第17話
街の建物の並びは老衰した口内みたいに所々歯抜けになっていて倒壊した建物がことごとく水性の住処だった。ある水性の人魚が尾びれを畳むようにして地面に項垂れた。人魚は全くの無音で肩を震わせている。ニカはその人魚の震えを抱きしめた。すると「しくしく」と小雨のような泣き声が人魚のうろこからニカの肌に伝わってきた。まるでニカの全身の毛穴がすべて微細な耳を備えたみたいにニカは人魚の泣き声を肌で聞いている。(ニカの全身に無数の耳の穴が開いたみたいにニカは人魚の泣き声を肌で聞いている)
街の者たちは皆、住処を失った水性の者たちを助けようと瓦礫をどかしたり簡易的な家を作ったり食事を温めたりしている。ニカの腕の中で人魚の震えが止まった。それと同時に人魚は小さなシャボン玉を吐き出した。まるで魂が口から漏れ出したみたいな眩いシャボンだった。「なんで私たちだけが」
シャボン玉の中身は恨み言だった。その恨み言は泥のように重たくニカの背中にのしかかりニカはしばらく立ち上がることができないほどだった。周りの水性たちもまるで亡霊のように項垂れている。その様は、まるで懐に刀でも隠し持っているみたいな危うさがあった。
「ぼくがいるから」
ニカのシャボン玉が弾けた。ニカはシャボン玉をさらに吹き出す。
「ぼくがみんなを見ている。ぼくがみんなを助けて見せる。みんなのことを見捨てたりしない。」
水性の人魚がニカの手を払い除けた。ニカの手のひらはヒリヒリとした痛みとともにある言葉を聞いた。「うそをつくな!」
ニカの手のひらに耳の穴でも開いたみたいに人魚の不信の声が聞こえてくる。ニカは手のひらをその声としびれるような痛みごと握って立ち上がり瓦礫をどかす作業を手伝い始めた。ニカが人魚に残したシャボン玉が弾ける。
「本当さ」
その言葉には1+1が2であることを述べるような自明であるという確かな自信と力強さがあった。
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かなたはりんごの手を引いて星見の丘を駆け下りる。玉兎は馬の尻尾にしがみつくノミみたいにかなたの髪の毛に噛みついてそのスピードから振り落とされないように必死だった。「ちょっと、待って。もう少し安全に」リラの心配する声は半透明な膜に包まれてかなたのスピードに追い付くことなどできない。
「うわあ」
かなたに連れられてりんごははじめて星水の丘から外に足を踏み出した。最初の一歩は奇跡のように甘美だった。まるで足の裏が唇になったみたいで大地を踏むと美人とキスをしているような甘くて柔らかい味が足の裏を濡らすのだ。その感覚のあまりにもの艶めかしさにリンゴは恥ずかしくなって頬は紅潮し翼はピンと突き立った。
「この地面自体がパンニアなんだ。」
かなたが物知りのような落ち着きでこの事象を説明して見せた。
「パンニアとは生物の感覚器官に本来感じるはずのない感覚を起こさせる事物のことである。」
かなたの説明を全く聞かずに玉兎がかなたの髪の毛から離れて地面に落ちた。玉兎はその細枝みたいな手で地面に判を押した。すると、枝先みたいに小さな玉兎の手のひらが舌にでもなったみたいに甘くて瑞々しい味に溺れるようだった。
「すごい!すごいよ!」玉兎がビーズみたいなシャボン玉に感想を込めて吹き出す。
すると、そのシャボン玉が割れるよりも早く「こら!ふざけるのもたいがいにしろ!」と雷のようにかなたが怒鳴った。かなたのすごい剣幕に玉兎は震えあがってしまった。なんで怒られているのかわからない混乱と理不尽さに対する悔しさで玉兎は泣き出してしまった。
ちょうどリラがかなたたちに追い付いたとき玉兎のシャボン玉が割れた。
「なんで、なんで僕ばっかりぃぃ」
リラは玉兎を抱き寄せた。玉兎のドングリ頭が彼土自身の涙でふやけて今にも崩れそうだった。
リラはかなたをきっと睨んでシャボン玉を吐いた。
かなたは虫メガネでも覗いているような好奇心と疑問に満ちたまなざしで玉兎を見ている。
リラのシャボン玉が割れて彼水の声が遅れて届く。「ちょっと、玉兎のこと虐めないでよ」
かなたは耳をなくしたみたいにリラの声に何の反応もせず前に走り出す。そして、こちらを振り返って大の字にジャンプする。「さあ、玉兎。こっちにこいよ。いいものを見せてあげる」その光が喋っているみたいな明るい声を聞き玉兎はさらに大きな声で泣き出した。それはまるで割れた鈴が泣いているみたいな汚くてうるさい泣き声だった。だからリラもリンゴも顔を引きつって耳を押さえた。
「かなたなんてキライだ。お前は狂ってる。」玉兎は泣き止んだ後もそうやってかなたに対する恨み言をそうしないと前に進めないみたいに言い続けた。
そのあともかなたたちは草原を歩き続けた。相変わらず歩くたびに足の裏が美人にキスされているような柔らかくて甘い感覚を感じていた。草原を抜け出すころには足の裏が恋人に捨てられたみたいに寂しそうにうずくほどだった。草原の途中、何個か隠れカラーパを見つけた。例えば、踏んでも踏んでも潰れない草があってその草は幽霊みたいに足を透明に貫くのだった。それがカラーパであることにかなたはいつまでも気づかずに「あれ?あれ?」と首をかしげながら何度も色霊を踏み続けていた。その様がおかしくてリラとリンゴは腹を抱えて笑った。不機嫌な玉兎でさえドングリの虫食い穴みたいな口から洩れる笑いを我慢するほどだった。他にも草花に霞のように掛かっている色霊だったり、花の茎を追っても花自体は空間に浮かび続けていてそれが色霊だと気づいたりいろんな隠れカラーパが草原にあった。
その浮かぶ花みたいなカラーパを巡ってかなたとリラたちは口論になった。かなたは「そんなカラーパは無い!」と言い張るのだ。しかし、リラもりんごも玉兎もみんなその茎を失っても地面に落ちない花が見えていた。「自分が勝ちたいからって嘘ついているんじゃないの?」リラが強気にそういうとかなたは悲しそうに目を伏せた。リラはなんだか悪いことを言った気がしてバツが悪そうに黙ってしまった。(愛するかなたを傷つけてしまったから)
りんごがかなたとリラの顔色をちらちらと伺いながら小さなシャボン玉を吹きだした。玉兎はリラの潤いのある髪の毛にしがみつきかなたをにらんでいる。
「あ、あの。かなたさんは嘘をつかないです。」
リラのシャボン玉が弾けて自信なさげな声が聞こえてきた。
リラもこくりとその言葉にうなづいた。
かなたは何かお化けでも見えているみたいな怯えた瞳でりんごをみて「ありがとう」とつぶやくだけで先に行ってしまった。リラたちはかなたの後を追いかけた。リラたちの背後でだんだん小さくなっていく星見の丘の空がドクンと拍動した。妊娠して膨らんだ空が胎動したのだろう。だが、かなたたちはその音と震動が届かないほど遠くまで来てしまっていた。
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