2021年7月~2022年1月

●2021.7.2(金)孫の手・ファッション

・年を取ってしょっちゅう使うようになったものが二つある。

爪楊枝と孫の手だ。

先ほど孫の手を使いながら思った。

年を取るとどうしてこうも背中が痒くなるのだろう。

同時にまた考えた。

子供であっても手が届かないところが痒くなることはあるのではないか。

子供の頃を思い起こしたら母に掻いてもらった思い出がよみがえった。

「母ちゃん、背中ば掻いて」

「ここね?」

「もうちょっと上」

「ここ?」

「もうちょっと右」


・ショッピングセンターにはたいてい老人女性向けの服の売り場がある。

商品の一例を挙げれば全体が小さなペーズリー模様の茶色のワンピース。

私はそんな服を若い女性が着ても似合うのではないかと思う。

ファッションにはアンバランスの美というものがあるのではないか。

先ほど挙げた服は色味も柄も一般的には「ババくさい」服と言える。

それを若くてスタイルのいい女性がさっそうと着こなすとシックな魅力を醸し出しそうに思う。

ただしいくら若くても猫背で暗い表情の女性が着るのはNGだ。

年を取るほど明るい色で派手な柄の服を着た方がいいともよく言われる。

それもアンバランスの美だろうが姿勢のよい老人が自信をもって着ればの話だろう。

白地に真っ赤なハイビスカスがプリントされた服を着ている老婆が杖をついてよろよろしているのは痛々しかろう。

ここまで書いてきてふと思ったのだが他人のファッションを見る目は都会と地方では異なるのではないか。

長崎市で最も賑やかな商業地区は市の中心部の浜の町アーケード街である。

市民はそこへ出向くことを今でも「まちに行く」と言う。

長崎市レベルの規模では「我が町」という感覚なのである。

これが福岡市くらいになるとローカル感が薄れて「都会」という感じになる。

ファッションの話に戻るが老若関係なく奇抜すぎる出で立ちで繁華街を歩く人間がいる。

「都会」だとそういうファッションを見ても「いろんな人間がいるものだ」と受け流す。

ところが「我が町」となると「みたんなかみっともない。なんば考えとっとやろか」と白い目で見られる。

そういう視線が一種の同調圧力となり地方の町では斬新すぎるファッションは着づらい。



●2021.7.4(日)長崎名物・ヒゲ・トランプ

・都道府県の特徴的な食料品はスーパーの売り場面積を見れば分かる。

たとえば熊本は馬肉や辛子レンコンの売り場が広い。

しかし熊本の人は見慣れているだろうからそれが熊本の特色と意識していないのではないか。

長崎も同じである。

ちゃんぽんや皿うどんの麺、鮮魚、かまぼこや干物などの魚肉加工品。

普段意識していないがこういった食品の売り場面積は他県よりも広いと思われる。

ところで全国的に有名な長崎名物は何と言ってもちゃんぽん、皿うどん、カステラの三つだろう。

長崎県人はちゃんぽんや皿うどんを長崎名物だと意識せず日常的に家庭で作って食べる。

ただカステラは贈答用に購入することはあっても手軽なスイーツとして買って食べることはない。


・電動シェーバーを使っていて当たり前のことに気づいた。

ジャリジャリ、ジョリジョリと音がする、ヒゲが密生していて剃りがいがあるのは鼻の下とあごの二か所である。

洋の東西を問わず昔はヒゲを生やす男性が多かった。

そのヒゲの殆どが鼻ヒゲ、あごヒゲなのは当然のことだったのだ。

私のような素寒貧すかんぴんでも不精して髭を剃らずにいれば明治の元勲げんくんのように立派なヒゲを自然にたくわえることになるのである。


・トランプの絵柄はハート、ダイヤ、クローバー、スペードである。

テレビを見ていたらある芸人がクローバーのことを「三つ葉」と言って笑われたという話をしていた。

私も子供の頃はそう言っていたので懐かしく思った。

あとスペードのことを「といも」と言っていたことも思い出した。

サツマイモが日本に伝来したルートは中国→沖縄→鹿児島の順だ。

これら三か所の昔の呼称を使ってサツマイモのことを「唐芋」「琉球芋」「薩摩芋」と言う。

この中で「薩摩芋」という呼び名が現在では主流になっている。

「唐芋」の読みは「唐」の訓読みと音読みを使って「からいも」「とういも」と言う。

私が住んでいた地域では「とういも」を短く「といも」と言っていたのでスペードのことを「といも」と言っていた。

「といも」と「スペード」がなぜ結びつくのかと言えばスペードの絵柄がサツマイモの葉に似ているからだろう。



●2021.7.6(火)感性・服装・一期一会

・人間は論理と感性で行動するのに対しコンピュータは論理だけで動作する。

論理の本質は計算であり誰が何度再現しても同じ結果になる。

コンピュータが感性を扱えないのは感性は計算できないからである。

計算ができないということは再現可能な正解が導き出せないということだ。

例えば生きた蛇を目の前に置かれたらどんな気持ちになるか。

全員が恐がるとは限るまい。

中には首に巻きたくなるほど愛おしく思う爬虫類好きの人もいるだろう。

国語のテストで登場人物の心情を問うのも本来はおかしなことだ。

可能なのはせいぜい問題文章のあちこちを状況証拠として答えを推測することくらいだ。

だから出題者も「この時主人公はどういう心情だったのか」とは問えず「どういう心情であったと考えられるか」と用心深くなるのだろう。


・イランやサウジアラビアの政府高官たちは国連の場でも民族衣装を着ている。

スーツを着ればいいのにとも思うが彼らにとってはあれが正装なのだ。

1974年(昭和49年)に漫才師コロンビア・トップ氏が参議院議員に当選した時、次のようなエピソードがあったように記憶している。

国会議事堂に羽織袴姿で登院しようとして注意を受けた。

すると氏は「これが日本人の正装ではないか」と怒ったという。

そう言えばノーベル文学賞の授与式の時の川端康成も羽織袴だった。

民族衣装というのはその国の気候風土に適している。

私が現役の時夏もカッターシャツにネクタイというのは不快極まりなかった。

父の世代は開襟シャツで高温多湿な日本の夏に合っていた。

開襟シャツはそんなふうに合理的だからこそ今も中高生の夏の制服に採用されているのだろう。

欧米人が室内でも靴を脱がずに平気なのは日本みたいに湿度が高くないかららしい。


・「一期一会」の意味は頭では理解できるがなかなか実感はできない。

そこで自分の今後の人生が既にレコーダーに録画されていると仮定してみよう。

その録画を早送りすれば今は子供が幼い家庭でも子供が親元を離れるまではあっという間だ。

そんなシミュレーションをしてみれば現在一緒に過ごしている1日1日が貴重に思えてこないだろうか。

夫婦間や親子間のやがてくる死に別れについても同様である。



●2021.7.8(木)神田川・返事の言葉

・あなたはもう忘れたかしら

赤い手ぬぐいマフラーにして 二人で行った横丁の風呂屋

一緒に出ようねって言ったのに いつも私が待たされた

以上は大ヒットした『神田川』(歌:かぐや姫)の出だしの歌詞だが気になることがある。

私は6月末に髪を切った。

カットのみの安い理髪店でいつものように短いスポーツ刈り。

今後は長崎弁で「おいかぶった」状態になるまで2、3か月放っておく。

みっともないほど伸びるとまたスポーツ刈りにする。

これは散髪代の節約のためだがふと気になってパソコンで老人の画像を検索してみた。

見た限りでは全員男女とも老人は短髪だった。

髪の毛1本1本に栄養を行き渡らせねばならないことを考えると長髪は不経済きわまりない。

洗髪にかかる時間やシャンプー代まで考慮に入れるとなおさらだ。

だから若い女性もショートカットにすればいいのにと思うが経済的なことよりもオシャレが大事なのだろう。

ところで若者の長髪は女性だけではない。

僕の髪が肩まで伸びたなら結婚しようという内容の歌もある。(吉田拓郎『結婚しようよ』)

ここで冒頭の『神田川』の話に戻る。

どうしていつも男の方が女より風呂が長いのか気になるのだがいくつかの解釈が可能だ。

その一つとしてこのカップルは男が長髪で女が短髪と考えればつじつまが合う。

『神田川』発売当時は長い髪にラッパズボンというのが若い男子の流行りのファッションだった。

私も当時の写真を見るとことさら長髪にする気はなかったが肩近くまでの長さはある。


・相手の言うことを肯定する時長崎でも普通は「うん」という。

しかし強く賛同の意を表したい時は「ううんさ」と一気に方言くさくなる。

鹿児島出身の人でよく「ですです」と言う人がいた。

最初は個人的な口ぐせかと思っていたら「そうですそうです」というニュアンスの鹿児島弁だった。

長崎の返事の言葉でいかにも方言らしいのは「うんにゃ」だろう。

これは相手の発言を否定する時に使うが「いんにゃ」と言うこともあるから語源的には次のような変遷をたどったと思われる。

いや→いいや→いんや→いんにゃ→うんにゃ



●2021.7.11(日)家族の会話・小バエ

・だいぶ前になるが妻と二人でファミレスに行った時の話である。

私たちの横のボックス席に3人の女性が座っていて注文の品が運ばれるのを待っていた。

一人は高校生くらいの年頃で後の二人は彼女の母親と祖母のように見えた。

その3人ともがスマホをいじっていたことを覚えている。

当時老人にスマホはそれほど普及してはいなかったから印象に残っているのかもしれない。

それにしても3世代がうつむいてスマホをいじっている姿には違和感を覚えた。

家族間でいろいろと話すこともあるだろうにと思ったことだった。

ところが私も現在は妻と外食する時に二人ともスマホをいじることが多くなった。

若い時と違って夫婦は年を重ねるにつれて互いへの興味関心が薄れていくようだ。

興味関心がないといっても駅の待合室などにいる他人どうしの二人の客とは異なる。

客は待合室ががらんとしていても長椅子に寝転ぶことはしないだろう。

二人きりではあっても客どうし相手に気をつかうのだ。

これがリビングの夫婦なら平気でソファーに横たわる。

興味関心がない上に気もつかわないなら夫婦は他人どうしよりも他人らしく思えてくる。

ところが夫婦は興味関心がなさそうに見えて実は深いところでつながっている。

それが最もよく分かるのはどちらかが亡くなった時だろう。

その日がいつか来ることを思えば毎日を愛おしみながら過ごしたいものだ。

そうすれば何気ない会話の一つ一つさえありがたみを帯びてくるだろう。

たとえば「ご飯できたよ」


・普通の小皿よりも一回り小さいサイズの皿を「手塩皿てしおざら」と言う。

刺身を食べる時に使う醤油皿や店で丼物を頼んだ時に付いてくる漬物の皿がそうだ。

手塩皿を「おてしょ(お手塩)」とも言うがもう余り聞かれない言葉になってしまった。

さて我が家では一昨年から夏になると手塩皿を使って小バエを駆除している。

手塩皿に麺つゆを入れて食器洗い用洗剤を1滴垂らすだけ。

麺つゆは小バエの好物だから寄って来るのだが界面活性剤の洗剤が垂らしてあるから飛び立てずにおぼれ死ぬ。

市販の小バエ捕りよりもこちらがよっぽど効果があってしかも無料。

それにしても皿に10匹も20匹も入っている死骸を見て不思議に思う。

仲間の小バエの死骸が何匹か入っているのを見て後から来た小バエは「ヤバイ、引き返そう!」と思わないのだろうか。



●2021.7.13(火)実現可能性の問題・テレビ今昔

・私は総理大臣になれないことは何とも思わない。

しかしパリやロンドンに行けそうにないのは寂しい。

それは行こうと思えば行けそうな気もするから悔しいのだろう。

実現可能性があると人は興味関心が増大する。

山を例にとってみよう。

8000m以上の山は世界に14あるがエベレスト以外にいくつ名前を言えるだろうか。

それに対して富士山やモンブランなど、名山、名峰と呼ばれてよく名前を知られている山は一般人でも頑張れば登頂可能な山である。

エベレストに次いで高いのが8611mのK2だと知っている人は多くはないだろうが599mの高尾山には年間300万人と世界一の数の登山者が押し寄せる。


・私が小さい頃、子供はビー玉やメンコ(長崎ではペチャと言っていた)や鬼ごっこをしたりして基本的に外で遊んだ。

室内の娯楽はトランプや各種のボードゲームで大人はと言えばよくラジオを聴いていた。

その後普及しだしたテレビも当初はラジオと同じく大人が視聴するものだった。

演芸番組は司会者も漫才師も年配の男性で服装はスーツにネクタイ姿だった。

歌番組も年配の歌手がスーツ姿で直立不動もしくはわずかに手を動かす程度で歌っていた。

若い歌手や俳優がテレビに出だすと青春スターと呼ばれた時代だ。

それが今やテレビは若者や子供のものになったかのようだ。

バラエティー番組などは普段着みたいな服装の若い芸人だらけだ。

彼らのやる漫才やコントも学校の文化祭の延長みたいなものが多い。

そんな若者の興味関心はもはやテレビからSNSに移りつつある。

私はユーチューブやインスタグラムやティックトックなどSNSは全部で10種類くらいだろうと思っていた。

今回調べてみたらとんでもない話で優に100は超えるようだ。

そこでNHKに頼みがあるのだが紅白歌合戦くらいはテレビしか楽しみがない老人向けの内容に戻してほしい。

今の時代、大みそかの夜に炬燵に入って蜜柑を食べながらテレビを見る若者はあまりいないだろうから。



●2021.7.15(木)寸感を七つ

・長崎県は13日に梅雨が明けたが気象庁の宣言がなくても梅雨明けは分かる。

雷を伴う強い雨が梅雨の終わりのサインである。

そして梅雨明けを知らせるのは一斉に鳴き出すセミとモクモク立ち上がる入道雲だ。


・テレビの芸人の世界は残酷だ。

おちぶれた中年芸人が真夏も真冬も過酷な地方ロケに派遣される。

人気のある若手芸人がその先輩芸人のロケを東京のスタジオでMCとして面白おかしく見ている。


・老人どうしが集まると持病がよく話題になる。

健康になんら不安がない人はともするとねたまれる羽目になる。

「同病相哀れむ」と言うが「同病相喜ぶ」というのが本音なのではないか。

それは言い過ぎだとしても「同病相安堵する」は確かだろう。


・テレビの対談番組を見ているとお互いの共通点を探り当てて喜ぶパターンが多い。

それは自分の尺度で相手を推し量ろうとする営みだろう。

むしろ相違点に目を付けてはどうか。

普段の人付き合いでも相手の自分にはない部分を新鮮に感じ取りたいものだ。


・借りている金は催促されることに怯え貸している金はまだ返却されないことに憤る。

過去の出来事もそんなふうにとらえるのがケチな人間のさがだ。

過去の失敗をほじくり返されて責められないかと怯える。

成功に関しては現在の自分がその業績ほどに遇されていないことに憤る。

リタイアしたお偉いさんが飲み屋のお姉ちゃんや客を無礼者扱いするのがこれだ。


・古代ギリシアの哲学者エピクロスは心の平安を人生の目的と考えた。

私が思うに心の平安をかき乱す大きな原因の一つは寂しさではなかろうか。

高級な文学もちまたの歌も人とつながりたいのにつながれない葛藤を描き歌っているように思われる。


・そろばん教室で先生が「ご破算で願いましては」と言う。

すると生徒はそろばんの珠の位置を元に戻す。

人生もそんなふうにやり直しができないものか。



●2021.7.19(月)いろいろな伝播

昔は靴下の品質が今ほどよくなかった。

脱いだ時にすねにくっきりとゴムの跡がつきかゆくもあった。

そのくせ何度か洗濯を繰り返すとゴムの力が弱まり履いているうちに少しずつずり下がるようになる。

時々引っ張り上げねばならないので「ソックタッチ」と言って靴下を脛に張り付けるスティック糊のような商品が発売された。

そんな時代を経験しているので女子高生の間でルーズソックスが流行り出した時は無性に引っ張り上げてやりたくなったものだ。


ファッションなどの流行は都会から地方へ伝播でんぱする。

しかしその勢いはより遠くの地方へ移るにつれて弱まっていく。

日本語の変化も同じで地方の隅々にまでは行き渡らず遠隔地では昔の言葉が今も残っていたりする。

どんど焼きや盆踊りなどの伝統行事が地方では今も行われているのに似ている。


る」という言葉は昔は「日いづる国」のように「いづる」と言った。

だから「出口」という姓の読みも「でぐち」「いでぐち」と二つある。

「いづる」の「い」が取れた「づる」が現在は「でる」となっているのだが長崎弁ではこの古い「づる」が根強く残っている。

「先生がここは試験にづって言わしたばってんほんとにづるやろか」

「わいがもう飲まんで店ばづんならおいも一緒にづうかい」


言葉の発音も遠隔地には昔の名残がある。

1980年代に縄文人が寒さに震えているCMがあった。

金鳥の使い捨てカイロ「どんと」のCMだが縄文人がこんなセリフを繰り返していた。

「どんとぽしい」

大昔「ハヒフヘホ」は「パピプペポ」だったから「どんとが欲しい」という意味だ。

この古代の発音が沖縄地方には今も残っていて「花」を「パナ」、「浜」を「パマ」などと言うようだ。


ついでにハ行の移り変わりを記せば奈良時代あたりに「パピプペポ」から「ファフィフフェフォ」に代わり江戸時代に入って今の「ハヒフヘホ」になったらしい。

「(答えは)なんなんぞ?」が「なぞなぞ」の語源だろうが平安時代の有名ななぞなぞがある。

「母には二度あひたれども父には一度もあはず」

母には2回あったけれども父には1回もあわない、それは何かというのだが答えは「くちびる」となっている。

「ちち(父)」と口にしても唇は開きっぱなしだが「はは(母)」と言えば上下の唇が2回合わさるからである。

「母」を現在のように「haha」と発音しても唇は開きっ放しだからこのなぞなぞは当時「母」を「fafa」と発音していたことの証明になる。



●2021.7.25(日)鈴

神社に行くとまず手水舎(てみずしゃ・てみずや・ちょうずしゃ・ちょうずや)で手を洗い口をすすぐ。

不浄な体で神様の前に出るわけにはいかないからだ。

本来なら数日間断食して体内の汚物を排泄しその後川か海に入って体を洗い清めねばならない。

それでは余りに大変なので手水舎で口をすすぎ手を洗うという省略形で体の中と外を清めたことにするのである。


次に拝殿に進み賽銭をあげた後賽銭箱の真上に吊るしてある大きな鈴の紐を振り動かして鈴を鳴らす。

鈴の音の清涼な響きによって邪気を払うためだがこの件について私はこう考えている。

神社の入口の鳥居は結界を示す標識で鳥居の内は神域なのだから魔物はいないはずである。

だから鈴の音によって払わねばならない邪気があるとすればそれは参拝する人間がまとっているのではないか。

手水舎で体を清め鈴の音で心を清め心身ともに清浄な状態でようやく「2礼2拍手1礼」に移れるということなのではなかろうか。


鈴と言えば涼を呼ぶ夏の風物詩の風鈴を思い出す。

語源的にもすずやかな音を出すからすずと言うのだろう。

私は学生の頃『神田川』の歌詞どおり「三畳一間の小さな下宿」に住んでいた。

木造アパートの2階の角部屋だったが軒下に鋳物の風鈴を吊るしていた。

私は鋳物の風鈴の余韻豊かな響きが好きなのだがガラス製の軽い乾いた音色もそれはそれでいいと最近は思うようになった。


風鈴のルーツはお寺の建物の軒の四隅に吊るされている風鐸ふうたくだ。

青銅製で釣鐘の形をしているものが多いがこれも神社の鈴と同じく魔除けだ。

風鐸の音が聞こえる範囲内にいれば病気にならないという。

風鈴に無病息災までは期待しないが涼しい気分にしてくれるのは確かだ。

自分の邪気が払われるせいかもしれないし暑さ自体が邪気なのかもしれない。


現代はエアコンが普及して窓を開けないからもう風鈴を吊るしてある家を見かけることはなくなった。

昔は家の前の通りに打ち水をし風鈴の音を聞きながら開け放した窓辺で団扇をつかったものだった。

家の中と外がつながっていたそんな夏の情景は現代にはない。

家の中は断熱材や二重窓で外界と隔絶されエアコンの室外機は外気よりも高温の熱風を排出している。



●2021.9.1(水)夏休み

8月は1度も更新しないまま9月になってしまった。

8月に入った時ふと夏休みを取ろうと思ったのだがそのまま今日に至っている。

小説家でも画家でも一番大事なことは毎日書き続ける、描き続けることだという話をよく聞く。

私ごときでも今回「継続は力なり」という言葉の意味を実感した。

夏休みと称して中断した結果、更新への意欲が薄れてしまった。

長距離を走っていていったん止まるともう走り出したくなくなるようなものだ。 

今後は小説の方に専念しようかと思ったりもしている。


8月の間はユーチューブで「名探偵ポワロ」をよく見た。

第70話の最終回まで全部見たがけっこう面白かった。

ネタバレになるが最終話ではポワロが殺人を犯す。

「名探偵ポワロ」に続いて今は「ミス・マープル」を見ている。

どちらもアガサ・クリスティー原作だ。

昔の番組だから登場人物がタバコを吸う場面がやたらと出てくる。

それは日本の番組も同じだが違うのは女性も男性と同じように吸う点だ。

日本では女性が人前でタバコを吸うことは私の若い頃でさえまだ憚られていた。


昔の番組の再放送を見ていると時代の移り変わりを実感させられることがある。

一番頻繁に感じるのは先ほど挙げたタバコだ。

室内でそれも目の前に人がいようが平気で吸っている。

それがごく普通でなんら非難されることのない時代だった。

対談番組ではタバコだけでなくアルコールも飲んでいた。

タバコの大きな効用はを持たせることができる点だろう。

私も昔一人で居酒屋やスナックで飲む時はタバコに助けられた。

マスターやママさんと話す時以外は実に手持ちぶさたでつい一服となるのだ。

最近見た刑事ものの再放送でも時代の移り変わりを感じた。

それは職場の同僚に自分の携帯を見せびらかす場面だった。

最新機種に変えたと自慢げにポケットから出したのは二つ折りのガラケーだった。



●2021.9.4(土)親子の悲哀・トースト・老人のカラオケ

・親が幼い子の手を引いて街を歩く。

欲しいおもちゃを目にした子供が親に「買って」とせがむ。

そんな場面で以下のような会話を親と交わした経験があるのは私だけではないだろう。

親「そのうちにな」

子「そのうちっていつ?」

親「今度だ」

子「今度っていつ?」

親「そのうちさ」

他人事として聞けば笑い話のようだが本人たちには切実な問題だ。

子供におもちゃ一つ買ってやれない不甲斐なさにさいなまれながら親は子供の追及をかわす。

子供の方も街に出るたびに禅問答みたいな訳の分からないやりとりではぐらかされるうちに自分の家が貧乏なのだということを覚っていく。

大木実の『おさなご』という詩を読んでそんなことを思った。

同氏の『冬夜独居』という詩は夫婦の哀感を描いていてこれも身につまされる。


・焼き上がった食パンにバターナイフでマーガリンを塗るのだがうまくいかない。

バターほどではないがマーガリンもなめらかにのびない。

塗りのばそうとしてナイフを押し付けるとパンがつぶれてしまう。

そこでいい方法を考えついた。

キャンバスにペインティングナイフで細かいタッチの油絵を描く要領だ。

食パン1枚に何か所もマーガリンをバターナイフで少量ずつ塗るというより置いていくようにすればいい。


・カラオケに関しての話だが老人はアルコールが入らないとなかなか歌わない。

しらふで歌うのが恥ずかしくて気後れしているのだろうが何といくじのないことか。

若い時の私はそんなふうに思っていたが自分が年を取ってみると事情は少し違うことに気づいた。

歌というものは気分が高揚しないと歌う気にならないものだ。

若者はなぜしらふでも平気で歌えるのかと言えばいつも興奮状態にあるようなものだからだ。

喜怒哀楽が常にふつふつとマグマのように胸の内にたぎっている。

誰かがちょっとでもつつけばすぐに笑いや怒りや涙が噴き出す。

大げさに言えばそれが青春時代だ。

老人はアルコールでのどを潤してからでないと声がうまく出ないとよく言う。

それは心理的にアルコールで気分を高揚させないと生理的にのどが大きく開かないからではなかろうか。



●2021.9.10(金)寝小便

売れていない若手芸人たちが生活の困窮ぶりを語ることがある。

それを何の悲壮感もなく口にするところはさすが芸人だと感心する。

私なら惨めさに打ちのめされてしまいそうな状況でも全くめげていない。


YouTubeで見たのだが〇〇〇ズムというかなり売れているピン芸人の話にも感心した。

部屋でくつろいでいて尿意を催した時に「この後は風呂に入るしこのまま漏らしてみよう」と思い立ったというのである。

最初なかなか出なかったがいざ放尿してみると通常の排尿時以上の快感を伴ったそうだ。

思えば人は赤ん坊の時から何年もかけてトイレ以外の場所では排尿しない習慣を身に付けるのである。

熟睡している時でさえ眠りを中断してトイレへ行く、その身の律し方は見事なものだ。

〇〇〇ズムの今回の実験?においてオシッコがなかなか出なかったのはその甲斐あってのことだろう。

大きな快感を覚えたのも強固な禁忌を破ったがゆえではなかろうか。

私は今イスに座っているがこのまま放尿してみようと考えた。

もちろん本当に実行する気はないが放尿寸前までもっていくのもけっこう難しいように感じられる。


話を戻すが〇〇〇ズムは続けて翌日も同じことをやったと言って話のオチをこう締めた。

「その次の日から1週間近くオネショが続きました」

笑いながらそう言ったのだが私は半ばぞっとする思いで聞いた。

彼のような働き盛りの健康な肉体でさえ「この場で放尿をしてはならない」という自制を一旦破ると寝ている時はタガが外れたように体が反応しオネショをするのだ。

ましてや老人が寝付いて一度粗相をすると後は推して知るべしであろう。


私は〇〇〇ズムの放尿実験のリアルな現場を想像してみた。

彼がソファーに座っていたのか床に寝転んでいたのかは分からない。

しかしズボンや下着を身に着けていてもある程度の量の尿がソファーなりカーペットなりフローリングなりにしみ出すのは予想がつくはずだ。

それでも決行するところに私は彼の芸人魂を見る。



●2021.9.14(火)痛風・眉毛・子育てと介護・頭の重さ

・年を取ると怪我や病気の治りが遅くなるというが今そのことを実感している。

持病の痛風の発作が起きたのだがこれまでは1週間程度で治まっていた。

今回はそろそろ3週間が経つというのにまだ痛みと腫れがひかない。

さらに年を取れば治る病気でも治らなくなる時がくるのだろう。


・眉毛を時々ハサミで切りそろえている。

若い頃には眉毛の手入れなど思いも寄らなかった。

年を取ればなぜ眉毛が伸びるのだろう。

人間の体はうまくできているから何らかの合理的な理由があるに違いない。

そう思って調べてみたが情けないことに老化による体の変調ということだった。

「毛周期」といって人体の毛は周期的に抜け落ちて生え代わる。

髪の毛は4年前後、眉毛は約3か月というように毛周期は部位によって異なる。

生え代わるサイクルが短い眉や耳の毛は老化によって毛周期に狂いに生じ長く伸びてもなかなか抜け落ちないというのである。

どうりで近頃は耳毛も長いのが目立ち始めた。


・若夫婦には赤ん坊の成長を見守る楽しみがある。

まず首、次いで腰が据わりその後に這い這いができるようになる。

そして「這えば立て 立てば歩めの 親心」と続く。

老人の衰えは赤ん坊と逆のプロセスをたどる。

幼児に「初めてのお使い」をさせるように老人に「最後のお使い」を頼んだらどうなるだろう。

幼児が道草をくうようにパチンコ屋に入ったりするかもしれない。

子育てと同じように介護にもやりがいや楽しみを見出す視点がないものだろうか。

徘徊にしても無目的に歩き回るわけではなかろうから見守れば色々な発見がありそうに思われる。


・妻とスーパーに買い物に行き米を買う時は5キロの袋詰めのを買う。

その米袋は私が車まで運ぶので私の腕は5キロの重さを把握している。

最近あるネット記事を読んでいたら人間の頭の重さは大体10キロ弱だと書いてあった。

おかしい、頭が5キロの米袋二つ分もあるはずがない。

ネットの記事を鵜呑みにしてはならないとあれこれ調べたところ頭部の重さは体重の7~8%のようだ。

とすると頭が10キロ弱の人間の体重は120~130キロの計算になりこれを平均的な人間と考えるのは無理があるだろう。

私の体重は約70キロだから頭は5キロ前後ということになりいつも買う米くらいの重さだ。

5キロの米袋を脇に抱える分には何ということはないが腕を水平に伸ばして手のひらに米袋を載せたらかなり重く感じるだろう。

そう考えると頭というのはけっこう重いものだなと思う。

もっとも私の頭の内部は育ち過ぎたスイカのようにスカスカでそれほど重くないかもしれない。



●2021.9.19(日)寸感を六つ

・ネットニュースのコメント欄で見かけた文字の変換の誤りを二つ紹介する。

なお誤変換の部分以外はよく覚えていないので私が適当に作文した。

★簡単に諦めずに悪魔でも夢を追い続けるべきだ。

★朝から雨、そん7かイベントは決行された。


・子供の頃の懐かしい思い出がよみがえった。

小学生の頃、学校を休むと近所のクラスメートが下校時に給食のコッペパンを届けてくれたものだった。


・自粛警察なる圧力が日本最西端の長崎にも存在するのだろうか。

先日車を運転していたら前を久留米ナンバーの車が走っていた。

そのリアウインドウにこう貼り紙がしてあった。

「長崎在住です」


・テレビに字幕で出た人名に目がとまった。

73歳の一般人の女性で「〇〇ナナヱ」という名前だった。

「ワヰウヱヲ」と書く旧仮名遣いのワ行の「ヱ」を久しぶりに見た。

私は子供の頃「ヱ」は「アイウエオ」の「エ」を雑に書いたのだろうと思っていた。

さてこのナナヱさんは73歳とはいっても戦後生まれだから現代仮名遣いで教育を受けたはずだ。

だからと言うのもおかしいが「ナナヱ」という名はもちろん旧仮名遣いを使っていたナナヱさんの親が付けたものだ。


・上記はカタカナだが今度は見慣れない漢字の話題。

子供の頃、紳士服店の「柗屋」という店名が読めずに頭をひねっていた。

後年知ったことだが「柗」は「松」と同じ漢字なのだった。

だから人名で言えば「柗田」も「松田」も「まつだ」さんで、「船木」も「舩木」も「ふなき」さんである。


・この駄文を投稿しているサイトは投稿作品の入力欄のすぐ下に「下書きで保存する」「保存して公開する」という二つのボタンがある。

前者は保存のみで公開はされないが後者はすぐに公開される。

どちらかをクリックするのだが「保存して公開する」をクリックした後は「公開して後悔する」気分になる。



●2021.9.24(金)彼岸と薬

ぼた餅とおはぎの区別については諸説あるようだが私なりの解釈をまとめてみたい。

①春の彼岸に墓や仏壇にお供えするのがぼた餅で秋の彼岸にお供えするのがおはぎ。

これは春に咲く牡丹ぼたんの花、秋に咲くはぎの花に由来する。

②ぼた餅は丸くおはぎは俵型。

これも牡丹の花と萩の花の形による。

③ぼた餅はこしあんでおはぎは粒あん。

これも花の形状によるものでぼた餅は滑らかな表面にヘラで牡丹の花弁のような模様を付けることもある。

おはぎは表面に小豆の粒々が見えるがこれが萩の小さな花の一つ一つをイメージさせる。

なお小豆の収穫時期は秋だからおはぎはそのまま粒あんでいけるが春まで保管すると小豆の皮が固くなる。

だから春は皮を取り除いたこしあんにしなければならなかったという側面もある。

現在は品種改良が進み保存技術も発達しているのでこの点の制約はなくなった。

なお、ぼた餅やおはぎを墓や仏壇にお供えするのは原料の小豆が赤いからだ。

小豆には限らないが赤は火や太陽の色であり悪霊や災厄を払う働きがあるということである。

だから神社の鳥居も赤く塗る。


昨日23日(木)は秋の彼岸の中日ちゅうにちだった。

おはぎをお供えするどころか痛風のせいで墓参りにも行けなかった。

発症してもうひと月たつのにまだ痛みがある。

そこで今日またまた鎮痛剤のロキソニンを買いに行った。

ロキソニンには値段の安いジェネリック版もある。

いい機会だから薬剤師に聞いてみるとどちらも成分(ロキソプロフェン)は全く同じだと言う。

(余談だが今「やくざいし」と入力して変換したら「ヤクザ医師」と出た)

「それなら効き目も全く同じなんですね?」

ところがそうは言い切れないと言う。

薬剤師の説明を私なりに解釈するとぼた餅とおはぎのような関係だと思われる。

私は粒あん派だがこしあんが好きな人もいるだろう。

どちらも同じ原料を使って作っているのに好みが異なる。

この「好み」を「効き目」と置き換えれば薬にも相性があることが分かりやすいだろう。

ロキソニンに限らずジェネリック版の薬は色々ある。

薬剤師によればどちらが効くかは今述べたように相性もあるが概して言えばジェネリック版でない先行薬の方に軍配が上がるそうだ。

例えば同じ成分でもどの程度細かい粒子にすればどの程度の効き目が得られるか、大手メーカーはそんな点までデータを取って薬を開発するということである。

だから同じ成分が同じ量入っていても効き目まで全く同じになるとは言えないのだそうだ。



●2021.9.28(火)痛風再び

最悪の事態になった。

左足に持病の痛風の発作が出ていつもは1週間程度で治まるのが長引いていると前回記した。

1か月経ってようやく痛みが薄らぎ確実に快復が間近いことを実感したとたん右足に違和感を覚えた。

なじみのある痛風の初期症状で、昨夜のことである。

快復までに1か月を要したのも初めてなら立て続けに発症するのも初めてだ。

痛風は複数箇所に同時発症することはないのだが片足が治るやいなや待ってましたとばかりにもう片足が痛み出すというのはむごい。


使用後のまな板や入浴後の浴槽は全体に洗剤をかけて暫く放置してから洗い流せばいいという。

それらのテレビCMはメーカーが洗剤の使用料を増やして利益を上げようとしているのではないか。

そんなふうに思ってしまう貧乏性の私は薬についても用心深い。

鎮痛剤をそれほど痛くない時に飲むのはもったいないし我慢できなくなって飲む方が経済的で効き目もありがたく実感できるのではないか。

今回の再発でまたロキソニンを飲むに当たって調べてみたら私の考えは間違いだった。

ロキソニンの成分ロキソプロフェンはプロスタグランジンという痛みの原因物質がつくられるのを阻害して痛みを抑える働きをする。

従ってプロスタグランジンが大量につくられて痛みがひどくなる前に飲むのが効果的なのだそうだ。

「早めのパブ〇〇」というキャッチフレーズの風邪薬のCMがあるがあれも販売量を増やす戦略かと疑っていたが今回ついでに調べてみたら風邪薬も早めに飲んだ方がいいとのことだ。


痛風の話に戻るが所用でバスに乗るため数日前に停留所まで歩いて行った。

まだ痛風の痛みがあったので片足を引きずりながら歩いたのだが横断歩道を渡ろうとした時にいつもとは違う感覚になった。

ゆっくりとしか歩けないので車がかなり遠くに見える状況でないと横断を開始する勇気が出ないのだ。

この分では痛風が治っても足腰が弱って杖を突くほどに年を取ったら道路を横断するのは命がけだろう。

片側だけで3、4車線あるような広い道の横断は諦めねばならなくなるかもしれない。



●2021.10.3(日)ガセネタ・慣れが肝要

・調味料の「味の素」の売り上げが減少したので社員にアイディアを募集した。

ある社員が瓶の振り出し口の何個かある穴のそれぞれを少し大きくするという案を出した。

その案を採用したところ売り上げが倍増したという。

この話を聞いて以来私はずっと面白いと思ってきた。

だがこの話は事実ではないということを最近知った。

正確なところはネット等で検索されたいがガセネタ・・・・がまことしやかに流布されていることもあると知った。

話は変わるが私は枕にカバーをかけている。

枕の上部だけをカバーする布地にゴムバンドが2本付いていてそれで枕本体に留めている。

朝起きてみるとそのカバーが手前の方(頭から足方向へかけての側)にいつも少しずれている。

逆の方へずれるのが普通なのではなかろうかと思った時不吉な感じがした。

というのはかなり前に聞いた赤ん坊の這い這いに関する話を思い出したからである。

四つん這いの「這い這い」の前の段階の「這いずり」だったと記憶している。

「這いずり」は前に進むのが普通だがたまに後ずさりする子がいる。

そんな子はうまく育たない、早死にするというふうに聞いた覚えがある。

今回気になってネットであれこれ調べてみたが何の情報も得られなかった。

恐らくはこれも味の素の話と同じくガセネタだったのだろう。

もし本当なら私自身も早死にすることになりそうではないか。

と書きはしたが私が今死んでも早死にとは思われないような気がする。


・ガラケーが数年後には使えなくなるという。

大手3社のガラケーのサービス終了はauが一番早く2022年3月31日、次いでソフトバンクが2024年1月下旬、ドコモが2026年3月31日とのことだ。

ガラケーを使っている老人たちにTV番組のリポーターが話を聞いていた。

その中でガラケーの方がボタンだから使い勝手がいいという意見があった。

スマホは「タッチ」と「スクロール」の使い分けがうまくいかずにイライラするということだった。

私は妻がパソコンを使い始めた頃のことを思い出した。

妻がマウスを握って画面に向かうとポインタがあちこちを目まぐるしく動き回る。

マウスの使い方を知らないのではと思って教えようとした。

すると分かってはいるがうまくいかないのだと言われた。

確かに私も初めてマウスを操作した時はまどろっこしかった。

何事も慣れが肝要だ。

とするとノートパソコンのタッチパッドも同じことではないか。

私はマウスに慣れすぎてノートパソコンのタッチパッドを使う気になれない。

しかし使いこなせるようになればマウスを外して身軽になりノートパソコンを文字通りラップトップで使うことができて便利だ。

少しずつタッチパッドに慣れていこうと思う。



●2021.10.8(金)最近の歌と昔の歌・「登る」と「上る」

・最近若者に人気の歌をいくつか聞いてみた。

どの歌も次のような点で共通していた。

★歌詞のどこかしらに英語のフレーズが入る。

★メロディーに半音上がるか下がるかする箇所がある。

★3番に1、2番とはほんの少しメロディーを変えている部分がある。

曲のテンポが速いことに加えてこれらは老人が歌うには高いハードルとなる。

さらに言えば1番、2番、3番と明確に区切ることのできない歌も多いのでは。

昔の歌謡曲は以上のような点がないから覚えやすく歌いやすい。

先日長く歌っていない懐かしい歌がふと口をついて出た。

「まるで私を責めるように北の新地に風が吹く」という歌い出しの「大阪の女」だ。

都はるみが歌っていたイメージが私には強いが元々はザ・ピーナッツの歌である。

演歌調のこの歌はザ・ピーナッツに似合わない気がするが「ブルーライトよこはま」のいしだあゆみも歌っていたと知って驚いた。

余談になるが瓜を縦に真っ二つに切った断面がそっくりなことから「瓜二つ」という言葉ができた。

双子の姉妹のザ・ピーナッツもピーナッツの殻を割ったところからの命名ではと思って調べてみたが分からなかった。


・「のぼり坂」とか「坂をのぼる」とかを漢字で書く場合に「上」と「登」のどちらを使えばいいのだろう。

ネットで調べてもストンと納得できる説明がないのでこう考えることにした。

「上り坂」「坂を上る」が一般的な表記のようだから全てこれで通せばよい。

「登」という字を見て私の頭にまず浮かぶのは「登山」という言葉である。

従って傾斜が急なことを特に強調したい場合には「登り坂」「坂を登る」と書いてもよさそうだ。

高速道路でも勾配が急な坂があれば特別に「登坂とうはん車線」が設けられる。

ところで山を登るには労力を要する。

そこまでして「登頂」を目指すのはそれが価値あることだからだろう。

物理的な傾斜と関係ない「登校」「登場」などの「登」も価値あるところに赴くニュアンスで理解できるのではないか。

だから「登校」の対義語は「下校」なのだろう。



●2021.10.13(水)人間の発想・汽車に飛び乗る・二次創作

・テレビの対談番組で出演者が言った。

「人間が発想することは全部実現できるんです」

これまで同種の発言を何度も聞いたり読んだりしてきたが今回ふと思った。

人間が発想できないこととは例えばどんなことだろう。

思い浮かぶとしたらそれは人間が考えつかないこととは言えないのだが。


・テレビドラマの名探偵ポワロシリーズの時代設定は1930年代である。

シャーロックホームズシリーズは作者コナン・ドイルの没年が1930年だからポワロシリーズよりも前ということになるだろう。

この両方のテレビドラマを見ると汽車(蒸気機関車)がたびたび登場する。

既に走り出している汽車にプラットフォームから乗り込む場面も時々出てくる。

時代が時代でドアも自動開閉式ではないからそんなこともありえただろう。

ふとレコード大賞受賞曲の「喝采」(歌:ちあきなおみ)の歌詞の一節を思い出した。

 あれは3年前 止めるあなた駅に残し

 動き始めた汽車に 一人飛び乗った

1972年発表の曲だからその3年前は1969年ということになる。

その頃動き始めた汽車に飛び乗ることは可能だったろうか。

私の記憶からすると微妙なところである。


・「サザエさん」のパロディー小説を書いてみようと思って登場人物の名前を考えた。

海野凪平なぎへい、その妻フナ

この夫婦の子供たちが笹枝ささえ一男かずお紅芽あかめ

とまあ、こんなふうな名前にでもして次にあらすじを考えようとした。

その時「二次創作」という言葉が頭に浮かんだ。

小説の投稿サイトのほとんどは二次創作の投稿を禁じている。

私の考えるようなパロディーも二次創作に当たるのだろうか。

よく分からないので投稿を断念した。



●2021.10.20(水)魔法瓶・車の塗装

・テレビ番組で昭和の居間が再現されている画面が映った。

こういうシーンではブラウン管式のテレビや円形のちゃぶ台が定番である。

今回はちゃぶ台の上に置かれている魔法瓶が目に留まって懐かしく思った。

昔の魔法瓶は上部の丸いねじ式の栓を少し回して緩めると注ぎ口から飲み物が出て来る構造だった。

温かい飲み物や冷たい飲み物がいつでも温度を保ったまま飲めるのは画期的で魔法瓶とはよくも名付けたものだ。

子供の頃初めて魔法瓶を見た時は珍しくて栓を外して覗き込んだ。

内側が鏡のようにキラキラしていて感動したことを思い出す。

乱暴に扱うと割れるから落としたりしないようにと母親から言われたのも懐かしい思い出だ。

現在は電気ポットが主流でいっそう便利になった。

子供が遠足に持って行く水筒も保温機能がついていて形や色もオシャレだ。

私が小さい頃の水筒は日本陸軍の払い下げではないかと思うようなものだった。


・我が家の浴室の外は駐車スペースになっていて木が1本植わっている。

バックで車を停めるとその木が車の後部と家屋の間に立っているという位置関係だ。

ある時車の後部の屋根とリアウインドウが汚れているのに気づいた。

触ってみると汚れているだけでなくベトベトしている。

原因は浴室の外の木(ごく普通の木だが何という木か分からない)だった。

木の枝が車の後部の上に張り出しているので花粉が車に落ちるのだ。

調べてみると花粉が落ちてもすぐに払えば問題はない。

しかし夜露や雨の水分に濡れると花粉は以下のように厄介なことになる。

花粉の表面の被膜が破けてヒスタミンやペクチンが流出する。

ヒスタミンは花粉アレルギーの原因になるが車にとってはペクチンが問題である。

これは粘り気のあるタンパク質で放っておけば車の塗装を痛めてシミになったりするらしい。

それを知ってから私は花粉が落ちているのを見るとこまめに拭き取るようにしている。

ついでに車の塗装に関する話をあと二つ記しておこう。

知人から聞いた話→小鳥が落とす糞が車の塗装を一番痛める。

ネットで調べると確かに塗装に与えるダメージは鳥の糞が「最強」と書いてある記事がある。

車の整備士から聞いた話→車の塗装の色で赤は直射日光によってダメージを受けやすい。

信頼できる整備士の言であるし全体は赤なのに屋根だけ黒い塗装の車を見かけたりもするから信ぴょう性は高いのではないか。



●2021.11.1(月)コーヒーやら酒やら船やら

家計を思って私一人が飲み食いするものはひどく不味くさえなければなるべく安いものを選ぶようにしている。

ただコーヒーは私の好みを知って妻がネスカフェのゴールドブレンドを買ってくれる。

安いコーヒーはいくらもあるがゴールドブレンドは何と言っても香りが違う。

瓶のふたを開けるといつまでも香りを嗅いでいたくなる。

最近気づいたのだが作ったまま飲み忘れて冷めてしまってもうまい。

「腐っても鯛」にならえば「冷めてもネスカフェ」だ。

やはりいいものはいい。


洋酒もいいのが色々あるが私がたまに出向くカラオケスナックにオールドパーをキープする常連客がいる。

オールドパーは丸っこい形をした茶色の瓶に入っている高級ウイスキーである。

その客はかつて外国航路の船長をしていて世界のいろんな酒を飲んできた人だがオールドパーが一番うまいと言う。

つい先日カウンター席で隣り合わせた時に小さなグラスで1杯ごちそうになった。

「喉にスーッと通りますね。いい酒はいくら飲んでも悪酔いしないんですよね」

私がそう言うとその人は激しく賛同した。


それにしても安い日本酒や洋酒を飲みすぎると具合が悪くなるがあれはどうしてだろう。

味はともかく体に害になる成分をあえて入れるはずはないだろうに。

安い酒をグイッとあおると喉につかえるような感じがする。

体は正直なものでなるべく体内に入れまいとするのだろう。


話は変わるが「車は急に止まれない」という標語が昔流行はやった。

さきほどの元船長によれば船はその比ではなく大型船になると港の何キロも手前でエンジンを停止するとのことである。

徐々に速度が落ちた後はタグボートが引いたり押したりして接岸完了となる。

言われてみると当たり前のことだが小さなプレジャーボートと違って大型船は速度が落ちるとかじがきかなくなるのでタグボートの助けが必要になるのだ。



●2021.11.9(火)いろいろな嘆き

三国志で有名な劉備りゅうびに由来する「髀肉ひにくたん」という言葉がある。(「髀肉ひにく」は太ももの肉)

馬に乗って戦場を駆け巡ることのない日が続いたせいで太ももが肥え太ってしまったのを劉備が嘆いた。

そこから「髀肉の嘆」は「功名を立てたり力量を発揮したりする機会にめぐまれない無念さ」(広辞苑)という意味で使われる。


細かいことを言えば劉備はトイレに行った時に自分の太ももにぜい肉が付いているのを見て嘆いたということだが私なら「腹肉の嘆」というところだろうか。

腹は脂肪が付いているのに太ももは肉が落ちて内股が長崎弁ふうに言えばぺそーっとしている。

すねの部分も同様で手で探ると骨の形状がはっきりと分かるほどだ。

腹が出て四肢がやせ衰えた老人の体型はさながら地獄の餓鬼である。

かと言って老人皆が皆プロテインを飲みボディビルに励むのもいかがなものだろうか。


年相応の体の衰えは素直に受け入れようと思うが問題は体の機能の衰えだ。

老いた芸能人たちを見ていて気になるのは滑舌の悪さである。

口の中に唾が溜まっているようなしゃべり方になりどうかすると口角につばのあぶくが浮いたりする。

しかしそれは頑張ってしゃべろうとしている分だけまだいい。

相手に自分の思いを届けようとする気力が薄れると口を殆ど開けず独り言みたいな話し方になる。

覇気のないバスの運転手の眠たげな車内放送がこれに似ていてまるで腹話術だ。



●2021.11.14(日)神と仏と私とUFO

アダムとイブは蛇にそそのかされ神との約束を破って善悪の知識の木の実を食べてエデンの園から追放された。

従ってアダムとイブのDNAを受け継ぐ人類は全て生まれながらにして罪人である。

キリスト教がこういった原罪意識を植え付けて委縮させるのは少し厳し過ぎるのではないか。

しかしまた一方ではこうも思う。

自由闊達な欧米人が野放図な奔放さに走らないためのブレーキとして原罪意識は有効なのではないかと。


ともかくも欧米のキリスト教徒は東洋の仏教徒に比べて開放的だ。

「天使にラブソングを」という有名なアメリカ映画がある。

クライマックスではローマ教皇を迎えたミサで聖歌隊が大胆にも讃美歌をポップ調にアレンジしてステップを踏みながら歌い上げる。

一方仏教では大規模な儀式でも華やぎは感じられない。

ステンドグラスを通して日が差し込む教会と違って昼なお暗い本堂で大勢の僧侶が木魚を伴奏に読経する。

その僧侶たちが「仏陀にラブソングを」とばかりに立ち上がってフラッシュモブのように踊り出しお経をアレンジして歌い出したらどうだろう。

「この罰当たりどもが!」とひんしゅくを買うのがオチだろう。


私は別に仏教の悪口を言うつもりはなくキリスト教とは違う種類の荘厳さがあると思っている。

先日テレビのクイズ番組で仏壇に線香をあげる時に線香の火はどうやって消すかということが出題されていた。

「手であおいで消す」「息を吹きかけて消す」、この二つが選択肢だった。

正解はもちろん前者で理由は仏様に供える線香に不浄な人間の息を吹きかけてはいけないからだ。

なんと繊細な心遣いだろうと思うのだが一方ではこうも思う。

「臭い息を吐きかけるな」

キリスト教の原罪と同様に仏教もそこまで人間を汚らわしく扱わなくてもいいのではなかろうか。


とまあこんなふうに考えるのも私が修行の足りない不遜な人間だからなのだろう。

平安時代の流行歌謡集『梁塵秘抄りょうじんひしょう』にこんな歌がある。

「仏は常にいませども うつつならぬぞあはれなる 人の音せぬあかつきに ほのかに夢に見えたまふ」

これが宗教というものの奥ゆかしさだ。

神だろうが仏だろうが、いるのなら俺の目の前に姿を現せ、そうしたら信じてやる。

これは不遜を通り越して傲慢というものだろう。

ロマンと傲慢は対極にある。

UFO(unidentified・・・・・・・・・・ flying object)も目の前に着陸したら未確認・・・飛行物体ではなくなってしまう。



●2021.11.20(土)お灸と日本酒

ヨモギは昔も今もあちこちの道端に生えているが生活に利用することは殆どなくなった。

私が子供の頃は転んで膝をすりむいたりするとヨモギの葉を揉んで傷薬として使っていた。

食用としても餅にき込んでふつ餅を作った。

一般的にはヨモギ餅とか草餅とか言うが長崎の方言ではヨモギを「ふつ」と言うのである。

祖母はヨモギの葉を乾燥させて微細に砕いてお灸に使う「もぐさ」を作っていた。

祖母が作って菓子箱に保存しているもぐさを母が一つまみ取って軽く固めて祖母の肩や背中にのせ線香で火を点ける。

そんな場面を懐かしく思い出すが現在はもぐさを作ることはおろか灸をすえることも珍しくなった。

そのため「部下にきつくお灸をすえてやった」などという比喩的な言い回しも聞かれなくなりつつあるのは寂しいことだ。

かと言って現代の商品名を使って「あいつにきつくせんねん灸をすえてやろう」と言うわけにもいかない。

お灸のことは「やいと」とも言い、胸びれの下にお灸をすえたような黒点が幾つかあるかつおの種類を「やいと鰹」と言うのは周知のことである。


酒の話に移るが焼酎ブームが長く続いている。

私の若い頃焼酎はそんなに飲まれていなかった。

ましてや私の父などは自分も貧乏人のくせに焼酎はまともな人間が飲むものではないと言っていた。

昔の焼酎がそんな扱いを受けていたのは多分品質に問題があったのではなかろうか。

それが今やしゃれた雰囲気のスナックやバーにも焼酎のキープボトルがずらりと並んでいる。

そんな焼酎ブームの陰に隠れてしまったのが日本酒だ。

宴会はまずビールでの乾杯から始まるのが一般的だろう。

その後は昔は徳利に入った日本酒が次々に運ばれてきたものだ。

現在は各自で好きなアルコールを注文するようだが日本酒を頼む人間は少数派だろう。

昔はハイネックのセーターのことは「徳利とっくりセーター」とか略して「とっくり」と言うのが普通だった。

現在は徳利で酒を飲む機会が少なくなり「徳利セーター」は「お灸をすえる」以上に死語と化してしまった。



●2021.11.27(土)照明器具・バキュームカー・しわ

・室内の照明は私が子供の頃に白熱球から蛍光灯に徐々に移行した。

真っすぐな蛍光管1本あるいは2本をはめた器具の両端にチェーンが付いていてそれで天井から吊るしていた。

初期の蛍光灯はスイッチの紐を引っ張って数秒たたないと点灯しなかった。

頭の働きの鈍い人間は「あいつは蛍光灯だ」などと揶揄されたものだった。

時代とともに蛍光灯の形態は変化し蛍光管は円形のものを大小2、3本使い器具ごと天井にはめ込むのが一般的になった。

さらに現在の照明はLEDに変わりつつあるが我が家ではまだ2か所だけだ。

今回調べてみるまで知らなかったのだが蛍光灯の照明器具はほとんどのメーカーが生産を終了しているようだ。

交換用の蛍光管はまだ生産されているがこれもやがて終了する。

現在は交換可能といっても減産体制に入っていて以前よりも高価になっているとのこと。

どうせLEDに移行しなければならないのなら早いほどお得ということか。


・「坂の町長崎」のご多分に漏れず私の実家も車が横付けできない山の手にあった。

下水道も簡易水洗も普及していなかった頃のことをふと思い出した。

衛生車(バキュームカー)は車で上れるギリギリの所に停車する。

そこから何本も吸引ホースをつなぎ合わせて坂の町の家々の屎尿しにょうをくみ取るのである。

当時は何とも思わなかったがよくもあの距離を吸引できたものだ。

吸引している最中にホースがうねっていた様子なども懐かしく思い出す。

初期のバキュームカーは三輪車が多かった。


・年を取るとしわがふえてくるが「縦じわ」「横じわ」という言葉しか耳にしないから漠然としわは縦と横の2種類なのだろうと思っていた。

それはとんでもない錯覚で自分の手をじっくり観察するといろんな幾何学模様が見て取れる。

しわは皮膚を走る溝だが密集している部分は逆に溝と溝の間が盛り上がっているようにも見えて面白い。

私の場合、手の甲の親指の付け根から手首にかけてはまるでネックレスの目の細かなチェーンのようだ。



●2021.12.2(木)同音異義語・酒の飲み方

・貨物自動車のトラックと陸上競技場のトラックは同じ英単語なのだろうか。

調べてみると英語あるあるで綴りが違っていて前者はtruckで後者はtrack。

人間の代わりにトラックを走らせればトラックのトラック競技ということになる。

冗談はともかく「track」のほうは「人や動物が通った跡」というのが基本的な意味だ。

だから競技場の走路(トラック)という意味にもなるし映画フィルムのふちの録音帯を「サウンドトラック」と言う。

陸上競技つながりで言えばコース1周ごとの所要時間をラップ(タイム)と呼ぶ。

この言葉と若者に人気のラップ(ミュージック)との関係も調べてみた。

やはり綴り違いで「ラップ(lap)タイム」、「ラップ(rap)ミュージック」。

さらには「サランラップ」などの「ラップ(wrap)」もありこれは「包む、巻く」という意味。

ところでラップミュージックの歌詞は韻を踏むがあれは同音異義語という点でオヤジギャグと同じではないかと言えば若者に叱られるだろうか。


・今は亡き私の義父は日本酒が好きだった。

仕事帰りに酒屋に立ち寄ってコップ酒を一息か二息で飲み干し代金を支払ってさっと店を出る。

そんな粋な飲み方をしていた。

だから私の飲み方を見ると「そんなにチビチビ飲んで美味しいか?」と笑った。

義父と違って私は複数人で連れだって飲むことが多く宴会も時々あった。

そんな飲み会の間義父のペースで飲み続けると酒がいくらあっても足りないし第一体がもたない。

そういう次第で私はチビチビ飲む習慣が身についたのだろう。

先日晩酌しようとした時ふと義父の飲み方を思い出した。

「なるほどコーラやジュースをチビチビ飲んでも飲んだ気がせず美味しくもないことだろう。とすると酒も実は義父のような飲み方が美味しいのではないか」

そう思った私は焼酎のお湯割りをチビチビではなくグビリグビリと飲んでみた。

結果は拒否反応とまではいかないが違和感を覚えた。

長い間のチビチビ飲む習慣が一度に多量のアルコールを流し込むことを受け付けず美味しいとも感じなかった。

ただしビールはその限りではないがこれも習慣によるものだろう。



●2021.12.7(火)ヒートショック・くしゃみ・赤い自転車・まつ毛

・冬になると必ずと言っていいほどヒートショックによる死亡が話題になる。

対策として私は風呂から上がった後の着衣に目をつけた。

これまでは最初にパンツをはいていたが上半身の着衣をまず完了させるようにしたのである。

真っ先に心臓を急激な温度変化から守るためだがどうでもいいことだと笑うなかれ。

ヒートショックに襲われて倒れるとしたら風呂上がりにパンツ1枚をはくわずかな時間が最も危険なのではなかろうか。


・腰痛持ちなのでくしゃみをするたびに腰にズキッと痛みが走る。

この痛みを軽減できる体勢を発見した。

くしゃみをする時これまでは上体を前方に折り曲げていた。

私に限らずほとんどの人がそうするのではないか。

ところが私の正解は真逆だった。

体をまっすぐに立て少し後ろに上体を反らすくらいの体勢をとると殆ど痛みを感じない。


・フォークグループかぐや姫の歌に「そんな人ちがい」という曲がある。

別れた彼女と久しぶりに会う場面から歌詞は始まるが過去に思いをはせる次のような一節がある。

「赤い自転車とまる度に階段をかけおりてったahあの頃」

1970年代のフォークソングだから主人公の男は安アパートの2階に住んでいるという設定だろう。

そして彼女が赤い自転車に乗って遊びに来るとその度に階段をかけおりて出迎える。

そんなふうなイメージで最近この歌をカラオケで歌ったのだがモヤモヤする感じが残った。

私が歌詞の解釈を間違えた原因は時代の流れにあったと言える。

今のバイクを見慣れ過ぎて昔は殆どの郵便配達員が自転車に乗っていたことを忘れていた。

1970年代といえば携帯電話はもちろんなく駅々には伝言板があった時代である。

上記の歌詞は彼女に出した手紙の返事を待ちわびて郵便配達の自転車がとまる度に1階の郵便受けを覗きにいくと解釈すべきだろう。


・私は時々まつ毛が抜けるからマスカラを使う女性が心配になる。

粘着質のマスカラを塗ったり洗顔して落としたりする時にまつ毛が抜け落ちないのだろうか。

私の知人に糖尿病から緑内障を患った男性がいる。

久しぶりに会った時にまつ毛がマスカラを塗ったように長く濃くなっていた。

いかつい顔つきと乙女のようなまつ毛とのアンバランスに思わず笑ってしまった。

聞いてみると緑内障用の目薬の副作用だと言う。

それなら薬としての効き目をなくしてまつげが伸びる作用だけを残せばバカ売れするのではないかと思ったことだった。



●2021.12.11(土)鏡・物は考えよう

・鏡で顔を見つめるより自己の内面を見つめるほうが大切なのではないか。

内面に向き合おうとしない人間ほど鏡に向き合う時間が長いように思われる。

この世に鏡がなかったらと考えた。

ギリシャ神話に登場する美少年のナルキッソスは水面に映った自分に恋をした。

そこからナルシストという言葉が生まれたのは有名な話だ。

だがここではそんな方法も似顔絵もなしということにしよう。

自分がどんな顔だちをしているかを知ることができない。

するとどんなことが起きるだろう、それは幸、不幸のどちらなのかなどと考えると面白い。

それはともかく現実には毎朝自分の顔を洗面所の鏡で見る。

毎日見ているから「俺も年を取ったなあ」と思うことはまずない。

ところが久しぶりに会った旧知の顔を見ると「老けたなあ」と感じる。

そのくせ相手も自分を同じように見ているだろうとは思わない。

見合いで気に入らなかったらどうやって断ろうかと思っても自分が断られることは考えない身勝手さと同じだ。


・マザーテレサがこんな言葉を残している。

  思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

  言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

  行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

  習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

  性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

いい教えだと思うが心がけねばならないことが五つもあるのは大変だ。

しかしこれらは連動しているから実践するのは最初の項目だけでよさそうに思われる。

「始め良ければ終わりよし」で思考に気をつければ後はとんとん拍子に順調に進むのではないか。

「思考に気をつける」ということは「物は考えよう」ということに通じそうだ。

白熱電球の発明についてのエジソンの次の言葉はあまりに有名だ。

「私は今まで一度も失敗したことがない。私は電球が光らない発見を2万回したのだ」

エジソンのような偉人でなくても感心させられる考え方をする人はたくさんいる。

たとえばアルコールや薬物の依存症患者のある回復施設代表者の言葉。

「施設を出て社会復帰してもまた依存症になる人がいます。それは裏切りと捉えられがちですが私はそれだけ病気が重いのだと考えます」

次は野球のノックについての考え方。

「捕れそうで捕れないところにノックする人が多いんですが私は捕れなさそうで捕れるところへ打ちます」



●2021.12.16(木)お札の肖像・朝顔・体の老化

・2024年度に紙幣のデザインが20年ぶりに一新され1万円札が渋沢栄一、五千円札が津田梅子、千円札が北里柴三郎になるということだ。

お札の肖像画で私が印象深いのは子供の頃の大金だった百円札の板垣退助と大人になってからの大金の1万円札の聖徳太子である。

お札に描かれる人物はそれぞれに大きな功績を残した人物だが美男美女の映画スターを採用すれば図柄的に華やかになるのではないか。

そんなことを考えていたらそもそも紙幣のデザインになぜ肖像画がつきものなのかということが気になった。

調べてみると偽造防止が主な理由のようだ。

我々は日常的に人の顔を見分けて生活しているためお札の肖像がほんの少しでも違っていたら違和感を持ち偽造防止に繋がるということである。

なるほどお札のデザインが例えば桜の木だったとしたら枝の角度や花の数が違っていても気が付かないだろう。


・小学生の頃に夏休みの宿題として朝顔の観察日記をつけた人は多いのではなかろうか。

その朝顔と同じように毎朝目にするものにトイレの便器がある。

男性用の小便器は現在は縦長のものが多いが昔は丸っこい形で下に排出用の管が突き出ている形が一般的だった。

その形状および毎朝見るという点から小便器を俗に「朝顔」と呼んでいた。

商業施設や飲食店のトイレに入ると男性用小便器の横に「一歩前に」と書いてあったりする。

そんな貼り紙の文句も昔は「朝顔の外にこぼすな竿の露」などとしゃれたものだった。


・私は時々眉の手入れをしている。

と言っても今どきのオシャレ男子と違って伸びすぎた眉毛をハサミでカットするだけなのだが。

数か月前のブログに書いたように生え代わる周期は髪の毛が4年前後で眉毛は約3か月。

年を取って頭がはげるのは分かるが眉毛が伸びるのは困ったものだ。

体が自堕落になり3か月ごとにきちんと生え代わる周期を守るのが面倒になったのだろう。

若い頃は目が覚めてから家を出るまで自分の体を意識することはなかった。

それが今は目が覚めてベッドを下りるだけでも体のあちこちと相談する。

腰痛と腹筋の衰えのせいでまず体を横にして手を突いて上体を起こさねばならない。

私の知人などは脳卒中を恐れて床の中で暫くもぞもぞと準備運動みたいなことをやってから起き上がるとのことである。



●2021.12.23(木)会話の話題・夜中のトイレ

・居酒屋等で隣り合った客と会話する際に避けたいのは論争になりがちな話題だ。

若い頃の反省の上に立って私は今は何気ない会話をするように心がけている。

とは言うものの何気ない話で最初から最後まで通すのはけっこう難しい。

例えば趣味や健康を話題にして話を進めたとしよう。

すると話の成り行き上知らず知らずのうちにお互いのプライベートな面に踏み込んでいたりする。

そういった心配が一切ない話題はこれだろう。

「目玉焼きやアジフライを食べる時に何をかけるか」

たとえ論争になろうとも和気あいあいで罪がない。

脇に添えられるキャベツの千切りまで含めればさらに盛り上がるかもしれない。

目玉焼きやアジフライに何をかけるか。

食通を気取る人は塩と言いそうだが塩にも抹茶塩などバリエーションがある。

ソースも同様にウスター、中濃、トンカツソースがある。

ほかにはケチャップ、マヨネーズ、タルタルソース、各種ドレッシング類。

私は基本的には目玉焼きもアジフライも昔からずっと醤油をかけて食べている。

なぜかと言えばそれらを食べ始めた子供の頃、食卓にあったのは醤油だけだったからだ。

何の心配もない話題だと言ったが我が家が昔も今も貧しいというプライベート面をはしなくも暴露することになってしまった。


・私は就寝後に午前2時前後と4時前後の2度、どうかすると3度トイレに立つ。

ある日の明け方午前4時ごろ尿意を催して目が覚めた。

いつもなら起きてトイレに行くのだが何かで読んだこんな話を思い出した。

「年を取ると膀胱に張りがなくなるから頻尿になるのは当然だ。だからと言って少し尿意を覚えるごとにトイレに行って膀胱を甘やかすのでなくある程度は我慢したほうがいい」

そこで私はこう考えた。

「今午前4時。あと3時間くらいで起きるのだからトイレもそれまで我慢しよう」

この3時間ほどの我慢が大して辛くなかったところからすると頻尿の尿意は切羽詰まったものではないのだろう。

以降も明け方のトイレを何度か我慢した結果、就寝中にあまり目が覚めなくなった。

我ながら目覚ましい改善ぶりだ。

私に限らずスマホや目覚まし時計で設定したアラームが鳴る少し前に目が覚めるという人は多いのではなかろうか。

「明日は7時に起きるぞ」と思えばその少し前に目が覚める、「夜中のトイレは我慢するぞ」と思えば朝まで目が覚めない。

人間の意志と身体の連係プレーは大したものだ。



●2021.12.30(木)たたきだす・老化

・駅伝シーズン真っただ中、今日も「富士山女子駅伝」の中継を見た。

駅伝を含む陸上競技の選手紹介で最近耳につくようになった表現がある。

たとえば「〇〇選手が日本記録にあと1秒のタイムをたたき出しました」、この「たたき出す」が気になるのである。

「たたき出す」は基本的には「迷惑な客を店からたたき出した」というふうに使う。

語源は「叩いて出す」だからあまり品のいい言葉ではない。

今日の「富士山女子駅伝」を見たのは10月に行われた「全日本大学女子駅伝」で快走した不破選手(拓殖大学1年)目当てだったが期待に違わぬ走りっぷりだった。

レース後にネットニュースを見ると案の定だった。

「(不破選手は)これまでの記録を2分近く更新する驚異の区間新を叩き出した」

まだ10代の可愛らしい女の子でもあるし「区間新を出した(区間新を記録した、区間新だった)」でよくはないか。

「驚異の区間新」で強調の目的は果たしているのだから。


・今日たまたま見たローカルテレビ番組に精霊流しの中継の解説でお馴染みだった越中哲也氏が取り上げられていた。

長崎の著名な郷土史家だったが今年9月に99歳で亡くなられた。

氏の生前の姿を時系列的に追う特集番組だったので年齢と共に滑舌が衰えていくのが印象的だった。

懐メロのテレビ番組を見ると歌手本人が歌っても往時のような声は出ない。

それは我々素人のカラオケも同じで年を取るとうまく歌えないのは仕方ないことだと納得できる。

だが日常会話も歌と同じようにどんどん下手になっているという自覚は薄いのではないか。

口を開いてはっきりものを言うということはけっこう大変な芸なのである。

さて明日は大晦日だが去年の今ごろは何をしていただろうかと思ってこのブログをさかのぼってみた。

すると今年の12月と同じように去年12月にもクシャミすると腰が痛むという記事があって安心した。

腰痛が続くと膵臓や腎臓のガンを疑うのだがもしそうなら去年の12月に既に痛かった私は1年後の今この世にいないはずだ。

ガンと認知症、言い換えれば肉体の病と精神の病。

老人の行く手にはこの二つの門が扉を開けて待っている。

年を取ったあげくの選択肢として「ガンになるか認知症になるか、どちらを希望するか?」と運命の神様に提示されたらどうするだろうか。

その二つの道に比べると通常は忌み嫌われる「寝たきり」が幸せな老衰のように思えてくる。

もうすぐ正月だというのに暗い話で今年を締めくくることになってしまった。



●2022.1.3(月)駅伝

ニューイヤー駅伝に箱根駅伝、三が日は駅伝三昧だった。

箱根駅伝で下位の選手の走りを見ると私はこんなふうに思ってしまう。

「もっとしっかり走れ!」

「鍛え方が足りなかったんじゃないか?」

しかしこれは酷というものだろう。

私の地元長崎県でも毎年12月に「島原学生駅伝」が開催される。

この大会の旧称が「九州学生駅伝対校選手権大会」であることから分かるように出場校は九州内の大学に限られる。

2021年の優勝校は鹿児島県の「第一工科大学」だった。

次に学生三大駅伝の一つ「全日本大学駅伝2021」の結果を見てみよう。

上位にはずらりと箱根駅伝の常連校が並び関東勢以外で最も成績がいいのは17位の「関西学院大学」で、「第一工科大学」は全27校中26位である。

つまり九州ナンバーワンであっても箱根駅伝の最下位校の足元にも及ばないのだ。


ところで箱根駅伝の中継を見ていて毎年不満に思うことがある。

それは監督車が目障り、耳障りだということである。

上記のように箱根駅伝に出場する選手たちはみな相当のスピードで走っている。

それなのに前の中継車・白バイと後ろの監督車に挟まれた選手はテレビ画面では狭い空間で足をばたつかせているように見えて疾走感が感じられない。

監督車がいなければ後ろの視界が開けてすっきりし後続ランナーも視野に入りやすくなるだろう。

耳障りという点からは選手の真後ろから大声で檄を飛ばすのはいかがなものか。

リトルリーグの監督が小学生の選手に細かい指示を出すのさえ「もっとのびのびとプレーさせてやればいいのに」と批判される時代である。

駅伝の選手は大学生でさらに2年生以上は成人なのだから監督車は廃止して好きなように走らせてほしい。

ラグビーと比較すればなおさらそう思う。

「紳士のスポーツ」と言われるラグビーは選手の自主性を重んじる。

だから監督はベンチにはいれずスタンドから観戦し試合はキャプテンが仕切る。(無線通信が発達している現在は携帯やトランシーバーで監督が時折り指示を出すこともあるが)



●2022.1.6(木)終活

去年8月末に発症した左足の痛風がやたらと長引いた。

短期間で治っていた病気の治りが遅くなりやがては…というのが年を取るということなのだろう。

左足の痛風がやっと完治したと喜んでいたらまるで癌の転移みたいに今度は右足の親指付近が痛み出した。

さっそくロキソニンを飲んだが今回はどういう経過をたどることやら。


以前はよく妻と一緒に行きつけの店に飲みに出かけていた。

老人の常連客も多い店で「あの人を最近見かけなくなったな。ひょっとしたら…」と思うことが時々あった。

そういう私が今は他の客からそう思われていることだろう。

昨年末にその店に行ったがキープしてあるボトルは1年以上も前のものだった。

この分ではそろそろ終活に入ったほうがよさそうだ。


終活と断捨離は同義語のようなものだ。

一人暮らしをしていた父親が亡くなった後は大変だった。

土地は借地だったので老朽化した家屋の解体を業者に依頼した。

つてを頼って破格の費用で引き受けてもらったので家の中をなるべく空の状態にしなければならない。

兄弟はみな遠くに住んでいるので私一人で頑張ることにした。

数か月に渡って可燃物(週に2回)、不燃物(週に1回)の収集日に実家に通った。

坂の町長崎の高台にある家なので車が横付けできずゴミ集積所まで歩いて運ばねばならない。

両手にゴミ袋を提げて延べ数百回家とゴミ集積所を往復した。

家具や布団も市指定のゴミ袋に入る大きさにバラさなければならなかったし書籍類や食器類は重かった。


そんな経験をしたので私は残される者の負担にならないよう普段からスリムな暮らしを心がけている。

終活の一環として物だけでなく人間関係もスリム化を図りたい。

年賀状は我が家では妻がパソコンとプリンターを使って印刷する。

私個人が年賀状をやり取りしているのは10人前後だ。

何年か前に私はもう年賀状は書くまいと思った。

すると妻がそれは不義理だと言って親族に出すついでに私個人の年賀状も印刷して毎年出してくれた。

その妻が膝を痛めて身動きが不自由になった。

今はだいぶよくなっているがそんなわけで今年妻は親族からの年賀状の返事しか出していない。

これを機会に私の個人的な年賀状は今年から失礼してフェードアウトということにしよう。


年末も年始も明るい話題がなく老け込む一方の私だが世の若者たちの元気なこと。

密集をも恐れず寒い中カウントダウンや初詣でに嬉々として繰り出す。

私は暇はいくらでもあるがとてもそんな気にはなれない。



●2022.1.30(日)心筋梗塞

前回記したように今年は年賀状を出さなかった。

それでも毎年個人的に年賀状をくれる人たちがいる。

その人たちに数日前、以下のような文面のハガキを出した。



『皆々様へ

 年賀状ありがとうございました。年明け早々入院しておりましたのでお礼が遅くなってしまいました。入院は心筋梗塞のためでカテーテル治療を行いました。高血圧、高脂血症、高尿酸血症などを抱えながら何の対処もしなかったつけが回ってきたのでしょう。幸い予後は順調ですが今回の件を機に終活を身近な問題として意識するようになりました。つきましては勝手ながら年賀状等のやり取りも今回限りとさせていただきたく存じます。これまでのご交誼に感謝申し上げますとともに皆さまのご健康を心よりお祈り致します。』



心筋梗塞しんきんこうそくの「心筋」とは文字通り心臓の筋肉のことで「梗塞」はどちらも「ふさがる」と読む漢字である。

血管に血栓が詰まってふさがればその血管から酸素や栄養を供給されていた心筋の壊死えしが始まり最終的には心臓の停止にいたる。

これが心筋梗塞である。


心臓を覆う冠動脈には左冠動脈と右冠動脈がある。

このうち左冠動脈はさらに下行肢かこうし回旋肢かいせんしの二つに分岐する。

今回の私の場合はこの下行肢という血管に血栓が詰まった。

詰まった後に幸い血流がある程度回復し大学病院での処置も早かったので大事にはいたらなかった。

治療は右手首からカテーテルを挿入し血栓を除去した後に血管が再梗塞を起こさないようステントと呼ばれる網目状の筒を患部に留置して終了。


盗撮等のつまらない犯罪で逮捕されて連行される場面をテレビニュースでよく見かける。

その後の人生が台無しになるだろうにどうして捕まる前に反省できなかったのか。

なんと愚かな者たちよと思っていたが今回の私自身も似たようなものだった。

カテーテル治療は数時間かかったが痛くもかゆくもなかった。

しかし生死にかかわる心臓病なのだから軽い病ではない。

腕に数本の点滴等の管を刺され鼻の穴にも酸素吸引のノズルをはめられた私は自分のことを愚かな犯罪で連行される者たちと同じだと思った。

前もって生活を改めようとしなかった不摂生のばちが当たったのである。


以上のような次第で今後は神妙に生活しようと思うのでこのブログも当分お休みということで。

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