夫が浮気相手を妊娠させた

春宮 絵里

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夫が浮気相手を妊娠させた。

そんな現実味の無い話にただ立ち尽くし、虚空を見つめることしかできなかった。

嘘だ、嘘だ、私のような妻がいて浮気したって言うの?

ドラマみたいなこと、まさかこの私が経験するなんて。






*****






夫とは大学の新入生歓迎会で出会った。まだ未成年なのにお酒を勧めてくる先輩からさりげなく守ってくれた夫に惚れ、そこから猛アプローチで付き合えることができた。当時18歳の私には3歳年上の夫が立派な大人のように見えていた。後から聞くと夫も私のことが気になっていたらしい。夫は商学部の主席で将来大企業に就職するだろうと周りからの多くの期待や羨望を受けていた。一方私は恵まれた容姿を活かしてミスコンに、それからモデルへと、ステップアップしていた。お似合いカップルとして26で結婚。翌年には娘も生まれ、幸せに暮らしていた。確か30を過ぎたあたりから寝室を分け始めた。夫の加齢臭のような体臭に耐えられなくなったからだった。今考えると妊娠の兆候だったなと思う。2人目を妊娠して今日で8ヶ月、お腹も目立ち始め、子育てに勤しもうとしていた時だった。




夫がお風呂に入ってる間にスマホの通知が鳴った。今まで全然気にもしなかったその通知が妙に気になりスマホをのぞいてしまったのだ。パスワードは社員証の頭四文字、昔から変わらない。既読をつけないように長押ししてラインを読むと、会社の後輩と思われる女からの結婚を望むメッセージが見えた。震える手でアルバムをタップすると女のものと思われる母子手帳や2人のツーショット写真など浮気の証拠がどんどんと出てきた。裏切られたショックに打ちひしがれ、涙でスマホ画面が霞んでくる。「おーい、シャンプーの詰め替え取ってくれ」洗面所からの夫の声にハッと我に帰った。夫に手渡した後、LINEの画面をスクショし自分のスマホに送る。証拠になると思ったからだ。スクショを消し履歴も消すと、どっと汗が流れてきた。スマホを見たことがバレないように普段通り振る舞う。ずっと冷や汗をかいていた。




スマホを持ってお風呂に入ると、よく見ていなかった夫の浮気相手の母子手帳の写真を改めて見る。出産予定日がほぼ重なっていた。最低だ。また、夫のLINEや普段の態度を鑑みるとどうやら夫は私のことも彼女のことも両方愛しているようだった。普通どちらかにベクトルが向くと思っていたが、器用で正直なあの人らしいと、はらわたが煮えくり帰っていた。今度はLINEの内容を注意深く見ていく。すると、『父親のいない子にはできないわ』と言う文が言葉を変えつつも一番多く送られていた。この苛立ちや愛憎をどこに向ければいいの!夫も浮気相手も憎い。夫にはまだ愛もあり、お腹の子のことを考えると涙が止まらなかった。冷たいシャワーは愛情も涙も流し出してくれたような気がした。




娘を寝かしつけ、漸くベッドに入ると悶々とした気持ちになり、ずっと夫と浮気相手のことを考えていた。今更向こうの子どもをおろすこともできないし、証拠もあまり無いため離婚なんかしたら慰謝料が少額だと言うことは目に見えていた。

「ふふふふふふふ…」堪えられなかった笑い声が漏れてしまった。自分のアイデアに震える。私は夫と浮気相手への1番の復讐を考えついてしまったのだ。自然と笑みが溢れる。早速明日から根回ししなければ、と思い至ったところで睡魔が襲ってきた。今夜はよく眠れそうだと眠気に身を任せた。




娘を幼稚園まで送り、夫が仕事に出た後スマホで夫の両親に電話をかけた。

「お久しぶりです。お義母さん」

「あら〜お久しぶりね。元気だった?」

「はいおかげさまで」

「急にどうしたの?何か困ったことでもあった?」

「困ったことでは無いんですが、お願いがあって」

「ふふ、なんでも言ってちょうだい。お祖母ちゃんだもの」

「ありがとうございます。実は出産の前後、夫と一緒に赤ちゃんが生まれるのを立ち会って欲しいんです。娘も連れて。マタニティブルーなのか、不安で不安で」

涙声でお願いすると慌てた義母の声が聞こえてきた。

「もちろんよ!でもあなたの両親じゃなくていいの?」

「はい。両親は遠いので……迷惑でしたか…?」

「いいえそう言うことね、任せてちょうだい」

その後、少し雑談していると義母の「チャイムが鳴っちゃったわ」と言う声で電話を切った。




根回し完了、ほくそ笑む。あと2ヶ月待っていなさい、と軽い足取りでリビングに戻った。






*****






予定日2週間前。つわりで苦しんでいると、電話が鳴った。

義母か、夫かと画面を覗くと非通知だった。胸騒ぎがする。

動揺を抑えて通話ボタンを押す。

「もしもし」

「高橋深雪さんですか?私、高橋部長の彼女です」




予想的中、浮気相手からだった。どうにかしてこっちがいたずら電話として処理しようとする、何も知らない妻を演じなければ。




「はぁ、あのいたずらも大概にしてください。迷惑なんで。お宅の会社に報告しますよ?」

「いたずらじゃありません。私部長の子どもも妊娠してますから」

荒れまくった怒りで叫びそうになる。抑えなければ。血管をピキピキと言わせながらミュートを外す。

「あのねぇ、昔からこういう方多いから慣れっこなんです。あまりにもしつこいと警察呼びますよ?」

その瞬間破水したのを感じた。くそ、このタイミングでか。電話をミュートしスピーカーにしていると、彼女からも私と同じような声が聞こえてきた。最高だ。運は私を味方したようだ。電話を切り、義母に電話すると5分以内に義父と共に家まで来てタオルやら何やら処理の、後車に乗せて病院まで運んでくれた。陣痛の波に耐えながらも、助手席にいる義母に頼む。

「夫にもこちらに来るように頼んでください。娘もこちらにお願いします。あと、夫を長い間別のところに行かせないでください。出産が終わった後いなかったら悲しいです」

私の魂の訴えが効いたのか私と義母を置いて病院を後にした義父は、その足で夫と娘を拾って病院まで連れてきてくれた。お義父さんには頭が上がらない。




さて、これからが本番だ。私は2人目の子供をぽーんと出産した。激痛だがまぁ出産は慣れだから。

ついに面会。義両親はニコニコと赤ちゃんを眺めている。娘を新しい生き物に興味津々だ。そんな中、夫はしきりにスマホを確認したりキョロキョロしたり落ち着かない様子だった。……ざまあみろ。私と同じ時に破水したなら高確率で浮気相手はこの病院にいると踏んでいた。おそらく浮気相手は夫に立ち会ってほしいと言ったはずだ。行こうとする夫を義両親が足止めをする。夫は義両親には頭が上がらないため、ずっと挙動不審だ。あの様子から察するにまだ一回も会っていないようね。そんな夫が一点に視線をとどめる。その先には怖い顔してこちらを睨んでいる経産婦がいた。あの女性が夫の浮気相手か、この状況で絵に描いたような幸せ家族を相手にあなたに何ができるのかしら?浮気相手にだけ見えるように嘲笑を浮かべた。怒り心頭の様子でずんずんとこちらに歩いてくる。全く馬鹿な女。




「部長なんで立ち会ってくれなかったんですか!私の出産を!!」

焦った様子の夫と戸惑ったような義父母の反応に笑い出しそうになる。

「いやいや違うだろ、園田くん。なんで後輩の君の出産に僕が行くのかい?」

焦った顔から一転、真剣な顔を作った夫が正論をぶつけてきた。

そろそろ私の出番かしら。

怯えた顔を作ると園田という女に言った。

「この声、あのいたづら電話の人ね!夫に付き纏うのはもうやめてください」

我ながら白々しい。

「この、白々しいっ」

園田が私に手をあげようとすると警備員さんが腕を掴んだ。

「何してるんですか!」

警備員を呼んでいたのか、義母が病室の入り口で息切れを起こしていた。

警備員が園田を引き離し、別の部屋へと連れて行った。

娘を確認すると、義父が目と耳を塞いでいてくれたようだったり良かった、子どもに見せることにならないで。さて、仕上げしよう。

「あなた、大丈夫?ストーカーかしら!気をつけて。あなたが心配よ」

夫の腕を掴み上目遣いで心配する健気な妻を演じていると、夫は感激したのか私を抱きしめ何かずっと言っていた。出産疲れとやり切った達成感で右から左に抜けていった。





*****






浮気相手の女に対する復讐は夫と再婚させず、子どもも認知されずに、あの女がずっと気にしていた父親のいない状態にすること。そのために好きでも無い夫と離婚しないでやっている。




私の子どもたちも父親のいない状態にはしたくなかった。そのためにも離婚しなかった。

子どもは宝、とても愛おしい私の子どもだから苦労してほしく無いの。




夫に対する復讐は、子どもたちが成人した後、撮り溜めた証拠で慰謝料をふんだくり離婚。

その後、私たちへの接近禁止や老後貧しく孤独に生きてもらう、という復讐を考えている。




私も1人になっちゃうじゃんと思った?ふふ、私は設備のいいお金がかかるけど楽しく暮らせる老人ホームに入居するの。第二の人生待ち遠しいわ。



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