第28話 スプリング・トゥ・ザ・フューチャー②
西暦2990年、8月30日の夜10時。今日も私は情報端末機の前で必死に検索を繰り返していた。
最重要機密事項とされる『人類限界日数』の内容に私はいまだに触れることができていない。
春の両親、常月夫妻の自殺関係の経緯はだいたい把握できたけど、肝心の人類最後の日についてがわからない。なんでその日が来るのか、どうしたら回避できるのか。不思議なことにどんなに調べても誰かの考察すらあがってこなかった。
お父さん、都市長のパスコードでもあれば最重要機密でもアクセスできるはず。
でもどうやってそれを手に入れる? どこにそれはあるの?
私ができる調査に限界を感じながら、情報端末機のどこかにヒントがないか必死に探し続ける。
その時、端末機の画面が一瞬暗転して、今度は真っ白な画面に切り替わった。
「え、ウソ、壊しちゃった!?」
突然の端末機の機能不全に私は焦り、緊急終了するべきか判断に迷う。こんなこと、普段のお父さんに知られたら怒られるなんかじゃすまないし。
『安心してください、別にこれは故障ではありません』
焦る私をよそに、冷静で淡泊な声が情報端末機から流れてきた。
画面を見ると、ひとりの女性が現れて中央に簡易椅子を置いて優美に座った。
私が白い画面だと思っていたのは壁も床も白く塗られた部屋だったらしい。
『一応自己紹介しておかないと理解が進まないでしょうからします。私は
「え、なんで春のお母さんが? 自殺したんじゃなかったの?」
『まだ理解が追いつかないようですね。私はきちんと自殺していますよ。これは貴女のいる時間からすると過去の映像です』
色素の薄い長い髪と儚げな風貌なのに一切の弱さを感じない氷のように冷たい瞳。わかりやすく白衣を着たその姿は確かに
「過去の映像なんだったら私の声に反応してるのはおかしいでしょっ」
私は端末機の画面の奥に向かって文句をぶつける。
『ああ、リアルタイムで話しているように感じるのは私が未来にいる貴女の発言を予測しているだけです。安心してください、一言一句たりとも予測を違えることはないので、皮肉な名前の未蕾さん』
薄く笑って彼女は応えた。今の発言、私くらいの女子学生の会話くらいは簡単に想像できますって馬鹿にされた気がする。というか普通に馬鹿にされてるよね。
『別に馬鹿にしていませんよ。ただ、少し挑発的な会話の方が先読みしやすいだけで。ちなみに思考の方もトレースできるので、最悪ずっと黙っていたままでも構いません』
冷たい声のトーンで春のお母さんは淀みなく話してくる。
頭にきた、何よりも自分が世界一の美人だと思ってそうな態度が一番気に入らない。
『別に貴女ほど自意識過剰なつもりはありませんが、一応否定しない、と言っておきましょうか』
ウソでしょ、私が口にしてない今の考えも読み取られたの? もしそれが本当なら、未来演算機なんかよりもずっと優秀な頭脳してるんじゃないかなこの人。
「それで、随分と頭がよさそうなお母さんは、いったいなんのつもりで都市長の情報端末機をハッキングなんかしてるんですか? いくら故人といえ、やっていいことと悪いことがありますよ」
『その都市長のパスコードをさっきまで必死に探していた人とは思えない発言ですね。この会話データは私たちの自殺理由の調査、人類限界日数の調査、最後にパスコードの探索をすることが動画再生のトリガーになってますし』
まるでなにもかも手の平の上みたいにこの人は話してくる。どんな脳の構造をしていればそんなことできるんだか。
『さて無駄話もほどほどに、いえ別に無駄ではないから会話を続けたのですが、ここから先は本当に無駄になってしまうので。────では未蕾さん、世界は明日滅びます』
びっくりするほどいきなり本題に入った。
「明日、え、明日って!?」
『知りたかったのでしょう? 西暦2990年の8月31日の日の出と同時に世界は滅びます。ここまではいいですか?』
「全然よくないっ! なんで明日? なんで急に?」
『急、ということはないでしょう、随分と前から予告してあったはずですから。あと静かにしてくださいね、ご両親が起きますよ』
「だったら答えてください。世界は、どうして滅ぶんですか?」
『単純にこの星が死ぬからです。作り出す熱よりも失う熱が多い、それだけのことですね。未蕾さん、人間が死ぬのはどんな時ですか?』
「え、それは、心臓が止まった時、とか」
自分の胸の中に一人の少年を思い浮かべながら、私は答えていた。
『違います。心臓が止まることも死の過程に過ぎません。血液の循環が止まり酸素の供給が止まり、各細胞の熱代謝が止まる。結果生み出す熱がゼロになった人間は外気に熱を奪われるだけになり死という状態になります。それが明日この星に起こることです』
「そん、な」
『ちなみに私が生きている今の時点ですでに星の心臓は止まった状態です。私たち未来演算者がいくら演算を繰り返しても未来が西暦3000年で止まっていた原因ですね。人間と星はスケールが違うので、心臓が止まっても環境に影響が出るまで何年ものタイムラグがあるだけです』
「それじゃ、もう私にできることなんて、」
『─────もうなにもない、としたら私はこんな無駄な会話はしません。春と話しをするよりも貴女との会話を優先しているのはそれに意味があるからです』
「え?」
『止まった心臓はもう一度強い力で起こすしかない。そのアクションは既に完了しています。停止した48の海洋都市に流入していた熱エネルギーを逆流させてこの星の熱循環を強制的に再開させます』
「完了してるってどういうことですか? それに他の海洋都市のエネルギーを使うって、それじゃまるで意図的に他の都市が滅んだみたいな」
『みたいなではありません。この海洋都市以外の滅亡は私のプランの内です』
「何を、言ってるんですか。そんなの、大虐殺じゃないですか!?」
『そうですか? 私は自然淘汰だと思いますけど。かつて100億あった人口は貴女が生まれた時点で1億人でした。それを人口維持できなかった世代が99億人を虐殺したとは言わないでしょう? いえ、別にいいのです。私の主観と一般的な客観がズレていることは理解していますし、客観的な視点の上で私の行為が虐殺であろうとかまいません』
春の母、常月雪音は一切のためらいなく言い切った。自身が9000万人以上をその手で殺した犯人でいいと。
『何を犠牲にしても最果ての未来を目指す。そのために私は生まれました。ですからそのために生き、死に、殺すことに抵抗はありません。ずっと、そうしてきましたから』
言葉もない。この人が言っているのは、未来のために誰かを犠牲にするって話じゃなくて、誰かを犠牲にする前提でしか、私たちは未来を望めない地点にいるってことだから。
この人に限らず、誰もが道を前に進む時点で誰かを押し出し、突き落としてる。
「あなたの行動を理解はしないですけど、否定もしません。もう起こってしまったことなんですよね。……それで、私に何をさせたいんですか? 止まった心臓を再起動させる作業は、終わったみたいに聞こえましたけど」
『アクションは完了しましたが、星の鼓動が戻ったわけではありません。ギリギリの熱量でしたから、地球内部の熱循環が正順の軌道に乗るかは明日にならないとわかりません』
「そんなっ、あと少し足りないっていうなら、私たちの海洋都市のエネルギーを使えば」
『確実に循環は再開します。その場合、代わりに貴女たちが確実に滅亡しますが』
「っ、なんでですかっ?」
『ギリギリなのは地球に戻した熱量だけじゃありません、貴女の住む海洋都市も本当に限界寸前まで活動量を落として星の熱源消費を抑えています。そこからさらにエネルギーを絞り出せば都市は滅びますし、仮に明日の滅亡を免れたとしても結局は西暦3000年を越えられません』
「どうして、ですか?」
『単純に人口と熱量の話です。社会文明を存続させるのなら、予定外の欠員は許容できない状況にあります』
「そんなことはないでしょ。今までも毎日何人もの人が自殺してる。多分、今日だってたくさん、」
人が、自分で命を絶ったはず。
『承知しています。そうなるように仕組んだのは私ですから。覚えていますか未蕾さん、私たち夫婦が貴女の家、つまり都市長の家を訪ねた時のことを。その時に都市長にお願いしていたのは、自殺薬の規制解除です。未来を継続させるためにそれが必要だと説得しました』
「あなたって人は!」
彼女が言っているのは、服薬すると苦痛なく死に至り、さらには身体が分子レベルに融解する劇薬のことだ。
『怒鳴らないでくださいね。脳内シミュレーションのこととはいえ耳が痛いです。ですが貴女の父のおかげですんなりと自分たちが使用するための自殺薬が手に入りました。これも結構大事なことだったんですよ。人間だって資源ですから、ただ投棄するだけでは無駄になる。この自殺薬の良いところは死後に分解を促進してたった三日で骨も残さないところですから』
狂気の発想だ。この人は本当に、未来をつかみ取るためなら手段を選ばない。
『話を戻しますが、死ぬべき予定の人がすみやかに死ぬ。それは
「ひどいっ、あなたたちは生き残るべき人と死ぬべき人を勝手に選別してる」
『いい表現ですね、的確です。沈みかけの船に残るべき人は自然と限られる、それを船長はあやまたずに選ばないといけない。それができないのなら飛び降りるべきはまずその船長からです。ですが、残念なことにもう捨てられるものがなくなってしまったのです』
「それが、さっき言ってたことですか?」
『はい、私はたったひとつの未来の糸口のためにあまりに多くのモノを余分として切り捨ててきましたが、もう貴女たちから切り捨てられる余分はないんです』
その最後の一言だけが、どこか悲しそうだった。
『人類のダウンサイジング、それはここに達成されました。それでもまだ、貴女たちの未来の箱は生と死の両方を抱えたままです』
「そんなの、どうしたらいいんですか。結局私がそんな話を聞いたって、どうしようもないじゃないですか」
『そんなことはありません。未蕾さん、私は貴女に春をお願いしたいのです』
「え、なんで春?」
あまりにも唐突なお願いだった。
『さきほど言ったはずです。死ぬべき予定でない人が死ぬことは許されないと。それには春も含まれています。いえ、あの子こそが含まれてます』
「やっぱりなんで、春だけが特別なの?」
『…………特別な人間などはいません。ただ私が、あの子が生きていることを前提にその未来を画策したので、春が生きていないといずれにしろ貴女たちの未来が瓦解するというだけです』
それを、特別って言うんじゃないかな。少なくともこの人にとって。
「ひどい、親馬鹿じゃないですか」
『……驚きました。馬鹿と言われたのは初めてです、新鮮ですね。ですが結論は変わりません、その世界は春が生きていないと続きません。あの子が生きたいと思わないと、続かないんです』
「生きたいと思わないとって、アイツは」
『あの子は、生きたいと思っていないでしょ? いつ死んでもいいと思ってる。いつ、どんな理由で命が止まったとしても、あの子は満足したように笑って受け入れるでしょう』
寂しそうに彼女は語る。冷たい印象のこの人に、はじめてまともな感情が見えた。
「多分、そうだと思います。春は、明日来る終わりを、自分の隣で眠る死を怖がってない」
『それが私の最大の誤算です。春が生きたいと思っていないなんて思わなかった。いえ、私は昔から人の気持ちはまったくわからないので当然ではあるのですが、自分の子供のことすらわかってないとは驚きました』
「驚いてばかりで、あなたの人生楽しそうですね」
返す言葉に精いっぱいの皮肉を込める。
『確かに、つまらないと思うことはありませんでした。絶対に解けない難問に挑んでいるようなものでしたからね。そして春の問題も人の気持ちがわからない私には解けません。なので貴女に丸投げします』
春の母、常月雪音はここにきて満面の笑みを見せて、
『未蕾さん、春に生きたいと、死にたくなんてないと思わせてください』
未来の他人に自分の息子を放り投げた。
「は、え?」
『私の要件はこれだけです。貴女に理解してもらうために随分と遠回りな説明をしましたが、これでも最短なのでご了承を』
彼女は一礼をして椅子から立ち上がり、話はここで終わりと切ろうとする。
「ちょっと、待ってください!」
『なんでしょうか?』
「自分の息子の問題を、本当に丸投げしないでくださいよっ。第一、春は自分の死に納得してる。それを誰かが覆すなんて、」
できるはずがない。
『そうですね。ですからその心持ちを覆すほどの熱量を貴女に期待しています』
「それに、本当に春が生きたいと思うだけで、世界は終わらないんですか? そんなこと、本当にあるはずが……」
『その理解だと、正確な説明ができていなかったことになりますね。貴女たちの明日、8月31日は続く世界と終わる世界の両方を内包したひとつの箱になっています。どちらもありえるほどに可能性が均衡している』
箱、開けるまでは生きているか死んでいるかわからない猫の入った箱みたいな感じかな。
『その理解で結構です。継続と終焉が拮抗しているので、わずかな要素でどちらにでも転びます。その必要な要素こそが、死から生への方向性の転化、極小の熱です』
「極小の熱?」
『ほんの少し、星から失われる熱よりも生み出される熱が上回ればいい。これはそれだけの話です』
そう彼女は前置きして、
『未蕾さん、貴女だって36℃の熱で燃え続けるこの星の資源よ。貴女の祖父も言っていた言葉でしょ? 今が一番熱いんだから、燃えて、燃やしつくしてみなさい。その熱が、冷えつこうとするこの星への、最後の
彼女の言葉から丁寧さが欠け、代わりに熱が込められた。
『……それと、このプランを仕組んだのは私ですが、貴女たちがそこまでたどり着いたのはただの必然ではありません。終わりの日がいつなのかを知る者は誰だって簡単に、このプランを台無しにすることはできた』
「え?」
『私たちに裏切られた
「お父さん、が?」
『積み上げた未来を生贄に、残された時間を人質にした私の言うことではありませんが、できれば貴女はそれを知っておいてください』
澄んだ瞳で彼女は言った、そこには彼女の思惑を知りながら口を閉ざした人たちへの、限りない敬意が込められていた。
『お母さん、まだお話終わらないの?』
画面の向こう、扉が開く音とともに、幼い子供の声が聞こえた。
『もう終わるところよ。春、待たせてごめんなさい』
冷たい涼やかな声で、常月雪音は子供、幼い春へと応える。
「春!?」
『誰とお話してたの? 誰もいないよ』
『ずっと遠くにいる人とのお話だったの。貴方の未来をお願いしたところ』
『僕の、未来?』
『ええ、何があったとしても、貴方の未来がつまらないなんてことはないと思うわ』
常月雪音、雪音さんはさも当たり前のように自分の息子にそう告げた。
『それじゃ未蕾さん、私の話はこれで終わりです。ほとんどの話を貴女は忘れるでしょうけど、気にしないでください』
「ちょっと、忘れるってなんでですか?」
いくら私が天才じゃなくても、今の話くらいなら覚えてられる。
『この動画データは可能な限り容量を削ぎ取った光と信号音の不連続体に過ぎません。動画・音声として貴女が認識できるのは貴女の脳がそれを補完しているからです。ですが実体のない情報を脳に記憶することは難しい、眠る時に見る夢をいつまでも覚えておくことが難しいように』
「それじゃ、今のやりとりも意味がないってことじゃないですか!」
『そんなことはありません。二割程度の情報は貴女の意識表層に残りますし、無意識化にはきちんと焼き付いています。観測者効果から逃れるのに効果的な手段は、観測者が観測した事実を忘れることですから』
ひどい、話。あれだけ大事な話をしておいて、覚えさせるつもりがなかったとか。
『では、健闘を祈っています。気軽に明日を迎えてください。少なくとも、誰もいなくなった綺麗な地球くらいは残ると見込んでいるので』
「最悪です。もう少しくらいは期待を込めてください」
『そうですか? それも悪くはない結果だと思うのですが。でもおかげで思い出しました。いえ、意図的に忘れていたことですが。私が馬鹿と言われたのは二度目だったのです。昔、夫と初めて会った時にも言われたのでした。君はなんでもかんでも捨てたがる大馬鹿者だって。……こうして思い出すと夫の方が口が悪いですね』
そう言って彼女は自然に笑い、側にいた幼い春を抱きかかえる。10歳になる少年は、彼女にとっては十分重いはずなのに、大切に、大切に離すことなく。
映像が、細切れになって消えていく。音も、断線するように聞こえなくなる。
その刹那、
『さよう、なら──、未蕾、さん──、貴女の、名前、私も──、希望に満ちた──、いい名前だと思います、よ──』
未来を夢見た狂気の天才の、ごくありふれた人間らしい声が聞こえた。
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