空回り

小狸

短編

 何をするにもうまくいかない。


 歯車が噛み合わないだとか、回路が繋がらないだとか、線が通じないだとか、そういった比喩表現で、文学的に表されることの多いことではあるけれど、しかし私の場合、そのようなソフトな表現は許されない。


 歯車とか、回路とか、線とか。


 もはやそういう次元じゃない。


 


 それはまるで、将棋の初期配置が間違ったまま、試合が始められるようなものだ。


 しかも、金将と銀将を間違えているとか、角行と飛車が逆であるとか、そういう話ではない。


 将棋のたとえの継続を許してもらえるのなら、歩が1つ飛び出ているようなものだ。


 誰でも気付くような、当たり前の間違いを、しかし誰も指摘せず、指摘されず、修正されないまま、試合開始の合図が鳴ってしまった。


 


 それが、私である。


 ここまで延々と比喩表現ばかり使っているけれど、これも私の二十数年間の内に編み出した、処世術の一つである。


 基本的に私は間違っている。


 故に、私が発する私の言葉は、相手には伝わらない。


 絶対に。


 そう思って生きている。


 だからこそ、比喩を用い、別の何かにたとえて――私を表現するしかない。


 これを聞けば、頭の回転の速い方は、こう思うのではないだろうか。


『いやいや、そんな風に言っても、お互い人間なんだから、完璧な意思疎通なんて無理じゃないですか。そう慌てなくても良いんじゃないですかね。お互いおいおい分かり合っていくものでしょう。』


 と。


 これは、実際に言われた言葉である。


 まあ、間違いではないと思う。


 確かに人間同士で完全に理解し合うことは不可能である。他人が考えていることは分からないし、特殊能力などないのだから、人は人の思考を読むことはできない。少なくとも現時点の日本では、思想の自由が保障されている。そして多様性という文言の下にあらゆる思想、在り方が許容される時代、ここまでの模範解答は無いと言っても過言ではないだろう。


 ただ――一つだけ。


 言わせてもらえるとするのなら。


 この言葉は、――、正しいものだということだ。


 図らずもそのような言葉は――我々のような間違えた者達を、傷付ける。


 分かり合う、とか。


 慌てない、とか。


 何度も同じ言葉を使ってしまうと頭の悪さが露呈することを承知の上で言うけれど、そんな次元の話ではないのだ。


 そんな安全圏の人達の「当たり前」を享受できないような人生を、少なくとも私は送ってきた。


 誰も私を分かろうとしなかったし。


 誰も私を、助けてくれなかった。


 初めから壊れていた。


 初めから何かが欠けていた。


 皆ができる当たり前が、私にはできなかった。


 皆がいられる当然に、私は当てはまらなかった。


 疎外された。


 莫迦ばかにされた。


 嘲笑された。


 後ろ指を差された。


 そしてそれが、私の日常だった。


 否定されるのが当たり前の日常。


 生きる権利が尊重されない人生。


 人よりも頑張ることを無意識に強要される日々。


 常に比較対象の下位に存在し続けるあの頃。


 もうそこには、緻密ちみつな描写は必要あるまい。


 誰も過去の不幸話なんて、聞きたくもないだろう?


 私も話すつもりはない。


 そこに居て良いのか。


 ここに居て良いのか――なんて。


 そんな思春期特有の疑問にすら、二十歳を過ぎても未だ決着をつけることのままならない人生だった。


 初めから、土俵にすら立てていない。


 この世が1つの物語だとするのなら、私はそこに登場することができないだろう。


 不登場人物である。


 そんな壊れた人間が果たして存在するのか? と、安全圏で、テレビのニュース感覚でこれを読んでいる方々は思うだろうが、存在はする。している。今私がここにいるのだから。


 ただ、表面化しないというだけだ。


 だって登場しないのだから。


 私達のような、初めから壊れた人間は。


 犯罪者になるか、自殺するしかないのだ。


 だから、エンドロールにもクレジットされない。


 そう思って――思いながら、地獄のような人生を歩んだ。

 

 早く終わらないかな、とずっと思っていた。


 自殺も何度か試みたが、失敗続きだった。


 そして、何となく進学できていた大学から先――就職で、私はようやく社会の枠組みから外れた。


 どこも私を採用しなかった。


 当然である。


 彼ら――社会が求めるのは、即戦力である。


 ぴたりと嵌る歯車である。


 きちんと繋がった回路である。


 筋の通った線である。


 何社も何社も受け、落ち続けることによって。


 ようやく私は、自分が社会不適合者なのだと理解した。


 死ななければ。


 死ななければならない。


 私の中の希死念慮は、日に日に強まっていった。


 そして、ある日。


 橋から飛び降り自殺を図った時。


 それは失敗し、両親に知らされた。


 世間体を気にする両親は、私を、精神科に受診させた。


 13回目の受診の際、担当医は私に、病名を告げた。


 私は、病気だったのだ。


 そっか。


 そう思った。


 自分でもあっさり、私はそれを受け入れた。


 帰り道。


 私は生まれて初めて、空を見た。


 青く広い空の下に。


 私は生きていた。



《Sky Cycle》 is the END.

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空回り 小狸 @segen_gen

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