第17話 ダイス・ライフ③
その日、私は春の家に泊まった。
春を家に送り届けたことで海洋都市に帰るには遅すぎる時間になっていたから仕方ない。太陽が完全に昇ってしまえば外は灼熱の地獄。とてもじゃないけど生身の人間が移動することなんてできないんだから。
なので私は家に一報を入れ、泊まっていきなさいと言う春のお祖母ちゃんの厚意に甘えることにした。夕食もごちそうになったけど直前に春の唐突な告白があったせいでどんな味だったか覚えていない。間違いなく美味しかったはずなのに。
ちなみに春はその場に同席しなかった。体調がまだ落ち着かないのか、私にフラれたことがショックだったのか、それとも私に気を遣ったのか。いずれにしても気になるからそういうのはやめて欲しい。
私は春のお祖母ちゃんに勧められるままにお風呂を借りて、用意していたパジャマに着替える。校舎から海洋都市に帰れない時のために用意していたお泊りセットがまさかこんな形で役に立つとは思わなかった。
「未蕾ちゃんごめんなさいね、こんなところしか用意できなくて」
私の隣で寝ている春のお祖母ちゃんから申し訳なさそうな声が聞こえてきた。
そう、私に用意された寝床は、まさかのことにお祖母ちゃんの寝室だった。当然のようにお祖母ちゃん付き。
いやもちろん突然のお泊まりを受け入れてもらっているわけだから文句を言う筋合いはないけど、もっと他に場所があったんじゃないかとは思う。
「すみません、お布団まで用意してもらって。私、畳の部屋で寝るのって初めてなんです」
だけど目上の人への愛想を忘れない私は、内心の複雑な気持ちは少しも出さずにお祖母ちゃんにお礼を言う。えらい、私。
それにしても、畳に布団とか珍しい。ずっと昔は和室だなんて呼ばれてたらしいけど、このスタイルは今のこの国の寝室のスタンダードからは程遠い。もはや趣味の領域と言ってもいいはず。
「もし寝づらかったらごめんなさいね。どうしても、ゆっくり未蕾ちゃんとお話をしてみたかったものだから」
明かりが消えた部屋の中で、春のお祖母ちゃんの言葉が響く。
「話、ですか?」
「ええ、もしかしてだけど未蕾ちゃん、春に告白された?」
「え!?」
まさかのピンポイントな質問に思わず声が裏返る。
もしかして春の部屋でのやりとりをのぞかれていたんじゃないかって疑いたくなるほどだ。
「その反応だとやっぱり予想は当たっていたみたいね。前々から未蕾ちゃんのことを話す春の様子を見て、多分そうなんじゃないかって思っていたけど」
一人納得したような声。どうやらお祖母ちゃんは春のするであろう行動を予測してたみたい。
「確かに、好きとは、言われました。でもそれだけです。それに理由がはっきりしないあやふやな告白だったので、こ、断りました」
ところどころ言葉につまりながらも、私はお祖母ちゃんに簡単に報告する。
「そう、振られちゃったのねあの子。相手の気持ちも考えずに突撃して、見事に玉砕するあたり、本当に私にそっくり」
お祖母ちゃんは、私が彼女の孫を振ったという話に気を悪くした様子もなく、むしろ昔を懐かしむような口ぶりだった。
「そっくり、ですか?」
「そう、ずっと昔に似たようなことがあったの。もう何十年も昔、歳が一回りも離れた学校の先生に、なりふり構わずに告白する生徒がいたわ」
懐かしむような声。
「それって、もしかして」
私はお祖母ちゃんの口ぶりに、ある予感がしていた。
「もちろんその女生徒は私のことで、先生はあなたのおじいちゃんよ」
静かに、大切そうに、その情報は私に告げられた。
「……お祖父ちゃんと、面識があったんですね」
以前に春が言っていた図書室の鍵の話と照らし合わせれば、その接点は意外というほどでもなかった。ただ、生徒と教師という関係性には驚いたけど。
「ええ、実直で、とても素晴らしい先生だったわ。どうしても陸地での生活を捨てられなくて集まったこの島の人たちの為に建てられた学校。先生は、本当はもっと大きな仕事ができたはずなのに、私たちのために島に残って教師として働いてくれたの」
それは、もう50年以上も前のことらしい。
まだ海面が今より100メートルほど低かった当時、かろうじて街が形成できる程度の人口があったこの島の高台には学校が建てられていた。街全体をフォローできるほどの発電施設を備えていた校舎は、まさにこの島の生命線だった。
私のお祖父ちゃんの、そのまたお祖父ちゃんの代で建てられたその学校の教師となる道を、お祖父ちゃんは選んでいた。たしかに春のお祖母ちゃんの言う通り、ウチの一族は海洋都市やこの周辺一帯の土地の名士であり、私の父が都市長をしているように政治の道を選べたはずなのにお祖父ちゃんは教師としてここで働くことを決めたそうだ。
「本当に立派な先生で、私たちは多くのことを教わったわ。単純な学校の勉強、知識だけじゃなくて、これからの世界をどう生きていくかの心構えまで」
「心構え、ですか?」
それは気になる。お祖父ちゃんは、いったいどんな教えを残していたのかな。
「そう、『気にするな』と先生は言っていたわ」
「は?」
思わず間の抜けた返事をしていた。いやだって、いくらなんでも『気にするな』はないでしょお祖父ちゃん。
「『明日は明日の風が吹く、とまでは言わんが気にしても仕方がないことは気にするな。かつては空が落ちてこないか心配していた人々がいたが、いまは現実の問題として星が冷え切ってしまおうとしている。だが気にするな、星がその命を終えるよりも私たちが燃えて燃え尽きるまでの方が明らかに早い。そして君たちの≪今≫こそが人生でもっとも熱い時間なのだから、心の示すままに駆け抜けていきなさい』、多分、こんな言葉だったかしら」
春のお祖母ちゃんは最後に少しはにかんでいた。多分とこの人は言うが、きっと一言一句そっくりそのままお祖父ちゃんの言葉なのだろう。それほど、お祖父ちゃんの言葉はこの人の胸にずっと残っていたんだ。
「不思議な先生だったわ。もちろん先生と衝突する子もいたけど、私はそんな先生が好きだったの。だから思い切って告白したのだけど、当然なことに振られてしまったわ」
残念そうに、懐かしむようにお祖母ちゃんはそう語る。
「そう、なんですね。お祖父ちゃんももったいないことしますね、花の盛りの女学生を振るなんて」
本心はともかく一応のフォローを入れておく。それにまあこの人の少女時代なんて、それは私が及びもつかないほどの美少女だったに違いないし。──いや、私ならなんとか勝負になるかな? うん、イケるイケる。
「ありがと未蕾ちゃん。でもまあ仕方ないのよ、先生当時もう結婚していたのだし」
はにかみながら春のお祖母ちゃんはしれっと重大な情報を付け足してきた。
「え、既婚者にアプローチしたんですか?」
「そうよ、だって先生がおっしゃっていたんだもの。『心の示すままに駆け抜けていきなさい』って」
「は、はあ」
いや、お祖父ちゃんの言ったそれはそういう意味ではないような。
「ツラいことでもあったけど、私が一番燃えて輝いていたのはやっぱりあの頃だと今でも思うわ。それから私たちが卒業してしばらくするとあの学校は廃校になったの。先生は海洋都市での仕事に従事するようになって、私もいい出会いを経て結婚して、この島も海面上昇でほとんどの人は住めなくなって、先生と再会したのは春の両親のお葬式の時だったわね」
お祖母ちゃんの語り口は、ここにきて少し寂しさを帯びていた。
「春の、両親のですか?」
「ええ、先生は、卒業の後も受け持った生徒のことはみんな気にしていたみたい。あの子の両親の死はそれなりに大きなニュースになっていたから、それで知って駆けつけてくれたのね」
「お祖父ちゃんが、そんなことを」
知らなかった。随分と気の回る人ではあったけど、そこまで生徒思いだったなんて。
「その時に色々心配してくれたわ。私のことはもちろんだけど、春のこともね」
「春の?」
「そう、海洋都市に移った方がいいんじゃないかとも薦められたわ。でも、春がこの島で暮らしたがっていることを伝えたら、『そうか』って言って鍵を渡してくれたの」
「鍵って、もしかして図書室の鍵ですか?」
「ええ、ここでは娯楽が少ないだろうから、少しでもあの子の楽しみになるのならこのくらい構わないっておっしゃっていたわ」
懐かしむようなお祖母ちゃんの声。瞼を閉じた向こうには、その時のお祖父ちゃんの人の良い笑顔が映っているのかもしれない。
ともかくこれで春が図書室の鍵を持っていた件については納得がいった。危ないラブロマンスが隠れてなくて安心したけれど、私はそれ以上にあの図書室が春にとってどんな意味を持っていたのかと考えていた。
先のない身体で、いつ止まるかわかない心臓で、それでも春はあの図書室に通って本を読み続けた。
どんな気持ち、どんな思いだったのかな。
春は、春は、
「聞いても、いいですか?」
言葉は、返ってこない。それでも私は意を決して口にする。
「春は、幸せなんでしょうか?」
その答えが私の中では見つからない。
春の生き方は、身体は苦しくとも心はどこか穏やかだ。私が羨ましいくらいに。
でもそれは、幸せであることと同じじゃないと思う。
「────────」
答えは、やっぱり返ってこない。
代わりにスヤスヤとした寝息が聞こえてきた。
まさか、ここに来て夢の世界に逃げられるとは思ってなかった。
もしかしたら、若かりし頃の燃えて輝いていた時代を夢見ているかもしれない。
気にするな、とお祖父ちゃんは言っていたらしい。
星の命よりも人の命は短いから、と。
でもお祖父ちゃん、私の寿命よりも先にこの星は止まっちゃうんだって。
そして、春の命はそれよりももっと早く。
それまでに、私は何が幸せなのかを見つけられるかな?
命の意味を、私たちが生まれてきた価値を探し当てることが、できるのかな?
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