第2話


 ちょうどその時だったんだ。おぞましい吠え声がしたのは。「行かなきゃ」と言ってニカは立ち上がった。かなたはこぶしで大地をたたきつけ歯をぎりぎり言わせている。「くそっくそっ」

 ニカの口からシャボン玉が噴き出す。かなたはそれを拳で割った。「泣いているのはスイだよ。またあの怪獣が現れた。倒してくるから」

 「おまえってさあ」

 かなたが首をかしげながら続ける。

 「本当に、気持ち悪いよな」


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 「おーい、子供が生まれるぞ」

 さっきの時計台に出来た空間のふくらみが破れてその破れ目からずるりと塊が滑り落ちた。

 「おぎゃあおぎゃあ」

 最初の第一声だけ、声は速度を失わずに済む。しかしすぐに、シャボン玉が赤子の声ですらも包んで速度を奪うんだ。まるで、磁石を砂鉄が覆うみたいに雫が集まってくっつき引き延ばされてシャボン玉になって声を覆う。

 

 空間のふくらみに押しつぶされて消えていた時計台が何事もなかったみたいに丘の上に屹立している。かなたとニカは時計台の壁のレンガに手を添えてあたりを見回した。二人が視界を右に左にと振って赤子を探しているうちに時計台の壁の継ぎ目を血が降りてきてかなたの手を生暖かく濡らした。

 「ここは俺に任せてよ」かなたはそう言いながら血で汚れた自分の親指を口にくわえた。ニカはこくりと頷いてシャボン玉を吐き出した。ニカが去った後かなたは街の人々と一緒に赤ん坊を探した。赤ん坊はなぜか見つからなかった。かなたのつむじの上を天使の輪っかみたいに巡っていたシャボン玉がはじけた。「3日後に、時計台の下に帰って来るからね」というニカの声が遅れて届いた。


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 小さなザクの子サマはずっと背中の後ろの空間に指を伸ばして空気を掻いている。まるで、背中から神経が透明に生えてきて空間に根を張っているみたいな感覚。自分の体ではないにもかかわらず背後に痛みを感じて仕方がないのだ。ザクの子サマはそれが不思議で仕方がなかった。それどころか、時折立っていられなくなるぐらい背後が傷んでサマは苦しんでいた。

 ある時だった。サマが大人たちに連れられてふもとの街に降りてきた。そこでは空間が傷だらけで痛々しい空間の裂け目に汚い煙が塗り込まれている。大きな体をしたザクがスイの天使に鞭を降り下ろして大岩みたいなシャボン玉を吐き出した。虐待を受けたスイの天使は前のめりに倒れてその翼は氷のようにひび割れて今にも砕けそうだった。

 サマは背中の後ろの空間に稲妻みたいにな痛みを感じて前のめりに倒れ込む。大ザクがスイの天使を鞭打つたびにサマは背中の後ろに割れるような痛みを感じ続けた。

 サマは大人たちにしがみついて懇願した。サマの口から種のように噴出された小さなシャボン玉が次々と割れていく。「ねえ、あのスイの天使を助けてあげてよ。私、ずっと背中の後ろが痛いんだ。苦しくて苦しくて仕方がないんだ。多分あのスイの子と関係があるんだよ。」大人たちはサマの声など聞こえていないみたいにそっぽを向いている。まるで今この瞬間だけ大人たちは石像にでもなってしまったみたいに冷たかった。

 さっき、大ザクが吐き出した大岩みたいなシャボン玉が破裂して大ザクの声が遅れて響く。「お前らスイは劣った存在だ。だから、ザクやランの言うことをずっと聞いていればいいんだ!生まれながらの奴隷!ごみくず!それがお前たちだ!」

 大ザクが手をシンバルのようにして大きく叩いた。すると、檻から毛むくじゃらの雷を纏った獣が現れてスイの天使たちに牙を向ける。その大きな口からは黒々とした煙が漏れ出している。スイの天使たちが怖がって身をかがめる。「やめろ!」というサマの必死な叫び声は忌々しいシャボン玉に包まれて空気をもたもたとさまよいだす。大ザクが鞭を降り下ろすと獣は牙をむき出しにしながらスイの天使に襲い掛かった。その時だった。人間のスイが現れて獣の下あごを殴りあげたのだ。獣は口から黒い煙を吐きながら吹き飛ばされて弱弱しく地面に伏せた。

 「ニカだ」

 どこからともなくシャボン玉がやってきてはじけて、人間のスイの名を呼んだ。

 ニカは血で汚れた拳を降り下ろして大ザクの方をにらんだ。大ザクはひるんで一歩下がった。曽於大ザクに迫るようにしてニカは一歩一歩歩み出す。雲間ができて太陽が顔を覗いた。その光を背後に従えながらニカは大ザクに近づいてその手首を掴んだ。大ザクは小石みたいなシャボン玉を小出しに吐きながら苦しそうに後ずさりした。ニカはそれを決して離さずに引き寄せて大ザクをにらんだ。「イタイイタイイタイイタイイタイ」小石みたいなシャボン玉が続けざまに割れていき大ザクの見っともない声が遅れて届いた。太陽の光が傷ついた空間の裂け目を眩く塞いでいく。ニカは大ザクの手を捨てるように投げて、拳を胸に当てシャボン玉を吐き出した。大ザクが慌ててその場から逃げ出した後ニカのシャボン玉が割れる。

 「やっとみつけた!ニカ、参上!」

 その言葉に安堵したのかスイの天使は眠るように気を失った。サマは大人たちの制止を振りほどきスイの天使を抱き止めた。サマの背中の後ろの痛みは光で水が飛ぶみたいに消えた。

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