第33話

 かなたの胸から手から伝わる熱がリラのうろこの固さを貫いて細胞を明るく振動させる。かなたと踊るほどにリラの体は溶けていくようで力も自我も液状化する。水が一つになろうとするみたいにリラはかなたの首に腕を回してより深く抱き着いた。すると、光のスープを嘗めたみたいな眩しい味がリラの水かきのある手を温めていく。それはかなたの秘味だった。リラの手は飢えた舌のようにかなたの首を絞め始めた。かなたに対する罪の意識に引きずられながらもリラはかなたの首をむさぼるのをやめられない。リラの心が欲望の暗い光で満ちていく。その時だった。

 かなたがリラにキスをした。キスで息を塞がれて、(or唇をかなたに塞がれて、)

リラの腹の中で渦巻いていた醜くて暗い何かが窒息して苦しんでついに死んだ。かなたの首を絞めていた手の力は自然と抜けていって、今はただ温かいだけ。


 ふいに、かなたがリラから唇を離した。リラの唇は寂しさで疼き心は千切れるように痛かった。かなたはまるで火事場のような緊張した面持ちであたりを見回す。「玉兎はどこだ?りんごは?サイハは?」あの、地の底から聞こえる恨み言みたいなサイハの声が聞こえていないのに気が付いてリラのうろこは固くなり不安が渦を巻き始める。

 「いた!」

 かなたがバシャバシャと見えない水音をさせながら砂丘のふもとへと走っていく。リラもそのあとに従う。かなたが砂に膝を突いて砂を掘る。そうして現れたのはぼろぼろに傷ついた玉兎だった。玉兎は欠けたドングリの頭をぶるぶるふるわせながらシャボン玉を吹いた。リラがかなたに追い付いたときそれは割れた。

 「きゅ、急に何の音も聞こえなくなってそしたら、りんごが何かに攫われたんだ。それを追いかけていたら急に砂嵐に噛みつかれて……」

 玉兎は身を捩って背を見せた。玉兎のガラスのささくれみたいな羽にはひびが入り大きく欠けている。リラはかなたから玉兎を受け取ってその傷ついた背にまなざしを塗っていった。玉兎は「うっうっ」と呻きながらも少しずつその傷がふさがり始めた。その時だった。飢えた暗闇みたいな声がか細く聞こえた。その声の方を振り向くと誰かの足が引きずられて丘の向こうに消えていった。

 「かなた、りんごだ!丘の向こう!」

 リラはそう大きなシャボン玉を吹いて立ち上がる。

 かなたは独楽のように回転しながらあたりを見回している。陽が傾いて、星の苦い味が地に降りて来る。リラのシャボン玉は夕陽に重なるように揺れながらやっと割れた。

 「かなた、りんごだ。砂の下に翼が見えたよ。」

 かなたはリラの声を聞いて地面にしゃがみ込みバシャバシャと透明な水音を立てながら砂漠を掘っている。リラは手を振って「違う違う。丘の向こうだよ。」とシャボン玉を吹いた。

 日中、砂漠の熱に焼かれてジュクジュクになった空の膿がちょうど夕陽と重なる。それは夕陽の暗い熱を湾曲して孕みどろっと血色の幕を砂漠に降ろし始めた。そんな歪んだ夕焼けに一人の天使が浮かび上がった。それは、リンゴだった。りんごはまるで標本の蝶のように翼を開かされ透明な十字架に架けられているみたいだった。

 「そうそう。もっと砂の下にりんごの翼が見えたんだ。」

 さっきのリラのシャボン玉が破れて、改ざんされた言葉が響く。「絶対に助けよう。絶対に助けよう」かなたが怯えるような声でただひたすら砂を掘り続けている。リラは癖で二の腕のうろこを掻くのをやめた。彼水は玉兎を優しく砂丘のふもとに降ろす。

 「私がやるしかないんだ」

 リラは川の幽霊から丘の上へと上がっていく。小さな見えない水音を尾びれで引きながらリラは丘の上へとやってきた。

 結局リラは間に合わなかった。リラが丘の上に立ったころには飢えた暗闇みたいな声がしてりんごの翼が一枚千切られてしまった。りんごは片方の翼を空に杭打たれたみたいにぶら下がっている。

 「やめて!」

 リラの叫びはシャボン玉に囚われて風に攫われていく。千切れたりんごの翼は風が千々にかみ砕き空間に食い尽くされて見えなくなった。そして、再び風がやってきてリンゴに襲い掛かろうとしている。

 「やめて!」さっきのシャボン玉が割れた。

 リラは痛みを感じて胸を触った。リラの水かきのある手がリラの胸に空いた空洞を掴む。リラは溺れているみたいにシャボン玉を吐き出してその場に倒れた。

 「死ぬのは、、、私?」

 リラの胸に空いた穴が丸く錆びのように広がっていき身体を崩していく。透明な水音がしてリラの体を誰かが抱き起す。それは、かなただった。

 「わたし、あなたのこと好き。愛している(。永遠に。)」

 リラの愛の言葉は何にも囚われずにまっすぐかなたに届いた。

 時間に食われているみたいに錆びていくリラを見てかなたは腹を抱えて笑い出す。リラは血が出るほど叫ぶ。

 「何がおかしいの?」

 かなたは「なんでもさ。くっくっく」と息もできないぐらい笑い涙を拭う。「あんたはくずだ!あんたは悪魔だ。あんたが死ねばいいんだ」

 かなたはリラを引き寄せて彼水の唇に唇を重ねた。リラは死んだ。

 「雷鳴の涙」

 リラの秘味は唇だった。かなたはその感想を落ち着いて述べたあとリラの遺体を降ろした。

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