第五章 ダイス・ライフ
第15話 ダイス・ライフ①
「─────ごめんなさいね、お茶を出すのが遅くなって。紅茶は嫌いじゃなかったかしら、え~と確か」
「未蕾、です。えっとその……、春くん、の様子はどうですか?」
私はお茶を出してくれた人物、春のお祖母ちゃんに彼の容態を訪ねる。
あれから私は春に肩を貸しながら彼の家までついていったけど、彼の家を目前にしたところでついに春が気を失ってしまった。
私は根性で春を抱えながらどうにか玄関までたどり着いて、そこに彼のお祖母ちゃんが駆けつけてくれた。
お祖母ちゃんは多少驚いたみたいだったけど、すぐに落ち着いた様子で春を彼の部屋まで運んでいった。これが初めてのことじゃなかったんだと思う、すごく手慣れていた。
春のお祖母ちゃんは私のお祖父ちゃんよりも一回りほど若くて、美人だった。
それは「昔は美人だったんでしょうね」みたいなお世辞じゃなくて、現在進行形で美しいと評するのが相応しいって意味で。もちろん年相応にシワは刻まれているけれど、それが全然マイナスに働いていない。積み重ねた人生が、静かに内面から輝いて見えた。
「あなたが未蕾さんなんですね。春がよくあなたの名前を口にしていたのでどんな人なのか気になっていたんですよ」
春のお祖母ちゃんは優美な仕草で私の対面のソファに座った。
私のことを気にしてくれてたのは嬉しいけど、自分の孫が倒れたのに落ち着き過ぎじゃないかな。
「はい…、それで春くんは大丈夫なんですか?」
改めて私はお祖母ちゃんに問い直す。
彼女は少し言葉を選ぶように間をおいて、
「そうね、一刻一秒を争う状況ではない、という意味では大丈夫かしら。呼吸も一応落ち着いて、心臓も動いていたからしばらくしたら目を覚ますと思うわ」
随分と、無責任な答えを返してきた。
「それって、根本的には何も解決していないですよね。失礼ですけど、春を病院に連れて行った方がいいんじゃないですか?」
私は、思わずきつい口調になっていた。だって、きっと金銭的な事情じゃない。今の時代、島に残る選択肢がとれるのは皆裕福な人たちばかりだ。
毎日繰り返される灼熱と極寒に耐えられる家屋、電気設備等のインフラ、その他諸々の条件をクリアしないと海洋都市を離れて島で生活するなんてことはできない。だから本物の自然に囲まれて生活をしているこの人が金銭的に苦労しているとは思えなかった。
「病院ね、もしそれであの子が良くなるのなら私も迷わずに連れていくわ。でも残念なことに今のあの子を連れて行ってもあちらの人たちを困らせるだけなの。もしかしたら春もあなたに言ったことかもしれないけど、あの子はあれで健康なの」
春のお祖母ちゃんは申し訳ないような口ぶりで、意味不明なこと、意味を理解したらきっと絶望するようなことを私に告げた。
「え、春が健康って、どういうことですか?」
だけど私は、頭によぎった得体の知れない不安をかき消したくてさらに質問を重ねる。
「春の心臓の手術はね、あの子が十歳の時にもう終わっているの。この上ないほどの大成功だったのよ」
静かに、淡々と春のお祖母ちゃんは答えてくれる。でも、
「大成功って、それならなんで春は今あんなに苦しんでいるんですか!?」
彼女の話を聞くたびに余計に分からなくなり、私は思わず声を荒げていた。
「それは完治した状態でなお、あの子の心臓はいつ止まってもおかしくないくらい不安定だからよ」
「いやそれっておかしいじゃないですか。そんなの完治って言わない」
「そう? 物の見方次第だと思うわよ未蕾ちゃん。例えば、私が仮に右腕を失ったとして、その右腕を完全に元通りにくっつけ直すことができたらそれは完全に治ったと言えるでしょうね」
本当に冷静に、淡々とした口調で彼女は話し続ける。それを聞いてどうしてか、私は苛立ちを覚えていた。
「だけどもしも私が生まれながらにして右腕がない状態で生まれてきたとしたら? そこに自由に動かせる右腕を付け足したところで完治と言えるのかしら?」
確かに、この人の言う通り生まれたままの姿を基準とするのなら、後付けの機能は本来の自分とは別のアタッチメントなのかもしれない、けどそんなの、
「そんなの、ただの言葉遊びじゃないですか! 後付けでもなんだって、春の心臓がきちんと動いてくれるならそれ以上のことなんてないでしょっ!?」
私は思わず敬語も忘れてお祖母ちゃんにありのままの感情をぶつけていた。
「そうね、私ももちろんそう思うわ。だけどね、春の生来の心臓でできる範囲の手術はもう全て終わっているの。その全てが奇蹟的にも成功している。それでも春の心臓は一般の人みたいに強くはない。あの子にとって今の状態が、精一杯の健康なのよ」
春のお祖母ちゃんは本当に落ち着いていて、まるで小さな子供をさとすような優しい口調だった。
「そもそも、あの子には手術を受ける資格すらなかったのだもの」
「え?」
意味の分からない、言葉が聞こえた気がした。
「資格って、どういうことですか?」
「やっぱり、未蕾ちゃんは知らないわよね。いくつかの特別な仕事につくか、自ら調べるか、それとも当事者になるくらいしか知ることはないだろうし。未蕾ちゃんは、身体の具合はどう? 何か大きい病気にかかったことは?」
突然、ずいぶんと踏み込んだことをお祖母ちゃんは聞いてきた。まるで、私がなんて答えるのかを知ってるみたいに。
「いたって健康です。病気も、覚えてる限りではとくにありません」
「そう、なら学校のお友達は?」
「え、それは、たまに風邪で休むくらいは」
「1カ月に、何人くらい?」
「そんなに休んだりしないですよ、風邪で誰かが休むなんて学校生活で1度あるかないかじゃないですか」
私は意図のつかめない質問に、とりあえず常識の範囲で答える。
「そうよね、それが貴女たちの世界の常識。だから未蕾ちゃん、春のような重い病気の子供と会ったこと今までなかったでしょ?」
「────はい、春が初めてです」
だから、春が心臓の病気だって聞いた時驚いた。本当に、そんな病気があるんだって知って。
「……検診が、あるのよ」
「え、検診、ですか?」
またよくわからない単語が出てきた。
「五歳になった時に受ける検診、未蕾ちゃんも受けたことがあるはずよ」
そう、なのかな。でもそんな大げさな検査なんて受けた覚えがない。
「医学的な検査じゃないから、受けた子供自身が覚えていなくても無理がないわね。だってその時に確認するのは、身体の健康ではなくて、未来への貢献なんだもの」
「は? え、貢献、ですか?」
唐突な、理解の及ばない言葉だった。
「その子供は無事成人になって社会に貢献できるのか、それを未来演算によって計算するの。それが一定値を超えない子供は、一般的な教育と医学的な治療が受けられなくなる」
「え、いやそんなのって」
差別どころの話じゃない。そんな人権を無視した、不平等なこと…………あ、そっか。私たちの世界は、もう『平等』なんてモノはずっと昔に置いてきたんだった。
「もちろん大人だって四十歳を越えたら同じように貢献値を測定されて医学的治療は受けられなくなる。でも、子供の頃に厳しい検査を通り抜けた人たちですから、ちょっとやそっとじゃ病気にもならない。ねえ、未蕾ちゃんの周りにも健康な子しかいないでしょ?」
血が、凍るような真実だった。でも、今のお祖母ちゃんの言葉には矛盾がある。
「ならどうして、春は子供の頃に手術してるんですか? 今の話じゃ、できないはずですよね」
「そう、よ。でもね、私にも実はわからないの。未来不適合の烙印を押された春が、どうして手術できたのか。もしかしたらそれこそがあの子たちの……」
春のお祖母ちゃんは口元に手を当てて何か考えるそぶりをする。でもそんなことより、
「よくわからないですけど、春は手術ができるんですよね」
大事なのは、春のこれからのことだ。
「え? ああ春のことよね。私は、できる手術は終わっているし、そもそも持ち合わせている肉体、運命が貴女とは違うって意味で今の話を未蕾さんにしたつもりだったのだけど」
「でも、そんなのって。…………移植とかは、できないんですか?」
そんなことは無理と知りながら、私はすがるような気持ちでその単語を口にしていた。
「移植、それが難しいってことは未蕾ちゃんも分かっているでしょ? 移植手術はこの時代、今の世界じゃ無理なのよ」
やっぱり、そっか。
移植手術は心臓に限らずあらゆる分野において昔よりも大きく衰退している。かろうじて今もなお実践されているのは家族間での腎臓移植のみだって聞いたことがある。
移植手術が衰退した大きな原因は人口の極端な減少だ。もともと最盛期の当時でさえ実践数の少なかった手術なんだから、世界人口がかつての100分の1まで落ち込んだ現代では移植手術の技術が継承できなくっても仕方ない。
「もしも、可能性があるとしたら、人工的な心臓に切り替えることでしょうけど…………」
「っ!? それができれば春は助かるんじゃないんですか!?」
「命は、助かるかもね。でもね未蕾ちゃん、違うの。春にとってそれは、死んでしまうことと一緒なのよ」
悲しそうに、お祖母ちゃんはまた矛盾したことを口にする。
「それって、どういうことですか?」
「人工の心臓なんていうけど、貴女が想い描くほど都合の良いものじゃないわ。人間の心臓は驚くほど繊細な活動を二24時間365日休むことなく続けている。激しい活動には強くたくさんの拍動を、リラックスしている時には優しく穏やかな鼓動を。それを外側からの刺激で機械的に再現するにはとっても高度な演算処理が常に必要になる」
とてもスラスラと春のお祖母ちゃんはその知識を口にした。そんなスムーズに話せたのは、きっと彼女自身が何度も春が助かる可能性に
「つまり、難しいって、ことですか?」
「いいえ、技術的には可能よ。海洋都市であれば人間の生体反応を正確にシミュレートできるほどの演算機能があるわ。手術が上手くいきさえすれば、春は心臓の不具合なく生きることができる」
「え、それなら!?」
ふってわいたような希望ある話に、私は思わず飛びつき、
「たくさんの機械に囲まれた部屋の中だけでね」
まるで雲をつかみ損ねた愚か者みたいに、絶望の海へと落ちていく。
「さっきも言った通り、心臓を正確に動かすには外側からの演算が必要で、遠隔でそれができたとしても春はその区画から外には出ることができない。それはあの子にとって死ぬことと変わらないのよ」
「いや、だって、そんな。生きていられるなら、それでもっ」
私は、目の前の彼女が何を言いたいのか薄々気づきながらも、必死に気付かないフリをしていた。
「春にも以前話したわ、こんな手段が、可能性があるって。……あの子、悲しそうに首を振ったわ。『もしそうなったら、あの図書室とはお別れだね。そして僕は、今よりもっと狭い世界の中で、鎖に繋がれた生き方をすることになる。流石にそれは、嫌だなぁ。この胸の痛みも、多分そう長くはない人生も含めて僕だから、今さらそんなズルは、できないよおばあちゃん』。そう、あの子は言って、悲しそうに笑うの」
そんな風に語る彼女こそが、悲しそうに微笑んでいる。
「そんなっ! それでも、アイツは! 春は! 生きられるのならもっと!!」
私はそう口にして、自分自身の矛盾に気づいた。
1年以内に終わる世界を告げられ、綺麗にこの世を去るための死に場所を探している私が、いったい何を口にしているんだって。
「──────すみません、少し取り乱してしまいました」
呼吸を落ち着ける。私は気づかないうちにスカートの裾をギュッと握りしめていたみたいだ。制服のシワが、戻らない。
「いいのよ未蕾ちゃん。むしろ、あの子の未来をそうやって真剣に思ってくれる人がいて私は嬉しいわ。私も、あの子も、もうそういった葛藤は何年も前に済ませてしまったから」
少しだけ寂しそうな目をして、春のお祖母ちゃんは紅茶にそっと口をつける。
「あの、春くんのご両親は、どうされているんですか?」
今までに春もお祖母ちゃんも一度もその存在を話に出さなかったことが疑問となり私はついに聞いていた。
「…………そうね。これは、本当は隠しておくべきことなんでしょうけど。先のない世界ですからね。黙っていたからといって何かいい事があるわけでもないし、未蕾ちゃんがあの子を知る助けになるのなら」
そう、お祖母ちゃんは前置きして、
「自殺したの」
端的に、誤解しようがないほど簡潔にその事実を告げた。
「え?」
「ちょうど春の最後の手術が終わってしばらくしてからだったわ。手術は海洋都市でだったから、そちらから先に私と春がこの家に戻って、後から来るはずだった二人は自殺していたの。私に春を一度預けた時点でそのつもりだったんでしょうね」
悔やむような声。紅茶のカップを持つ指がふるえている。
「でも、そんな、何で?」
「理由はあの人たちにしかわからないわ、遺書もなかったですからね。きっと突発的なものだったと思うのよ。二人とも海洋都市のエンジニアをしていたから。仕事で何かあったのかもしれないし、それとも張りつめた何かが終わって、死んでもいいかなと思ったのかもね。実際に今だってそういった自殺は少なくないでしょ? ずっと停滞している社会、終わりの見えた世界、ふと消えてなくなりたいと思ったとしても不思議ではないんじゃないかしら」
「そ、そんな、こと──」
ない、なんて言えなかった。今のこの時代、この世界で、終わりを意識せずに生きていくことなんてきっと誰にもできない。
私だって、その死を納得する形で迎えるために毎日あの校舎の屋上を目指しているんだから。
「春にはそのことは海での事故だと伝えてあるわ。10歳のあの子にありのままを伝える勇気は私にはなかったから。そのせいでこの島から離れたがらなくなったのは困ったものだったけど」
「そう、なんですね」
私はただ頷くことしかできなかった。
何で春が学校にも通わずにこの島だけで生活しているのかは理解できた。でも、
「そんなこと、私に話して良かったんですか? もちろん聞いたのは私ですけど、春にも隠していることを何で私に」
「ごめんなさいね未蕾ちゃん、重い話をあなたにして。でもあなたには知っておいて欲しかったの。あの子の、多分最後のお友達になるあなたには。それに春はきっと随分前からこのことには気づいているわ。気付いて、知らないフリをしてる。私に気を遣ってね」
「………………」
もう何も、私には言えなかった。
こんなことを、そんなことを知って、どんな顔で春に会えばいいんだろ?
「そろそろ、春も目を覚ましたんじゃないかしら。未蕾ちゃん、よかったらあの子の顔を見てきてくれないかしら?」
「え、でも倒れたばっかりですし。もっと春が落ち着いてからでも」
お祖母ちゃんからの予想外の提案を、私は気持ちの話だけじゃなくて常識的な観点からもお断りしようとした。
だけど、
「そう言って、明日には春は死んでいるかもしれないわ」
彼女のその一言で、それこそ私の心臓が止まりそうになった。
「───え、何を、言ってるんですか? 流石に大げさですよ。だって春は、余命はあと1年って言われてるって。だからそんな、今日明日にどうかなるなんて」
カラカラの心で必死に愛想笑いを浮かべて、私は不吉な予感を必死に振り払う。
だけど、現実はそんな私を逃がしてくれなくて、
「何を言っているのはあなたの方よ未蕾ちゃん。春が余命一年と言われたのは、あの子が10歳の時の話なんだから」
この世界と同じように、春の最後のポンプのひと押しがとっくの昔に押され終わっていたことを私は知った。
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