第二章 ネヴァー・スプリング

第4話 ネヴァー・スプリング①

 次の日も、昨日と同じ様に早起きをしていつもの校舎の屋上へと向かった。

 昨日も、今日も、きっと明日だって私はこの屋上から海に沈んでいく太陽を眺めている。


 オレンジ色の灼熱が、今日の仕事は終わったと消えていく。


 ああ違うのか、あの熱はまた別の場所に移っていくだけ。

 ずっとずっと、私たちの星をまんべんなく温めてくれるおそろしくも優しい光。

 その優しさに、私たちはどれだけ甘えてきたんだろ?

 果てしない海の地平に沈む太陽。その光景に、これまでどれほどたくさんの人が世界の終わりを重ねたのか。

 その人たちに、ぜひとも見せてあげたい。


 あなたたちが夢想した世界の果ては、こんなにも美しく、残酷だって。


「いっそ、アナタがすべてを焼き尽くしてくれるのなら、世界はこの上なく公平で、美しい平等に満ちてるのに」


 太陽が完全に沈み、私は同じくらいダウナーな気持ちで屋上の二重扉を閉めて階段を下りた。

 扉に鍵はついてるけど、私はここだけにはいつも鍵をかけない。屋上から侵入する人なんているわけがないし、鍵を開けるのに手間取って大事な瞬間に間に合わないことの方が私には怖いから。

 私は無人の校舎の見回りを開始する。


「あ、そういえば」

 無人だと思っていたこの廃校舎に、昨日は招いてもいないお客さんが来てたんだった。


「確認は、した方がいいよね」

 独り言をつぶやきながら、私は3階から1階までの教室のチェックを飛ばして真っ直ぐに一番端の図書室へと向かう。

 図書室に灯りは点いてるけど、この校舎は通電のために一定の時間で全施設に照明が灯るから誰かが来てることにならない。私は昨日以上にゆっくりと静かに図書室の扉を開けて中を確認した。


 少なくとも目に見える範囲に人の姿はないし、人の気配もしない。そもそも人の気配なんてあいまいな感覚が私にわかるはずがないんだけど。

 人の気配って、どんなのだろ。人が生きている以上は消すことができないものかな。

 心臓の音とか、体温とか、そういうものを敏感な人なら感じ取れるってこと?

 もしそういうことなんだとしたら、私はこの図書室に人の生きた気配はまったく感じなかった。


 私は息を殺しながら実際に図書室の中をゆっくりと見回っていく。首をキョロキョロとさせながら各コーナーを確認し、昨日謎の少年を発見した歴史のコーナーにまで辿り着く。するとそこには、


「─────いるし」

 当たり前のように棚を背もたれにしながら歴史書を読んでいる春の姿があった。


 既に何冊か読み終えた後なのか、それともこれから読むつもりなのか彼の隣にはいくつもの本が積み上がっている。


「ちょっと、何で今日もアナタがここにいるのよ? 昨日もうここに来たらダメって言ったでしょ」

 私は内心の怒りを抑えながら、……あんまり抑えられてないかもしれないけど、春に注意をする。


「ん? ああ、おはよう。え~と名前は秘密、だったかな」

 彼は私を見て、とくに慌てた様子もなくゆったりと挨拶をしてきた。うん、礼儀は正しいけど、私の質問には答えてないよね。それとも、まず挨拶から入らなかった私の方が間違ってた?


「……おはよう。それで、私の質問にも答えてもらっていい? 何でアナタは今日もここに来てるの?」

 私も一度彼のスタンスに合わせて挨拶を入れ、その上でもう一度肝心の質問をする。


「ああ、昨日君が言ってたのは、鍵を持っていない人はここに入ってはいけない、って話だっただろ? だから、鍵なら僕も持ってるから入って構わないと思って」


「ちょっと、その前にここに来たらダメとも言ったはずなんだけどっ。そもそもアナタがここの鍵を持ってるはずないでしょ? ここの鍵はお祖父ちゃんから正式に預けられたものなんだから」


「そうだね、確かにこの校舎の鍵は持ってないよ。だけどこの図書室の鍵なら持ってる」

 春は胸ポケットの中から鍵を取り出してヒラヒラとこちらに見せてきた。


「え、図書室の、鍵? なんでそんなものがあるの?」


「そりゃあるでしょ、これだけ大きい校舎なら。多分君が持っているのはマスターキーだけど、主要な部屋にはそれぞれの鍵があったんじゃないかな、昔は。それにこの図書室は結構大きいから外と直通の出入り口が別にあるんだよ。僕はそこから入ってきた。これなら君の言うルールには抵触しないだろ?」


 にっこりと、毒のない笑顔で春は言う。

 その笑顔が、私を少しイライラさせた。

 そもそもこの図書室だって校舎の一部なんだから私のルールには思いっきり触れてるし。でもそれより、

「それこそどうして? この図書室の鍵をアナタが持っていることだっておかしいじゃない」

 今一番見逃していけない問題はこれだ。


「う~ん、そうだよね。僕もおかしいと思うよ。何でおばあちゃんはここの鍵を持ってたんだろ?」

 私の苛立った視線に気づく様子もなく、春は本当に不思議そうに首をかしげている。


「え、お祖母ちゃん? アナタのお祖母ちゃんからここの鍵を貰ったの?」


「10歳の誕生日にね。ほら、この島って娯楽がないだろ? 海洋都市からの配給はあるけど、それだって生活必需品ばかりだし。だから僕はその頃からここに通って本を読んでるんだよ」


「そ、そうなんだ……」

 春には申し訳ないけど私は今の彼の話を半分も聞いていなかった。私の頭の中では今まさに謎の推理パズルが進行してたからだ。


 この図書室の鍵を持っていたという春のお祖母ちゃん。この校舎を管理していた私のお祖父ちゃん。お祖父ちゃんの遺言にあった『図書室だけはそっとしてあげて欲しい』という謎のワード。それらをつなぎ合わせると、イケない関係が思い浮かぶ。


 例えば、私のお祖父ちゃんと春のお祖母ちゃんが関係にあって、実はお祖父ちゃんの財産の一部をこっそりとその人に渡していたんじゃないかとか。図書室が二人にとって思い出の場所だから、いつでも思い出せるように鍵を渡してたとか。さらには、この図書室こそが逢引きの場所で…………。


「どうしたの、考え込んで。あとどうかな、僕はこのまま読書を続けてもいい?」

 春は、立ったままフリーズしている私の顔を眺めながらそんなことを聞いてきた。


「え、ええ。いいんじゃないかな? アナタの話が本当なら、私はあんまり知り過ぎない方が良さそうだし」

 春のお祖母ちゃんについて踏み込んで聞いた結果、新たな遺産問題が出てくるとか目も当てられない。というかお祖父ちゃんのスキャンダルがあったとか考えたくない。この件は私の胸の内にしまって、それこそ死ぬまで抱えていよう。


「ところで、昨日もこのコーナーにいたけど、アナタ、歴史が好きなの?」

 話題を変えたくて、私は全然関係ない話を振った。


「そうだね、好きだよ。君は?」


「…………好き、だったわよ。一番成績が良かったのも、歴史だから、ね」

 失敗、私にとってはこの話題も選択ミスだ。私の声のトーンが自然と一段下がる。


「好きだった? その言い方だとまるで今はそうじゃないみたいだけど」

 流石に春も私の感情の変化に気付いたみたいで、少し心配そうにこっちを見てくる。

「今は、どうなんだろ。だって、もう歴史を勉強することもなくなったから」


「歴史を、勉強しない? なんでさ?」

 不思議そうな顔をして、本当に純粋無垢な瞳で春は私に聞いてくる。


「もしかしてアナタ、知らないの? 歴史の授業は二年前に学校のカリキュラムから消えたでしょ?」

 私は淡々と、できるだけ感情を殺して春の質問に答えた。


「え、そうなの? 僕はこっちで通信教育なんだけど、実はほとんどサボってるから知らなかったよ」

 気恥ずかしそうに、春は笑いながら舌を出す。

 意外だった、雰囲気から真面目なのかと思ってたけど違ったみたい。


「そう、アナタの事情は知らないけど、世間じゃそういうことになってるの。だから私も前は歴史が好きだったけど今は正直どうでもいいわ」


「ふ~ん、何で歴史を取り扱わなくなったのさ?」

「………………もう、意味がないからだって」

 陰鬱な気持ちで私は答える。


「意味が、ない?」

「もう過去に学ぶことはない、そんな風にみんな思っちゃったのよ」

 高校に上がった日のことを思い出す。一番得意で、一番の自慢だった歴史の分野。それが無意味だと宣告されたあの衝撃いたみは、今でも私の気分を暗くさせる。なのに、

「そんなことはないよ。過去には、人の歴史にはたくさんの価値があるじゃないか。それを意味がないだなんて、絶対にみんなが間違っているっ」

 嫌な記憶を思い出して暗くなった私を、春は強い言葉で否定してきた。


 二つ、驚いた。

 歴史に本当にまだ価値を見出している人がいたこと。そして、フワフワとしているだけの男の子と思っていた春の目に、確かな怒りが灯っていたこと。


「間違っているって、何よ。それを私に言ってどうなるの? 私だって本当はっ……いい、アナタがここにいることに私はもう何も言わない。だから、アナタも私に関わらないで」

 気が付けば私は、春に背を向けて図書室の入り口に向けて歩きだしていた。とにかく、彼から距離をとりたかった。


 おとなしいと思ってた小動物が突然キバを剥いたような衝撃と、無価値とゴミ箱に捨てたはずのモノに理解不能な値段が付いていたような後悔が、私に緊急避難を命じていた。

 だって少なくとも、春にさえ近づかなければ、そんな知らない価値観との衝突は起きないから。


「ちょっと待ちなよ。まだ話は終わってな、おわっ!」

 立ち去る私を追いかけようとする気配と、それに続く大きな音。

 振り返ると春は見事に転んでいた。床に置いていた本にでも引っかかったのか、ちょっとカッコ悪い転び方だ。


「大丈夫? 大ケガしてもここには救急隊だって簡単には来られないんだからね。……私には、付いてこないでよ。図書室の扉を越えたら、本当に不法侵入で突き出すから」

 私は図書室を後に校舎へと戻る。振り返ると春はまだうずくまったままだった。

 転んでぶつけた場所がそんなに痛かったのかな?

 まあ転んだくらいなら大丈夫でしょ。そう判断して私は彼のいない適当な休憩場所を探しにいった。

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