第14話

 ニカとかなたは丘のふもとにやってきた。途中かなたがニカに甘えるように手を繋いで来た。

 ニカが丘の上の膨らんだ空間を見上げながらシャボン玉を吐き出す。空間の膨らみがあたりをゆがませ丘は活火山の頭みたいに凹み時計台は拉げて細い糸みたいになっている。そんな空間の膨らみに血でできた稲妻みたいな傷が縦に大きく走っている。昨日、怪獣に襲われた傷跡だ。

 「なぜ怪獣は空間を襲った?怪獣の狙いは何なんだ?」

 ニカのシャボン玉が弾けて彼水の言葉が遅れて聞こえる。

 かなたの遅れることがない声がそれに返事をした。

 「お腹の子が水性だからじゃないかな?」

 かなたは賢人のような冷静な眼差しでそう言った後今度は幼子みたいな甘えた態度でニカの左手を取ってその薬指を口に咥えた。

 かなたの推測がニカの心を鈍器のように殴ってニカはしばらく脳震盪を起こしたみたいになった。まるで体が死にたがっているみたいに全身が脱力していき、ニカは危うく倒れそうになった。ニカが倒れそうになるのをかなたが支えた。転倒しかかった視界にあの声明を宿した空間が拍動しているのが見えた。血の稲妻みたいな傷から膿のようなドロドロとした液体が滴って丘の凹みを汚している。

 「月光の涙」

 かなたがニカの左の薬指を口から離してそう呟いた。

 「え?」という戸惑いがニカの口から小さな泡となって零れる。

 かなたは泡が空間で破れるのを待たずに再びニカの薬指を咥えた。かなたの吸う力が強くて、肌が脱がされるような錯覚を薬指に感じてニカはぶるぶると震えた。

 その時だった。朝の光が強くなり靄を眩しく滲ませる。それによって空間の傷が光の粉をまぶされたみたいにじんわりと明るんで、傷が徐々に健康な色を取り戻していく。

 それと同時に、ニカの体も力を取り戻していき沈んでいた心も陽のように起き始めた。

 ニカは大地にしっかりと足を付けて立った。そして、かなたの支えから抜け出して大きなシャボン玉を吐き出した。そのシャボン玉は光の靄を掻き分けながら空高くへと上っていく。

 ふいに、かなたがニカを引き寄せた。それは、腕が千切れそうなほど乱暴だった。「ニカ、お前は私が殺す。」その殺意はまるで「おはよう」のあいさつと何ら変わらない純粋で透明な透明さでニカの心臓を貫いた。かなたとニカの頭上でさっきのシャボン玉が弾けて「わーっ」という力強い掛け声がいまさらながら降ってきた。「ありがとう。そしておはよう、かなた」ニカの返事はシャボン玉に包まれて空を漂い始める。かなたは大きくあくびをしながらニカに背を向け丘を離れた。


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かなたが石樽の林を通っていると、リラとりんごが額に汗を浮かべて仕事に励んでいるところに出くわした。彼水たちは石樽から星水を汲みだす作業をしていたのだ。リラは水かきのある手からバケツを降ろしてかなたの方に駆け寄った。そして、リラはやわらかい掌でかなたの顔の傷を撫でたあと癒しの眼差しを向けた。すると、かなたのおでこの折れた角がめきめき音を立てながら立ち上がったではないか?リラがシャボン玉を吹き出しながら今度はかなたの腕をとるとかなたは乱暴にリラの手を払い除けた。「余計なことをするな!」かなたの火のような怒りに委縮してリラは後ずさりした。

 「かなた、私が傷をいやしてあげる」

 リラのシャボン玉がいまさら割れて彼水の気遣いが痛々しく聞こえてきた。リラが切れ長の目に涙を浮かべているのをかなたは研究者のような落ち着きで観察し始めた。今やかなたは全く怒ってなどいなかった。

 シャボン玉が一つ石樽の林を縫うようにやってきてはじけた。

 「こらかなた。リラに謝りなさい」

 現れたのはニカだった。リラはまるで刃物でも警戒するみたいに後ずさりした。ニカは手のひらを開いて首を傾げシャボン玉を吹いた。リラはニカを信用していない。なぜあんら、昨夜ニカがかなたを虐待していたことをリラは知っているからだ。

 まるで空間が殴られたみたいに空気が痺れた。妊娠した空間の中で生命が身じろぎでもしたのだろう。空気の揺らぎが収まると、ニカのシャボン玉が割れた。「私だって、自分が善じゃないってわかっているよ。それでも。」まるで、リラの猜疑心を見透かしているようなセリフにリラはドキッとした。「えっと」とリラの口から砂粒みたいな泡がいくつか漏れた。そんなやり取りの間にもりんごは黙々と石樽から星水をくみ上げている。

 見えないだれかに肩を叩かれたみたいにニカが急に後ろを振り返った。彼水は何かを探るようにあたりを見回した後、シャボン玉を吐き出した。そのシャボン玉はすぐに割れた。「誰かが泣いている。南の方だ。」

 「送ろうか?」

 かなたが献身的な口調でそう言った。ニカが頷くとかなたはニカを抱き上げて地面を蹴った。次の瞬間にはかなたは雲よりも高く空を飛んでいた。まるで、リラたちは大砲の玉を見送るような気分だった。今はもうかなたとニカの姿は空の向こうに見えなくなった。

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