第七章 スプリング・ラストレター

第22話 スプリング・ラストレター①

 目を、覚ます。


 始めにすることはいつも決まっている。

 左胸に手を当てて、不安定で頼りない心臓の鼓動を確認する。どうやら、今日も僕は生きているらしい。


 ゆっくりと、めまいが起きないように身体を起こす。薄暗い部屋、ベッドの隣に置いた丸テーブルには10歳の誕生日に両親がくれたサイコロ、部屋の扉の前には忘れないようにと昨日準備した大き目のバッグがある。


 少し前、僕はここで未蕾にフラれた。『私はあなたのこと好きじゃない』と、泣きそうな顔で彼女はこの部屋を出ていった。


 その顔が、今でも僕の脳裏に焼き付いている。あの雨の日の彼女の涙も、それを言うなら未蕾と出会ってからの彼女の喜怒哀楽すべてが、自分の中で処理できないものとして大切に保存されている。


「理由は、本当はあるんだけどね」


 彼女を好きな理由、好きだと言える理由。でも今はまだ上手くカタチにできない。  

 結局は、巡り巡って彼女が彼女だから好きなんていう陳腐な答えにまとまってしまう。


「でもそれじゃ、未蕾は納得しないだろうね」

 自分なんかでも簡単にわかる未来予測をしていた。

 あまり先のことは考えないようにしていたのに、最近はつい明日のことを考える。


 未蕾と会えたら何を話そうかって、考えてしまう。


 未来なんて、僕には無縁の言葉だったのに。


 ベッドから起き上がって学生服に着替える。ずっと昔から残り続けた男子学生のスタイル、それが僕は好きだった。


 そして未来が、未来を語る両親が、嫌いだった。


 幼い自分と、おばあちゃんを残して自分の命を絶った二人。赦す赦さないの前に、そもそも理解ができなかった。


 いつも未来の話しか二人はしない。今をどれだけ切り崩して、未来をどれだけ切り出せるか。二人の会話はいつもそれだけだった。今を生きているのに、『現在いま』に生きていなかった。


 それがとてもいびつで、理解できなくて、同じようになりたくはないと思った。

 僕は気づいた時にはずっと古い過去にしか興味がなくなっていた。


 本当に残念な話だ。結局は僕も過去にとらわれて、『現在いま』を生きようとしていなかった。


 こんな僕を知ったら、死んだ二人は怒るかな。それとも、今の、未蕾と出会った僕を見たら、笑ってくれるかな。


 今の僕には、『現在いま』がすべてだ。今は、すべてが星のように輝いて見える。だから、それを彼女に伝えられたらどんなにいいだろうか。


 未蕾は僕のことを好きではないらしい。でも、それだって僕には輝ける星のひとつだ。


 未蕾は毎朝屋上での日課をこなしてから、真っ直ぐに僕がいる図書室までやってくる。


 僕が何度倒れても、くやしそうな顔をしながら取り乱さないでいてくれる。


 たまに手を握って、優しい言葉を、他人が聞いたら悪口のような、僕にとっての優しい言葉をかけてくれる。


 心配や同情よりも、運命をにらみつけるような彼女の激しさが、僕には何倍も優しく感じられた。


 本を読む時間が減った。未蕾に薦めた本の内容を二人で語り合う時間が増えたからだ。

 僕の日常が少し崩れたのに、何ひとつ不満に思わなかった。


 たくさん、話をした。


 子供の頃のこと。楽しかったこと、悲しかったこと。

 子供の頃の夢。どんな大人になりたかったか。どんな世界で、生きたかったか。


 叶えたいコト。叶わないコト。

 叶ったコト。叶わなかったコト。


 たくさん、たくさん話した。


 そのすべてが、僕にはまばゆいほどにきらめいている。



 出かける準備を終えてバッグを持って部屋を出る前に、いつもの習慣でサイコロを転がした。


 どんな目が出たとしても僕に影響はない。ただ心構えとしてでも、せめて両親の遺したモノに役に立って欲しかっただけ。



 出た目は、6。



 少しだけ背中を押された気がして、この瞬間ちょっとだけ心の中で両親に感謝をする。


 サイコロに背を向けて部屋を出ようとしたその時、後ろで何かが開く音がした。


 振り返ると六面体が綺麗に開いている。近づくとサイコロだった何かの裏側にいくつかの文字列が。『春へ、書棚、三番、図鑑、最後、手紙』


 各面の裏側に2文字ずつ。どう考えても両親の残した言葉だろうけど、なんて簡素で味気ない暗号なのか。


「さっきのでちょうどサイコロの6が出るのが3000回目。当たりの目が規定回数に達したら自壊するギミックかな」

 サイコロに書かれた文字よりも、その構造をじっくりと読み込んでみる。いくつかの歯車と振り子構造が合わさった単純な造り。


「でも、僕が『6』を当たりにすることも、こうして何度も振り続けることも予測してたってことだよね、父さん、母さん」


 本当にもう、これだから未来に生きている人は。


 僕は部屋を出て、両親の書斎に向かった。2人が自殺してから1度も立ち入らなかった場所に。

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