第8話 夏休みの宿題をみんなで
夏休みに入り、俺は忙しくバイトの日々を送っていた。昼間は寝てる。宿題は夏休みが終わるころになって慌ててやるタイプだ。
そんな俺のバイト休みの日に、俺の家に集まって四人で勉強会をしようと言い出したのは華絵。勉強ができない弱いところを見せるのもまた魅力になるらしい。わけがわからんけど。
かくして俺たちは宿題を持参して、一階の俺の部屋でテーブルを囲んでそれぞれ苦手教科から攻めていっている。おかげで進みは悪く、華絵がカーペットの上に倒れてギブアップした。ジーンズだからパンツは見えないんで大丈夫。
「数学むずすぎるよー! 毎日勉強してるはずなのにまったくわからないのはなぜ!? ホワイ!?」
「その片言英語やめろよ。俺だって歴史苦手なの無理してやってんだからさ」
「あ、あたし歴史は得意だよ。教えようか?」
むくりと起き上がってテーブルに身を乗り出す華絵。お前が教えたら冬美の出番なくないか?
「れ、歴史なら私も得意だけど……」
が、意外。冬美のほうから主張してきた。珍しい。悪いものでも食ったのかな。
「本当? ……しょーがないなー。家庭教師の座は譲ったよ!」
「わ、私は得意だよってだけで、教えるとは……」
「困ったときはお互い様。ね、孝之。友樹くん数学教えてよー」
華絵がにっこりと笑いかけて、友樹はにやにやしている。にやにやすんな。
二人の計らいで隣同士に座っている俺と冬美は視線を合わせてなんともいえない雰囲気になる。最近こういうの多いな。バイトでは忙しくてこんな雰囲気になることあんまりないんだけど。
「えっと、じゃあ、今度の範囲のところからやろっか」
「ああ、頼む」
香水をつけていないのに、冬美からはいい匂いがする。女の子っぽい匂いだ。華絵からもするにはするのだが、冬美のはいい匂いに感じるのはなんでだろう。
「上杉謙信は越後の龍とも呼ばれていて、毘沙門天の加護もあると言われていたの。その戦いっぷりは凄まじくて……」
俺の教科書とノートを覗きこんでいるから自然と近くなる。匂いも濃くなって、まるで彼氏彼女の距離だ。冬美はそんなつもりまったくないのわかってるけどな。今までいろんな女の子の匂いを嗅ぐ機会があったけど、今のところ冬美が一番だ。
だからなんだっていう話ではあるんだが。冬美がいい匂いしてたって、俺には関係のないことだ。そう、関係ない。だから向かい側の華絵と友樹がにやにやしてこっちを見ているのをにらみ返すのだってしかたのないことなんだ。
「……そして上杉謙信は能登での七尾城の戦いと織田信長との手取川の戦いを終えると……。って、聞いてる?」
「あ……。いや、聞いてたって」
「じゃあ私がなんて話してたか言ってみて」
「うっ……。ごめん、考え事してた」
すると冬美はぷう、と頬を膨らませた。容姿が美しいから可愛く見えるが、こいつは悪魔なんだ。その手には引っかからないぞ。
「今は勉強中でしょ。どうせ綾香さんのこと考えてたんでしょ」
「なんでそう思うんだよ」
「だって綾香さんさばさばしててかっこいいし、若いし、綺麗だし……。恋、してるのかなあって」
なんでここで綾香さんの名前が出てくるのかわからないが、どうやら嫉妬しているらしい。確かに俺と綾香さんは仲がいいほうだ。お互いちょっとサボって会話をすることもあるし、連絡先も交換している仲だ。でも、どうしていきなり?
「なんでここで綾香さんが出てくるんだよ」
「華絵ちゃんにしたみたいにデートでもしてるのかなって」
「だから、華絵とのあれはデートじゃないって。華絵も言ってやってくれよ」
「そうだよー。こんなイケメンとデートしたら嫉妬されてなにされるかわかったもんじゃないもん」
「……その言い草はないだろ」
いや、華絵の言うことは事実だ。なんだか知らないが俺と冬美は親衛隊みたいのができあがってて、告白するのも決死の覚悟らしい。俺に真実を伝えたあとも親衛隊にあとをつけられて華絵も被害を被っている。困った話だ。
冬美の親衛隊は息を殺して見守ることに徹しているらしく、さながらアイドルのファンに等しい。まあ冬美がアイドル顔負けの容姿をしているからあながち間違いじゃないのがなんともだが。
「私知ってるよ、孝之に親衛隊がいること。それで華絵ちゃんがしばらくの間放課後後をつけられてたこと。なんとか言えないの?」
「俺から言ったら華絵が特別扱いだーって余計めんどくさいことになるだろ。だから言えないんだよ。あと、お前にも親衛隊できてるからな」
「うそ!? 知らなかった……」
「まあお前はそういうことには鈍感だからそうだろうと思ったよ」
俺の小学生からの好意をずっと知らずに一緒に帰ってたんだもんな。本当に罪な女だよ冬美は。夜道には気を付けて帰ったほうがいいかもしれない。バイトのときは一緒に帰ってるからそういう目には合わないかもしれないが。
待て、一緒に帰っているのになじんでいる俺もどうかしている。この前まで冬美のことを復讐目的で見ていたはずなのに、なんだかんだほだされている俺がいることに今になって気付く。
いやいや、ほだされてる場合じゃないだろ。俺は復讐者。冬美の泣き顔を見るために一年間頑張ってきたんだろ。心を動かされている場合じゃない。
「そういや逆に聞くけど、冬美はなんの教科が苦手なんだ?」
「現代国語……かな。なんだか難解で」
「じゃあ、見てやるよ」
冬美のもたれかかってきていた体を押して、俺が覆いかぶさるように近づいて冬美の現代国語の宿題を見る。ほとんど手がついていない。苦手というのは本当のようだ。
俺は現代国語は苦手でも得意でもないが、理解はできる。かみ砕いて教えてやると、飲みこみが早いのか数十分もしないうちにすらすら解けるようになっていた。勉強までできるとなると、釣り合う男がいないというのもあながち間違いではないのかも。
「あー! 終わったー!」
「おつかれさん。まだ宿題残ってるけどな」
「孝之のおかげだよ! ありがとっ!」
はしゃいだ声で思わず抱き着いてきそうな勢いの冬美を避けると、冬美ははっとした顔をした。それからしょんぼりした声で「ごめん」と謝ってきたので気まずくなる。
「あー、孝之冬美ちゃんのこといじめたー!」
「い、いじめてねえって! その……」
「あれ? じゃあ、照れ隠し?」
「ぶっ飛ばすぞ」
ドスの効いた声で言うと華絵は悲鳴をあげて友樹にすがりついた。まんざらでもない友樹の顔を見て、お前らもしかして……と思ったのもつかの間、冬美が間に入ってくる。
「華絵ちゃんのことは責めないで。私が悪いんだから」
「そうじゃなくて……。あー、いいよ。俺も悪かった。これで手打ちにしようぜ」
「うん、ごめんね。宿題の続き、しよっか!」
そそくさと鞄から別の教科の宿題を出す冬美にちゃっかりしてんな、と思いつつ、俺は歴史の問題に向き合って頭が痛くなってきた。それぞれ宿題を終わらせて、華絵のことは友樹が送るというので玄関先で見送る。
「さて、私も帰ろうかな」
「おう、おつかれ。またバイトでな」
「……今日、楽しかった。また孝之とこんなふうに一緒に勉強できると思ってなかったから」
「それを華絵と友樹にも言ってやれよ」
「私は孝之に言いたかったの」
まったく。人を惑わすのか惑わさないのかどっちかにしてほしい。俺はもう慣れてきたから普通の意味に捉えるけどな。
「わかったよ。晩飯の時間だろうから、早く帰れ」
「うん。今日は本当にありがとう。じゃあ、また明日バイトでね」
そう言って冬美はやっと隣の家に入っていった。俺は頭を抱える。だんだんほだされていっている自分に対してだ。これで復讐するなんて、ちゃんちゃらおかしい。気を引き締めないと。
昔の好意はもう捨てた。そのはずだったのに、冬美と過ごしていると懐かしさがこみあがってきてどうにも冷たくしきれない。まあ、好かれるためでもあるからあんまり冷たくしすぎるつもりもなかったが。
このことを三人で相談しなければならない。俺はそう決意して、自分の家に戻った。
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