第24話
星水の丘は怪獣の被災者が戸惑うぐらい早く復興していった。なぜなら、水性以外の者たちは体も財産も全くの無傷だったからだ。ニカは傷ついた人たちを回っていった。被害を受けたのは一人残らず水性の者たちだった。亡くなった者もいた。
足が折れた人間の子供を人魚のもとへと運んでいるときニカはハッとして立ち止まった。火性の人魚がニカから子供を受け取ってシャボン玉を吐き出した。
「ニカさん。どうかなさいましたか?」
ニカはそのシャボン玉が割れるのも待たずに走り出した。石樽の横に取り残されたのは火性の人魚と人間の子供だけでさっきのシャボン玉がプツンと破れる。
「ニカさま。どうかなさったのですか?」
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リラはかなたの火傷した半身を癒そうと必死で治癒の眼差しを送った。リラの視線がかなたの傷ついた肌を這えばそれは視線の軌跡どおりに裂け、灰のように崩れていった。リラはまるで魂が腕から剝がれていくような痛みを感じて顔をひきつらせた。
「どうして、どうして直らないの?」という中身のシャボン玉が不安定に揺れながら空へと上っていく。その時だった。リラは右腕がもげるような痛みを感じて右肩が軽くなった。反射的に左手で右腕をつかんだ。左手に手ごたえはあった。しかし、それは別人の腕を掴んでいるみたいで右腕に感覚がない。
ドサッという音がして顔をあげると腕を失ったかなたが笑っている。地面に転がったかなたの右腕が空に向かって手を開いている。
「ねえ、リラ。今度さ、また丘の外に出てみようよ。りんごや玉兎、ニカもつれてさ」
腕を失い軽くなった体でかなたはピョンピョン飛び跳ねる。着地の瞬間今度はかなたの左足が崩れてかなたは地面に倒れ込んだ。
「どうして、どうして直らないんだ!!」さっきのシャボン玉が割れて、リラの声が遅れてとどく。リラは顔を波のように歪めて悲しんでいることしかできなかった。
そんなリラの体が誰かに押のけられた。リラを押しのけた者はそのままかなたを担いでどこかへ連れ去っていった。かなたが揺られながら運ばれていく姿はまるで壊れた人形みたいだった。
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世界が長めの瞬きをしているみたいに真っ暗になった。暗さは何もかもから温度を奪ってリラは痛いほど寒かった。音すらもまた凍て殺されてなにも聞こえない。そして、10秒ほどしたあと世界が目を開いたみたいに明るさと暖かさと音とが一気に戻ってきて混乱したリラの身体がぶるぶると震えた。
ブーンという時空を切り刻むような羽音がした。そして、シャボン玉が割れた。玉兎の声だった。
「なあ、やっぱりまだ声が変だよ。シャボン玉の中身が書き換えられてる」
リラはシャボン玉が来た方を辿りながら自分もシャボン玉を吐き出す。その内容は次のものだった。「玉兎、かなたを見なかった?誰かに連れ去られちゃって」
別のシャボン玉が割れた。りんごの凍えたような声だった。
「こ、これも怪獣か何かのせいなのかな?」
リラは漸く玉兎とリンゴの姿を見つけた。リラのシャボン玉が玉兎の羽ばたきで切り刻まれて割れる。
「玉兎、かなたを見なかった?誰かに連れ去られちゃったんだ」
玉兎は小枝みたいな腕で丘のふもとの噴水広場を指さしシャボン玉を吐いた。リラはそのシャボン玉が割れるのを待った。
「かなたならあっちにニカに連れていかれたよ。」
その時、リラは口に堅くて柔らかい塊をねじ込まれたみたいに息苦しくなって四つん這いに身をかがめる。リラが溺れているみたいに乱れたシャボン玉を吐き出しているのを心配してリンゴが彼水の背をさすってやった。すると、リラはゲホゲホと咳き込んで息を深く吸った。リラの咳を追いかけて咳切虫が半透明なひし形を連ねて行く。
「大丈夫?」シャボン玉が割れてリンゴの案ずる声が聞こえた。リラは呼吸が整っていくと同時に失いかけていた腕や足の感覚が戻って来るのを感じた。それに、お腹の中が灯を宿したみたいに温かい。リラはぐったりと疲れてその場にしゃがみ込んだ。りんごが大きな片翼を毛布のようにしてリラを覆った。
「ありがとう」のシャボン玉をリラは吐き出した。りんごは何かに怯えているように小刻みに震えシャボン玉を吐き出す。
リラのシャボン玉が割れた。「ありがとね」とリラの声が遅れて届く。リラの耳は違和感に気が付いてビクンと揺れる。「ね、ねえリラ。あなたも自分の声に違和感を感じるでしょ?自分が出した声とシャボン玉から実際に聞こえてくる声が微妙に違うんだよ。これって絶対におかしいよね?」
リラは喉を押さえた。りんごの怯えた声がリラの耳から入り喉に降りてきて震えながら留まる。唾をのんでも息を深く吸ってもその震えは喉から胃に落ちて行かない。
喉の違和感は消えないが体の疲れは癒えてきてリラは立ち上がりながらシャボン玉を吐きだす。「うん。確かに自分の声とシャボン玉の中身が本当に微妙に違う。でも、内容自体は伝わるし今はそれほど気にしなくていいんじゃないかな?それよりも今は、傷ついている人たちを助けなきゃ」
リラのシャボン玉は玉兎が飛んでいる高さまで登って破れた。
「うん。確かに自分の声とシャボン玉の中身とがほんとに微妙に違うね。でもさ、内容自体は伝わるしさ、今はそれほど気にしなくてもいいんじゃない?それよりも今は、傷ついている人たちを助けなきゃ」
リラの言葉にりんごと玉兎は強くうなずいて三人は丘の復興を手伝うことにした。
再び世界が目を閉じたみたい真っ暗に凍った。
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真っ暗闇の中、かなたはぷんすか怒りながら靴を食べている。世界の瞬きが終わって明るさと温もりが戻ってきたときニカはかなたの足元にひざまずいて自分の靴を洗っていた。かなたはニカの手からその靴を奪ってそれを頬張った。
むしゃむしゃと靴をかみ砕きながらかなたは唯一残った足を揺すった。噴水の受け皿にたまった水がかなたの足の振動で激しく震え受け皿から一切の水が外に追い出されてしまった。かなたは角を赤熱させて眉間にしわを寄せて空腹の獅子のように不機嫌だ。
かなたはついに靴をぼろぼろにかみ砕きそれを飲み込んだ。ぐちゃぐちゃになった靴が喉を通って胃に落ちると同時にかなたの失われた片足から何か小さな突起が出てきた。ニカは「これだ!」とシャボン玉を吐き出しながらその突起を引っ張った。するとまるで大地から根っこを引っこ抜くみたいにかなたの足がずるりと生えてきたではないか!
かなたは少し膨れたお腹をさすりながら「うんまーい!」と叫んだ。「やっぱり靴が一番おいしいよ」さっきまで不機嫌だったのが偽物みたいにかなたは朗らかに笑った。ニカは近くにある石樽から苦味星の星水を掬いだしそれで靴の中を満たした。かなたはニカからその靴を受け取るとくるぶし並々に注がれた苦い星水を一気に飲み干した。そのあとかなたは靴を丸呑みした。
今度はかなたの肩に肉の若芽みたいな突起が生えてきて高速で成長する枝みたいにそれは太く伸びていきかなたの腕になった。もう片方の腕も同じようにして生えてきてかなたは両手で万歳をしながら伸びをした。「靴と苦味星の星水、これが相性抜群に美味しいよね」
かなたは舌で唇の周りを嘗めたあとかなたにそう尋ねた。かなたは「うーん」と困ったような表情をしながら首をかしげる。かなたは指をパチンと鳴らした。「ねえ、ニカ。僕のペット、見せてあげるよ」
かなたがそう言ったとき、宇宙が唸っているような冷たいこもった声がして噴水が上がった。その噴水を追いかけるようにその”声”が空へと上っていって頂点に達し落下するのみとなった大粒の雫を一つ残らず食べてしまった。大粒の雫は頂点で滞ったまま透明人間にでも飲まれたみたいに消えたのだ。今はただ、”声”が底知れなくてかつか細い音を引いているだけだ。
「怪獣なの?」
ニカが眉間にしわを寄せて尋ねた。「だめなの?」かなたは権力者みたいな圧のある言い方でそう尋ね返してきた。ニカが答えに窮していると”声”がだんだんと遠ざかっていく。するとかなたは空間を鷲掴みにして懐に力強く引っ張った。「ひぁぁぁぁぁぁ」まるで、幽霊の悲鳴みたいに”声”がかなたの方に引きずられていく。
かなたは子供みたいにニカに哀願する。「ねえいいでしょ?こいつかわいいよ。こいつは怪獣だけど、僕の言うことなら何でも聞くんだ。ほら。」かなたはそう言って”声”を掴んでいた手を離した。すると”声”は幽霊のようにさまよいながらあたりに散らばった瓦礫を食べ塞がった道を掃除した。
「うーん」とニカは答えに迷ったけど、「僕のことを信じてよ」というかなたのまっすぐな目に心を貫かれて思わず首を縦に振ってしまった。この選択が遠弓のように未来を貫いて誰を射抜くのか今はまだわからない。
天音がした。世界中の全ての粒子がほっと溜息をついたみたいな力の抜けるような音だった。すべてのモノがふやけてしまったみたいな緩い時間の中で、”声”だけは天音から逃げるみたいに消えてしまった。
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