絞って貰うといい。


 あのやる気のない担任も、色々と問題のあるあの元クラスメイトに関しては、世話を焼かざるを得ない。


 普段やる気がないだけに、マジ切れするときはさぞかし面白い見せ物だろう。


 じっくりと鑑賞するがいいさ。


 侮蔑の言葉を頭の中で反芻しつつ、私は学校を後にした。



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