第12話 復讐の時

 放課後の片づけが終わり、帰りを一緒にどうかと誘ったら冬美は恥ずかしそうにしながらも頷いた。前だったら断りそうな雰囲気すらあったのに、どういう心境の変化かはわからないが。


 最初は他愛ない会話をしていたが、やがて静かになる。夏と比べて暗くなるのも早くなってきた。現在午後六時だが、もう空の向こうがうっすら明るいくらいでほぼ真っ暗だ。


 俺は言い出すタイミングをうかがっていた。沈黙も挟んだし、そろそろいいだろう。


「あのさ」


「あの……」


 そして被る声。俺の考えていることはわかるが、冬美の考えていることはわからない。だから、先を譲ることにした。


「先にいいよ。俺のは大したことじゃないから」


「そ、そう? ……孝之、気になる人、いる?」


「いないけど。これ、前も話さなかった?」


「大事なことだからもう一回聞いたの」


 おや。これはまさか……。だめだ、まだ調子に乗るのは早い。もしかして、もしかするけど。これはきたんじゃないのか。


「私、私ね。孝之のことが気になってるの。昔告白してくれたときに振った私が言うべき言葉じゃないってずっと心にしまいこんでたけど、今まで助けてくれて確信した。私、孝之が好きだ」


 俺は立ち止まり、内心ガッツポーズを決める。ここまで来るまで長かった。ようやく、ようやく復讐が果たせる。


 立ち止まった俺を不安そうに振り返る冬美に近寄り、真正面に立って見下ろす。冷たい目をしてるんだろう。俺は。これが、俺の本性だ。


「悪いけど、今さら好きとか言われても迷惑なんだけど。デブの俺は嫌で、イケメンになった俺がいいとか?」


「ちがっ……」


「違わねえよ。お前のせいで俺は高校生活一年を無駄にして痩せたんだ。全部、全部復讐するために。お前が俺を振らなければ、大事にしてやったのにな」


「孝之、違うの。お願い、話を……」


 俺を見上げた冬美が表情を凍らせる。冷たい目線に当てられて、声も出ないと言った様子だ。ほんの一瞬だけ、ちくりと心が痛んだ。


「聞かねえよ。答えはノーだ。それがすべてだ。昔の優しい俺はもういない。わかったなら、さっさと帰るんだな」


「……っ! ……ごめん。ごめんなさい、孝之。ごめん……」


 俯いた冬美の声は涙声で震えていた。ぽたぽた、とアスファルトに涙が落ちる。冬美は駆けだした。そして俺を振り向かないで走り去っていく。これでいい。俺の復讐は完遂された。


 嬉しいはずだ。歓喜に湧き踊るはずだ。それなのに。この心の虚無感はなんなのだろう。復讐を完遂して、晴れて新しい女の子との恋に溺れるはずだったのに。心には、冬美と過ごした楽しい日々が去来している。


 こんなの、俺じゃない。振ったことに痛みを感じているなんて、そんなの復讐の鬼と化した俺には考えられないことだ。冬美も、こんな気持ちだったんだろうか?


 だが、振ってしまったのだからあとの祭りだ。バイトも辞めるだろう。連絡が来ることも、学校でまた話すことももうない。それでいい。せいせいする。俺は心の気持ちを整理したくて、今日はバイトがないはずの友樹に電話をかける。友樹はすぐ着信に気付いて出てくれた。


『どうした?』


「やったよ。俺、今さっき冬美を振った。復讐は、終わったんだよ」


『驚いた。お前の様子見てたら、OKするのかと思ってた』


 驚いた? この俺が、OKするって? なんでだ。俺はこの一年とちょっと、冬美を振るためだけに頑張ってきたんだぞ。OKなんてするはずないだろうが。


 ふと、脳裏を冬美の様々な表情が巡る。最初の不審そうな表情から、だんだん笑顔が増えて笑顔で俺の名前を呼ぶ冬美。かつて俺が好きだった女。なによりも大事にしようと思った。


 でも裏切られて、デブ専っていう理由だけで振られて、一年間頑張って。それが、今度はデブじゃなくても告白された。俺はどうすれば正解だったわけなんだ。冬美を振る以外、答えなんてなかったはずなのに。


「友樹、お前おかしいよ。一年ちょっと前に電話したとき、俺は言っただろ? 冬美に復讐したいって。実際に会って話して、それはひどいなってことになってお前は強力してくれたはずだ」


『それは確かにそうだ。復讐するって聞いたとき、あんまりにひどいから俺も協力は惜しまなかった。でも、いざ二人が会話して仲良くなっていくのを見るたびに、本当にこれでいいのかって思ってたよ。お前は復讐を完遂するだろう。それで、後悔しないのかって、最近思ってた』


 後悔。衝撃的な言葉だった。でもそれを言われて、すとんと腑に落ちた俺がいるのも確かだ。後悔してるんだ、俺は。こうなるってわかっていながら、復讐を果たしたことを後悔している。でも、やらなくちゃならなかった。


 これから、俺はどうするんだろう。適当に彼女を作る? そんな気分にはなれなかった。好きでもない子に愛を囁いて、キスをする。想像しただけでごめんだ。


「じゃあ、俺はどうすればいいんだよ。もう振っちまったんだぞ」


『それなんだよなあ。冬美ちゃんも電話にはもう出ないだろうし、どれくらいひどく振ったんだよ』


「あのときと同じくらい」


『あー……』


 友樹が苦笑いしているのが電話越しでも分かった。笑ってる場合かよ。


 冬美も、今度の告白は受けるんだろうか。その前に、俺の気持ちはどうなんだ。……なんとも言えない。冬美のことを友達として好いていたのは事実だが、恋人としてなんて。


 でも、キスできる場面が容易に想像できる。俺のほうが、好きになっちゃってんじゃねえか。バカか、俺は。振ってから気付くなんて。取り返しがつかないのに。


「友樹が言いたいことはわかったよ。でも、どうしようもないだろ」


『追いかけろよ。今ならまだ、間に合う』


「間に合わねえよ。それぐらい、傷つけた」


『……そうか。お疲れさん、孝之。俺は友達でいるからよ、元気出せ』


 慰められて、傷が余計深くなる。友樹は悪気があってやってるわけじゃない。一年とちょっとの付き合いだ、それくらいわかる。


 明日からの冬美のいない生活を考える。どこか空虚で、足りないものを探し求めていた。


 案の定、冬美はバイトを辞め、元の俺に近づかない反応しない冬美に戻った。俺も冬美を監視したりしない。そんな権限ないからだ。華絵は冬美を取ったようで、俺たちと会話することもなくなった。それでいい。俺が悪いんだから。


 俺と冬美の恋は終わりを告げた、かに見えた。

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