第25話

  あれから数日が経った。結局、星水の丘の人たちに起きたシャボン玉に関する怪奇現象はみんなすぐに気にしなくなった。

 土性や火星の者たちの献身的な協力もあって星水の丘は瞬く間に復興を遂げてしまった。家を失った水性の者たちもみな、住処を新しく与えられみんなが笑顔だった。ニカは丘のふもとの集落を歩いていた。すると、ニカの足に当たった何かが前に滑り出た。それは、ぼろぼろの表札だった。その表札には千切れかかった文字で次のように書かれていた。

 ”ニカお断り”

 ニカは心が真っ暗になったような冷たい感覚がしてその場に立ち止まった。すると、道の脇からシャボン玉が浮かんできてニカの耳元ではじけた。「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ……」

 道の脇に倒れた丸太があって、その上にちょこんと座った水性の羊人が指を折りながら何かを数えている。

 土性の天使や火性の妖精や水性の魔法使いやらが羊人に軽く挨拶をしては通り過ぎていく。水性の羊人はそれらの者たちににっこりと挨拶を返しては再び何かを数え始めた。

 ニカは羊人のことをじっと見ていた。立ち木に目が付いたみたいにじっとニカは微動だにしない。それでも羊人はニカの様子に気が付きもせずただただ指を折り続けている。

 ニカがシャボン玉を吹いた後前に踏み出して羊人の肩に手を置いた。羊人の肩は汗でぐっしょりと濡れていてまるで太ったスポンジを握ったみたいに水が滴る。羊人の驚いた口から大きなシャボン玉が吐き出される。そして、羊人はビクンと体を震わせてそのまま真後ろに転がった。

 「なんか、元気がないねカゲ。どうしたの?」とニカのシャボン玉が割れた。それに被さるように「うわあ」と羊人の大きなシャボン玉が破れた。

 羊人は地面に腰と肘をついた姿勢のままつばを飲み込んだ。羊人の視線はニカの顔から手に下がっていった。その手にはぼろぼろの表札が握られている。羊人はシャボン玉を吐いた。ニカはそのシャボン玉が割れるのを待つ。シャボン玉は空中を魂のように浮遊しながらニカのつむじの上で破れた。まるで棘がつむじに降りてくるような声だった。

 「な、なんで私の名前を知っているの?」

 羊人カゲはゆっくりと立ち上がる。その間にニカは返答のシャボン玉を二つ吐く。

 「君は確か、空が妊娠する前に丘の展望台で友達と遊んでいたよね。その時たまたま君の名前を聞いて、それからずっと気にかけていたよ。」

 羊人カゲは顔を硬直させて後ずさりした。もう一つ目にシャボン玉が割れる。

 「カゲ、失ったモノを数えているんだろう?辛かっただろうに」

 その言葉を聞いたとき、カゲは頭の糸がプツンと切れた感覚がしてニカを押し倒して荒々しくシャボン玉を吐きその場から去った。残されたニカは尻もちをついたときに跳ねた泥を頬からぬぐい取った。その時シャボン玉が破れて怒鳴り声が遅れて聞こえてくる。

 「お前に何がわかるんだ?ニカ。お前はただの偽善者だ。人の心に土足で踏み込むんじゃない!」

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