第13話 ブック・ライフ②

 私が見回りを終えて図書室に戻ってくると、いつも使っている机の上に数冊の厚めの本が置いてあった。容疑者が少なすぎて推理の余地がない。当然犯人は決まってる。

「ちょっと、これ、どういうこと?」

 何食わぬ顔で読書に没頭している犯人に私は説明を求めた。


「あ、お帰り未蕾。その本? 僕のお薦めだよ、ぜひ読んでみて」

 春はこちらに振り返ることなく、本に目を通したまま言葉だけで返事してくる。

 む、この失礼な本の虫め。


「読んでみてって、これ全部歴史モノじゃない」

 ざっと背表紙に目を通したけど、タイトルから歴史関係の本であることは一目見てわかる。


「歴史モノと言えば歴史モノだけど、それはどれも歴史小説だよ。教科書よりはとっつきやすいんじゃないかな?」

 手にした本から目を離さないままで、私の質問に対して声だけが返ってくる。


「とっつきやすいって、前にも言ったでしょ。今さら歴史を勉強しても意味がないって。もうこの先に世界は続かないんだから、何を学んだところで次に活かせないでしょ?」

 私のコンプレックスでもある歴史関係の本を前に、ちょっとだけ私は不機嫌なオーラを出していた。いや、私としてはちょっとだけのつもりだったけど、春からすればかなり機嫌悪く見えたかもしれない。


「そんなに気を悪くしないでよ未蕾。別に学んで次に活かすだけが歴史の面白さじゃないよ。まあ騙されたと思って一冊だけでも読んでみなよ。もしつまらないようだったら何かお詫びをするからさ」

 私の不機嫌さが声から伝わったのか今度は顔をひょっこりと棚から出して春は私にお願いしてきた。

 むむぅ、普段の物腰柔らかい春にしては随分と押しが強い。

 ま、この本が私に合わないようなら言うことを聞くということらしいし。

「はぁ、分かったわよ。じゃあ、つまらなかったら何でも言うこと聞いてもらうからね」


「ん、あれ? 何でもって言ったかな?」

 身の危険を感じたのか発言の訂正を求める春の視線は無視して、私はとりあえず一番上にある歴史小説とやらに手を伸ばす。


 ふむふむ、どうやらずいぶんと昔の日本の歴史、時代の変革期、幕末の動乱、新撰組という組織を主題にした小説みたい。

 正直、歴史が得意だった私もよく知らない話だ。だって話が古すぎて歴史の授業じゃロクに取り扱われない時代のことだし。年号の移り変わりくらいは一応テストで出ることもあったけど、現在の歴史という教科において重要視されたのはこのしばらく後の時代。


 私たち人類がいかに自滅の道を歩んで、どうやってその壊れゆく道を必死に舗装してきたかってことが歴史において大切にされている。いや、されていた。今はもう、そんなことを知ってもどうにもならないでしょって意見が大多数になって、歴史の教科は消え去ったわけだけど。

 頭に浮かぶモヤモヤを振り払っていざ読書に集中する。



 へえ、この人たちは元々武士の身分じゃなかったんだ。


 ああ、なるほどね。こうやって人材が集まって組織として成り上がっていくサクセスストーリーなのね。読めた読めた。


 え、この人をここで処分するの!? 厳しすぎない、局中法度!?


 あれ、何か新撰組の立場は確固たるものになってきたみたいだけど、この方向性で大丈夫なのかしら。それに、この攘夷派と維新派の衝突ってどっちが勝つんだっけ?


 総司! 総司~!!


 あ、新撰組が終わっちゃった。


 都合二時間強、一心不乱にこの本を読み込んだ私はまるで映画を一本見終わったかのような疲労感と、謎の喪失感に包まれていた。


「あ、読み終わったんだ未蕾。どうだった?」

 私の読了のタイミングを見計らっていたみたいに、呆然としてる私に春ののんきな声がかけられる。


「良かった、……良かったけど、ツラい」

 取りつくろう余裕のない私は、素直であまりにも端的な感想を口にしていた。

「あはは、まあ感動できたようで何より。これで僕が何でも言うことを聞く必要はなさそうだね」


「う、悔しいけど、確かに面白かったわよ…………ありがとう。だけどしばらくは他の本は手につかなさそう。せっかく用意してもらったけど、他のやつはまた次の機会にする」

 まだ放心している感覚は抜けないものの、春には素直な感謝を告げる。でも色々なショックが駆け抜けたせいで正直新しい本に手を伸ばす気にはなれなかった。


「うん、それでいいさ。でもなかなかに面白いものだろ? いくらか脚色が入っているとはいえ、やっぱり実際の動乱を駆け抜けた人たちの物語は心にくるものがあるよね」

 私の心情に共感するように春の目もキラキラとしている。だけど今何か聞き捨てならない単語が混ざっていたような…………『脚色』?


「ねえ春、脚色ってどういうこと?」

「え? そりゃあ歴史上の人物がイチイチ日記を書いていたわけじゃないんだし、不明瞭な部分やとくに死に際なんかは作者の脚色が入っているところもあるってことだけど」


「それじゃあ、今読んだのもフィクション作り話ってこと?」

 まさかの真実に、私のテンションは下降気味だ。


「違うよ未蕾。歴史小説は決してファンタジーのような架空の物語、フィクションじゃない。過去確かに実在した人たちの資料を集めて繋ぎ合わせて、作者が必死に考察して可能な限り精密にシミュレーションしたものだ。もちろん歴史書じゃないから読み手の感情を揺さぶるような書き方をしているけど、実際にその名前の人物たちが過去をそうやって駆け抜けていたことに変わりはない」

 一瞬気落ちした私の思い込みを、春は力強い言葉で否定する。


「あ、そうなんだ。うん、それなら受け入れられるかも」

 春の言葉をすんなりと私は受け入れていた。チョロいかもしれないけど、やっぱり納得しやすい考え方があればそちらに流れるのが人情だと思う。


「それにしても春って本当に歴史が好きなんだね」

 今さらだけど、さっきの春の熱弁を聞いてなおのことそれを実感する。


「まあ、そうだね。きっと、今の僕では体験することのできない生き様がたくさんの歴史の本の中に眠っている。僕はそれを読んで、自分のことのように噛み締めることが好きなんだ」

 春は手にした本に視線をやってそう語る。

「それも歴史関係の本?」

「うん、かつて大陸を制覇していった大王の話。今ではとても考えられない話だけど、特別な機械もなかった時代に身一つで世界を駆け巡ったなんてスケールが違うよね」

 嬉しそうに、春は話す。

 自分には叶わないことであっても、叶えた誰かがいたことが何よりも誇らしいように。


「そうなんだ。いいね、本って」

 そんな彼を見て、私もつい笑みがこぼれていた。


「どうしたの未蕾?」

 私の反応が珍しいものだったのか、春はキョトンとした顔で私を見ている。

 その反応自体はちょっと心外だけど、それでも少しわかったことがある。


「本を手に取るって言うでしょ。でもそれって電子媒体じゃ味わえないことだから。偉大な人物、壮大な世界、波乱の時代ほどその本は分厚く重くなる。それは端末の画面をスクロールするだけじゃわからない情報でしょ?」


「なるほどね、そういう考え方もあるんだ。僕が普段電子端末で文章を読まないからその発想はなかったよ。うん、未蕾のおかげでまた少し僕の世界は広くなった」

 本当に嬉しそうに春は笑う。


「こんなことで喜んで春はバカみたい。────そんなの、お互いさまでしょ」

 そんな彼を見て、やっぱり私も笑っていた。

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