第16話

 かなたはニカを待っている。自分がニカを置いてきたくせにかなたはニカが返ってこないことにいら立っていた。かなたが丘を踏みつけると地面は凹んで石樽の群れが怯えるように揺れた。揺れに刺激されてか空の膨らんだ空間が房のように揺らいで空気に波を起こす。

 かなたは自分が作った地面のくぼみに嵌るようにうずくまる。かなたはこぶしがリンゴになったみたいに甘くて丸い感覚を感じてそれを胸に抱きしめた。すると、天音がした。太陽があくびをしたみたいな暖かくてのろまな音だった。星水の丘で働いている水性たちや街の人々・空をかける鳥、風に揺れる草花がみなこののんきな天音に耳を傾けている。かなたが知らないところでも誰かがきっとこの天音を聞いてあくびでもしている。

 天音が終わるとかなたはこぶしに感じていた円い甘さが小さくなった気が付いた。「あれ?」かなたはくぼみから起き上がって手のひらをぶんぶんと振った。拳は陽の光に触れて温まるだけで甘い感覚は元には戻らなかった。

 すると今度は心臓が太鼓みたいに脈打つのを感じてかなたは胸を押さえた。それと同時に石樽の陰からシャボン玉が一つ飛んできてそれに引っ張られるようにリラが出てきた。リラは布で手を拭いながらかなたに微笑みかける。リラが布で手を拭き終わると同時にかなたの拳に残されていた甘い玉のような感覚も消えた。

 「やあ、私の玉族さん」

 シャボン玉が弾けてリラ挨拶が遅れて聞こえてきた。かなたは初めて鏡を見た赤ん坊みたいに瞳を大きくしている。「ほ、本当に君と僕の感覚が繋がっているの?」かなたの驚きを肯定するようにリラが頷いた。前に差し出されたままいつまでもしまわれずにいるかなたの拳をふいにリラが掴んで自分のもとに引き寄せる。リラの表情はまるで嵐の前触れみたいに曇っていて、彼水は何か警告するように大きなシャボン玉を吐き出した。

 「ええい!気持ち悪い!」

 かなたはリラの手を振りほどいて立ち上がった。「君と、感覚が繋がっているなんて本当に気分が悪いよ。」かなたは胸を押さえた。まるで誰かに心臓を握られているみたいに心拍が乱れて苦しかった。これもまた、かなたの玉族の誰かと共有させられている感覚なのかもしれない。

 いまさらリラのシャボン玉が弾けた。

 「あなたが心配なんだ!ニカに殴られているんだろう?」

 取り乱していたかなたは水を浴びた蝋燭みたいに落ち着きを取り戻しリラの方を見た。リラは首元に襟のように立っている大きな鱗を一枚捲った。そこには首を絞められた跡みたいな手形のあざがあった。リラがシャボン玉を吐き出す。かなたはそれが弾けるのを黙って待っている。風に揉まれてシャボン玉が弾けた。

 「昨日、寝ていたらいきなり息苦しくなって起き上がったんだ。鏡を見ると首にこんな痣ができていた。痛みの源が何となくわかったから私はそこに向かったんだ。そしたら、かなた、あなたがニカに首を絞められていた。」

 セリフがすべて終わるとリラは鱗を立て直して首を隠した。

 「それで?」

 かなたはまるで興味のない物語を早く終わらせようとしているみたいにそう尋ねた。リラは答えに窮しておろおろとした。その時だった。雲が太陽を隠して雨粒が一滴かなたのおでこの角に落ちてきた。かなたは自分の角に両方の瞳を寄せたあと何かを思い出したみたいに「あっ」とつぶやきその場に崩れ落ちた。かなたは顔を押さえたまま泣き出してしまったのだ。うずくまり嗚咽しながら泣いているかなたをリラは水かきのある手で抱いた。かなたの悲しそうな震えを温めようとリラはかなたをぎゅっとする。リラはかなたが哀れで胸が引き裂かれるような思いをした。かなたの震えはしばらく止まらなかった。(「うっうっ」というその震えは寒さに怯えているようでもあり笑いをこらえているようでもあった。)

 「私があなたを助けるから。守るから」リラの誓いがシャボン玉に包まれて雨にあらがいながら空へと上っていった。



 雨を避けるためにリラとかなたは屋敷に帰った。そこには玉兎とリンゴもいた。二人を見つけるとかなたの表情は明るくなってすぐに玉兎と冗談を言い合って笑っている。その様を見ているとさっきのかなたの震えは泣いているのではなく笑っていたのではないか?という疑念がリラの頭を一瞬よぎったけどリラは首をぶんぶん振ってその疑念を追い出した。「それがかなたのいいとこだから」リラは自分に言い聞かせるようにそうシャボン玉を吐いた。

 「ねえねえ、カラーパ狩りに行こうよ。」

 かなたがりんごの手を取ってそう言った。

 「でも私、星水の丘をでれないよ?だって怪獣に襲われちゃうから」

 かなたはりんごの手とは別の拳でぶんと空気を殴った見せた。すると衝撃波が稲妻のように部屋を横切り壁を壊してしまった。「僕がいれば大丈夫さ。怪獣なんてイチコロだよ」

 「私はやめた方がいいと思う」リラの忠告はシャボン玉に包まれていつまでも天井のあたりをさまよい続ける。リラのシャボン玉が割れる前にかなたがリラに微笑みかける。「ね、リラも行こうよ。カラーパ狩り!」


 リラはちょっとかなたのことが好きだった。それに同じ玉族というのもあってリラはかなたのお願いに弱かった。

 「うーん。じゃあ、危なくなったらすぐに帰るって約束する?」リラがそうシャボン玉を吹きだす。それが割れる前に「僕がいれば大丈夫さ。さあ準備だ。」とかなたははしゃぐのだった。

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