第八章 それぞれの道

第36話 ロックバード&ロバート

 ボクが目を覚ました時には、華やかな街並みの光景から一変した世界が広がっていた。生い茂る草木、青臭い緑と土の匂いが鼻腔を刺激する。


 ———それよりも、お兄ちゃん!


 急いで目をかっ開いて身体を起こしたが、その姿はどこにも見当たらなかった.

 手足を捥がれて、それでもボク達を守る為に抵抗してくれたお兄ちゃん。それなのにボクは、肝心な時に何もできなかった。


 そういえば他の人は? お姉ちゃん達も無事かな?


「セシルお姉ちゃん、リースお姉ちゃん、エディ……!」


 だが、無情にも聞こえるのは鳥や獣の声と、木々の葉の擦れる音ばかり。

 何で……? もしかしてボクだけが違うところに飛ばされたの?


 誰もいないこの世界で、一人で生きていかないといけないの?



 絶望が押し寄せてくる。手足に力が入らない……。

 お兄ちゃん、ボク……怖くて仕方ないよ。

 ガタガタと震える身体を縮こませるように抱きしめた。


 その時だ———遠くから聞き覚えのある声を捉えた。


「………ロバート様? どこ?」


 鬼気迫る切羽詰まった声に、急いで駆け始めた。

 どこ? 大丈夫なのかな? ロバート様は弱いから、ボクが守ってあげないと!


 伸びた草木を避けながら走ると、そこには子供のウルフキャットの群れに追い詰められたロバートの姿があった。

 まるで戯れているような、和やかな雰囲気の中で、ロバートだけがアタフタと焦って叫んでいた。


「ロックバード! 良かった、助けてくれ! 私一人ではどうすることも出来なくて困っていたのだ!」


 いや、ウルフキャットは王子様に遊んでほしいと戯れているだけだけど?


 一気に緊張の糸が緩んだロックバードは、その辺に落ちている木の実をとって、遠くへと投げた。


「ほら、取りに行っておいで!」


 ブンブンと遠心を効かせた投石技術で、それはそれは勢いよく森の奥へと飛んでいった。それが遊びみたいだと認識した無邪気なウルフキャット達は、飛び跳ねるように喜んで追いかけて消えていった。


「ふぅ、助かったよ。いやいや、気付いたらウルフキャットの群れに囲まれて、どうしたもんだろうと諦めていたところだったよ」

「諦めなくても大丈夫でしたよ? あの子達は王子様と遊びたいだけだったから」

「そうだったのか? それは気付かなかった。命の危機がなければ、少しくらい遊んであげれば良かったな」


 呑気なことを言っているロバートに、ロックバードは湧き上がる怒りを覚えた。

 お兄ちゃんはこんな奴を助けるために、あんな酷い目に遭ったと言うのに!


 何でよりによってこんな奴と! ロックバードは踵を返してきた道を戻り出した。


「ま、待ってくれ! 私も一緒に」

「いやだ、今のボクは王子様を許せそうもないから、離れて歩いてくれないかな?」


 あんなにも温厚で優しいロックバードが、敵意丸出しで怒っている。とりつく島もない。

 ロバートは涙目で「分かった」と頷くことしかできなかった。


『それにしても、ここは何処なんだろう? 太陽はこの時間であの場所に上がっているってことは、ジョカの村よりも北にあるのかもしれない。お兄ちゃんは無事なのかな? あぁ、どうしよう……分からないよ、ボクは……』

「ここは……セントラルコウゴウから少し離れたジュリンの湖の近くだな」


 ……え、王子様、分かるの?

 ビックリした表情で見ると、ロバートは少し安堵した顔で笑い掛けた。


「これでも地理には詳しいんだよ。曲がりながらもこの大陸を統べている王族だからね。サキ殿やセシル殿達とはぐれた今、一刻もはなく合流しないといけないな」

「……王子様にもすごい特技があったんだね」


 これを特技と言っていいのか迷ったが、僅かだがロックバードの警戒が解け、ロバートは安堵して胸を撫で下ろした。


「それに万が一に備えて万能薬や回復薬、色んな常備薬を備えているから安心してくれていいよ? 攻撃は弱いけど、代わりにたくさんサポートをするから」


 いつの間に用意したのか、ロバートはたくさんの備品を見せてくれた。


「君達はサキ殿の大事な人だからね。私も全力を尽くして守るよ」


 ———一人じゃウルフキャットも撃退できない人が、何を偉そうに。そう思ったけど、気付いたらボクは笑っていた。


 そうだよね、今はたった二人だけの仲間なんだから、歪みあってる場合じゃない。力を合わせて頑張らないと。


「王子様、一緒に頑張ろう!」

「あぁ、ロックバード殿!」


 その時、一羽の光の鳥が空を割くように飛んで、気がつくと目の前に舞うように降りてきた。


「これは……エディの魔法じゃないか!」


 鳥の形をしていたソレは、形を文字に変えてメッセージを伝えてきた。


『ザッケルで会おう。エディ&サキ』


 お兄ちゃん、生きてるんだ! あんなに瀕死の傷を負っていたと言うのに、まるでゾンビのようなしぶとさだ。


「王子様、ここからザッケルまでどのくらい?」

「急げば二週間ほどで着くと思うが……」


 よし、そうと決まれば急ぐしかない。ロックバードはロバートの身体を背負うと、一気に森を駆け抜けた。


「うわぁぁぁぁぁぁぁ! は、早い! 早い、早いよ、ロックバード!」

「少しくらいは根性を見せて下さい! もっとスピードを出しますよ?」


 こうしてロックバードとロバートは、ザッケルの街へと急いだ。


———……★


「違う、ロックバード! そこを右だ!」

「右? 右ってどっち?」

「こっちだ、こっち! おい、逆だ!」


 もう、王子様は何もしないくせに、うるさい!


 思わず肩車していた両足を掴んで、ブンッとぶん投げてしまった。情けない叫び声を上げながら、水飛沫を上げて湖にダイブした。


「もう! どうせ説明をするなら、もっと分かりやすく話してよ! ロバート様のは分かりにくい!」

「君が早すぎるんだ! もう少し落ち着いて行動してもいいんじゃないか? 結局、君が道を間違えすぎるせいで、大幅な時間ロスをしてしまってるじゃないか!」


 うるさい、うるさい、うるさい!

 もう、やっぱり王子様はボクに合わない!


 早くお兄ちゃん達に会いたい……! きっとお兄ちゃんなら、こんな難しいことなんて言わない。


 握った拳に力が籠る。

 大っ嫌い、大っ嫌い!


「ロバート様なんて、ゾウガメモドキに喰われてしまえ! そして臭いウ○コと一緒になっちゃえ!」

「なっ、ロックバード! 女の子がそんな野蛮で下劣な言葉を使うもんじゃないぞ!」


 知らない、知らない! もう嫌だー!


「右って何ー! もうロバート様の馬鹿ァ!」


 彼女の悲痛な叫びにロバートも目を覚ました。

 ………右を知らないのか?


 いや、まさかな? 左右なんて日常的に使用する基本中の基本の常識だ。

 しかし原祖的なジョカの村で育ったロックバードなら、ありえないことでもないのかもしれない。


「ロックバード……ちなみに右はこっちの手だ。分かるか?」


 そう手を上げた瞬間、ロックバードの拳が鼻にのめり込んだ。


 折れる折れる折れる! 痛ィ……! この野蛮人め、下手に出ればさっきから!


「分かるの、それくらい! ただ、そっさに言われても分からないの! それくらい王子様なら分かってよ!」


 そうだったのか! なんてことを、私はしてしまったのだろう!


 ボロボロと泣き出すロックバードを見て、焦って慰めた。頭で理解するよりも、体が動いてしまうタイプか。


 脳筋のロックバードは、咄嗟の言葉が認識しくいのだろう。


「それでは私は進んで欲しい寸前で体を傾ける。それで伝わるか?」


 手綱で馬に指示するように、その方が彼女には伝わりやすいはずだ。

 ロックバードもその提案にコクンと小さく頷いた。


「……ロバート様、さっきはカッとして投げ飛ばしたり、顔を殴ってごめんなさい……」

「うむ、問題ないよ」


 ———鼻の骨は折れたが、仕方ない。

 さっきから戻そう戻そうとするが、中々治らない。

 彼女が気にするといけないから、こっそりと治療薬を飲むとしよう。


 これからは逆撫でしないように、穏便に、ことを遂行しようじゃないか。


『………サキ殿はこのような女子3人を相手にしてるのか。感心するな』


 一番穏やかだと思っていたロックバードですらこの有様だ。

 気性の荒いツンデレセシルさんや、実はSっ気溢れるリースさんは、怒らせるともっと怖そうだ。命がいくつあっても足りないだろう。


 そういえば、彼女達を仲間にする際に何度も修羅場をぐぐってきたと話していたな。

 冗談だと思っていたが、強ち嘘でもないかもしれない。


『心から尊敬致します、ご先祖様……。そして少しでも早く、あなた達と合流したい……!』


 こうしてロバートはロックバードに肩車され、木々が生い茂る森林の中を全力疾走で駆け抜けた。


 殴られるような事態はなくなったが、その代わりムチウチのような、車酔いのような、謎の嘔吐感がしばらく続いていた。


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