第10話 間接キス
結局、一週間もしないうちに後輩男子はバイトを辞めた。いたたまれなかったんだろう。気持ちがわかるから、最後に頑張れよ、と声をかける。後輩男子は少し涙を浮かべて頷いていた。
バイトに明け暮れて夏休みが終わり、二学期がやってくる。八月が終わったっていうのにまだ暑い。今年は猛暑だとニュースでやっていたが、本当にそうだ。
昼休みのいつものメンバーになりつつある四人で弁当を食べる。なぜか俺の机にみんな集まってくるから手狭だが、これはこれで悪くない。冬美の監視も一気にできるしな。
冬美は今日は手作りのサンドイッチだそうで、綺麗に切りそろえられたサンドイッチが弁同箱に詰まっている。卵にツナマヨ、レタスにトマト。う、うまそう……。だが、冬美のだから食べない。
そんなことを考えているのがばれたのか、サンドイッチを食べようとした冬美と視線が合う。冬美はくすくすと笑ってからかってくる。
「ほしいの?」
「ばっ、別に欲しくなんて……」
「正直に言っちゃいなよー。だって冬美ちゃんのサンドイッチ、おいしそうだもん」
「俺だったらもらっちまうな」
こいつら、
「卵くれよ」
「いいよ」
冬美はサンドイッチを取り出すと、俺の口元に持ってくる。なんだこれは。あーんなのか? あの冬美が、あーんを覚えただと……?
「うわ、あーんだ」
「おのれバカップル」
「な、誰がバカップルだ!」
「いいから、食べるの? 食べないの?」
冬美から圧力をかけられて、俺は周囲の視線が痛いなか甘んじてあーんを受け入れた。一口かじると、卵のうまみとマヨネーズの調和がもたらされて、なんとも幸せな気分になる。うまい。
「……うまい」
「もっとおいしそうに言ってよ」
ぷう、と冬美が頬を膨らませるのも可愛らしい。この可愛らしいのが憎いんだ。俺を騙した悪魔め。
サンドイッチを食べ終わってようやく解放されたと想ったら、冬美は俺のたこさんウィンナーをじーっと見ている。欲しいのか?
「欲しいならやるけど」
「あーん、してくれる?」
「ぶっ」
どうした!? 冬美どうした!? お前、後輩男子に告られてから様子が変だぞ! こんな恋人同士みたいなこと、一学期のときは一回もしなかっただろ!
二人は助けを求める俺の視線を無視して自分の弁当を食べている。くそ、こいつら、あとで覚えておけよ。もう授業のノート見せてやらねえからな。
冬美がずい、と身を乗り出して口を小さく開ける。しょうがない。これも嫌われないためだ。羞恥心すら越えていけ……!
俺は箸でたこさんウィンナーを取ると、若干震える手で冬美の口元に持っていった。ぱくっと音がしたんじゃないかと思うほど冬美は元気よくたこさんウィンナーを口に入れ、もぐもぐと咀嚼しはじめた。
「おいひい」
「どれも一緒だろ」
「焼き加減が違うと味も違うよー。んぐ。ごちそうさまでした」
「はいはい」
俺が息をついてごはんを箸で取って口に入れようとしたとき、華絵が赤くなった。
「か、関節キス……!」
俺の頭に雷が落ちたような気がした。それぐらい衝撃だったのだ。女子とのキスの経験はもちろんない。こ、これが、俺のファーストキス……? こんな形でいいのか……?
一方の冬美はにやにやと笑ってこちらを見ている。こいつ、わかってやったな。キスの経験くらいあるだろうと見込んだんだろうが、おあいにく様経験はゼロだ! どうしてこうなった!
だが、こうしている間にも昼休みは終わりを迎えようと刻一刻と過ぎていく。ええい、構っていられるか。間接キスくらい乗り越えてやる。
そして口に入れたとき、友樹が小さく口笛を吹いた。この野郎、本当に他人事だと思って。今日の帰りは友樹の奢りでちょっとお高いたこ焼きを奢ってもらわなきゃならん。
俺はご飯を咀嚼して飲みこむと、三人の視線を一気に浴びることになる。冬美はなんだかちょっと顔が赤い。赤くなるくらいならするな。
「なんだよ。お前らが勝手に騒いだだけだろ」
「ダメージ、ないの……?」
冬美が変なことを聞いてくる。ダメージありまくりに決まってんだろうが! 昔の俺なら顔真っ赤にして弁当かっこんでるわ!
「ないと言えば嘘になる。だけど関節キスくらい今時普通だろ。そんなんで動揺してたらきりがないわ」
「それは、そうだよね」
なんで冬美がダメージを受けてるんだ? しかけたのはそっちなのに、なんだか調子狂うな。そう思いながら弁当を黙々と食べていく。それを見た冬美もサンドイッチを食べる。
「ねえ、冬美ちゃんってキスしたことあるの?」
「えっ!? な、ないよ。だって、彼氏できたことないもん」
「えり好みしてるうちは一生できないだろうな」
「えり好みっていうか、うーん……」
また例の気になりかけてる人か? あれからバイト中に探ったりしたけどついぞ尻尾を出すことはなかった。まさか俺か? そんなわけないか。一度振られてるんだし。
「最近は変わってきてて、好きな人が好きなタイプにありつつあるんだ。だからえり好みしてるっていうより、好きな人と一緒にいられたら幸せ、みたいな」
「今まで振ったやつはそうではないと」
「まったく知らない人とかもいるから。その……」
「いいって。意地悪言って悪かった。モテるのもつらいね」
「それは孝之もでしょ。昨日の放課後廊下で告白されてたじゃない」
それははっきり覚えている。知らない子だったから、断った。心は痛むし、恨まれるんだろうと思うが、知らない人と付き合うというのは俺にはできない。
「でも、昨日の子可愛かったな。OKしとけばよかったかも」
「えっ、そ、それはだめ!」
「なんで」
「そ、それは……。よくお互いを知らないと、こじれちゃったりして禍根が残るでしょ。そういうのはよくないよ」
禍根残しまくりのお前がよく言えるな。とはいえ正論なので何も言い返さないが。なにも言い返さないのを不審に思ってか、おずおずと冬美が聞いてくる。
「孝之、好きな子いないの?」
「いないな」
「そっか」
そう言うと冬美はほっとしたような、残念なような顔をした。だからなんなんだよ。言いたいことがあればはっきり言えばいいのに。俺を振ったときみたいに。
華絵と友樹は俺たちのやり取りを見て顔を見合わせて笑う。な、なんだよその笑みは。まるで俺だけのけ者みたいじゃねえか。次の休み時間、二人を呼び出してお説教だな。
弁当を食べ終えた俺たちはちょっとだけ他愛ない話をして、華絵と別れた。そしてそれぞれ自分の席に帰っていく。冬美がしょんぼりしてたのだけ謎だ。まさか、まさかな。
中間テストが終われば文化祭がやってくる。楽しみに思いつつ、昼休みの終わりを告げる本鈴と同時に教師が教室に入ってきた。
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