第2話 スプリング・アーカイブ②

 太陽が完全に沈んで気温が急激に落ち始めた、寒っ。私は急いで屋内に戻って屋上の二重扉を閉め、照明のスイッチを入れる。すると呼応するように校舎全体が明るく灯されていく。


 私だけでこんなに電気を使うのは、1000年前ならエコロジー精神に欠けるって問題視されたんだろな。だけどその時代こそが一番資源を無駄に消費してたんだから残念な話。

 今は西暦2990年、毎年毎年こんなただの数字を今に至るまで数え続けたものと呆れてしまう。もっと他にすることがあったでしょ。


 残念なことに、この西暦は3000年の大台に届くことは永遠にないらしい。

 未来演算システムなんてものを完成させて以降、何回かのアップグレードを重ねながらもずっと人類の未来を予測し続けた結果、その行き止まりに辿り着いたこと事態は仕方ない。

 だけどそこまでの人類の過程、人々の生きざまを思えば文句のひとつふたつ、ううん10個や20個ぐらいは大声で叫びたい。


 昔、地球の温暖化と呼ばれた現象に加えて地殻収縮という地球の小型化が進んだことで海面は大きく上昇、この日本も西暦2000年当時と比べると半分以上の陸地は沈んでしまった。

 私からすれば温暖化なんて名前をつけた当時の人たちの危機感はぬるすぎる。もうその時からこの惑星が燃えていたことに、どうして気づいてくれなかったんだろ?


 さらに最悪なのが地殻収縮。この原因ははっきりとしていて地熱エネルギー、正確には地核熱エネルギーの濫用だ。蓄熱技術と断熱技術が革新的な進化を遂げたことで従来のマグマだまりを利用した地熱発電じゃなくて地球のマントルにある熱エネルギーを直接利用するエネルギーのパラダイムシフトが起きた。


 北欧の氷の国を開発し、1000℃を超える蓄熱体を断熱物質でコーティングして各国に輸出。この蓄熱体を利用して発電することで世界中のエネルギー問題は劇的に改善した。しかも熱量のみを移送するので非常にクリーンな手法だとあらゆる人々が絶賛した。


 本当に画期的だったんだと思う、当時の人たちから見れば。


 地殻下の熱量は地表のエネルギー総量と比べれば莫大で、だけど決して無限じゃない。

 熱膨張という言葉があるように、一般的な物質は保有する熱量が増すことで体積が増える。なら表層マントル1000℃、地核中心は6000℃とも言われていた地球は常に膨張した状態であり、温度がたとえ100℃単位でも低下したらどうなるか?


 その答えが海面400メートルも上昇したいまの世界だ。


 約500年も続いた地核熱エネルギーの利用により地球内部の熱量が低下、地殻が収縮した。さらにたちが悪いのがエネルギーの利用開始から300年後くらいには地殻収縮の進行に気づいていたのに当時の人々は地核熱エネルギーの利用をやめようとはしなかったことだ。


 本当に、各個人の運命の最大化を図った運命演算ディスティニーシステムといいこの地殻熱エネルギーシステムといい、当時の人々はそれはもうこの世の春を謳歌したに違いない。


 おかげで今の私たちは沈没寸前の箱舟状態。文字通り都市を海の上に浮かべ、不要なモノを可能な限り切り捨ててここまで来た。船の重みで沈まないように、文化を、理想を、命を、肥大化したかつての時代から多くのモノをそぎ落としてここまできた。

 その結果、『平等』という概念すらこの時代の波を越えることができなかった。


 誰もが等しく、生まれながらにして同じ権利を持つ。


 なんて素晴らしい言葉だろう。今を生きる私だってそう思う。

 だけどお父さんは言った。


『その理念は美しかったが、それを扱う人間が醜悪過ぎた』


 誰もがその概念に正しさを感じた時、人は自身の都合の良い時にこそ『平等』を使いはじめた。男女の差を等しく、人種の差を等しく、いついかなる時にでもそう口にできたのなら本物だったのに。人々が自分のための『平等』だけを大声で叫んで、他人の訴える『平等』から目と耳を閉ざした時、多くの不和と軋轢とともにその美しい概念は地に落ちた。


『だから、未蕾。お前は……』


 お父さんはあの時、続けて私になんて言ったか、思い出せない。

 だってずっと昔の子供の頃のことだから仕方ないといえば仕方ない。

 私が物心ついたときにはもう、お父さんは毎日何かに追われるように都市長の仕事にかかりきりだった。

 だから平等がどうとか、もうどうでもいい。


 そもそも世界は不平等だ。これはあきらめとかそういう話じゃなくて、今の私たちと昔の人たち、それが等しく同じ権利を持っているだなんて、私にはとても思えない。

 充実した仕事を送ることも、華々しい芸術を残すことも、誰かと恋する未来を思う権利さえ私たちは失っている。


 私たちの今を昔の人たちが理解するなら、風船膨らましゲームを想像してもらうのが一番簡単だと思う。風船を空気入れに繋いで、交代で好きなだけポンプを押して次の人に回し、それを繰り返して最後に風船を割った人が負けになるゲームだ。

 実は私はやったことがないけど、その感覚だけは十分過ぎるほど理解できる。


 だって今のこの世界と一緒だから。各世代が好きなだけポンプを押した結果、今や世界は破裂寸前になってる。


 実際のゲームと違うのは、一度ポンプを押し終わった人たちにターンはもう回らないこと。つまり、順番が後ろであるほど不利なわけ。

 そんな点で私たちは不利も不利。最近の世代はかなり慎重にポンプを押してくれたけど、それでも私たちはあと一回ポンプ押せるかどうかというところまで来ている。

 もしかしたら、ポンプに触れただけで風船せかいが破裂するなんてこともあるかもしれない。


 これに関しては好き放題に世界の終わりに向けてのポンプを押しまくった連中にいくらだって文句を言ってやる。


 あ~あ、そんなこと今さら考えても意味がないけど。

 私は屋上から校舎の3階に下りて任されたお仕事を始める。と言ってもやることは校舎の設備点検するくらいだけど。それに今の設備って昔と違って100年単位で問題なく稼働するものばかりだし、あんまり、そんなに、ぶっちゃけ意味がない。


 だから私がする見回りは、ただのごっこ遊びでしかないんだろな。お祖父ちゃんが、私にくれた、最期の遊び場。


 お祖父ちゃんは去年の冬に死んじゃって、その時にたくさんの遺産が分配された。私は大好きだったお祖父ちゃんの葬式でものすごく泣いたけど、周りの大人たちはよりにもよって今死ななくてもいいだろうと言いながら遺言通りに遺産の処理をした。私はそんな言い方はないでしょと思ったけど、少しだけ同意できる部分もある。


 お祖父ちゃん、もう少し長生きしてくれて良かったのに。あと少しだけこの世界に付き合ってくれても、よかったのに。


 それで、私向けに宛てられた遺産の中にこの校舎の鍵と手紙が入っていた。『未蕾さえよければ、ひまな時にでも校舎の見回りをして欲しい。そこはおじいちゃんにとって、とても大切な場所だから』と。

 調べてみるとこの廃校舎は五十年くらい前までは学校として使われていて、今は廃校だけど発電施設の機能は生きているから周辺住民のために取り壊すことなく残してあるそうだ。


 今の発電は太陽が出ている時間の蓄熱と沈んでいる時間帯の気温を断熱保管することで生まれる空気の温度差でタービンを回す半永久機構。発電量は地核熱発電をしていた頃からは格段に落ちるけど、現在の人口数なら十分過ぎるエネルギー量だ。


 誰も、もう一度地核熱発電をやろうだなんて人はいないと思う。だってその爪痕つめあとが大きすぎる。マントル以下の熱量が下がったことによる影響は地殻収縮だけじゃなくて、地球の磁場が狂って自転も半日分ズレてしまった。


 そのせいで昼と夜は逆転して、飛行機などを利用した長距離航行も不可能になった。おまけに地熱が冷え込んだ影響で太陽の沈む時間帯は真夏でも氷点下を記録するほどに寒い。


 地球という資源を無駄なく使用しようとした結果の環境悪化。それに対する人類の答えが、本当にもう、救いようがない。


『地球全体の環境が人間に不適応へと変化するのなら、人間の存在する環境のみを適応化させればいい』


 地核熱発電の中心地だった氷の国に無人の巨大環境演算施設を設置、それを世界中に点在する七カ国、四十九カ所の海洋都市と血管のような海底ケーブルでリンクさせて地球そのもの環境をコントロールする。

 こうして各海洋都市の周囲20キロメートルまでが人間の生活圏となり、都市間の能動的環境調整を連動させることによって致命的な災害を回避し続ける。


 だけど結局、その環境コントロールをするエネルギー確保のため、あの氷の国では今もなお地下深くから必要最小限とはいえ地球の熱を吸い上げ続けているんだもの。


 そんな気が滅入めいることを考えているうちに校舎の見回りの半分以上が終わってた。残りは1階をチェックするだけで私の仕事はおしまい。あとは夕方までここで適当に時間を潰してから帰るだけ。夕方になれば日も昇って外を移動しやすくなる。

 ホント、地球の自転が半日ズレたのをいいことに太陽が昇っている間を夜、沈んでいる間を昼にした当時の人たちはいい性格をしてる。

 確かに海洋都市を中心とした限られた生活圏で生きる以上、灼熱照り付ける時間帯に活動する合理性はないけど。自分たちの環境破壊の結果を都合よく受け入れるなんて本当に図太い。

 私も、そのふてぶてしさだけは見習いたい。


 というわけで、この校舎も日が完全に沈んで気温が下がると日中に蓄えた膨大な熱エネルギーを循環させて自動で暖房機能が作動するようになってる。便利なシステムではあるけど、それを当たり前に受け入れているあたり、私も十分ふてぶてしいのかもしれない。


 気づいたら校舎1階の見回りも終わって残りは廊下の一番奥にある図書室だけ、なんだけど。


「ここはチェックしなくていいって、書いてあったしな」


 お祖父ちゃんから私への手紙には『図書室だけはそっとしてあげて欲しい』と書いてあった。そっとしてあげて欲しいってのも不思議な表現だけど、一応お祖父ちゃんのお願いなら聞いてあげたい。


 となると私がここでするべきことは終わったし、校舎内の一通りの探検も昨日までで終わったから見るべき物珍しいモノも残ってない。


「暇だなぁ」


 この校舎も私の海洋都市の圏内なので手持ちの携帯端末でテレビやラジオ、投稿映像だって拾うことができるけど、正直見たり聞いたりする気分にはならない。こんな世の中でまともなモノが流れてるとも思わないし、過去のデータをあさり返すのも嫌だ。


 私は、みんなみたいに過去にすがりつくようなことはしたくない。どうせすがりつくなら未来がいいし、それができないのならそのまま滑り落ちて死ねばいい。

 明日を夢見て死ぬのなら、私はギリギリ自分を赦してあげられる。


「図書室、行ってみようかな」


 あれこれ考えた結果、私は図書室の扉を見つめていた。

 もちろんお祖父ちゃんのお願いは聞いてあげたい、あげたいよ? だけどその内容は『そっとしておく』ってものだし、つまりは暴れなければ大丈夫じゃない?


 拡大解釈は政治をする上ではかかせない。よりよい未来のために過去のしきたりにとらわれてたら前に進めないことだってあるんだし。たとえその理由が私の暇つぶしのためだとしても、お祖父ちゃんならきっと笑って許してくれるはず。


 それに、本当に入って欲しくないならもっと強い言葉で禁止している。そっとするって言葉からはなにか大切なモノを刺激しないでってニュアンスを感じる。


 もしかしたら本の妖精でもいるのかもしれない。だって図書室にあるのは紙でできた文書ツールだし。


 新規の文書はすべて電子上にしか残せなくなった今、金よりも価値のある紙製の本は五百年以上前のものであることが確定してる。

 だったらそこに妖精が宿っていても不思議じゃないと思う。そのほうがきっと夢がある。

 それこそ紙のように薄っぺらい自己弁護をしながら私は図書室の扉を開けた。

 同時に香る独特のにおい。

 刺激臭でもなく、芳香臭でもなく、ひとことで言えば『時のうつろい』がにおいとして漂っているような感覚。

 そんな場所へ、まるでタイムスリップするような心持ちで私は踏み込んでいく。


「うわぁ」


 図書室に一歩入り、私は思わず感動した。

 見渡す限り大量の本が実に多彩なコーナーに分けて収められていて、おびただしいほどの情報が私の視界を一斉に駆けめぐる。児童文学に推理小説、SF、ホラー、ファンタジー書籍、趣味関連のコーナーに料理や医学などの実用書、絵画や彫刻などの芸術系に図鑑や辞典まで、数えきれないほどの書物が所せましと並んでいた。


 それらの中で私の目を真っ先に引いて、すぐに無視をされたのが『歴史』のコーナーだった。

 ─────はあ、今さら歴史なんかを勉強してもどうにもならないし。

 だけど次の瞬間、


 パラッ


 自分の耳に、微かな音が聞こえた。それもその歴史のコーナーの方から。

 気のせい、かな? 今は何も聞こえない。

 それはそうだ、聞こえたら困る。

 廃校舎に知らない人がいるとかそんなのただのホラーだし。

 さすがに私も本当に妖精がいるのかと思えるほどメルヘン趣味じゃない。


 一応、本当に何もないのか確かめるため、私は歴史のコーナーの棚へと近づいていく。音は、やっぱり───する。かすかに、パラッ、パラッと控えめな音が私の耳に届いてくる。

 ゴクリッと唾を飲み込み、ゆっくり、ゆっくりと歴史のコーナーの棚をのぞき込むと、


「──────────、」


 そこには、棚に背中を預けながら一冊の本に目を通す学生服姿の少年がいた。


 歳は私と同じくらいかな、短めの黒髪に線の細い身体、白いワイシャツに黒いスラックス、彼は一心不乱に厚めの本を読んでいて私の存在に気付いた様子もない。

 一度引き返すか一瞬だけ迷ったけど、私は覚悟を決めて声をかける。


「あなた、誰?」 

 だけど彼は私の声に気付いた様子もなく自分だけの世界に入ってるみたいに本を読み続ける。


「ちょっと、聞こえてるの?」

 私はさらに語気を強めて声をかける。


 するとようやく気付いてくれたのか彼はこちらへと振り向く。


 少年は私を見て驚きで目をパチクリとさせている。だけどそれも一瞬のことで、

「──ああ、そうか。うん、ビックリしたよ。初めましてだね、君も本を読みに来たの?」

 彼はすぐに落ち着いた声でのんきな挨拶を返してきた。


「初めましてって、そりゃ確かに初めましてなんだけどっ、そうじゃなくてアナタはどうしてここにいるの? 名前は?」

 私は彼の落ち着いた態度に内心でちょっと苛立ちを覚えながら質問を重ねる。


「僕? 僕は春だよ。ここにはもちろん、本を読むために来てるんだけど。君の名前は?」

 彼、春は実に落ち着いた態度で私に名前を聞き返す。だったら私の答えは決まってる。


「…………教えない。個人情報は悪用されることもあるから簡単に人に教えちゃいけないの。とくに初めて会った不審な人にはね」


「え~、僕には名乗らせておいてそっちが教えてくれないのはズルいよ。それに僕って何か変かなぁ? ちゃんと制服も着てるよ」

 謎の少年、春は自分の格好を確認しながら、不満そうにしてる。


「着ている服の問題じゃないし。そもそもこの学校は廃校なんだから、学生服を着てたところでアナタが怪しいのは変わりないでしょ?」


「あはは、確かにそれはそうだね。だけどそれは君も一緒だろ? 制服着て、勝手に学校に忍び込んでるんだから」


「違うわよ、ここは元々私のお祖父ちゃんの学校で私は管理を委任されてるの。アナタと一緒にしないで」


「へぇ、そうなんだ。それは知らなかった、ここってずっと放置されてるものだと思ってたからさ」

 春は私を見ながら不思議そうに驚いている。

 どうしてかな、彼のそんなのんびりとした空気が、私の神経を苛立たせる。

 もしかすると、私は彼のことが苦手なのかも。


「以前は放置されてたのかもしれないけど、今は私が死んだお祖父ちゃんのお願いでこの場所を見て回ってるの。だから不審者を見つけた以上はこのままにしておけないわ」


「え~と、具体的には?」


「警察、は今は意味ないか。じゃあ、おとなしく帰ってくれるならこれ以上の問題にはしない」


「え、今帰るの? 外は結構寒いよ?」


「……知ってるわよ」

 私も勢いで口にしたものだからちょっとだけ言い過ぎたかなと後悔する。


 もう外は日が落ちてるから寒い以上にとても暗い。それも今からまだまだ闇も寒さも強くなる時間帯だから、彼の家がどこにあるかは知らないけど今から帰るのは簡単じゃないか。

 そんなことを頭の中で考えてた時、春はもう一言付け加えてきた。

「それに、僕あんまり身体が強くないんだよ。ほら、余命一年なんて言われてるしさ」

 彼は、自分自身を指さしながら、何一つ悲壮感のないはにかんだ笑顔を私に向ける。

 その一言で、その笑顔で、私から彼へ向ける感情は決定した。


「それは奇遇ね、私だって余命が一年よ」


 私は、コイツが嫌いだ。

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