第21話

 赤ちゃんたちの泣き声のオーケストラは夜の耳をつんざいて丘の者たちをみな叩き起こした。みんな赤ちゃんたちを歓迎してくれた。リラはぐったり疲れていたから赤ちゃんたちの世話を星水の丘の者たちに任せて自分はベッドで泥のように眠った。夜の暗い酸味がリラのうろこの隙間から漏れる汗と混じりあい、リラは深く眠るごとに身体が溶かされていくような感覚がした。そして翌日、目が覚めた時にはすでに太陽が丘の真上に来ていた。

 「お、おはようね」

 目の前でシャボン玉が弾けてリンゴのあいさつが聞こえてきた。今日はなんだか人と話す気分じゃなくてリラはただそっぽを向いて黙っている。りんごは針にでも触れたみたいに手を引っ込め翼を萎めさせながら部屋を出ていった。

 ベッドから窓際まで太い紐上のカラーパが伸びていてそれが窓を透かして外まで青くはみ出している。

 リラは視線でその青い紐の色霊を自分の手元から窓際までたどってそして窓際から手元まで戻してを繰り返した。まるで阿弥陀くじを目で追うみたいにリラの視線は紐の色霊を往復し続けた。

 「なんで火性と土性の赤ちゃんしかいなかったんだろう?」

 ふとした疑問がリラの口から小さなシャボン玉となって零れた。

 昨日、星空から生まれた赤ん坊たちは皆火のように熱かったり土のように重たかった。けど、水性の赤ちゃんだけなぜかいなかった。

 さっきのシャボン玉が窓から差し込む光に刺されて割れた。

 「なんで火性と土性の赤ちゃんしかいなかったんだろうか?」

 リラの言葉が遅れて部屋に響く。

 「そうか、怪獣だ。見えない怪獣が水性の赤ちゃんだけ生まれる前に殺したんだ。」

 リラの悲しい閃きがシャボン玉に包まれて部屋の中を漂い始めた。

 その時部屋のドアが開いてかなたが入ってきた。

 「かなた!」

 かなたの姿を見るだけで沈んだ心が温まっていく。リラはベッドから起き上がろうとしたところを足を滑らせて転んだ。

 「痛え!」

 そう叫んだのはリラではなくかなただった。かなたとリラは玉族同士でたまに感覚の共有が起こるのだ。「だ、大丈夫?」リラの心配する声はシャボン玉に囚われてすぐにはかなたに届かない。

 かなたはなんだか不機嫌だった。かなたはリラをにらんで「痛いなあ。お前なんかいなくなったらいいのに」と言い放った。

 「そうだ、怪獣だ。見えない怪獣が水性の赤ちゃんだけ生まれる前に殺したんだ。」

 二つ前のシャボン玉が天井に触れていまさら破れた。

 かなたは糞と鼻で笑う。

 「君たちが、水性に生まれてきたのが悪いのさ」

 ひとつ前のシャボン玉がかなたの角で割れた。

 「かなただ!」それはかなたを呼ぶリラの嬉しそうな声だった。そのかなたに対する信頼の呼びかけは今となってはすぐ冷たくなって床に転がるのみだった。この世で最もすぐに死ぬもの、それは言葉だ。

 「な、なんでなの?わ、わたしあなたのことが好きなのに。どうしようもなく好きなのに。かなた。こんなのひどいよ」

 リラの肺から喉を傷つけながら登ってきたその告白も口から出た瞬間半透明な膜に囚われてかなたには届かない。バタンとドアが閉じてかなたは部屋からいなくなってしまった。雲が太陽を隠したのか部屋が急に暗くなった。冷たい部屋に取り残されたリラはだらりと項垂れながら自分の耳元に来たシャボン玉を手の裏で叩いた。するとシャボン玉が破れてさっきの告白が寂しく響いた。

 「な、なんでなの?わ、わたしあなたのこと、好きなのに。どうしようもなく好きなのに。かなた。こんなことひどいよ」


//////

 玉兎はりんごと一緒に星水を作る仕事をしている。さっき、館のリラの部屋からかなたが出てきて上機嫌に微笑んでいた。きっと、リラと楽しくおしゃべりでもしたんだろうと思った。かなたは足元に視線を落として「よし、こっちについてきなさい」といった。しかし、かなたの視線の先には床以外何もなかった。玉兎は空中で一回宙返りをするほど首をひねったけど詳しく聞くことはやめた。りんごを待たせていたからだ。


 玉兎は石樽の林に入っていった。すぐにりんごがいて石樽の中から星水をバケツに組みだしている。なんだかりんごの表情は曇っていて翼も萎れていた。「どうしたんだ?りんご?」玉兎の声がシャボン玉に包まれて青空へと上っていく。シャボン玉が弾ける前にりんごは玉兎のことに気が付いて小さく手を振った。ちょうどシャボン玉が割れて玉兎の呼びかけが降って来る。

 「どうしたんだい?りんご」

 りんごは柄杓を持っていた手を降ろしてシャボン玉を吹いた。風がそのシャボン玉をひと揉みふた揉みしたあと、割れた。

 「なんだかね。朝からリラが元気なさそうだったんだ。」

 玉兎は”何か”に気が引っ掛かっていた。何か昨日から違和感がするんだ。でもその違和感が何なのかわからない。もやもやする気持ちを細い羽ばたきで散らして玉兎はリンゴに返事をした。「本当に?さっきかなたがリラの部屋から出てきてやけににこにこしていたけどなあ。きっとかなたがリラのこと元気づけてあげたんじゃない?かなたってなんていうのか悩みとかそういうのに無縁そうだし。あいつといるとみんな明るくなるから」

 玉兎の言葉が彼土のドングリの顔以上に大きく膨らんで浮かび上がった。そのシャボン玉は太った人が必死で走っているように空中をよろめき割れた。

 「本当に?さっきかなたがリラの部屋からでてきてさ やけににこにこしていたけどなあ。きっとかなたがリラのこと元気づけてあげたんじゃない?かなたってなんていうのか悩みといかそういうの無縁そうだし。あいつといるとみんな明るくなるから」

 りんごは玉兎の言葉を聞いてシャボン玉を吹いた。そのシャボン玉はすぐに割れた。

 「そうだね。かなたがいてくれるならリラは大丈夫。ここだけの話なんだけどさ、リラってかなたのこと好きなんだよ。」

 「え?嘘でしょ?全然気づかなかった。」玉兎のシャボン玉が激しく揺れながら登っていく。玉兎もりんごも会話が楽しくてなんだかお腹の中に暖かくて甘い丸を感じている。話せば話すほどその温かくて甘い丸が大きくなっていって二人は幸せだった。

 りんごが口に人差し指を当てて小さなシャボン玉を漏らす。それはすぐに割れた。「絶対内緒だからね。ばれたらわたし、リラの尾びれでビンタされちゃうよ」

 玉兎とリラは快活に笑った。仕事をさぼって隠れておしゃべりするのがこんなに楽しいとは思わなかった。急に太陽が雲で隠れて石樽の影が濃くなって二人を覆った。いまさら玉兎のシャボン玉が割れた。

 「えぇ?うそでしょ?全然気づかなかった。」



//////

リラは冷たい部屋の中で独り膝を抱えて泣いている。するとどこからともなくシャボン玉が浮かんできてそれはリラの周りをぐるりと回って部屋の角っこで消えた。リラは目の涙を拭いながら「だ、だれなの?」とシャボン玉を吐いた。すると、部屋の角の空間からいきなり人の手が生えてきてこちらに手を振ってきた。「いやああああ」リラの叫び声がシャボン玉に囚われていまだ部屋は静寂のままだ。静寂の中に現れたのはニカだった。ニカは何もない部屋の角から急に現れた。ニカはまるで透明になれるとばりでも脱いだみたいだった。

 二つ前のリラのシャボン玉が割れる。

 「だ、だれだ?」

 窓から再び光が差し込んできて部屋を暖め始めた。ニカはシャボン玉を吐きながら陽光の線を肘でパキンパキンと割っていき薪みたいにそれをわきで束ねた。

 「リラ、君のことが心配だったんだ。昨日から何か元気がないみたいだったから」

 ニカのシャボン玉が割れた。ニカは床のあちこちに陽光の線を突き立てていく。まるで部屋の四隅に蝋燭を配されたみたいに部屋は明るく温まっていく。

 ニカは余った陽光の線をリラの水かきのある手に握らせる。ちょうどその時「きゃああああ」というリラの叫びがシャボン玉から放たれる。リラは水かきのある手でニカの頬を叩いて陽光の線を床に叩き捨てた。

 「さわらないで!あんたは悪人だ!わたしはみたぞ。あんたがかなたを傷つけているところを!」

 リラがかなたを責める声はシャボン玉の中で激しく暴れながら浮かんでいった。ニカもシャボン玉を吐いた。二つのシャボン玉は独楽のようにぶつかってニカの方が先に割れた。

 「そっか。リラ、かなたのことが好きなんだね。」

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