2024年5月

・2024.5.1(水)

現役時代には定年退職を待ち望んでいました。

仕事のどこが嫌なのかと言えば「不自由」ということに尽きます。

やりたくないことでもやりたくない時でも仕事ならやらなければなりません。

「いつまでに」「どれだけ」といったノルマも課されます。

ではそういったくびきから逃れた現在、幸福かと問われればそうでもないのです。

この件に関連して最近、仕事というものの本質に思い至りました。

「比較」と「評価」です。

たいていの仕事にはこの二つがつきものではないでしょうか。

仕事に限らず人が生き抜いていくための必須の条件のようにさえ思えます。

定年退職でリタイアしても長年の勤務で比較と評価は性癖のように沁みついてしまっているようです。

何をするにも誰といても無意識裡に発動します。

老荘思想の「無為自然」はそこから脱却できた境地なのではないか。

幸福の別名は静謐せいひつなのではないか。

そんなことをうつらうつらと考えている今日この頃です。


・2024.5.3(水)

ゴールデンウイーク後半の4連休がスタートしました。

ゴールデンウイークは私が子供のころは「黄金週間」と呼んでいました。

そのころの生活を思い起こせば部屋を出るときには「電気を消したか」とそのつど親に言われたものです。

顔を洗うのも水道の出しっぱなしは厳禁で洗面器に必要な分だけ水を入れて洗っていました。

日本全体がまだ貧しかったころですから「使い込む」「磨き込む」等々の言葉があるように物も大事にしました。

「~込む」が象徴する昔の文化は内側に凝集していくイメージとしてとらえられます。

それに対し現代の大量生産、大量消費は外に拡散していくイメージでしょうか。

どちらがいいかは一概には言えませんが「使い捨て」という言葉の響きは好きではありません。


・2024.5.5(日)

私は母親が人前で歌を歌っているところを見たことがありません。

人前どころか家の中で小さく口ずさんでいたのを3、4回覚えているくらいです。

うちに限らずどこの母親も似たようなものではなかったかと思います。

女性は慎ましくという気風が強かった時代のせいでしょうか。

時をさかのぼるほど女性は言葉づかいや所作に奥ゆかしさが求められました。

笑い声も昔は「オホホ」程度でしたから手を縦にして当てるだけで口元が隠れました。

昨今の女性の笑い方は手を横にしなければ広がった口を隠せません。

さらに豪快に笑う女性はもはや大口を隠す意識もなく歯並びや歯茎まで丸見えです。

と言って私はことさらに女性に奥ゆかしさを求めようとは思っていません。

それでも女性芸能人が夫の前でおならをしたことはないと語ったりしているのを聞くと感心します。

佐賀鍋島藩の有名な秘書『葉隠はがくれ』にも、あくびやくしゃみなどは人前ではするまいと意識していれば一生せずに済むものだと書いてあります。


・2024.5.8(水)

山岳は植物が育つには厳しい環境です。

土壌が肥沃でなく風当たりも強いため丈が低く葉や花は小さい。

これらが高山植物によく見られる特徴です。

ウオーキングしていると道端にいろんな雑草が花を咲かせています。

雑草の生育環境も高山植物同様に厳しいのか、花は小ぶりのものが多いようです。

数日前、白く小さな花をつけた道端の雑草を2株ほどスコップで掘り取って庭に植えました。

うまく根付いてくれればいいのですが。

ネットで山野草の図鑑を見ても名前が分かりませんがそれもまた一興。


・2024.5.10(金)

今日、ほぼ4か月ぶりに髪を切りに行きました。

私は服や髪には全くこだわりがないのです。

頭はスポーツ刈りにして見苦しくなるほどに伸びたらまたスポーツ刈りにという繰り返し。

それだけでも経済的な上に店もシャンプー等なしでカットのみの安い理髪店。

店員に告げる注文も毎回決まっています。

「スポーツ刈りにしてください。3ミリで上も短めでいいです。ノービンで」

「ノービン」というのはもみあげを残さない「NOびん」の意味ですがどうも九州近辺の方言のようです。

では何と言うのかと調べたら「テクノカット」みたいですが、これを口にするのは方言以上に恥ずかしい。


・2024.5.15(水)

「でまかせを言うな」はこれまで漠然と「でたらめなことを言うな」という意味でとらえていました。

このあいだ何かのテレビ番組で「口から出任せ」というテロップが出たときになるほどと覚りました。

「口から出任せ」の文字どおり、よく考えることなく口から出るのに任せるということなのでした。

結果として「いいかげんなこと」という意味にもなりますから冒頭の私の解釈も外れてはいません。

繰り返しになりますが「出るに任せる、出るままにしておく」ということなので「出任せ」は次のようにも使えるわけです。

「私は涙を出任せにしていた。頭が澄んだ水になってしまっていて、それがぼろぼろ零れ、その後には何も残らないような甘い快さだった。」

ご存じ川端康成の名作『伊豆の踊子』のラストシーンです。

改めて読んでみたくなりましたが川端康成は1972年没なので著作権(死後70年間)が消滅しておらず無料の『青空文庫』には収録されていません。

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ぽつりぽつりと 仲瀬 充 @imutake73

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