第6話 お前バイト先にも来るのかよ

 冬美にキーホルダーを取ってやってからしばらく、接触はなかった。だが、冬美のほうからチャットアプリに連絡がくるようになっている。恋人っぽい甘さなんてかけらもないが、俺に興味がわいたのは確かなようだ。


 俺はそんな冬美を邪険にせず、紳士的に対応した。中間テストが終わって、バイト解禁になったとき、店長からグループチャットで新人が入ると連絡が入る。


 俺が働いているのは居酒屋で、夜八時までのバイトだ。時給もよく、たまに酔っ払いに絡まれるが先輩後輩に恵まれて騒ぎになることはない。そんなところに新人だというから、俺はてっきり高校一年生が入ってくるものとばっかり思っていた。


 開業前の四時半にミーティングをするのだが、そこで新人が紹介となった。そこに来たのは。


「初めまして、宮本冬美で……た、孝之!?」


「冬美!? どうしてこんなとこに!」


「おいおいなに? こんな美人と知り合い? 隅に置けないなー! このこの!」


 先輩の、バイトリーダーである坂本綾香さんが肘を俺に押しつけてくる。店長はごほんと一つ咳ばらいをすると、綾香さんは舌を小さく出しておどけてみせる。


「宮本冬美ちゃんだ。高校二年生。バイトの経験はないらしいから、みんな優しくしてやってくれ。時間は孝之と同じく八時まで。今日は平日だからといって気を抜くなよ。お客様第一だ! 挨拶いくぞ!」


 バイトリーダーの綾香さんが声をはりあげる。基本的な挨拶から謝罪、感謝の言葉まで復唱する。冬美はマニュアルを渡されていて、みんなより比較的小さい声だがちゃんと復唱できている。


 開業準備にとりかかって、同じホールスタッフになったのでそれとなく話を聞いてみる。


「お前、ここ俺がいるって知ってて来たのか?」


「そんなわけないじゃない。時給につられてきたのよ。お小遣いが厳しくなってきたから補充に」


「いくら時給がいいっていったって、ここ居酒屋だぞ? 酔っ払いに絡まれるぞ? 大丈夫か?」


「心配してくれるの?」


 ふふ、と笑ってテーブルを拭いていく冬美に俺はぐっ、と言葉に詰まる。心配じゃないと言ったら嘘になる。ここには性格がいい人しかいないから、デブじゃなくても心惹かれる人がいるかもしれない。


 先を越されてなるものか。ここは先輩として、頼れるところを見せなければ。俺は冬美がテーブルを拭き終わったところにスプーンやら箸やらつまようじやらを置きながら、その機会をうかがっていた。


 店がオープンし、まずは常連客が入ってくる。常連さんは店長の人柄と料理に惚れこんだ人ばかりで、いい人ばっかりだ。俺も可愛がってもらってる。美人の新人、冬美を見てびっくりしていたが、暖かく歓迎してくれた。


 さて、ここからは一筋縄ではいかない。一見さんも入ってくるからだ。店長の采配のおかげでここ一年暴力沙汰になったことはないが、喧嘩が起こるときは起こる。まあ、たまになんだけどね。


 ホールで注文を取って厨房で一息ついてるとき、綾香さんがやってきて再び小突かれる。


「美人の彼女連れてきちゃって、このこの。羨ましいぞ!」


「ちが、あいつは彼女とかそんなんじゃなくて」


「なんだー。恋バナ仲間ができると思ったのに」


「もう、綾香さん冗談きついっすよ!」


 綾香さんは冗談が好きで、いつもこうやってからかってくる。結婚していて、旦那さんがいた。本心ではないのは一年バイトしていてわかっているから、俺も笑って流すことにしている。


 かくいう綾香さんも二十四歳でバイトリーダーになるほどやり手で、厨房でその腕を振るっている。土日の忙しいときは激が飛んでくることもあるが、その後のフォローも完璧。冬美という呪縛がなければ、綾香さんに惚れてたかもしれない。


 常連さんにちやほやされている冬美から視線を感じたのでそちらを見ると、顔は笑顔だが目が笑っていない。綾香さんに嫉妬してる? まさか。


「おーおー。嫉妬されてますなあ。本命に構ってないで厨房戻ろっと」


「綾香さん、違うんすよ!」


「若い者同士仲よくするんだよー! 相談なら乗るからさ!」


 綾香さんはそう言って厨房に戻っていってしまった。代わりに出来上がった料理を台に置かれたので、仕方なくお客さんのところへ運ぶ。すると、とある一見さんが声をはりあげた。


「おい、可愛いからって適当な接客してんじゃねえぞ! このままなら料金タダにしてもらわないと腹の虫がおさまらねえ!」


「ご、ごめんなさい!」


 俺は料理を待つお客さんに配膳しながら様子をうかがう。どうやら冬美がやらかしたようだ。一見さんもかなり酔ってるし、誰かが仲裁しなければならない。


 他にホールに出てるのは誰もおらず、運が悪い。このまま放っておけば店の名前に傷もつくし、冬美も傷つく。せっかく同じバイトになって距離を縮められそうなのに、やめられたら困る。はあ、やるしかないか。


「申し訳ありません、お客様」


「ああ!? なんだお前は!」


「武内、と申します。この度は新人がご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。お怒りは私がうかがいますので、どうかご容赦ください」


 冷静な対応を取られた客は一瞬怯んで、しかし食い下がる。


「この女、笑顔がなってねえ。ただ顔だけ笑ってりゃいいってもんじゃ……」


「この後厳しく指導します。この後別のスタッフが誠心誠意ご奉仕いたしますので、どうか忘れてやってはくれませんか?」


 俺は努めて笑顔を崩さず頭を直角に下げる。その姿に一見さんは毒気を抜かれたのか、ビールを一口あおって静かにグラスを置く。


「……兄ちゃんは笑顔がなってんな。なんだ、怒鳴って悪かったよ。その代わりその女はもうつけんな。他のスタッフにしてくれ」


「ありがとうございます、お客様。ほら、謝って」


「本当に申し訳ございませんでした」


 冬美が頭を下げると、一見さんはふん、と鼻を鳴らしてビールをあおる。そのまま奥の厨房のほうまで連れていくと、先輩方がホールに入って怒鳴ったお客さんのアフターフォローに回っている。


 冬美は怖かったのだろう。膝が震えている。俺が軽くデコピンをすると、冬美ははっとした顔で俺を見た。


「助けてくれたの……?」


「同じバイト仲間だし、店の看板に泥塗れねえからな。初日に嫌な客に当たったのはかわいそうだけど、お前目が笑ってないのは本当だぞ。次までになんとかしとけ」


「待って」


 そう言ってホールに戻ろうとした俺を冬美が引き留める。なんだろうと思って振り向くと、ちょっと涙を浮かべた冬美が胸の前で両手を組んで俺を見つめていた。


「ありがとう」


「これで貸し二つな。ゲーセンのと、バイトのと」


 冬美はびっくりした顔をしていたが、俺は背中を向けて片手を上げるとできあがった料理を持ってホールに戻った。


 そんなこんなでバイトも無事終わり、更衣室で着替えて裏口から出ると、冬美がそこにいた。可愛らしい格好をして、俺を待つ理由なんてあるのか?


「あ……。さっきは、ありがとう。一緒に帰らないかな、と思って。家、隣同士でしょ」


「それはそうだけど、どういう気持ちの変化だよ」


「……今まで、孝之を避けて一緒に帰らなかったでしょ。貸し二つもあったら、私どうしたらいいのかわかんないもん。だから、一緒に昔みたいに帰れたら、って思って」


 ああ、俺がデブだったら冬美は陥落してたんだろうな。そして俺の復讐は完遂してたと。一緒に帰ろうと言ってくる時点でだいぶ態度が軟化したなと思うけど、それは貸しがあるからだ。そうじゃなければ一緒に帰らないのと同じ。


 そう考えるとちょっと寂しいとか思ってしまったのも、俺がほだされたからかもしれない。ええい、鬼になれ武内孝之。お前は冬美に復讐するんだろう? ほだされてどうする。絶対痩せた俺に惚れさせるって決めただろうが。


「……わかった。今まで一年間避けられてきたけど、帰ろうか」


「うん。……ごめん」


「謝ることなんかねえよ。謝られたほうが調子狂う」


「わかった。ありがとう」


 わかってんじゃねえか。そうして俺にどんどん惚れていくといい。最後には振ってやるんだ。


 真っ暗になった道を俺たちは話しながら帰り、冬美の家に送り届けて隣の自分の家に入る。さて、これからどうしてやろうか。

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