第29話

 空が歌っているみたいな声がリンゴたちを追うように降りて来る。その天音に触れてりんごの耳は軽くなり空へと引き戻されそうになる。

 りんごと玉兎はかなたと合流して森に入った。まるで自分たちの胃の中を歩いているみたいな足形の圧力をお腹の中に感じながら、かなたたちは森をぐんぐん奥へと進む。すると、何かが翼に触れてリンゴは後ろを振り返った。りんごの翼に触れたのはリラだった。リラが尾びれを引き摺りながらりんごを追い越してその場にぐったりと崩れ落ち息を切らしている。


 リラの尾びれが作った足跡を追うようにシャボン玉がやってきてリンゴの隣ではじけた。「みんな、帰ろう。外は危ないよ」一瞬世界が瞬きしたみたいに真っ暗で冷たくなった。すぐに明るさは戻ってきたけど、りんごはなんだかぶるぶると震えて玉兎と不安げな視線を交わしあう。リラがさらにシャボン玉を吹く。それは、森の地面を転がっていたがかなたがそれを踏みつぶして割った。

 「怪獣を嘗めちゃいけない。何かあってからじゃ遅いんだよ?」

 かなたは踏みつぶしたシャボン玉を足で地面にねじってから尖った声で言った。

 「今更、なんなんだ?お前だって、わかった。今すぐ準備しようって言ってただろ?」

 かなたが森の地面を強く踏むものだからリラもりんごも玉兎もお腹が痛くなってきて腹を押さえる。リラは腹痛で顔を青くしながらも弁明のシャボン玉を吐いた。

 「あ、あれは違うんだよ。あれは、私のセリフが勝手に変えられていたんだ。本当はいかないでって伝えたかったのに。」その弁明が入ったシャボン玉は近くにあった木の幹をくすぐるように一周したあと弾けた。

 「あ、あれはもちろんそうだよ。あれは、私の本心だよ。本当は私だって外に出たいけど、勇気が出ないだけなんだ」

 自分の声で身に覚えのないセリフが聞こえてきてリラは血の気が引いて後ずさりする。

 かなたは針でも飲んだみたいに顔を歪めて言う。

 「やっぱりそうじゃん。リラだって外に出たいんでしょ?自由になりたいんでしょ?そうならそうとはっきりいいなよ。」

 リラは水かきのある手を振って「そうじゃない。違う。違うんだ!」とシャボン玉を吹いた。シャボン玉は森の天井へと上っていったがいつまでも割れない。かなたは大きく口を開けて泣き出してしまった。まるで大砲が泣いているみたいな泣き声の大きさで森は傷つきリラたちの腹痛はさらに激しくなる。その時だった。かなたの大砲みたいな泣き声をからかうみたいに何かの”声”がした。まるで、暗闇が笑っているみたいな低くて湿った声だ。

 それを聞いてかなたはすっかり泣き止んで今は賢者のような知性を称えた目をしている。”声”はさっきのリラのシャボン玉を押したり引いたりして遊んでいる。かなたは背すじをピンと伸ばして四角い声で微笑みかける。「やあ、サイハ。元気かい?」かなたに呼び掛けられて”声”は遊びをやめて地面へと伏せる。かなたははっきりとした口の形(口遣い)で”声”をみんなに紹介した。

 「みんな、前にも言ったけどこの”声”は僕のペットだよ。名前はサイハっていうんだ。サイハ、みんなに挨拶しなさい。」

 暗闇が喋っているみたいな声が地面に伏せたまま震える。リラたちはおなかの底を振動にまさぐられているような感覚を感じた。どうやらこれがサイハなりの挨拶らしい。

 かなたはさっきまでの丁寧な姿勢を崩して大きくあくびをした。「ふわあ。まあ、ぼくはね害音ですらペットに出来るんだよ。ぼくを信じてよ。ぼくがいればみんな怪獣と友達にだってなれるさ」

 リラもりんごも玉兎もお腹が痛くてそれどころではなかった。三人は一刻も早く森のパンニアを抜け出したかった。

 「そういうわけだから」とかなたは言ってりんごとリラと玉兎を抱き上げて森を走り抜けてしまった。森に残されたのはいつまでも割れないリラのシャボン玉とサイハだけだった。サイハはシャボン玉を凹ませたり歪めさせたりして遊んでいる。すると、シャボン玉

はとうとうはじけた。

 「しめしめ。このままこいつらを丘から遠ざけてしまえ(そうだよ。かなたの言う通り。このままどんどん丘から離れようよ。)」リラの声が彼水が言ってもないセリフを話す。それを聞くのは森の静寂だけだった。


 


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 ニカは墓の前で手を合わせ目を閉じている。その墓は土手の木に寄り掛かるようにして孤立している。近くには村どころか家一つない。そんな寂しい川沿いを一つのシャボン玉がやってきてニカの近くで割れた。「だ、だれですか?」水性らしい瑞々しい声だ。

 ニカは目を開けて声の方を振り向いた。水性の羊人が一人土手を上がって来るところだった。彼水は手に提げていたバケツを置いてニカの方を見ている。ニカはやわらかく微笑みながらお辞儀した。ニカが吹いたシャボン玉が風に乗りながらゆっくりと羊人の前へと運ばれていく。

 「ぼくはニカだよ。君はロクロだね?」

 羊人は疑うような目の逆三角形を崩さずにシャボン玉を吹く。空が歌っているような広い声がした。その天音が終わると羊人のシャボン玉が弾ける。

 「なんで、わたしの名前を知っているの?」

 ニカはやわらかくシャボン玉を返す。 

 「僧侶の手通信で君と喋ったことがあるからね」

 ロクロはハッとしたように口を開いた。ニカは微笑んでうなづく。

 「あの人のために来てくれたの?」

 ロクロはそうシャボン玉を吹いてバケツを再びつかんだ。

 ニカは土手に腰を下ろしてシャボン玉を吹いた。

 ロクロがバケツの水で墓石を洗い始めた時、ニカのシャボン玉が割れる。

 「あの日、君がその人を亡くした話を聞いてからずっと来てみたいなって思っていたんだ。」

 ロクロは墓を洗う手を止めてシャボン玉を吹いた。それは風に人も見蓋揉みされてから割れた。「そう。ありがとう」

 二人はそれ以上言葉を話さなかった。土手はまるで死に接しているような(死の息みたいに)静かな場所だった。

 静かな時間を過ごした後にニカは立ち上がりシャボン玉を吹いた。

 「また来るよ」

 ロクロはただ頷いてニカにお辞儀をした。


 ニカが土手を去ると、木の影に隠れていた何者かが現れた。ロクロは驚いてバケツを手放した。バケツが酷い音を立てながら土手を転がり落ちていく。ロクロはシャボン玉を吹く。その何者かは鳥人だった。鳥人は嘴をカチカチ鳴らしながらシャボン玉を吹いた。それはロクロの縒りも早く割れた。

 「おい、お前。ニカのことを信じるか?おれはな、あいつは大ウソつきだと思っているよ。あいつはなさっきあんたにしたみたいなことをいろんなところで色んな奴にしてるんだ。節操なんてあったもんじゃない。あれは、ただの偽善者だよ」

 遅れてロクロのシャボン玉が弾ける。「あんた誰なの?」

 鳥人は嘴をガチリと鳴らしてシャボン玉を土手に残してニカを追って行ってしまった。土手に残されたシャボン玉が弾ける。

 「俺か?俺が誰だって?うーん。難しいな。まあ、今はただの野次馬さ」

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