第7話 四人でプール

 湿っぽい梅雨を通りすぎるころには、すっかりバイトのあとに一緒に帰るのが定番化してしまっていた。おかげで綾香さんにはからかわれるし、友樹には「お前のほうが惚れてんじゃないのか」とか言われるし、華絵からは応援されるし。


 いいか、間違っても俺は惚れてない。かつて好きだったことは認めるが、今は復讐の炎に身を焦がす時だ。俺の最終目的は、変わっていない。


 だのに、冬美はどんどん俺に懐いていく。前まで絶対にチャットアプリでしか話さなかったのに、たまに電話をかけてくるようになった。心を許している証拠だ。順調で実にいい。このまま惚れさせて、屈辱を味わわせてやる。


 七月に入って期末テストが終わり、バイトが休みの日曜日。俺たち四人は、市民プールに来ていた。発案者は華絵。かっこいいとこ見せるのもいいけど、たまにはフレンドリーなところ見せたほうが惚れるんじゃない? という提案でこうなった。間違っても俺が水着を見たいわけではない。


 夏の暑さでプールは大盛り上がりで、市民プールというよりちょっとしたアトラクションなプールに俺以外の全員が目を輝かせる。ここまで自転車で暑い思いして来たからな、期待するのはわかるけど。友樹と華絵、本来の目的忘れてないか?


「八の字プール行こうよ! あー、市民プールなんて何年ぶりだろー!」


「俺もプールなんて学校以外は久しぶりだ! 今日は楽しむぞ!」


 ……だめだ。完全に目的を忘れてる。俺のアシストをするって話はどうなったんですかー? プール、いや夏の魔力は恐ろしい。暑さで本来の目的を忘れるほどの魔力がある。


 二人残された俺たちは、おずおずとお互いを見る。この日のために気合を入れてきたのか、華絵はスクール水着だったのに反して冬美はおとなしめのビキニだ。腰の細いくびれと、着やせするタイプだったのだろう。制服やバイト姿ではわからない豊満な胸が谷間を作っている。


 一方の俺も水着を買ってきていた。だって、スクール水着を着てかっこ悪いと思われたくないし。俺も黒のおとなしめのやつだ。気まずくて固まってる俺たちに、水を浴びせる輩がいた。


 華絵と友樹が水鉄砲を持って俺たちめがけて噴射してきたのだ。俺と冬美はびしょ濡れで、すでに水に入っていた華絵と友樹も水浸しである。


「せっかくプールきたんだから、楽しまなきゃ! ね、友樹くん!」


「そうだぜ。そうしてると、カップルにしか見えないからな」


「なっ……!」


 冬美が顔を赤くする。いや、赤くするんかい。青くさせるところじゃないのかそこは。本当に最近冬美はおかしい。いや、おかしいのは元からか。


「お前ら、好き勝手言いやがって! 待て!」


「きゃー! 鬼が追いかけてくるー!」


「華絵逃げろ! 首絞められるぞ!」


「本当にやってやろうか!?」


 二人を追いかけて走った俺の後を、走って追いかけてくる冬美の気配を感じる。よし、これでいい。二人も仕事を忘れてなかったみたいだな。


 二人は頃合いを見計らって人ごみに紛れる。完全に一般人と化した二人を見つけるのは、この人だかりの中では至難の技だ。そして、取り残された冬美をエスコートして好感度を上げる、と。我ながら完璧だ。


「あいつら、どこにいった……?」


 俺は半分本当で半分嘘の演技で見失ったふりをする。遠くに華絵と友樹を見つけたが、見なかったことにした。


「二人ともどこにいっちゃったんだろう……」


 冬美は完全に見失ったようで、きょろきょろと不安そうに周囲を見渡す。華絵と友樹を見つけられる前に、こちらに誘いこまなくては。


「あいつら、お調子者なところあるからなあ。……俺と遊ぶか?」


 そう言って手を差し出す。冬美は俺の顔と手を見て、おずおずとその手を取った。勝ったな。


「じゃあまず戻って普通のプールに入ろう。そのうち華絵も友樹も戻ってくるだろ」


「そうだといいんだけど……」


 まだ二人きりのときは雰囲気が硬い。それでいい。それでなくては惚れさせたときのカタルシスがないからな。


「よし、俺が先に入るから、ゆっくり入って」


「うん……。ひゃ、つめた」


「プールだから冷たくなきゃだめだろ。ほら、入って」


 冬美は意を決したのか、ざぶんと勢いよくプールに入った。水しぶきが俺の顔にかかって、俺は頭を振りながら手で顔についた水を拭う。


 冬美は黒くて長い髪の毛をかきあげながら水面から体をのぞかせ、反動で乱れた胸元を正す。にしてもでかいな。Eカップくらいはあるんじゃないか?


 観察してしまって、冬美は「えっち!」と言いながら俺に水をかぶせて片方の腕で胸元を隠す。いやいや、そんな水着着てくるのが悪いんだろ。


「なんだかこうしてると、小学生のときのこと思い出すな」


「え?」


「ほら、俺がデブだったころ。周囲の視線が痛すぎて俺帰ろうとしたじゃん。それを冬美が引き留めて、恥ずかしがることないよ、普通だよ、って」


「そんなこと……あったね。あのあと、次の年も、その次の年も一緒にここに来たよね。懐かしいな……。孝之は痩せちゃったけど、どうして?」


 お前、このタイミングでそれ聞くか? まあいい。隠しててもいいことないから、素直に言ってしまおう。


「お前に振られたからだよ。太ってる自分が嫌になって、一年かけてダイエットした。滑稽だろ? たかだか女に振られたぐらいでここまでするかってさ」


「そんなこと……! ない、よ」


 そうだよな、お前は太ってた俺が好きだったんだもんな。痩せちまった俺には興味はないわけだ。それを振り向かせるために躍起になってる俺も滑稽だけど。


「そんなことないなら、なんなんだ?」


「あのね、孝之。私、孝之のこと嫌いじゃなかったの。なのに、あんなひどい振り方しちゃって……。恨んでる、よね?」


 ああ、恨んでるから仕返しに痩せてやった。それが逆効果だと知ってショックを受けるくらいには。


「まったく恨んでないって言ったら嘘になるけど、もう一年とちょっとだぞ? そこまで引きずってねえよ。それより今は、楽しむこと考えようぜ」


「あ……」


 弱ってるタイミングを見計らって頭を撫でる。今まで絶対してこなかったことだから拒絶されるかと思ったが、冬美は嫌がらなかった。目に涙を貯めて、泣き始めてしまう。それは俺も想定外だ。


「お、おい、泣くなよ」


「よかった……。絶対恨まれてるって思ってたから、学校でも最初あんな態度取っちゃって、絶対嫌われてるって思ってた。よかった、よかったよぉ」


 涙をぽろぽろ流す冬美に、周囲の人間は俺が泣かせたのかと痛い視線を送ってくる。ち、違う。泣かせたのは確かだけど泣き始めたのは冬美からで……。ええい、どうにでもなれ!


「えい」


「むぐ」


 頭に乗せていた手を頬に滑らせ、両手で挟むようにして変顔をさせる。それを見た俺は笑って、両頬から手を離した。


「ぷくく……。変な顔!」


「孝之がそうしたんでしょ!」


「怒ってたり笑ってたほうがお前らしいよ」


「あ……」


 冬美が顔を赤くする。今のは決まっただろう。計算のうちにはなくて、自然と出てきた言葉だけど、会心の一撃の自信がある。冬美は悩んだような、落ち着かないような顔をして、上目がちに俺を見上げてくる。


「か、かわいい、かな」


 そのいじらしさに俺の心臓が高鳴る。今まで反応なんてしなかったのに、どうした俺。かつては好きだった女の、いじらしい姿を見て反応してしまうなんて。


 そこからはお互い無言になる。表向きのかわいいよ、がどうしても言えない。言ってしまったら、それは本当になってしまう気がして。どうしても、言えない。


 見つめてくる冬美は愛くるしくて、美しくて、かつて小中と憧れだったままだ。そんな冬美に、俺は……。


「ぶしゃーっ!」


「ぶーっ!」


「きゃーっ! 孝之!?」


「盛り上がってますねえお二人さん。でも、あたしたちを忘れてないカナ?」


 こいつら、いいところで邪魔しやがって……! いいところ? 俺は、邪魔をされたくなかったのか? どうして?


「華絵ちゃん、友樹くん、無事だったんだね!」


「む。俺たちが死んだみたいな言い方だな。冬美ちゃんもやっちまおうぜ」


「おう相棒!」


「きゃーっ!」


 水鉄砲で水を浴びせられて冬美は腕で水を防ぐ。水がなくなったと見るや否や二人はまた走り去っていった。それを冬美がプールからあがって追いかける。こんなはずじゃ、なかったんだけどなあ。

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