第三章 ワールズエンド ―世界の果て―
第7話 ワールズエンド①
「おはよう、未蕾。今日もいい天気だね」
翌日、校舎の見回りの最後に訪れた図書室には、当然のように春がいた。
「──────はぁ、それはそうでしょ。地球の命削って、私たちの生活範囲だけをどうにかまともな天気に調節してるんだから」
ニコニコとした笑顔で話しかけてくる春に、私はなんでかイライラして素直に挨拶を返すことができなかった。
「なんかトゲのある返事だなぁ。なんでだろ、誰が相手でも天気の話から入れば失敗しないって書いてあったのに」
春は手にしている本と私を見比べながらそんなことを言ってきた。彼の持つ本をチラリと覗いて見えたタイトルは『誰でもできる友達の作り方』。
…………とりあえず、春が歴史以外の本も読むんだってことはわかった。それと、もしかすると友達が欲しいのかもしれない。
「もう、春は何を参考にしてるのよ。紙でできた本ってことは、そこに書いてあるのはずっと昔の考え方でしょ? 今の時代に当てはまらないことなんていくらでもあるわよ。それに、そんなもの読まなくたって友達なんて何にも考えずに会話を並べてればいつの間にかできてるものじゃないの?」
仕方ないので私の経験にもとづいた、賢くベストなやり方を春にアドバイスしておくことにする。
「む、何かそれは、持たざる者の気持ちがわからない発言とみた。未蕾、君はもしかして友達はいるけど相談事はされないタイプの人間じゃないかな?」
なんでだろう、春は私の素晴らしいアドバイスが気に入らなかったみたいで、ジト目でこっちを見てきた。ついでになんか失礼なことも言われた気がする。
まったく、春にも困ったものね。たった何度か顔を合わせたくらいで私を見透かしたようなことを言ってくるんだから。
私だって相談を受けたことくらい、受けたことくらい、…………あれ?
『学食のAランチとBランチどっちにする?』は相談の中に入るかな? 入るよね。
「ちょっと春、勝手に私のことを知ったようなふうに言わないでよね。私だって相談くらい、いつかされるわよ。そういう春はどうなの? 相談を受けたことあるわけ?」
私は自分のことをひとまず棚に上げて話の矛先を春に向ける。
「そりゃないよ、そもそも周りに同じくらいの子供がいないんだから」
少し寂しそうに、春は答える。
「そういえば通信教育だって言ってたわね。それじゃ本当に同年代の子と話すのは初めてなんだ。というか春って歳はいくつなの?」
「僕は17だよ。学年でいったら高校2年生かな、通ってないけど」
「あ、本当に同い年なんだ。なら良かったわね、初めての同世代の知り合いが私みたいな美人で」
「え?」
「ん?」
私が当然のことを口にしたら、春は不思議そうに疑問符を頭に浮かべてる。それが私にはとっても不思議で、春の反応が何かの間違いじゃないかって反射的に聞き返していた。
「だから、私、美人でしょ?」
もう一度、胸を張って繰り返した。
私は子供の頃から可愛い、綺麗だって言われ続けて、あげくのはてには『美人の自覚さえなければどこに出しても恥ずかしくないのに』とまで言われたくらいなんだから。
お祖父ちゃんも『自分を疑わないその自信こそが未蕾の一番の美点だね。だから君はいつだって胸を張っていなさい』って言ってた。お祖父ちゃん、未蕾はお祖父ちゃんの言葉通りにスクスクと育ちましたとも。
「うん、未蕾はうらやましいくらいに自己肯定感が高いね。だけど僕には未蕾が美人かどうかはわからないよ」
春は私の顔を見ながら悩ましそうにしてる。
「なんで? どこからどうみても美人でしょ?」
私はちょっとしつこいくらいに食い下がってた。だってこれは私の大切なアイデンティティ、簡単に手放すわけにはいかない。
「え~と、多分美人なんだと、思うよ。だけどゴメン、僕には比較対象がないから未蕾が美人かどうかの判断ができないんだよ」
春は私をまるで珍しい生き物のように観察しながら、本当に困った顔をしている。
「え、テレビとか雑誌は?」
「テレビは見ないし、雑誌、情報記事のことかな、それも見ない。基本的に僕は本しか読まないからさ」
申し訳なさそうに春は答えた。なるほど、今まで同世代の人間が周りにいなかったってことは他人の容姿の基準が存在しないことになるんだ。じゃあ、春が私を美人って思わなかったからって私が美人じゃないってことにはならないよね。
「あ、そうだ。ウチのおばあちゃんよりは美人かもしれない。あれ、待って、いや、でも……」
私が自分のメンタルを補強・補修していたところに、春はさらなる揺さぶりをかけてきた。
「ちょっと春、自分のお祖母ちゃんと私を比べて悩まないでよっ」
どうも私に対する春の美的評価は彼のお祖母ちゃんとの間で天秤が揺れる程度のものらしい。よし、ここはそのお祖母ちゃんがとてつもない美人である可能性に一票入れておくことにしよう。
「そうだ、ちょっと待ってて未蕾」
そんな私の心の内も知らないで春は歴史のコーナーの棚で何かを探し始めた。どれだけ歴史が好きなんだろ、この歴史オタク。
しばらくすると春は古めの歴史書を取り出してパラパラとめくりながらこっちにやってきた。
「あ、あったあった」
どうやらお目当てのページを見つけたみたいで、そのページと私の顔を交互に見比べはじめる。
何を見てるのかなと春の頭越しに本をのぞくと、そのページには楊貴妃、クレオパトラ、小野小町とやらの肖像画が並んでいた。
春は肖像画たちとにらめっこをして数十秒悩んだあと、
「うん、未蕾の方が可愛いね」
と結論を出した。
「ちょっと春、何と比べてるのよっ?」
いくら私でも、数千年前の美的基準を相手に勝ち誇れるほどメンタル強くない。
「これもダメとか未蕾はわがままだなぁ。だったら未蕾に僕のことがどんな風に見えてるか教えてよ」
私の美人判定を放棄して春はそんなことを聞いてきた。どう見えるかってつまりはカッコイイかどうかってことでしょ。ずいぶんと残念な質問よね。外見にこだわる男にロクなのいないのに。
私はさっきまでの自分の発言を棚の上どころか雲の上にまで放り投げてそんなことを考えていた。
「ま、いっか。ちょっと待ってて、真面目に判定するから」
私は春を上から下まで一通り眺める。だけど春自身の線が細い上に学生服を着てることもあってファッション的には判断のしようがない。
だからあとは顔を見るしかないんだけど、う~ん。
子供のようにキラキラした瞳、サラサラの短い髪、手を加えていないのに整った眉、余分な肉のついていない輪郭、それらを総合して、
「………………うん、中の下ね」
私の厳正な審査結果が春に下された。
「はは、手厳しいや」
なのに、春はそんな私の評価をまったく気にした様子もなく無邪気に笑っていた。
ズキッと、胸が痛くなった。
なんで、この人はこんな風に笑えるんだろ?
自意識過剰な女に、好き放題言われてるってのに、なんで春は……。
「まあいいや。未蕾は、今日は何か本を読むの?」
本当に今までの話がどうでもよかったかのように、春は話題を切り替えた。む、私にとっては結構大事な話だったのに。
「なんでも読むわよ、歴史以外の本ならね」
そんな春への意趣返しとばかりに私はそう答えていた。いや、今さら歴史に触れる意味がわからなくなったのも本当だけど。
「そうなのか、残念だなぁ。もし未蕾がまた歴史関係の本が読みたくなったら言ってよ。お薦めの本ならいくらでもあるからさ」
それだけ言うと春はまたいつものように歴史のコーナーに座り込んで本を読み始めた。私はそれを見て少し呆れながら、自分も時間を潰すのにちょうどいい本を探すために図書室のコーナーを巡ることにした。
経済、純文学、ファンタジー、それらの背表紙をスルーして私が行きついたのは児童文学のコーナーだった。
だけど、その本を棚から引き抜こうとするタイミングでふと考えた。この本を持って昨日みたいに3階の教室に行っても児童書なんてすぐに読み終わっちゃう。
う~ん、できることなら春とずっと同じ空間にいるのは精神衛生上避けたかったけど、こうなったら仕方がない。私が黙々と読書している限り春が声をかけてくることもないだろうし、私はいい感じの本をいくつか棚から抜いて図書室に備え付けのテーブルと椅子が置いてある場所に向かった。
本当は誰も見咎める人がいないんだから春みたいに棚の前に座り込むのが一番効率がいいとは思うけど、ちょっと行儀が悪い気もして私には気が引けた。
椅子に座り、静かにゆっくりと本を読み進める。
鮮やかな色彩を使った挿絵の多い本。文章のフォントも大きくて難しい漢字も使っていないだけあって読み進めやすい。でも一番に驚いたのは、その内容が意外と難しいことだった。
もちろん児童向けに書かれているんだから読むのが難しいとかじゃない。だけど本に書いてあることの裏に、読んだ人に何かを考えさせる深いテーマが隠されているように私は感じた。
そんなことを考えながら一冊を読み終わって驚いたのが、その本の書かれた年代だった。
「え、嘘。この本、1000年以上前に書かれたんだ」
それに気づいた私は他の持ってきた本の発行年数を調べてみる。するとどの本も500~1000年以上前に書籍化されたものばかりだった。
確かに、現代では純金よりも貴重な木材資源をわざわざ紙に加工するはずがないから、ここ数百年の新作の書物は全て電子データ上にしか残っていない。
何百年も昔の古い文字列、なのにこの本は私の胸に響いた。いや、これは別に感動したとか人生を変えるほどの感銘を受けたとかじゃなくて、きっと今の時代を生きる子供たちにも通じるって私は感じた。
それは、この本だけじゃなくて今日読むことになった児童書全部がそうだった。紙とインクという物質的なモノを使ってまで後の世に残そうとした何かは、世代を越えてもなお確かな価値を持っていた。
いつか、私もこんな『本』を誰かに読み聞かせる日が…………、そう思って考えるのをやめた。
だってそんないつかは、絶対に私たちには来ないんだから。
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