第六章 ティア・レイン

第18話 ティア・レイン①

 結局、あれだけ緊張していたにも関わらず私はスヤスヤと熟睡し、朝早く用意された食事の匂いで目を覚ましていた。


 なんでだろ、ここ最近はずっと眠りが浅かったのに。


 昨日の夜は、何かものすごく恥ずかしいことを話して、もっと恥ずかしい物思いに耽っていた気もするけれど、忘れることにした。

 というか昨日のことは全部忘れたい。


 春の身体のこと、告白のことも含めて全部。


 たった一日で受け止めるには重すぎること。


 たった一日で忘れるには、鮮烈すぎること。


 だから、私は。


「おはよう、未蕾」


「……おはよ、春」


 当たり前のように、当然のように春に挨拶を返す。


 そう、私は割り切ることにした。

 あのことも、このことも、すべて過ぎたこと。

 全部、私の知らないところで決着のついたことだから。


 だから気にしない、考えない。


 まさか、お祖父ちゃんのかつての教えがこんなところで活きるなんて。


 朝食を終えた私たちは当然のように学校へと向かった。

 春には本当は家でゆっくりしていて欲しかったけど、彼は大丈夫の一点張りで意地でも学校に行こうとして仕方なかった。学校までの坂を登りながら隣を歩く春の様子を横目で見るけど、今のところ調子は悪くないみたい。

 昨日の今日で色々な意味でドキドキしているうちに私たちは学校へとたどり着いていた。


 校門を抜けて、校舎の玄関口まで足を運ぶと、私はそこで隣の春がすごくニコニコな笑顔をしていることに気付いた。


「何よ春。……ニヤニヤして気持ち悪いわよ」


「え~、気持ち悪いはヒドイよ未蕾。仕方ないだろ、僕はこういうのに憧れてたんだからさ。だって好きな子と一緒に登校するなんて、まるで物語の中みたいじゃないか」

 笑って、本当に嬉しそうに笑って春はそんなことを口にしていた。


「バッ、」

 思わずバッカじゃないの、と言いかけて私は慌てて口をつぐんだ。

 いや、もちろん私が忘れようとしている昨日の告白を思い出させた春はバカなんだけど、それ以上に春にとって誰かと登校するってこと自体が、物語の中でしかありえないほどの遠い出来事だって気づかされたから。


「そんなことより傘は持ってきてる? 昼からは雨が降るわよ」


「ああ、お祖母ちゃんがそんなこと言ってたね。一応持ってきたけど未蕾は?」


「携帯傘くらいは入れてきたけど、どっちにしろ自転車と水上バイクで家に帰るんだからあまり関係ないわよ。帰るころには少し弱まってるし、気にしないわ」

 気にしない、そのはずなのに私はなんで傘の確認なんてしたんだろ。これじゃまるで、私が春の心配をしたみたい。


「へえ、未蕾は予報をしっかり見てるんだ。僕はアレ、あんまり信用してなくてさ」


「え、ちょっと待って春、信用してないって、本気でアレを天気予報だと思ってるの?」

 私は校舎の玄関の鍵を開けながら、聞き捨てならない春の言葉に一瞬固まる。


「ん? 予報だろ? 気象図から天候を予想してるんじゃないの?」


「違うわよ、私たちが見るのは天気予定、未来演算システムが意図的に天候をコントロールした予定表よ」


「ああ、アレもそうなんだ。困ったなぁ、その未来演算システムって、僕嫌いなんだ」

 そう言い残して、春は迷うことなく図書室の方へと向かっていった。


 珍しい、春の口からはっきりと嫌いって言葉を聞いたのは初めてだ。それに『未来みらい』って響きの入った単語を否定されると、まるで私がフラれた気分になってちょっとヘコむ。


 私は、春の向かった図書室と、沈む朝陽が待っている屋上へ続く階段を交互に見る。少しだけ迷って、私は彼と同じ図書室に足を向けていた。


 きっと今の私には、独りで見る朝陽よりも優先したいことがあったからだと思う。


 図書室へ着くと春はいつものように歴史のコーナーへと一直線だった。

「ちょっと春、待ってよ。未来演算システムが嫌いってどういうこと? 歴史の勉強してたら普通に出てくるでしょ?」

 私は走って春に追いついて、大事なことを問い質す。

 未来を演算する技術の変遷は歴史の教科においては主軸と言っていいほどの内容だ。その移り変わりこそが今の世界を決定づけたんだから。なのに歴史好きの春がそれを嫌いと口にする理由がわからなかったから。


「ああ、なるほど。多分だけど未蕾が言う『歴史』と、僕にとっての『歴史』がズレてるんだろうね。僕にとっての『歴史』ってのは、コレのことなんだよ」

 春は歴史コーナーの棚に手を当てていた。


「この紙で残された書物群こそが僕の思う歴史。逆に言えば、この歴史の棚になくたって、本であるのならば僕にとってそれは歴史なんだよ」

 春は、それこそ宝物のように数多くの本が詰まった棚をそっとなでる。


「それじゃ、演算システムのこともよくわかってないの?」

 春の気持ちはなんとなくわかったから、重要なところだけ確認する。この認識がズレていると今後の会話にも支障が生まれそうだし。


「なんとなくは知ってるよ、フェイトとか、ディスティニーとか、昔で言う中二っぽいヤツだろ?」

 春は今日読む本を棚から探しながら私の質問に答える。

 なんて失礼な、フェイトシステムやディスティニーシステムは今だって中二っぽいって言われてるし。昔の人たちに謝りなさい……じゃなくて、

「仕方ないでしょ、運命論と運命死論に基づいたシステムなんだから、安直だろうとわかりやすさってのは大事でしょ?」


「そうなんだ、未蕾は詳しいの?」

 本を探す春の手が一瞬止まる。


「詳しいってほどじゃないけど、ただ歴史科目の必須なところだから人並みには理解してるだけ」

 一応、この教科の成績は良かったわけだし。


「……ねえ、なら教えてよ。今まで興味なかったけど、未蕾の話なら聞いてみたい」


「ちょ、なんで私がっ」

 反射的に断ろうとした言葉が止まった。


 興味がなかったと言う春は、本を探す手を止めてあぐらをかいて前のめりに床に座り、これでもかというくらい瞳をキラキラと光らせて私の話を待っている。


 ほんの少し、自分の頭の中で考えを巡らせてみた。


 みんなが無価値と、私自身さえ意味がないと思ったこの知識、それを誰かに教えることができるのなら、私の学んだことはまったくの無駄じゃなかったのかもしれない。そう思えるのなら、

「……いいわよ、本当に簡単でいいんだったら教えてあげる」


「ありがと、未蕾」


「それで、どこからが春はわからないの?」


「う~んと、量子論はわかるんだよね。昔の本にも出てきたし。それに基づいた未来演算が量子演算クォンタムシステムだろ? 量子の変動を正確にとらえることで確実な未来を予測する」

 意外とこの生徒は予習をちゃんとしていたみたいで優秀だった。ていうか量子論を昔の本を読んだだけで理解してるって、本当だとしたら頭が良過ぎるんじゃないの?


「そこがわかってるなら話は早いわよ。その量子演算クォンタムシステムが古いシステムになったってことは、それだけじゃ説明できない未来の齟齬が出てきたってことでしょ。十年単位なら量子演算クォンタムシステムは精確に未来を読み当ててたみたいだけど」


「へ~、それはすごい」

 春は小気味よい相槌を打ってくる。ちょっと、私も気分が乗ってきた。


「じゃあなんで未来が外れはじめたのか。まず疑われたのが観測者効果、未来を観る存在があることで未来にブレが生じる。正しいたとえじゃないけど、気に入らない未来があったとして、それを知った人がまったくありえない行動をとれば未来が変わるかもしれないでしょ」


「なるほど、人間の心理としては間違ってないしね。でも違ったんだろ?」


「そうよ、量子演算クォンタムシステムは二重観測にだって対応できるほど完成されたシステムだった。だから未来を変えていたのは個人レベルの人の意識じゃなかったの。何十年後も先の未来に影響していたのは、人の、命あるモノ全ての無意識、形而上の熱量だったの」

 一人一人では存在するかさえあやしい極小の熱、それが定められた未来を覆したモノの正体だった。


「おお、なんか話が壮大になってきたね」


「別にこの話の根っこは大した話じゃないわよ。赤ちゃんだって生まれたらとりあえず生きるために行動するでしょ。泣いたり、おっぱいを吸ったり。どんな生き物にだって生きている以上は生き続けようとする無意識的な行動、方向性がある。その命の方向性、物質的には観測できない熱量を『運命』と定義づけたものが今でいう運命論のこと」


「そうだったんだ。もっとスピリチュアル的なものかと思ってたよ」


「十分にスピリチュアルだと思うわよ運命とか。だけどその運命論に基づいた変数を量子演算クォンタムシステムに加えたことで未来の確度はさらに改善したの。それが運命演算ディスティニーシステム」


「おお、やったじゃないか」


「そうね、やっちゃったわねって言えるくらいの成功、そして大失敗よ」


「大失敗? なんでさ?」


「先に結論を言うとこの運命演算ディスティニーシステムは数百年後に破綻するからよ。システムがある意味で優秀過ぎたせいでね」

 今の人類からすれば、もっとも憎むべきがこの運命演算ディスティニーシステムなんだから。


「う~ん、よくわからないなぁ。優秀なシステムであることが理由でダメになった?」


「簡単な話よ、ある子供がいました、その子供には学者になる未来とスポーツマンになる未来がありました。春、アナタならどうする?」


「え、そりゃ子供本人に選ばせるけど。もし自分のことだとしたら学者かな。運動は苦手どころの話じゃないし」


「そうよね、でも運命演算ディスティニーシステムを運用するとどちらも選ぶことができたの」


「どっちも!? なんで?」

 大きいリアクションで春が喰いついてくれた。うん、正直楽しいわね。


「それが運命演算ディスティニーシステムの優秀だった点である各個体の運命の最大化だから。その人生の分岐において起こりうるイベントを効率的かつ最多数取得できるようにしたことよ」

 その個人が手に入れる可能性のある幸せを、全部手に入るようにする、夢みたいなシステム。


「……すごく羨ましい話にも聞こえるけど、それって」


「多分、春の思った通りよ。個人レベルで悪用しただけならまだよかったけど、みんながその運命演算ディスティニーシステムを利用したから、世界は簡単にパンクしたわ」


「そりゃそうだよ。そんなの、世界の資源、星のリソースが持つはずがない」


「春の指摘は正しいけど、それが判明したのは運命演算ディスティニーシステムの不具合が確認されてから結構後のことよ。はじめは、予測した未来が嚙み合わないことが表面化した問題だったわ」


「なんで? 量子演算クォンタムシステムの欠点を補ったんじゃないの?」


「そこまではよかったけど、みんなが運命の最大化なんてものに力を入れたせいで狂ったのよ。たとえば、今世紀ナンバーワンのアイドル、無敗の一流棋士、世界一のスポーツ選手、簡単なものなら各学校の首席卒業とかだけど。つまりはその世代でたった一人しか経験できないイベントは分け合えない。同世代に同じ事ができる人がいた場合、運命のバッティングが起きるの」


「ん~、あのさ。それって運用を始める前に気づかない?」


「気づきたくなかったんじゃない。少なくともほとんどの人には人生を最大限謳歌できる夢のシステムだったんだし。そして春がさっき言ったみたいにこの星の方にも大きな影響が出たわ」


「まあ、人生を謳歌するってことはそれだけのエネルギーを消費するってことだからね。どんな舞台の上だって、大人数で力の限り踊り続ければいつかは壊れるさ」

 春にも運命演算ディスティニーシステムのオチが見えてきたみたいで呆れ顔になってる。


「ええ、それにそのエネルギーを支えるために地核熱発電が主流になっていたのも大きいわ。彼らが気づいた時には、人類の限界年数は残り200年にまで迫ってた」


「その計算だと僕らとっくに滅びてるはずだよね。ってことは」


「そう、その限界年数をできるだけ引き延ばすために生まれたのが運命死演算フェイトシステム」


「運命死論に基づく、だっけ? 響きがすごく物騒なんだけど」


「響きだけじゃなくてその発想も怖いわよ。昨日、春のお祖母ちゃんの話を聞いて、余計にそう思った。春、運命演算ディスティニーシステムが完璧な人生を求めるモノだとしたら、運命死演算フェイトシステムは簡潔な人生を求めるモノよ」


「簡潔な、人生?」

 私の言葉の意味を噛み締めるように、春はじっくりと考えてる。この言葉に含まれた、恐ろしい思想を。


「春が昨日読んでた本のこと覚えてる?」


「え、いくつか読んだけど、未蕾に紹介したのはアレクサンドロス大王の歴史書だよ」


「そう、ならその本にはその人の人生がたくさん書き連ねてあったんじゃない? 偉業も、失敗談も、笑い話も」


「いやまあ、そりゃそうだけど」


「その人を知るに当たって必要な出来事をピックアップした本なわけでしょ。でもだったら、その人の人生は、その本に載っていることだけで十分だったんじゃないの?」


「は? いや未蕾、何言って」


「伝記にすら残らなかった出来事は、その人の人生において余分だったんじゃないかって言ったの」

 できるだけ冷たく、非人間のようにこの言葉を口にした。


「いやいや、何言ってんのさ? それはおかしいだろ未蕾!」

 本気で、怒ったような春の声。うん、春が怒ってくれてよかった。


「おかしくなんてないの春、それが運命死演算フェイトシステムの根幹にある思想だから。あらゆる生物の未来図を想定して、そこから余分なモノを切り捨てる。そうして生まれた余剰を、次の世代のエネルギーとして残す。本当に怖いのは、このシステムが導入されたことで人類の限界値が実際に500年以上延びたことよ」


「─────そういう、ことだったんだ」

 

「ショック、だった?」


「いいや、ショックというよりは納得したよ。だから、父さんたちは……」

 春は口元に手を当てて、何かを考え込もうとしていた。


「春?」


「ああゴメンね、考え事しちゃったよ。でもありがとう未蕾、未蕾にこのことを教えてもらえてよかった」

 春は冷静に立ち上がり、一冊の歴史書を手に取る。その時代を生きた人たちが、簡潔にまとめられたその本を。


「でもね、未蕾」

 ふと、春の口から言葉が漏れる。


「そうして他人の人生を切り刻んでまで、続ける世界に意味があったのかって、思うよ。やっぱり僕は未来ミライのこと、好きになれないな」

 春は、いつものように本棚を背もたれに本を読み始めた。一瞬、私がフラれたのかとドキッとしたけど、なんか違うみたいで安心する。


 あれ、でもなんで安心したんだろ。


 私の授業に一応春は満足してくれたみたいだし、私は春にオススメされたけどまだ目を通していなかった本と、ちょっとだけ気になる分野の本を一冊取っていつもの机に向かうことにした。


 ほどよく春から離れて、顔を上げれば彼の後ろ姿がちょっとだけ見える、そんな位置。

 春はいつもより真剣な表情で、挑むように一枚一枚のページをめくっていってた。


 その顔に、一瞬だけ目を奪われる。


 あいつは、私のことを好きだって言ったけど、どんな気持ちでそれを言ったんだろ?

 理由はないって言ったけど、本当に何の理由もなかったのかな?


 おっと考えない、考えない。


 私はまず自分が選んだ本を軽く熟読して、それから春のお薦めの本に手をのばす。

 そこからは本当に、静かな時間だった。


 人間二人、同じ空間にいながら、ページをめくる音しか聞こえない。

 春の薦めてくれた本は本当に面白く、時間が経つのをいつだって忘れさせてくれる。


 良いことも、悪いことも、

 怖いことも、嬉しいことも、全て遠い世界に置き去りにしてくれた。


 ふと本当に時間を忘れて、顔を上げた。

 時計を見ると本を読み始めてから2時間ほどが経過している。

 私はなんとなく春がいるはずの一角に目を向ける。するとそこに座っているはずの春は、


 静かに眠るように床に横たわっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る