第四章 女魔術師の恐怖

第9話 女魔術師の恐怖・1


 すぐ戻ります、と受付嬢に声をかけ、マサヒデは向かいの魔術師協会へ向かった。

 協会とはいっても、見た目はただの平屋。

 しかし、その中には・・・というのも、先程までの話。

 ただのいたずらであったと知って、マサヒデは普通にマツを訪ねた。


 だが・・・


「失礼しまーす! トミヤスです! マツ様、いらっしゃいますか!」


 玄関を開け、声を掛ける。


「はーい」


 今回はぱたぱたと歩いてくる音がして、マツが出てきた。

 マツは正座して、


「マサヒデ様、お待ちしておりました」


 と、長髪の頭をきれいに下げて挨拶した。

 マサヒデは玄関に腰を掛けて、


「場所と時間が大体決まりましたので、ご報告に」


「あら、早かったですね。さ、マサヒデ様。お上がり下さい」


「いえ、ここで構いませんよ」


「まあまあ、そうご遠慮なさらず」


 と、マツが笑顔を浮かべたが・・・


(!)


 一瞬。

 ほんの一瞬だが、あの雰囲気が、マツの身体からちらりと滲み出たのを感じた。

 ほんの一瞬だったのが、それが逆に怖ろしい。

 鍛えているから感じた、というものではない。動物的な直感、本能。それがマサヒデに危険を告げる。

 思わず、ごくりとつばを飲み込んだ。


「では、その、お邪魔致します」


 マサヒデが履物を脱いでいる間、背中に、じーっ・・・とマツの視線が注がれているの感じた。

 またいたずら、ではあるまい。

 これが彼女の『素』なのだ。


(見誤った。アルマダさんが正しかった・・・)


「さ、こちらへどうぞ」


「はい」


 マツは綺麗に立ち上がり、歩き出した。

 こうして見れば、所作まで洗練された美しい女性なのだが・・・


「こちらへ」


 マツは廊下に座り、すー、と障子が開けた。

 先程の縁側を上がった部屋だ。


「では、茶をお持ち致しますので、庭など眺めて」


 障子がとん、と閉められ、マツが奥に歩いていった。

 マサヒデは思わず、ふう、と息をついた。


(やはり、マツ様は息が詰まるな)


 庭は先程と同じように、そよ風が吹いて木の葉が揺れている。


「お待たせ致しました」


 すー、と障子が開いて、マツが戻ってきた。


「さ、どうぞ」


「頂きます」


 ず、と茶をすすって、マサヒデは話し出した。


「で、場所なんですが、冒険者ギルドの訓練場をお借りすることが出来ました」


「それはそれは。あそこなら良い場所ですね」


「はい。オオタ様のご厚意です」


「あら、オオタ様にお会いに?」


「ええ、何といいますか、豪快で、一本筋の通った方とお見受けしました」


「ふふふ、やっぱりオオタ様は皆に好かれるものをお持ちですよね。羨ましい・・・」


 そう言って、マツは少し憂いを浮かべた笑いを見せて目を伏せたが、マサヒデは


(あなたは怖すぎるんです)


 という言葉を、ぐっとこらえて心の中でつぶやき、続けた。


「それで日程なんですが、明日から3日間は宣伝。4日後の朝8時より開始と」


「あら。思いのほか、お急ぎですのね」


「まあ、色々とありまして・・・」


「色々と、ですか。厄介なことでも」


「ええ。最後はオオタ様がまとめて下さいまして。ありがたいことです」


「よろしければ、その色々、聞かせて頂けませんか。ご昼食、まだでしょう? 私もまだなんです。お作り致しますので、お話でもしながら」


「や、それは・・・さすがに魔術師協会の長に食事を用意させるなど、私」


(まずい!)


 と、マサヒデの動物的な勘が、ぴりっと危険を告げる。

 これを断ったら、また・・・


「・・・私、光栄のいたりで恐縮ですよ!」


 と言って、笑顔で頭をかいた。

 ・・・上手く笑えただろうか・・・


「うふふ。いつも1人で食事ですから、寂しいのです。嬉しい。今日は腕によりをかけて、マサヒデ様にご料理を振る舞いますよ」


 本当に嬉しそうに笑っている。


「あ、しまった。冒険者ギルドでも、昼食を用意して下さると言って下さいました。不要と告げてきましょう」


「はい。お戻りの際は、そのままこちらの部屋へ通って下さいね」


「お手数おかけします。では、一旦失礼致しますね」


 マサヒデが立ち上がると、マツがすっと障子を開けた。

 玄関までマツはついて来て、両手をついて頭を下げ、マサヒデを見送った。

 洗練され、美しく完璧な所作であったが、その全てを怖ろしく感じた。


----------


「ふー・・・」


 門をくぐると、また、思わず息をついた。

 先刻はいたずらと分かって、最後は緊張を解いてしまったが、やはり甘かった。

 アルマダが正しかった・・・

 ギルドから使いを出してもらうよう、願った方が良かった。


「さて・・・」


 道を挟んで冒険者ギルドに向かうと、あの後に外に出ていたのか、ちょうどオオタが中に入る所だった。


「これはオオタ様」


「おお、トミヤス様。魔術師協会からお帰りで?」


「いや、マツ様から昼食に誘われまして・・・大変申し訳ないのですが、こちらでご用意して頂いている昼食は不要、と伝えに」


「わーっははは! マツ様からお誘いですか! それは逃げられませんな!」


 オオタは大声で、腹に手を当てて笑い出した。

 おかしくてたまらないようだ。


「はい・・・」


「はははは! また驚かされましたかな?」


「ええ・・・御本人はお気付きではないようですが、マツ様、たまに・・・その、何と言いましょうか、怖ろしい気配を・・・」


「ははは! や、これは失礼。あの方の所に行かせた、マツモトのいたずら心も分かりますな! ぷっ・・・ははは!」


「いや、あれはとても気が休まりませんよ。先程はいたずらと知って、最後は落ち着きましたが・・・あれ、ほとんど素だったんですね・・・」


 オオタはにやにやした顔で声をひそめ、マサヒデに顔を近付けた。


「ふふふ、お静かに。こんな話をしておりますと、またマツ様に聞かれてしまうかもしれませんぞ?」


「うっ・・・確かに」


 ぱん、とオオタはマサヒデの背を軽く叩いて、


「昼食は不要というのは、私が厨房に伝えておきましょう。さあ、急いで戻った方が良いですぞ! はははっ!」


 と、笑い出した。


「お手数をおかけします」


 マサヒデは踵を返し、マツの家、魔術師協会へ向かった。


----------


(・・・)


 マツの家の門を潜ると、やはり何かを感じる気がする・・・

 しかし、ここで逃げたりしたら、どうなるか。想像もしたくはない。

 マサヒデは腹を決め、戸を開けた。


 そのまま通って良い、と言われたが、一応声をかける。


「トミヤスです! 入ります!」


「はーい!」


 奥からマツの声が聞こえる。

 玄関を上がって、先程の部屋へ戻った。

  

「こんなに綺麗な庭なのになあ・・・」


 思わず声に出てしまった。

 暖かな日差し。小さな池。風に揺れて、静かに、さわさわと音を立てる木。一見無造作なようでも、きれいに置かれた庭石。

 侘びとか寂びとか言われるのは、こういうものだろうか?


「・・・」


 何となく、庭に見入ってしまう。

 マツが「庭でもご覧に」と言っていたのも分かる。

 知識はなくても、この景色は良いものだ、と素直に感じる。

 しばらく庭を眺めていると、


「お待たせ致しました」


 と、障子が開いた。


「さあ、大したものではありませんが、どうぞ。お口に合えばよろしいのですが」


 マツが膳を運んで、マサヒデの前に置いた。

 白米、焼き魚、汁、漬物。照り焼きも乗っている。


「おお」


 これは美味しそうだ。

 ぐう、とマサヒデの腹が鳴った。


「あら」


「や、これは」


 マサヒデは顔を赤くして、頭をかいた。


「うふふ。お代わりもありますから、言って下さいね」


「はい! いただきます!」


 元気に答えて、マサヒデは箸を取った。


 その元気な声と反対に、心中は・・・


(ここまでは普通、普通だ・・・)


 と、まるで今にも切れそうな糸の上を歩くような気持ちであった。

 切れれば、底の見えない闇の中。


 腹が鳴ったのは僥倖であった。マツにわざと隙を見せることが出来た。

 椀を取って、マサヒデはちらりとマツを見た。


(緊張を表に出してはいけない! 無形! 無心! 何事も剣に通じると、何度も経験したではないか! 今こそ、修行の成果を発揮する時!)


 マサヒデは、心の中で勝手に戦いを始めていた。

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