第7話 死んだ芸術
マリアに「ハクボ」を二束三文で譲り渡してから、早一か月。
画廊にはひっきりなしにノスト・バージェスの絵画はないかという電話が来ていた。それは、マリアが生み出したノスト・バージェスの作品の価値だった。
マリアという人間はこの国の上流階級で相当顔が広い人物だったらしい。あるいは、よほどあの絵に感動して、友人知人に絵を見せびらかしたか、だ。店を訪れる者たちは、ある者はとんでもなく高額な値段を提示してノスト・バージェスの絵を求め、またある者はノスト・バージェスのスポンサーになりたいと言ってくる始末だった。
最初は、うれしかった。ノスト・バージェスという画家の作品が認められ、世に出ていく。それはあるいは、俺が望んだ画家の死によって価値がつり上がるという形ではなく、一人のファンによるものだったかもしれないが、確かに俺の絵は売れた。
だが、絵が一枚、また一枚と売れていくたびに、俺の心は冷えていった。まるで、他人の人生を眺めているような、そんな現実との隔たりを感じた。
そして、気づいた。俺はもう、ノスト・バージェスではないということに。顔と名前を変え、心すら大きく変容した俺は、けれど心のどこかで「ノスト・バージェス」もまた自分だと思っていた。
けれど、違ったのだ。俺はもう、ノスト・バージェスではない。俺はもう、そんな画家の命を宿していなかった。
あるいは、俺の中に残っていた「ノスト・バージェス」としての心は、作品が一つ、また一つと売れるたびに零れ落ちていった。
そうして、俺は少しずつレーダという存在になっていった。画商。それが俺の人生。俺が生きる今の生だ。
ノスト・バージェスの絵は、高騰を続けていた。
必然的に俺の手の中には、巨額の金が転がり込んだ。
気が狂いそうだった。あれだけ書き続けた駄作たちが、驚くような値段で売れていく現実が、気持ち悪かった。あれらは、駄作だったはずだ。鑑賞者の心に何一つうったえかけることのない、陰鬱とした、あるいはヘドロのような狂気の宿った絵画たち。
あれらの絵には、本当に価値などあったのだろうか?あるいは、後から価値がつけ加えられてしまったのだろうか?
わからない。画商として生きて来たこの数年間の経験では、高騰する「価値」の正体が、わからなかった。
わかるのは、ノスト・バージェスの死が、確かに意味があったということ。
亡き画家は、もう絵を描かない。
作品は、増えない。
そして、作品を語る製作者がいないゆえか、自称識者たちは自分たちの思うままに作品を批評し始めた。
これは人間社会という生きにくい場所で必死にもがく巨木の在り方を私たち人間に問いかける作品だと言う者がいた。灰色のジャングルの中で途方に暮れた少女はもう帰れない故郷を思っているのだと、そう絵を説明する者がいた。そうして彼らは、好き勝手に作品に名前を付け、絵の意味を捏造し、あるいはノスト・バージェスという人間の生い立ちまで好き勝手に語った。
――違う、それは人間社会の中で気丈に枝を伸ばす自然の生命力を描いた作品だ。雪の日に空を見上げるその少女は、これまで見たことがない雪に感動し、世界の広がりに心震わせているんだ。
けれどそんな言葉を、俺が口にすることはない。なぜなら、画商レーダは、それらの絵の作者ではないから。それらの絵の真の姿を語る者はもう死んでいるのだから。
そして何より、俺は彼らの言葉が間違っているとは、否定できなかった。「ノスト・バージェス」は、絵の才能がなかった。そのはずだ。俺の目にも、それらの作品には輝きなんてありはしない。訴えかけてくる強い言葉も、特異な空気も、それらは持っていない。ただ、俺の心に、在りし日の苦痛を突き付けるだけだった。
彼らの言葉が、正しいのかもしれない。俺の目に映っていた世界と、彼らの目に映る世界は違う。一枚の絵に対する感じ方など千差万別。彼らがそう感じて、そこに価値を見出したというのなら、それらの絵には芸術的価値があったということではないだろうか。
芸術的な価値とは、何なのだろう?
昔の俺は、時代を越えても人々の心を震わせるようなメッセージ性を有していることこそ、芸術としての価値だと思っていた。一枚の絵が、価値観も文化も人生経験も違う人の心を、同じように震わせる。それは、間違いなく芸術の証だ。そんな古匠たちの作品が、世界にはゴロゴロしている。
では、ノスト・バージェスの絵はどうだ。その絵には、語り掛けるメッセージ性などあるか?何か、心震わせるようなものはあるか?それとも、外面的な、現代を生きる人にのみ見える見栄えの良さがあるのか?
違う。そこには、芸術的価値なんてない。あるのは、商品価値。
誰もが、「ノスト・バージェス」という名前を見て、絵の購入を決めていた。ノスト・バージェスというバイアスを掛けて、彼らは絵を見ていた。あるいは、「ノスト・バージェス」を評価する批評家の誰かの言葉を、その人物の存在を考慮して、絵を見ていた。
ノスト・バージェスの作品は、もはや芸術ではなかった。
そこには、価値に目がくらんだ有力者たちに見定められる「商品」があった。
こうして、ノスト・バージェスの――あるいは俺の芸術は、死んだ。
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