第32話

 りんごが自分の足跡を指さしてはしゃいでいる。森はまるで病気みたいに暗い。そんな対照的な森とりんごを曲面に宿しながらシャボン玉は浮かびはじけた。

 「ほら見て、隠れカラーパ三つ目だよ。」

 りんごの足の形に凹んだ地面から若芽のようなものが首をもたげている。りんごが指先でその若芽を突っつくとりんごの指は若芽の中に透明に埋もれた。

 玉兎のビーズみたいなシャボン玉が老木の黒ずんだ肌に当たってはじける。

 「これで、おれは二つ。りんごがみっつ。そして、リラとかなたはまだ一つも見つかってないな。やる気あるのかお前ら?」

 玉兎に呼ばれてもリラは返事をしなかった。リラはずっとサイハのことを警戒していたからだ。サイハはというとまるで地獄のため息みたいな陰気な声をあげているだけで相変わらず姿かたちは見えない。かなたはサイハが陰気な声をあげるたびにまるで漫談でも聞いているみたいにゲラゲラ笑っているのだ。ふと、サイハの暗い声が止んだ。空が歌っているような広い音鳴りがサイハの声をかき消したのだ。それは、リラのうろこの一枚一枚に耳の穴が開いたみたいに体で聞こえる音だった。

 音鳴りが止むとしばらく森は沈黙した。木々の呼吸すら聞こえない死んだ時間。その沈黙を破ったのはせせらぎの音だった。すごく近くからそれは聞こえるのだがあたりを見回しても川らしきものはない。

 その時だった。「うあぁぁぁぁあああ!」とかなたが急に頭を抱えて怒鳴りだす。かなたはこぶしをぶんぶん振ってあたりの木に穴を開けたり倒したりした。

 森の木々が骨のようにバキバキと倒れて折り重なっていく。リラや玉兎やりんごは体の内側から肋骨が折られたみたいな激痛に顔を歪める。リラのシャボン玉が弾けた。「かなた?どうしたの?落ち着いて!」

 「わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。わからない。」

 かなたはそう言いながら土を殴る。リラたちは腹の内側で爆発が起こったみたいな激痛で倒れる。

 ふと、かなたが殴る手を止めた。かなたに抉られた地面の凹みに冷たい灯のようなものが現れたのだ。かなたがその灯を掬い上げようとしてもそれはかなたの手のひらをすり抜けて微動だにしない。

 「やっと見つけた……」

 かなたはそう呟いた後ぴょんと飛び跳ねてはしゃいだ。「やっと見つけたよ。隠れカラーパを!」

 さっきまで癇癪を起していたとは思えない、きれいな微笑みだった。リラたちの腹から痛みが透明な便のように流れ去っていく。そして今は、あのせせらぎの音が聞こえるぐらいにリラの呼吸も落ち着いてきた。

 玉兎の砂粒のようなシャボン玉が弾ける。

 「か、かなた。とりあえず森を出よう。ここで暴れられると僕たちの身が持たないよ。」



 かなたたちはせせらぎを追うようにして森を抜けた。森を抜けるとそこは砂漠だった。空は乾いた肌のように荒れていて時折吹く砂風で傷ついている。そうしてできた空の擦り傷に太陽の陽ざしが熱を塗り、所々が血色に膿んでいる。その膿こそががこのあたり唯一の水気だった。風が吹くたびに砂漠はまるで波のように姿を変え、砂丘が重なっては崩れ、盛り上がっては凹みを繰り返している。そんな、乾いた砂漠の中でまるで、見えない幽霊の川が近くを通っているかのようにせせらぎがし続けている。だが、川などどこにもない。


 砂粒交じりの風の中を羽ばたくのに疲れた玉兎がリラの肩に乗って休む。リラは相変わらずサイハのことを警戒している。あの音鳴りを聞いて以来サイハの声が聞こえない。「ああああ、羽がカピカピだよ。もうこれ以上飛んだらおれの羽がもげちゃうよ。」玉兎のシャボン玉が割れる。玉兎はリラの肩で乾燥した羽を抱くようにして舌で舐めて潤している。

 リラがあたりを見回す。

 「どこだ?川を探すぞ。りんご」「うん」

 そうかなたとりんごはお互い手を取り合って川を探してはしゃいでいる。その様子を見ながらリラは泥団子でも食べたみたいな苦い顔をしている。

 「ははーん。リラ、嫉妬しているんだ?」

 そう玉兎の声が聞こえてくるとちょうど彼土がリラの髪の毛を食み始めた。リラは首を横に振った。その振り方が強かったから玉兎はリラの肩から投げ出され髪の毛にぶら下がる格好になる。

 リラのシャボン玉が割れる。

 「玉兎、さっきから私たちの声正しく聞こえるよね?」

 凪でない声だった。

 玉兎は髪の毛にしがみついたままぶんぶんと顔を縦に振る。

 「そしてね、サイハの姿が見えないんだよ。偶然だと思う?」

 リラはそうシャボン玉を吐いた。シャボン玉は砂漠の乾気に晒されながら徐々に水気を失いはじける。

 「そしてね、サイハのことが私は好きなの。サイハ、どこにいったんだろう?」

 リラの言葉は改ざんされている。リラは幽霊に肩を掴まれたみたいに表情を硬くしている。まるで、暗闇が泣いているみたいな低い声が地を這い始めた。サイハが返ってきたのだ。


 リラの髪の毛をよじ登りその肩に戻ってきた玉兎が首をかしげる。ビーズみたいなシャボン玉が割れる。

 「リラ?何言っているんだ?冗談にしては面白くないぞ。」

 リラは苦しい息継ぎみたいに乱れたシャボン玉を吐く。本当は「違う。そうじゃない。私たちの声を改ざんしているのはサイハなんだよ。」とリラは言いたかった。しかし、シャボン玉が割れた時聞こえてきたのは「いいや。私は本気だよ。サイハがいると楽しい気分になれるんだもん。」というリラの声だった。

 玉兎はドングリ頭がもげそうになるほど顔をかしげている。

 「リラ、やっぱりお前おかしいよ。それにお前、かなたのことが好きなんじゃないのか?」


 リラは闘いの中刀を拾うみたいな必死さで近くにあった棒を拾い上げた。すると、バシャンとまるで水しぶきのような音がする。もちろんこの砂漠に水などどこにもない。

 リラはその棒で砂漠に文字を書き始めた。「サイハは敵」とそう書こうとした。リラが棒で砂漠の肌を引っ掻くたびにバチャバチャとまるでしぶきのような音がして溝が砂で埋もれて一文字も書くことができない。

 「くそっ」

 リラはこぶしで砂を叩いた。すると、バシャンという水音がする。

 「おい、リラ。これは大発見だぞ!」

 かなたがリラの近くにやってきて彼水の手を取った。沈み切っていたリラの心が明るくときめく。かなたはリラの手を引いて彼水を立たせ近くにあった小石を軽く頬った。それが砂に落ちると「ポチャン」という音が波紋のようにあたりに広がっていく。「ここだ。ここにあるんだよ。川の幽霊が!」

 かなたはリラの手を引いて砂の上で踊り出す。すると、見えない透明な川がかなたたちのステップに合わせてパシャパシャと潤いのある楽しい音を響かせる。リラは拒絶に怯えながらもかなたの胸に顔を預けた。すると、かなたはリラをグイっと抱き寄せて踊りをエスコートしてくれた。かなたの胸の鼓動から幸福の味が聞こえてくる。それは、リラの耳を通って彼水の心臓まで届き全身を甘く浸していく。リラは全身が舌になったみたいに幸せの味で柔らかく溶けていくみたいだった。そんな、楽しい時間の裏でも夜が喉を鳴らしているみたいな暗くて低いサイハの声がずっと世界(砂漠)の底(足元)を流れていた。

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