ワールズエンド・ユアエンド

秋山 静夜

第一章 スプリング・アーカイブ

第1話 スプリング・アーカイブ①

 2990年8月1日、朝の5時半、目覚まし時計が鳴り響こうとしたその瞬間、私は素早く布団から手を伸ばしてアラームを止めた。


「はぁ…もう朝か…。ま、いいけどさっ」


 勢いよくベッドから起き上がり、窓のカーテンを開けて差し込む朝陽を肌で感じる。こんなに朝早くても、って違う違う。こんな朝早くだからこその強い光が目覚まし以上の暴力で私の身体を一瞬で目覚めさせる。

 よし、目を覚ましたならやることはたったひとつ。


「さ~て、今日こそ綺麗に死んでやりますかっ」


 気合を入れた私はパジャマから学校の制服へとサッと着替えた。1000年前から変わることのないスタンダードなタイプのセーラー服。屋外に出るつもりなら、服の選択肢がこれ一つなのが困ったところ。


 有害な紫外線のカット、快適な通気性、適切な体温維持、数えればキリがないほどの高機能が詰め込まれたミラクルドレス、それがセーラー服だ。

 なんでそんな高機能を学生服に付けたのかわからないけど、お父さんはそれがずっと昔から残り続けているモノだからだって言ってた。


 長い歴史の中で淘汰されることなく在り続けたからこそ、コストをかける価値がある。

 それが、現代における普遍の価値観だった。


 いずれ失われるモノに余計な資源は割けない。残す価値を失ったモノをキープし続ける余裕を、私たちはずっと昔に失ったんだ。


 まあそれはそれとして昔の学生服の主流にはもうひとつブレザー服という物があったはずなんだけど、なんでセーラー服の方が残ったんだろ?


 一説だと当時の大人が『海の上に住むのだから、海兵セーラー服が相応しいだろう』言ったかららしいけど、もしそれが本当なら大人の頭は今も昔も固いままだ。せめてそこだけでも淘汰されてくれてたらよかったのに。


 私は一階に降りて洗面所で手早く洗顔と歯磨きをすませ、お祖父ちゃんがよく褒めてくれた真っ直ぐな長い黒い髪を可愛いポニーテールに仕上げた。


 鏡に映る自分は、ばっちり今日も美人だ。


 鏡の前で十秒だけポージングを決めて次は台所へ。お弁当なんか作る時間はないし冷蔵庫から朝食用の固形パンと昼食用の簡易栄養ドリンクを取ってリュックに詰め込む。

 リュックに入れた他の中身は、念のための着替え一式とバイクの鍵、それと一番肝心な学校の鍵。向こうにも備蓄はあるしこんなものかな。


 お父さんとお母さんの部屋の前を足音を殺して通り過ぎて玄関まで到達。昔なら、私がどんなに早起きしても二人はとっくに起きて仕事の準備を始めてたのに……今じゃ、もう。


 まあ、あれこれ考えても仕方ないし、気持ちを切り替えよ。

 玄関で靴を履いて扉を開けようとしたその時、


「未蕾、どこに行くの?」


 幽霊のような、か細い声が私にかけられた。

 振り返ると暗い廊下に一人の女性。寝起きのままの乱れた長い髪とヨレヨレのパジャマ、他人が見たら本当に幽霊と間違えそうな姿をしたその人は、私のお母さんだった。


「お祖父ちゃんの学校に行ってくる。これ、前にも言ったでしょ、お母さん」

 私は気づかないうちに、少しだけ強い口調になっていた。

 だって、こんな弱々しい姿を私は一秒だって見たくないんだもん。

 私のお母さんは、もっと明るくて、ずっとさわやかで、こんな、こんなっ……。


「でも、海に出るんでしょ? 未蕾一人じゃ、危ないし」


「あのね、今日の波は安定してるし、明日も明後日も、なんだったら一カ月先だって大丈夫だから。それに一人じゃ危ないって、じゃあ誰かがついてきてくれるの!?」 

 もし誰か私に付き合ってくれる人がいるなら教えてほしい。


「それは、でも……」


「いいでしょお母さん! 最後くらい、私の好きにさせてよ」

 私は玄関の扉を開けて外に駆け出し、勢いよく扉を閉める。同時にとんでもない後味の悪さと後悔が私の足元から這い上がってきた。


 だから、私はそれにつかまらないように急いで電動自転車を取り出して港へと走りだす。


「好きに、させて。好きに、死なせてよお母さん」


 私に選べる未来がないのなら、せめて現在いまだけは私の自由にさせて。



 

 家から港までの道は透明なドームに覆われていて容赦のない太陽光が差し込んでくる。熱量の八割はフィルターでカットしてるはずなのに肌が燃えるんじゃないかってほどの日差しが降り注いでくる。


 もう少し待ってから外に出ればいいんだけど、それだと私の目的が叶わなくなる。大好きな香り付きの日焼け止めも塗ったし、あとは気合でごまかすしかない。


 自転車を10分くらい走らせて港に到着、プライベートの水上バイクに乗り込む。おととしの誕生日にお父さんにゆずってもらったお下がりなんだけど、まさか『もう使うことがないからな』って言葉がそのままの意味だったとか。

 そっか、お父さんはあの時にはもう全部知ってたんだ。都市長っていうのも、ホント割に合わない仕事だなぁ。


 私は自転車を折りたたんで載せた大型の水上バイクで海面を滑走していく。

 天気は快晴、波は凪いでいて、絶好の日和。何カ月以上も前から未来演算で算出されていた通りの天候。はぁ、これが少しでもいいから外れてくれたなら、私の気持ちもちょっとはマシになるのにな。


 量子演算クォンタムシステムから二世代進化した運命死演算フェイトシステム、それは私たちの世界を箱庭のように管理する。快適に、簡潔に、不要なモノを次々に排除して人類の明日を可能な限り引き延ばそうと機能し続ける。


 この快適な海だってそう、波の要因、雨の要因、風の要因、あらゆる不快な要素の大元を遡って検索し、その原因を排除する。


 バタフライ・キル、だったかな。


 蝶の羽ばたきが世界の裏側で竜巻になるバタフライエフェクト、だったら蝶が羽ばたく前に蝶を殺す。対応不可能な現象は対応が可能な内に抹消する。

 たとえ人間の生活圏以外がどれほど荒れ狂っても、自分たちが大丈夫ならひとまずそれでいいってことにする。それが私たちに残された今。


 あ~あ、せめて一世代前の運命演算ディスティニーシステムの世界なら、ここまで暗い気持ちになることはなかったのに。まあでも、その時はそもそも私たちが生まれるまで世界が残ってないか。


「わぁっ!」


 今日はいつもよりさらに波が安定していて、水面越しに海の中に沈んだ都市群が揺らめいて見える。かつて人が暮らしていた世界を、無数の海洋生物が優雅に回遊してる。この光景の発端が人のエゴから生まれたモノでも、やっぱり美しいものは美しい。

 

 これらの都市が沈んだのもほんの数十年前。比較的気候が安定していた1000年前からすると400メートルくらいは海面が上昇している。今は私たちみたいに海に浮かぶ海洋都市で生活するか、沈まずにすんだ山々に住むくらいしか生きる道はない。


 沈んだ都市を眺めながら物思いにふけるうちに山の港に到着してた。水上バイクは港にロックして、そこからは一緒に載せてきた電動自転車で舗装された山道を猛スピードで駆け上がる。

 今がだいたい6時半、空は少しずつオレンジ色に染まっていて時間の余裕はあまりない。

 山頂までの道のりを15分で駆け上り、目的の校舎が目に入った。校門はいつも開いたままだからそのまま減速なしで走り抜ける。校舎の玄関はリュックから取り出した鍵で開け、学校の屋上までの階段を全速力で駆け上がった。

 息を切らしながら鍵のかかっていない屋上の扉を開けるとそこには、



 視界一面に広がる橙色の朝焼けがあった。



 気温が少しだけ下がり、もの悲しさを伴いながら熱がゆっくりと冷めていくのを肌で感じ取る。

 朝の支度に少し時間をかけたせいで、朝陽はすでに半分ほどが沈み始めていた。

 私は屋上のフェンスに駆け寄る。沈む朝陽を、ゆっくりと濃い紫色へと移り変わっていく朝焼けを見つめ続けた。その視線に、期待と、絶望と、やり場のない怒り悲しみを込めて。

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